64話 不穏
──見立てどおり、二つの世界の歴史は繋がっていた。
「500年前、ボクたちの世界では有名な、ノッチェベルクの闘い」
騎士団と帝国軍が下界のノッチェベルク地方で起こした大きな戦争。
これまでの歴史で最悪とまで言われる規模の戦争で、多くの天使の魂と引き換えに、強大な古代魔法を使用した騎士団側が勝利を納めた。帝国軍は大損害を受け、出撃した兵士の殆どを失い、ノッチェベルク自体が地図から消たといわれるほど地形すらも変わった、知らない者などいないくらいの、歴史に残る激戦。
「ちょうど同じ時期から暫く、魔界では殺人件数、自殺者数ともに低く、出生率も過去最高。新しいエネルギー鉱物も発見されていて、科学技術も発展。医療面においても、難病とされてきた病の特効薬が続々と発見されて病死も減っていった……全体的にはプラスな動きに感じます。偶然、でしょうか?」
眠は、ルナとは違う書物のページをパラパラとめくる。
「いや……まだ判断は出来ない……けど、その後の大きな闘いと言えばノッチェベルクから140年後のヴェルノブール奪取か……」
「帝国が、天界最大と言われた城塞都市を落とした戦争……その時、魔界は……?」
急いで分厚い本のページをめくるルナの手元を、眠も覗き込んで、指をさす。
「……あった。この年だ、えっと、500年前とは逆だな。自殺者数、殺人件数、テロの回数、失業率もが上がってる。特別何かが起こったわけではないみたいだが…魔界に負の空気が充満したって感じだな……」
2人は顔を見合わせる。
「これも、偶然?」
「まだ繋ぐ理由には足らない気もするが……」
それから2人は思い出すままに、過去の戦争と、同じ年に魔界で起きた出来事を、年鑑や当時の新聞の切り抜きを見て、調べていった。
「そして最後、オレらがヘルミュンデを奪還したのは2年前──ちょうど同じ頃、魔界では……国際銀行の株が大暴落し、失業率も自殺率も過去最低記録更新……か。確かに、デカい戦いじゃあなかったが、騎士団長が敗北し交代してるから、歴史的にみると重要な戦いと言える。その分、影響もでかいってワケか……?」
大粒の汗が、眠の額からぽとりと溢れ、図書館の机に落ちる。
しんと静まり返った館内の何処かで、誰かがページをめくる音がする。
館内はこんなにも静かだったのかと、ここにきて初めて二人は実感した。
「繋がってると結論づけるのには全然情報が足んねぇが、否定出来る要素が全くねぇのも確かだ」
ルナはもう少し情報を得ようと、次の本に手を伸ばしながら、ふと浮かんだ疑問を眠に共有する。
「今のところだと、天界が優勢であれば魔界が発展、下界が優勢であれば魔界は衰退……というか、不幸というか……これ、逆はどうなんでしょう」
「逆っつーのは、魔界が発展した結果、こっちの世界がどうなったのかって事か?」
「そうです。前提として『争いの理由が魔界の存在である』とした場合ですが……天界の目的が魔界を発展させることにあるならば、天界が優勢でいたい理由はわかります。ただ、そうなってくると下界が優勢でありたい理由は、魔界を破滅させたいからという事になりますよね?」
「たしかに単純に考えるとそうなんだよな。けど、魔法の知識を仕入れたり、千聖やオレみてぇにこっちで生活したりって一部が魔界の恩恵を受けてる以上、オレたちには魔界を破滅させたい直接的な理由がねぇってゆーかさ……」
椅子の後方に体重を掛け、のけぞって上を見上げる眠は、天井で回るプロペラに向かって はぁーと深いため息をつく。
「もしも魔界の情勢によって、ボクらの世界が何らかの恩恵を受けているなら……その恩恵を巡って争っていると考えるのが自然ですよね。例えば、魔界が繁栄した時にこちらの世界も繁栄する。その時優勢だった勢力が、より多く恩恵を受けられる、とか」
「あー、確かにそれなら色々話は繋がってくるが、そうなってくると尚更下界の立場ってよくわかんねぇけど……天界が勝てば魔界が繁栄して、けどその恩恵を受けるがためにオレらも勝とうとするんじゃ、魔界にとっては良いことねぇから意味ねぇんだよな」
「いや……」
“共存する世界を俺は望んでいる”
“この世界に必要なのは均衡なんだ”
ルナが思い出すのは、いつかアスガルド王が語ってくれた言葉。
(不幸が、必ずしも繁栄を妨げるとは限らない……魔界の繁栄に不可欠なのは幸と不幸──全ての均衡を保つこと……だとしたら)
急に考え込んだルナの顔を、眠が心配そうに覗き込むが、今の彼女の瞳には、意味を持って映るものなどなかった。
「ルナ?」
(魔界じゃ天使も死神も、幽霊と同じ、本来見えないべき存在。こちらの世界自体、魔界にとっては触れられないもの。変わらない昼夜、光と影。バランス……発展)
ルナは口に出さず、頭の奥底で言葉を並べていく。乱雑に並べられた言葉は、繋がりあって、次第に意味を持っていく。
そうしてルナが一つの結論にたどり着くまでに、そう時間はかからなかった。
「一度、ボクは天界に戻って、これからご説明する仮説を前提に改めて天界の歴史を見てみます。だから眠さんも、可能なら下界に行って確認してみて下さいませんか」
「……別に構わねぇーけど、何がわかった?」
「戦いの理由、ではないのですが、ボクたちの世界の存在理由は、
“魔界を繁栄させ、発展させるため”
だと思うんです」
*******
「なんか今日2人とも暗くない? 大丈夫?」
「いやー、ちょいと疲れてな……腹も減ってたから飯食えば何とかなる!」
すっかり暗くなった頃、用事を済ませた眠とルナは講習終わりのユキと合流し、昨日と同じファミレスに来ていた。
「ずーっと図書館に缶詰でしたからね」
「調べもの?」
「まぁな」
このお店で一番サイズの大きなステーキにナイフを入れる眠。ご飯の量は大盛りだ。ルナは以前、彼と帝国で食事を共にした際『すんげー腹減るんだよ』なんて言っていって大量の料理を注文していたことを思い出していた。
そういえば昨日もここで大食いし、そのうえユキやルナが食べきれなかったご飯も貰い受け、すべてをペロリと平らげてしまった。帝国で彼が言っていた「食べてたらいつのまにか給料がなくなっている」というのも、あながち大袈裟な話でもないのかも知れない。
「そう言えばね、うちの学校で眠の話が上がってたよ!」
「オレなんかしたっけ!?」
眠は聞いたついでとばかりに、開かれた口に大きな肉塊を入れ、それよりも大きな一口分のご飯で追撃する。
「いつも帰り、寮まで送ってくれるじゃない? それを見てる子が何人かいたみたいで、あのイケメン誰!? て話題になってたの」
「ふ……オレって罪な男だなー」
「あーぁ、またそんな事言っちゃって。あ、そーいえば眠が最初に連れてこようとしてた、たった1人のお友達、もうすぐで講習終わるのかなぁ?」
ユキは頼んだコーンスープをスプーンでくるくるとかき混ぜながら、興味津々と言った感じで話題を変えていく。
ルナは話を聞きながら、じーっとスープと一緒になって回転する中央のバジルの葉を眺めながら、昨日の見事な二人のすれ違いを思い返していた。
「おい、誰だ! たった1人のお友達なんてユキに言ったのは……お前かルナ!」
「ホントの事じゃないですか……!」
「お前なぁ!」
「ね! ね、どんな人なの? ルナはあったことある? 眠みたいにチャラいの?」
「あ、はい! あります! 眠さんよりは落ち着いてますね。眠さんより言葉は汚くないし、もちろん、眠さんよりはチャラチャラしていないかと……」
「さり気なくオレをディスってねーか? つーかそもそもオレはチャラくねぇよ」
『眠はチャラいッ!!!』
間髪入れずに全く同じ事を言う二人のシンクロぶりに、眠は一瞬驚いたが思わず笑ってしまう。
「んなとこでハモってんじゃねぇよ」
やれやれと言いたげな表情で、切り分けて、それでもまだ大きな肉の塊を口に押し込む。
顔を見合わせて、ユキもルナも笑った。
しかし、和気あいあいと食事や会話を楽しみながらも、眠とルナの心の真ん中には昼間の出来事と、その時から抱き始めた言い知れる不安が居座り続けていた。
*******
「ユキちゃん、天界に用事が出来てしまいまして……ボクはこれから少しの間、向こうの世界に行ってきます」
「オレも、あっちに用があってさ、これからしばらく、帝国に行ってくる」
ファミレスを出てすぐに、2人からそう言われたユキは、久々に夜の道を1人で歩いていた。
2人はなんだかとても疲れて見えたし、ルナは騎士団のメンバーだからきっとものすごく忙しいのだろう。
眠はよくわからないけど、きっと彼も忙しい。
少し2人が心配だった。
ルナは無理するタイプだし、眠もそう見えるから。
ユキは、魔法の中では一番、占術の類が得意だった。神である父親の血が影響しているのか、魔法を使わずとも、稀に少し先の些細な未来を察知することがある。
ああ、あの花瓶落ちるな。とか、あの子転ぶな、とか。
それは自分の意志に関係なく見えてしまうことが多かった。
肝心なことは見えないくせに、どうでもいい未来ばかり見えてしまう。
そして、それと同じように人の心も、意図せず感じてしまう時がある。
強い思いであればあるほど、知ろうとしなくても、触れた時に流れてくる。
今日の2人の心はなんだか、大きな不安でいっぱいだった。
ルナは普段からわかりやすいのだけど、わからないのは眠だ。
彼の心はとても暖かい。だけど……いつも、とても不安定だ。
「心配……だな」
彼のお友達が、そこに気付いてフォローしてくれてるなら、いいのだけど。
そんな事を考えながらも、とりあえず帰らなくちゃ。と、思わず止めてしまっていた足を一歩前に踏み出そうとして──しかし、動かない。
「……ぇっ」
身体が、動かないのだ。
すぐに気付く。
これは、何者かによって発動された、動きを封じる魔術なのだと。
ユキは視線を落とし、足元を確認する。
何かしらの魔法陣を踏んだことにより発動した罠であれば、足元には魔法陣が展開されているはずだ。魔法陣や魔法式が分かれば、対抗する術も割り出せる。
しかし、そこにあるのはただのコンクリート。なにも描かれてはいなかった。
これは、誰かがいたずらにこの場所に仕掛けた簡易的なものではない。ユキを狙った何者かが、ユキ自身に掛けた呪術のようなものだろう。
学校では、色んな魔法を習っている。こういった動きを封じる魔法については特に、自衛のため様々な術とそれに対する対処法を教えられている。こういった呪術に有効なのは、ユキが得意としている占術の類なのに。わかってはいる、魔法を解く方法が何通かある事、幾つかは自分の知識で行使できるであろう事、それなのに……。
「どうして?」
誰が? 何のために?
余計な思考がぐるぐると頭を巡り、何も出来ない。
どうして? と どうしよう? を行き来するだけで、頭は真っ白になってしまっていた。
──ああほら、肝心な未来は何にも見えない。
そうして、何もできぬまま、後ろから何者かによってハンカチのようなもので鼻と口を覆われる。鼻腔に広がる香りを甘いと認識する頃には、全身から力が抜けはじめ、意識を手放すのに、そう時間はかからなかった。
*******
気が付いた時には、見知らぬ場所で横になっていた。
暗くてよくわからないが、埃っぽい空気。
普段人の出入りが無いことがすぐに想像できる。
深く息を吸い込めば、微かな木の匂い。
古い、木造の建物かもしれない。
おそらくあの後、眠らされたかなんかで気を失って運ばれてきたのだろう。
室内の柱に、もたれ掛かるようにして座らされていた。
その柱に、ロープでグルグル巻きにされた両腕が固定されている。
すぐにでも大声を上げて助けを求めたい気持ちを押し殺して、ユキは深呼吸する。
固定されているのは両腕だけで、他は何もされていないようだ。
そう広くない室内を見渡すも、人影は無い。
持っていたカバンは近くに放り投げられていた。
片腕でも抜ければ、カバンの中にあるスマホを取り出して、誰かしらに助けを求めることはできそうだ。
「ぅぅうーっ!!」
めちゃめちゃに動かしてみたり、ロープに噛み付いてみたりと必死にもがくなかで、目的は何かと思案する。
生き物の生存本能なのか、本当のピンチを前に、頭は意外と冷静だった。
自分をアスガルドの姫と知って攫ったのか、単純に女だから攫ったのか……
後者なら相手は人間だろうから、ロープから脱出できれば魔法で勝てるかもしれない。
ただ、前者であるなら状況は最悪だ。
考えながらも両手をやみくもに動かしていけば、徐々に右手側が緩んできたのが分かる。
(大丈夫、抜けられる)
更に強い力で右手を引こうとし、そこで動きを止めた。
微かだが、外から人の話し声が聞こえる。
ユキは呼吸すらもとめて、全神経を耳へと向ける。
「姫を殺すにしろ殺さないにしろ、こんな事したのが我々の仕業だと知られたら世間的にはまずいだろうな」
外から聞こえてきた会話に、ユキの動きが止まる。
姫──殺す──
(どう考えても、私の事だ……)
今まで以上の力で、右腕を引く。
このままだと、殺される。
どっちの手でもいい、抜けて、ルナと眠に電話しなくては。
ギリギリと縄が食い込んで痛いが、もうそんな事気にしてもいられない。
引っ張って、噛み付いて、また引っ張って、がむしゃらに引いて、ぷつんと何かが切れる音。
右手が抜けた勢いで身体が思い切り後ろに倒れるが、まだロープで固定されている左手のおかげで地面にぶつからずに済む。
「……ぃったぁ」
体重の掛かった左手に痛みが走った。
だけど、抜けた。右手が。
急いで携帯に手を伸ばす。
さっきまで一緒にいた2人に、助けを……
『お掛けになった電話は、電源が入っていないか電波の届かない所に──』
どちらに掛けても、結果は同じだった。
そういえば、ルナは天界に、眠は下界に行くと言っていた。
あっちの世界は繋がらないから。
「どうしようっ……」
友達はたくさんいる。
だけど、他はもうみんな人間だ。
ユキが姫だという事を知るのは、あちらの世界の人以外いない。
魔界の人を、こんな事に巻き込むわけにはいかない。
「上手い事下界の帝国か革命か、どっちでもいいからその辺の所為にしないとなぁ」
また聞こえた話し声に、ユキの動きが止まった。
今、なんて?
帝国、革命軍、どっちでもいいから?
寧ろ、どっちでもないの?
もう一度、ルナに電話をする。
もう一度、眠に電話をする。
やっぱり結果は一緒、繋がらない。
手が震えてくる。
私を殺そうとしているのは誰なのか。
下界の人じゃないのなら、天界しかありえない。
そして天界にいる一般市民は、下界の人は “下界” の人でしかなく、
わざわざ “帝国” と “革命” で分けて呼ぶ組織は、天界に一つしか考えられない。
でも、それを答えにするのは、とんでもなく怖い。
帝国でも、革命軍の人でもないのなら……
(帝国……?)
“気が向いたら連絡して、魔界にいるから”
「ぁっ……」
今までずっと忘れていた事を思い出した。
あの時すれ違った死神の少年からもらった紙切れは、生徒手帳に挟んである。
あのナンパしてきた帝国軍の彼なら、将軍のお付きの人みたいだし、きっと強いだろう。
魔界にいるからって言ってた。
縋る思いで、紙に書かれた番号を押す。
息を飲むのも忘れて、携帯に耳を傾ける。
『お客様がお掛けになった番号は、現在使われておりません。番号をお確かめ』
「嘘でしょぉ……」
紙と、ダイヤルした番号を交互に見比べる。
もしかして、遊ばれた?
「……これ、8じゃなくて3?」
『お客様がお掛けに──』
「ぁ、こっちは0じゃなくて6?」
『お客様が──』
「これが8で、こっちが6?」
しばらくの沈黙の後、プッと音がして鳴るコール音。
「掛かった……!」




