58話 架空の実在
暖色の街頭で照らされた住宅街。
眠より少し前を歩いていたルナが、立ち止まって振り返った。
「え、この後……ですか?」
「おぅ、ユキを送ってから少し話せねぇかと思って」
そう問う眠の声は、普段よりも若干小さめである。
それで何かを悟ったのか、ルナは一度、ルナよりも先を進むユキの後姿に視線を送ってから、足を止めて再び眠の方へと振り返った。
「わかりました」
ケーキバイキングでの食事が終わる頃には、すっかり陽は落ちていた。
ユキの講習が明日も続くということもあって、食事が終わってから3人はどこにも寄らず帰路につくことにしたのだ。
とはいえ眠の場合は、女の子二人を送り届けるために同じ方向に来ているだけであって、実際二人とは方向どころか最寄り駅すら全然違う駅である。
眠とルナより先を歩くユキはご機嫌な様子で、うっすら鼻歌が聞こえてくる。
ルナはちょうど眠とユキの中間あたりで、たまに後ろを振り返り、二人の距離が離れすぎていないかを確認するように歩いていた。
そんな二人の様子を遠巻きに眺めながら思うのは、この世界について。
ずっと以前から気になっていたことがあった。
ルナやユキ等、天界の者と関りが深くなった今、考えれば考える程に深みを増していく疑問。
何故、帝国と王国は争っているのか。
帝国と王国──つまり死神と天使は、何世紀も前からずっと戦争を続けている。その始まりは、歴史には載っていない。誰かが時の流れに単位を付け始めるよりもずっと昔から、争ってきたのだ。
その二か国が、たった一度の共闘で和平に話を傾けた。
きっかけがいくつもある上で、共闘が決定打となったのであれば理解できるが、これまでの歴史で二か国が公に歩み寄った出来事など聞いたことも、見たこともない。
それほどまでの戦争にも関わらず、『これっきりの共闘』でこんなに急に終戦をしようなどと言えるのなら、一体何故、何のために何世紀も争ってきたというのか。
戦争がいつ、何を理由に始まったのか、どこにも、何にも、誰からも語られていない。
いや、語られていないというよりは、誰もその理由を知らないと言う方が正しいだろう。
一体、なんのために、恐夜は、神は、これほどまでに長く続いた戦争を今更なくそうと考えてる?
それは、ずっと続く争いの理由を知っているから?
王国がある天界と帝国が統治する下界は、互いを差別する目的で世界としては区別して呼ばれているが、実際のところは地続きとなっている1つの世界だ。
1つの世界に共存する2つの世界は、勢力争いをするかのように戦争を続けている。
帝国の王が恐夜になってからは、あまり天界と争う姿勢をみせてはいないが、時々、天界を相手に仕掛ける時がある。
まるで、2つの勢力のバランスを保つように。
均等になるよう調節するかのように……。
そのことに、眠はとっくに気がついていた。
「私の寮、ここなの!」
考え事をしながら二人の後に続いて歩いていた眠は、ユキにそう声を掛けられて我に返った。
ユキが立ち止まっていたのは、どこか洋風の館を思わせるような、気品のある門の前。
うっすら開かれた格子状の門からは、レンガ造りの外壁で囲われた敷地内の様子が、少しだけうかがえた。庭園の真ん中に敷かれた白い道は、まるでお城のような建物へと続いている。
「そーいや、学生寮だっけ?」
「そう! 寮は学校の敷地内にあるの」
「すげー綺麗な学校だな。オレらの学校とは全然違ぇ」
「なんていったって人気の女子校だからねっ!」
へぇー、なんて感嘆の声を上げながら、眠はもう一度まじまじと外壁を眺めた。
セキュリティは万全そうだし、外壁や門の時点で既にお洒落だ。
こりゃ女子からの人気が高いのもうなずける。
「ユキちゃん、ボクは少しだけ寄り道してから帰ります」
「そうなの? もう暗いから気を付けるんだよ? 眠も、送ってくれてありがと!」
「おぅ、また今度な!」
顔の横で手を振るユキに対し、眠は今日合流した時と同じように、片手を上げて軽く挨拶を返した。門の中へと入っていったユキの姿が小さくなるまでルナと見送って、二人は視線を通わせる。
ユキが離脱したことで、一気に夜の静けさが二人を包んだ。
先ほどまで全く聞こえていなかった、近所の家から漏れてくる生活音や、どこか遠くで鳴るサイレンの音が気になってくる。
「この辺、なんかある?」
「近所には、あの辺にコンビニくらいしか……」
なんとなくこの辺は何もないだろうなと予測していたが、想像の通りだったらしい。ルナが指さした方向に目を向ければ、確かに道の奥で、コンビニエンスストアの看板がぼんやりと光っている。
「っし、じゃーそこに行こう」
「はいっ」
****************
「ほい、ルナの分」
「ありがとうございます!」
コンビニから出てきた眠は、店の外で待っていたルナに缶コーヒーを差し出した。
受け取ったルナは、手の中の想定外の温もりに驚き、温かい缶をじぃっと見つめる。冷たいものが良かったわけではないが、真夏の夜に渡されるホットコーヒーに不意をつかれた気分だ。
「腹、冷やすと困るだろ」
ルナの心情を察したらしい眠は、コンビニ脇に置かれた車除けのポールに腰かけ、タバコに火をつけながら意図を伝えた。
そのままゆっくりと紫煙を吐き出し、ルナに渡したものと同じ缶を開ける。
「寮ってことは門限とかあんだろ? 何時だ?」
「22時です」
「ってことはあと30分か……」
眠はスマホの画面で時間を確認して、唇に付けた缶を傾ける。
喉元を通過する熱を感じながら、何から話そうかと思考を巡らせ始めた。
「そういえば、眠さんもこちらの世界にくれば、耳や尻尾がなくなるんですね」
「当たり前だろ! 魔界に来りゃ誰だって見た目は人間なんだからな。そーゆールナだって羽根も輪っかもねーじゃん?」
茶化すようにそう言って、もう一度缶コーヒーを口に運ぶ。
その動きにつられるようにして、コーヒーを飲むルナの姿をちらりと横目に観察する。
眠の視線に気が付いたルナが、口を開いた。
「眠さん、それで……お話、というのは」
「あぁ、そうだな」
眠は、近くに設置されている灰皿に灰を落として、もう一度深くフィルターを介した夜の空気を吸い込んだ。
ケーキバイキングの時から頭の中にこびり付いているのは、『長く続く戦争の理由はなんだ』という疑問。
しかし気になっているのは、それだけじゃない。
もう一つの世界──ここ、魔界ついて。
天界や下界とは物理的には繋がっていない、独立した一つの世界である魔界。
天界、下界のものは特別に魂の転送という方法で魔界に来ることができるが、魔界の者がこちらに来ることはできない。来ることができないだけじゃない、天界や下界はもちろん、天使や死神という、“人間以外の存在” は架空として語られ、基本的にその実在は、認知すらされていない。
その意味はなんだ?
人間とそれ以外の種族は、ビジュアルや能力は大きく違う。
しかし、その認知機能に大差はない。
それなのに架空として語られる自分たちの存在は、一体何だというのか。
他所とはいえ繋がっている世界から「架空」と呼ばれるあの世界での戦いに、意味があるのか?
それは、あの世界のための戦いなのか?
生命が生きるべき、本当の世界はどっちだ?
千聖は、ルナは、ユキは
この世界の何かを知っているのか?
ルナが、心配そうに覗き込んでくるのが視界の隅に映った。
「なぁ、ルナ──……
オレたちって何のために戦ってんだろーな」




