55話 指輪と本音
「すごい、綺麗……」
ユキは魔界の自室で、何となくためしにはめてみた左手薬指の指輪を眺めていた。
魔界の学校で夏期講習がある為、ユキは天界から魔界へと戻っていた。
天界を出る前にお父さんから、“彼から”と言われて渡された小さな箱。
帰って開いてみれば、そこには指輪が入っていた。
真ん中には雪の結晶を思わせる様なカットがされた小さめのダイヤモンド。その両脇には真ん中のダイヤより一回り小さな水色の石が飾られている。
おじさんなのだと思っていたけれど、指輪のセンスが意外と今時で驚いた。
この前はすっぽかしちゃったけど、そろそろ本当に、ちゃんと向き合わなくちゃいけない。
箱の中には婚約指輪と、結婚指輪が入ってる。
二つとも重ねてつけられる様になっていて、サイズもぴったりだ。
「可愛い……可愛いけど……ん~~」
少しだけ、会ってみたいと思う様にもなった。でもまだ、心の準備が出来てない。
ベッドの上でごろごろと転がりながら、指輪を眺めてうだうだしていたところで、突然携帯電話から新着メッセージを知らせる電子音が鳴って飛び起きた。
「びっくりしたぁ。ルナ?」
のそのそと電話に手を伸ばしてみれば、表示されていたのは知らない名前。
「……眠? 誰だろ……あッ、あの時の!」
添付されていた画像で思い出した。
こないだお城で会った狼の人だ。
そういえば、お互いに連絡先交換してたんだっけ。
「な、なんて返事したらいい? ……どうしようっ」
さっきまでいいだけだらけていたのに、気付けばベッドの上で、何故か正座をしていた。
送られてきたのはほぼ画像のみで、文書なんてたった一言“あの時の”だけなのだが、それに対して何て返そうか考えていくうちに、徐々に思い出していくあの時の記憶。
(男の子って、なんか硬い感じなんだ……)
携帯を置いて、まじまじと両手を眺める。彼が人間になった時に触れた腕や胴体、何だか女の子の体と比べるとすごく硬く感じた。
(多分筋肉とかだと思うけど、あの人だけ? それとも男の子ってそんなもんなのかな。それにしても、狼の時はふかふかで気持ちよくって、あのまま狼さんのもふもふに包まれて、一緒にお昼寝しそうに──)
思い出して、自分でも顔が熱くなってくるのがわかる。
(わ、わ……私……あの人に、もしかしたらとんでもないことをしてしまったのかもしれない……とりあえず、謝らなくちゃ)
正座し直してから、もう一度画面に表示されているたった四文字と真剣に向き合う。実際に会った時はもっと愛想が良かった記憶があるのに、メールのそっけなさに驚いた。
同年代の異性とやりとりしたことがないからわからないが、ルナや他の女友達相手のように絵文字や顔文字は使わない方が良さそうだ。
「写真、送ってくれてありがとう。人狼さんなんて初めて会ったから、あの時はびっくり……うぅ、これだと長くなりそう……」
途中まで打った文章を全て消してしばらく白い画面と向き合うユキは、悩むうちにいつの間にかベッドの上に寝そべっている。
何も打ち込まれていない白い画面から、部屋の天井へと無駄に視線を通わせて考える。
そっけない文書だから、そっけない風に返した方がいいのかもしれないが、仲良くなりたい気持ちもある。かといって変な長文や媚びた文書を送って、このたった四文字に食らいつくのも気がひける。
「うううぅーーっん」
一人で唸りながら、先程保存した画像をもう一度開く。緊張気味の自分と、無邪気な笑顔でピースしてみせるこないだの人。
「やっぱり……カッコイイ、よな」
ふうーと長く深いため息のような呼吸とともに、携帯を胸の上に置いて目を瞑る。
「目の保養だー」
部屋に一人なのをいい事に、思い出してユキは一人でにやける。が、そんな笑顔もすぐに消えて、今度は本当のため息が溢れた。
自分には不本意ながら婚約相手がいる、こんな事で浮かれていて良いわけない。
「嫌だな……」
──でも、まだ結婚したわけじゃない。
結婚するまで束の間の疑似恋愛くらい楽しんでもいいでしょ、なんて小悪魔みたいな囁きが聞こえてくる。
「友達になるくらい、いいよね」
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「はぁーっ」
なんで真夏の、こんな天気のいい日に講習なんざ受けなければならないのか。
千聖は講師が居ないのをいい事に、大きく伸びをした。
ただでさえこれまで戦争だなんだと下界を駆け回っていたかと思えば、次は婚約がどうだとか始まって大忙しだったというのに。
千聖はあの後アスガルド王国から急いで帰国し、城に顔を出さないまま普段生活をしている魔界へと戻っていた。それもこの夏休みに受ける羽目になった夏期講習を受講するためだ。
千聖が通うのは5年制の魔法科高等専門学校。
魔界では9年間義務教育と言われる国語や算数などの教育を受け、その後希望者は3〜5、6年程魔術を中心に勉強するシステムになっている。
千聖と、ここにはいないが親友の眠も、現在魔法科高専の4年生だ。
背もたれに体重を掛けて、天井に伸ばした手に視線を向けると、左手の薬指に銀色の何かが光る。これは、指輪だ。
あぁそういえば、昨日ためしにつけてみて外し忘れてたか。
本当に適当なサイズを買ってしまったが、実際、姫の方のサイズはどうだったのだろうか。
「ちょっと千聖、アンタうっさいわ」
「はい?」
隣の席からずいっと身を乗り出してきたのは、千聖の一学年下ながら同じ講習を受けている幼馴染の舞。
2教室分を埋めるくらいの生徒が夏期講習に参加しているのに、よりにもよって同じ教室だ。しかも隣の席。絶対に難癖付けて絡んでくると分かっていた千聖は、「やっぱりきたか」と内心でがっくりと肩を落とした。
「のびしかしてないけど」
「それがウザい。存在消しててくんない?」
「はぁ? なんだよそれ……」
「2人とも静かにやってくれませんか?」
脇から口を出してきたのは舞のクラスで委員長を務めている海斗という男子生徒だ。メガネキャラ定番の、メガネをくいっと上にあげる動作をしながら、心底迷惑そうな顔をする。
「つーかさーぁ? なんで委員長までいんの?」
ちらっと、女とは思えない程に開かれた舞の足に目がいく。スカートの中はぎりぎりのラインで見えない。なんだ、とちょっとがっかりした。
「夏期講習だって立派な授業ですからね。僕は好きで受けてるんです。テストの成績が悪かった舞さんや、マヌケな先輩とは違いますよ?」
「いや待って! おれは別に」
「“別に”何? 全学年共通テスト、四年であんた一人だけ赤点だった以外にここにいる理由なんてある?」
「あぁ……えっと」
ちょっと理由は言いたくない。
テストには確かに手応えがあった。
実際に点数もまあまあ良かったはずだ。
「カンニングがばれたとか?」
肩まで伸ばされた金色の髪を払いながら、嫌味な笑顔で舞が茶化してくる。
「んなわけない。それは舞の話じゃなくって?」
負けるか、と変に競争心が生まれて食い下がる。
にーっと変な笑顔を返してやれば、ふざけんな!と鬼の形相で掴みかかろうとしてきた。
「先輩は答案用紙に名前を書き忘れたんですよね? 名前を書き忘れたら0点ですから」
「何で知ってるんだよ!!!」
「へぇー! そうなんだ。アンタ誰? お名前は?」
「……ほっといてよ」
「マジウケる」
あぁくそ、なんて思う反面、千聖はこの平和ともいえる日常にほっとしていた。
久しぶりだなこの感じ。
嗚呼、おれの世界に帰ってきたんだ。と思う。
「あれ? あんた指輪してる?」
もはや本人ですら忘れていた指輪をサラリと舞に指摘されて、少しだけ、現実に引き戻された。
「左の薬指って……なに? 結婚でもするつもり? この歳で結婚ってデキ婚以外ないよねぇ?」
「その話、マジですか先輩。一夏の恋にはしゃぎすぎちゃったという噂は、マジですか?」
半分笑いながら、メガネをあげながら、それぞれ興味本位で聞いてくる。メガネが一番うざいなと思った。そもそもそんな噂、立ってないだろうが。
「あのねぇこの夏はしゃいじゃったにしても、この時期の発覚は早くない?」
「確かに。じゃあ春、それは出逢いの季節……運命の出逢いを果たした先輩は……」
「いやそーゆーのいいから。指輪は特に意味ないよ。何となくつけただけ」
「……なんですかそれ! ただの思わせぶりですか! あーはいはい撤収撤収! お二人とも課題に戻ってくださいねー」
一番首を突っ込んできそうな勢いだった委員長は、あたかも自分は初めから真面目にやってました風にぱんぱんと手を叩いて席に戻って行く。その変り身の早さは異常とも言える程だ。
続いておとなしく課題に戻っていく舞の様子をみて、千聖も途中だった問題の続きをやろうと机の上のペンを拾う。
やっぱり視界に入る薬の指輪。
「はぁ……」
無意識に出たため息に、我ながら少し驚いた。自分の将来に執着なんてないと思っていたのに、深層心理ではそうじゃないのかもしれない。
「昔からアクセサリーなんて付けないアンタが、何となくで付ける訳ないじゃない」
ため息を聞いてか、ペンを走らせながら舞は、千聖だけに聞こえるような声で囁いた。
驚いて舞を凝視すれば、それに気付いた舞が横目でちらりと、ほんの一瞬こちらを見る。
「あのさ……本当は……」
声を掛けても、戻された舞の視線はプリントから動かない。
風になびくカーテンが出すサワサワという、本来なら微かに感じるような音が、今この瞬間は妙に大きく感じる。
一度手が止まるものの、開いた口から出る言葉はいつも通りのものだった。
「深い事詮索する気はないけど、半端な覚悟ならしない方がマシって事だけは忘れんじゃないわよ。女の子泣かせたらぶん殴るから」
一気にまくし立てる舞の表情は髪に隠れてよく見えない。叩きつけられたのは予想外の言葉であったが、彼女らしいその言葉に千聖は少しだけ笑いながら、開いていた左手を眺めて、今度はゆっくりと閉じた。
「肝に銘じておきます」
外から聞こえてくる五月蝿い蝉の鳴き声が、この会話を、2人だけのものにしてくれていた。




