61話 いわく、『戦略的撤退』
「なんでお前がルナとファミレスにいるんだよっ」
「いやー、ぶっちゃけオレもこーなるなんて思ってなくてさ、びっくりだわ」
怪しげな視線を眠に向けながら、千聖はカバンの中から薄茶色した紙の束を取り出し、ペンケースと共に机の上に並べた。紙の束は、そこそこの厚みである。
「それ、全部今日中か? 結構な量だな」
「教科書みればわかる内容だと思うけど……これ完全に数の暴力ってやつだよね」
「先生の1日って24時間じゃねぇんだよ。じゃなかったらこんな量出さねえし。半分はオレやってやるわ、上半分くれ」
千聖の前に置かれた束を無造作に取り上げて、ざっくりと半分を持っていく。
取り上げた紙の内容にざっと目を通し、机の上に残された半部の内容も確認する。
「あー千聖、白魔術系苦手だったよな。だったらおれは下半分もらうか。多分、上の方が千聖得意なカンジだわ。ルナ、千聖と席替わってくれるか?」
「わっわかりました! あの、もしよろしければボクも半分の半分くらい……」
「ホントに!? やったぁ、それじゃあ4分の1やれば済むじゃん!」
「いや、舞の回答は回答になってないからノーカンだって」
「うっせぇな死ね」
千聖は立ち上がり、ルナと席を交換しながら、舞からの暴言を涼しい顔で聞き流す。
すれ違いざま、「ルナさん、巻き込んでごめんね」と、顔の前で両手を合わせて謝罪した。
初めて見る千聖の制服姿とその仕草に、ルナの心臓が少しだけ騒がしくなる。
緊張で変な汗をかきながら、ルナは先ほどまで千聖が座っていた席に腰かけた。
「どうして “さん付け” に戻ってるんですか?」
「え、あれ……こっちで会うの始めてだから、おれ緊張してるのかも」
「そーいやルナも千聖もこっちで会うのは初めてだもんな」
二人の口から飛び出す “こっち” という言葉に、ルナは舞の様子をちらりとうかがう。
この舞という少女はおそらく人間と思われるが、何も気にせずこっちなんて言って大丈夫なのだろうかと心配なのだ。もし、何の話?なんて聞かれたら、どう説明すればいいのだろう。
そんな風に考えてハラハラしていれば、察したらしい千聖がルナに身体を寄せる。
「舞なんだけど、おれらのこと知ってるから大丈夫だよ」
「えっ、そうだったんですか……ってことは、人間ではない……?」
「いやいや、あたしは人間。だけどちょっと……いや、結構特別かな? 物凄く視えるタイプってカンジ!」
どこか勝ち誇ったような顔で笑って、ルナに向かってピースサインを作る舞。
そのまま視線を横に移動させ、少し向こうのテーブルを見つめる。
「たとえば」と前置きしてから、ピースサインを崩し、奥のテーブル席を指さした。
「あそこのテーブル、女の人二人に見えるけど実は他にもう一人いる。あれはココに憑いてるんじゃない、どっちかの女の人に憑いてきてる霊で、言ってしまえばあまりいい霊じゃ──」
「舞、そーゆーのほんとやめて」
静止の声を上げたのは千聖だった。
絶対に示されたテーブル席の方を見ようとはしない。
その様子に、ププっと息を漏らしながら舞は笑う。
「ねールナ、千聖って死神のくせにオバケが怖いんだってぇ」
「えぇっ! 死神の方って皆さん、普通に死者が視えるものだとばかり……!」
「人間の状態じゃなんも見えないよ……少なくともおれは」
三人が盛り上がってる中、眠はものすごい勢いで宿題として出されたプリントを片付けていく。その手は一度も止まらず、まるで機械のようだ。
「それにね、千聖が補習になった理由って、テストに名前書き忘れたからなんだよー! ありえないよね、ダサすぎー」
「千聖くん……意外と天然なんですか?」
「カッコ悪い話ばっかりするのはやめてくれ。どーせならかっこいいトコ話してくれよ! あるだろちょっとぐらい。付き合い長いんだから」
宿題にとりかかろうとした千聖だったが、聞き捨てならなかったのか1問目を解く前に顔を上げ抗議した。その向かい側からは眠が紙をめくるペラっという音がする。舞は髪をいじりながら、えーあったかなー?なんてコメントし、ルナは話を聞きながら、千聖から半分、プリントを貰おうと手を伸ばす。
「あ、そぉいえばー、ひとつだけ。昔、オバケ屋敷に行ったことがあってぇー……」
ルナは手を伸ばしたままの姿勢で静止して、話の続きを待った。
先ほど千聖はオバケが苦手だと暴露されたばかりだが、これからかっこいいエピソードとして語られるのはお化け屋敷に入った時の記憶……ということはおそらく、いざという時に頼りになるだとか、そんな類の話だろう。
これは聞き逃すわけにはいかない。どんなエピソードでも、絶対かっこいいに決まっている。そう思って続く言葉に期待をしているのだ。
一方で千聖も、その切り出し方に手が完全に止まっていた。
お化け屋敷関連で、活躍した思い出などあっただろうか。全く心当たりがない。
「その時にぃー」
じらすような舞の語り方に、二人は息をのむ。
二人だけではない、いつしか眠の手も止まっていた。
「腰抜かしてリタイアしたよねーだっさーい!」
「おいふざけんな」
「いやいや本当のことじゃん?」
「確かにリタイアはしたけど腰を抜かしたのは嘘! おれは自分の足で途中退場した!」
「自分の足と意志で逃げ出したのよねーッ」
「言い方悪すぎるだろ! おれのアレは戦略的撤退だ!」
千聖の口から放たれた『戦略的撤退』の言葉に、ルナは手を伸ばした姿勢のまま机に突っ伏した。帝国将軍がお化け屋敷からの戦略的撤退……だなんて、これまで見てきた彼の姿からは想像できない。
ルナから見て完璧に映る彼にも、苦手なものがあったらしい。しかもそれがオバケだなんて。
「自分だって幽霊みたいな存在のくせしてさぁー、心霊系怖いってほんっとないわ」
「ふふっ……お二人とも、面白いですね」
「ほんと? やったぁ、あたし面白いって!」
「おれで笑いとってるだけだろ」
千聖をネタに、本人含めて盛り上がるテーブル内での会話。
その中で、今まで話に参加していなかった眠が、独り言をポツリとこぼす。
「幽霊、か……」
と。
静かに放たれたその一言は、盛り上がる三人を静止させた。
その声は、そこまで大きなものではない。
しかし、この場の温度とかなり異なったものであったため、その異様さに三人は話すのをやめ眠の方へと視線を向けた。
彼の視線は、目の前の問題から逸らされることない。だけど回答を記そうとあてがわれたシャープペンシルの芯は無駄に力がはいったのか、折れていた。
「……眠?」
「え、ごめん先輩、なんか傷つけた?」
「いや、大丈夫。別になんでもねぇよ。そんなことより千聖さぁ」
普段と若干違う眠の態度に、「そろそろちゃんと課題をやれよ」なんて怒られるかもしれない、そう予測した千聖はペンを持ち替えて身構える。ルナと舞もすっと姿勢を正した。
「真夏の心霊特番みて、一人で風呂入れねぇとか怖くて眠れねぇっつってオレを付き合わせたのっていつだったっけ?」
「うわ、お前までそうやって……」
今度は千聖が突っ伏した。
それマジ?なんていって爆笑している舞の向かいで、ルナは口元に手をあて、ふふっと笑う。
眠は千聖に対して、こういった陥れるような冗談をよく言うことを、ルナは知っている。
仲が良いからこその冗談で、眠はあることないこと言って千聖を困らせるのだ。
もはやおなじみの流れだと思って笑っていたルナだったが、隣で千聖が小さく「去年のはなしだよ……」と答えたのを聞き逃さなかった。
つまり、これは本当に起こったことらしい。
しかも去年って結構最近だ。
「ごめんなさい、千聖君……てっきり冗談かと思って笑ってしまいました……」
「好きなだけ笑ってやってんなよ!」
「それにトイレの入り口でオレのこと待たせたしな。風呂でもなんか見えた気がするっつって……布団の中でもさ、『おれより先に寝ないでよ』って言い始めてもー……可愛いったらねーな、うちの将軍」
「アンタらおれの悪口止まんねーなホント!」
あーもう真剣に課題やるから静かにしてくれ!なんて言って、プリントに取り掛かる千聖であったが、その手は全く進む様子がない。
最後のエピソードはどこまでが本当なのかと聞きたい衝動に駆られるルナだったが、千聖をさらに追い詰めることになりかねないと考えて、ぐっとこらえる。
その代わりに、千聖が抱える課題の束の半分を分けてもらおうと、改めて手を伸ばしたのだった。




