3話 指揮移行
「セイリオスが討たれた」
その知らせは、すぐに仮設基地で医療部隊の指揮をとっていたルナの元へ届いた。
その知らせを届けてくれた騎士は、セイリオスと同じ班で出撃していたうちの一人。
大怪我を負いながらも基地まで知らせに戻って来てくれた彼は、「仮設基地ももうじき危ない」とそう言い残し、ルナの応急処置も空しく腕の中で生き絶えた。
残されたのは、混乱。
ついに、指揮は失われた。
──いや、違う。
すべてが自分に委ねられたのだ。
そのことに気が付いたルナにとって、セイリオスの死に対する悲しみも、腕の中で緩やかに失われていく体温への虚しさも、全てを背負わされた不安の大きさの前には、覚悟の一つにもならなかった。
後ろから聞こえてくる騎士たちの混乱の声が、遠ざかっていく。
遠ざかる声の中でも、自分に指示を仰ぐ言葉だけが尖り、誇大して聞こえ、それがさらにルナの中にある焦燥を増幅させた。
仮設基地が狙われている。
ここを落とされてしまえば、敗北は確実だ。
死守すべきか、放棄すべきか。
まず第一に守ることを考えた。が、騎士の損害なしには叶わないだろう。そもそも損害を出し守りきったところで確実に事態は好転しない。むしろ守り切れない可能性すらある。
一方でここを放棄し、この地を諦め、皆を連れて退却すれば、多くの犠牲は避けられる。だがそれも逃がせてもらえれば、の話。
この混乱で撤退の指示だけ出したならば、おそらく散り散りになって各々逃げ回ることになるだろう。革命軍がそこを見逃すなんてことは到底考え難い。
それからセイリオスが言っていた、帝国に救援要請を出す方法。
彼の話には、確かな説得力があった。だけど、本当に力を貸してくれるかどうかが賭けであることに変わりはない。交渉に出たとして、拒否されたならもう、ここにいる騎士たちを生きて返すことは出来なくなる。
退却するなら今しかない。その判断は早ければ早いほど、皆の生存率は高くなる。
「ルナ部隊長、良いですか?」
たった一人で考えを巡らせ続けるルナの横に、一人の騎士が膝をつく。
「前線の補給基地で一ヶ所、まだ革命軍の攻撃を受けていないところがあるそうです。場所の特定も、まだされていない」
耳打ちされるその情報に、息をのんだ。
前線ならば退却路から遠ざかることにはなるが、狙われているここに留まるより、ただただ逃げ惑うより、残された補給基地で一度体制を立て直すに越したことはない。
まだ敵の気配を感じない、今すぐここから抜け出せば間に合う。
「情報有難うございます。では、今すぐここを捨てましょう。動ける騎士達へ、すぐに誘導をお願いします」
「は。畏まりました……あの、部隊長は」
「ボクは、ここに残って動けない怪我人を診ています。ステラには避難先の安全確認が出来たらボクにシグナルを送るように伝言お願いします。順次、魔法で怪我人をステラの元に転送させていきます。合流は、そのあとで」
何でもないことのように、気丈に、ルナは指示を出すが、それは今までこの目で見てきた指揮官の真似をしただけ。本当はこの判断がベストなのか、この先に待つ“結果”に対する恐怖でいっぱいだった。全ての責任と騎士全員の命を背負った体は、今にも震えだしそうで。
「わかりました。では、お待ちしております」
ルナから指示を受けた騎士にも、もちろんそれは伝わっている。
が、彼は何も言わず混乱に陥る騎士達の中へと戻っていった。
ルナも、名前の知らないその騎士の優しさに、少しの勇気が生まれる。
みんな、不安なんだ。
腕の中で眠りについた者の瞳を、そっと伏せて、ルナは立ち上がった。
見えない結果に怯えたところで意味はない。
この身を持って守れるだけの命を守る、それしか出来ないのだから、それだけ考えればいい。
**************
最初から、怪我人の転送を最後までできるなんて思ってはいなかった。
革命軍の襲撃には間に合わず、襲われる覚悟もしていたがそれは杞憂だったようで。
(よかった……間に合った!)
怪我人の転送は、想像していたよりもずっと順調に進んだ。
“怪我人全員の転送完了”なんてことは願ってもなかったが、逆に順調すぎて不安になる。
来ると覚悟していた革命軍は、未だに気配を感じない。
逆に気味の悪さすら感じるくらいに、仮設拠点内は静かだった。
(急いで合流しなくちゃ)
何はともあれ、転送が上手くいったのなら何としても合流しなくてはいけない。
まだ自分の指揮は続いているのだから、最後まで騎士たちを導かなければ。
大慌てでテントを飛び出せば、外は相変わらずの人気のなさ──
なんかはそこにはなく。
一面に充満しているのは、死臭。
そこら中に、人や、かつてその形をしていたであろう残骸が、いろいろなものをまき散らしながら転がっていた。
その全部が、革命兵のものだというのは一目見てわかる。
死体との遭遇は初めてなんかじゃない。むしろ見慣れている。
医療に特化しているだけあって、腕がないとか、内臓が出たとかそんな場面との遭遇だって決して珍しいわけじゃない。
だけど、ここまで手の施しようのない大量の死と直面するのは初めてだった。
転送に集中している間に、一体ここで何が起こったのか。
こんなに大量の革命兵を、誰がどうやって。
皆と合流しようと踏み出したはずの一歩は、気が付けば後ろに数歩後退していた。
後退することでルナの視界に収まる凄惨な景色は、その範囲を広くする。
そして、視界の隅で偶然捉えた微かな動き。
すぐにルナの視線はそこに一点集中する。
捉えた動きは決してわかりやすい程動的なものではなく、目を凝らしてやっとわかるくらいに、小さく繰り返される呼吸の動きだ。
恐る恐る、周囲に気を張りながらルナはそこに足を向けた。
ルナを動かすのは好奇心なんかではなく、単純に戦況に何か変化があったなら把握しておかなければ、なんていう責任感に近い感情。
近づけば近づくほど、詳細に入ってくる情報。
地面に横たわり、体を小さく上下させながら浅い呼吸を繰り返すのは女の子。
左脇腹に深手を負っているようで、脇腹に添えている手の、指の隙間からは大量の血が溢れている。出血量からみてもすぐになんとかしなければ命の保証はない、が。
その怪我よりも、気になるのは少女の身分だった。
着ている服から推測できるのは──
「……帝国、軍」
脳内で行われていた様々な推測や思考は、全てそのたった三文字に塗り替えられた。
なぜここに帝国兵が一人だけ。
まさかこの少女が一人でこの惨状を作り上げたのだろうか。
それにこの状況だとまるでこの少女がここを──
「ま……たく……クソみたいな、判断だ」
荒い呼吸に混ざって、意味のある言葉が吐き出される。
少女の意識があるとわかって、半ば反射的に、ルナはその場にしゃがみこんだ。
「もしかして、貴女がここを……」
思考は、完全に停止してしまっていた。
「霊夢の大将、は……こんな指揮、絶対とらない」
まるで一部始終、全てをみていたかのような言葉。
見ていて、それで彼女は一人でここを守ろうとしてくれたとでもいうのか。
騎士団は、帝国の敵。
それなのにおそらく自分よりも幼いこの少女は、騎士団の基地と自分を守っていた?
「しゃべらないでください……これ以上の出血は危険です」
気が付けば、声を掛けながら一番重いと思われる脇腹の傷を確認して、治療に邪魔な衣類を引き剥がしていた。
動きを再開した思考の大半は、彼女を助けることにしか回っていない。
しかし反面、冷静な一部が“自分も彼女も一体何をしているんだろう”と、行動の全てに疑問を感じていた。
「もう、大丈夫ですから。えっと……霊夢さん」
昨日セイリオスが言っていた、革命軍の進撃は帝国にとってもいいものではないという話。たしかにその通りだが、目の前の少女は、たった一人だ。
どう考えたって帝国軍としての指示ではなく、彼女の判断でここをかばっていてくれたとしか思えない。
お互い、散々同胞の命を奪ってきた憎い相手であるはずなのに、お互い、一体何を。
自分の両手から放出される黄緑色の優しい光が、少女の酷く抉れた脇腹を包む様子を眺めながら、ルナはずっと疑問を抱いていた。
死神は魔法を使う力に長けてはいない。
ここで彼女をなんとかしてあげられるのは、魔法に長けた天使──特にここまでの重傷であれば治癒魔法に特化した自分だけ。
彼女を放っておけば、ここで敵が一人減ってくれることでもあるし、逆に彼女にとっても天使の拠点を革命軍に襲わせれば、ごっそり騎士団を減らせたはずだ。
どう考えたって彼女にとってここまでして助ける個人的利点も、道理もありはしない。
**************
どれくらいの時間が経っただろう。
もしかすると、一瞬の事だったのかもしれない。
帝国軍の少女の治療中、運良く敵が再び襲撃してくることも、味方が引き返してくることもなかった。
いつのまにか自らを霊夢と呼ぶ少女は気を失っていたが、命はなんとかなりそうだとルナはほんの少し、安堵する。
はじめのうちは帝国兵が一人でここにいること、その一人が命懸けで騎士団の拠点を守ってくれたこと、そんな敵国の兵を、大勢の味方が待つ指揮を放棄してまで救おうとしている自分の行動、この場で起こっているすべての出来事に疑問を抱いていた。
だが今は、ただひたすらに一人の少女を救いたいと、それだけの感情になっている。
髪が張り付いた汗だくの額を、袖で拭おうとした時だった。
──オォーーーン
突如として響いた、獣の咆哮。
ルナは、反射的に視線を正面へと向ける。
「ッ!!」
正面を見た瞬間、目の前に見たことも無いような大きさの狼が飛び込んで来たと思えば、鉄の塊を噛み砕いた。
砕かれ飛び散った鉄屑は、巨大な狼が纏ってきた風の圧で飛散し、まるで空気に溶けるように消えていく。
何が起こったか一瞬理解が遅れたが、直ぐに自分に向かって飛んできた槍を、この狼が噛み砕いて消したのだと察した。
そしてルナは、狼の正体を知っている。
「——将軍の狗ッ!?」
帝国軍、将軍の従獣であり従者。
将軍が参戦している闘いでは必ず将軍の側にいる狼男。
もちろん、天使にとっては敵の一人だ。
しかし、今のはどう考えたって庇われたとしか思えない。
呆然とするルナの前で、巨大な狼は半獣へと姿を変え、現れたのは琥珀色の髪をした青年だった。