2話 共闘の1日前・騎士団
──事が起こる、1日前。
へーリオス地方、騎士団・仮設基地。
少女が見上げるのは、薄紫色の空。
一言に薄紫と言っても、統一されたものなんかではなく、
薄紫のキャンパスにピンクやオレンジの絵の具を足して、適当に混ぜたような──それでいて、とても綺麗な夜明けの色。
佇む少女がその身を包むのは、白を基調とした軍服。
若葉色の髪が緩やかな風を受け、胸元まで伸ばされたもみあげがふわりと揺れる。
耳より後ろの髪は右側から編み込んで左へと流し、左耳のすぐ後ろで一つに纏めていた。
そうすることで本来胸元まである髪は、可愛らしく、それでいて戦闘の邪魔にならないようになっている。
彼女は、軍人だ。
頭上で輝くは、黄金の環。
背負う大きな羽根は、本来純白であったが、今は夜明けの色を映していた。
この軍人の少女──ルナは、天使である。
このへーリオス地方で勃発した革命軍戦において、王都アスガルドより医療部隊長として派遣された彼女が到着したのは、2日程前。
出発前、戦況が芳しくないとは聞いていたが、実際に来てみれば状況は想像していたよりもずっと悪かった。
ここへーリオス地方は天界の端に位置し、すぐ隣には死神ヘルヘイム帝国の領土であるヘルフィニス地方がある。敵領が隣にあるにもかかわらず、へーリオスには地方派遣された騎士達が生活するための小規模な基地はあれど、大規模な軍事作戦の拠点となるような基地は存在しない。
それは、両地方に存在する村の村民同士が不可侵の約束を打ち立てているため、国同士も暗黙の了解で、この地はお互いに不可侵の領域であるといった認識だったからだ。
そのせいで、今回の死神革命軍の侵略に対して初動が遅れた。
村民の避難誘導だけは何とかしたようだが、平和ボケしたへーリオスの騎士たちは瞬く間に革命軍に圧され、近隣の基地から増援の騎士たちが駆け付けた頃には、基地は奪われ、騎士の数も半数以下まで減っていたとか。
増員したとはいえ、勢い付いた革命軍を相手に戦況をひっくりかえすまでには至らず、戦況はさらに悪化。ついには騎士団の本拠地、アスガルドから医療部隊を派遣するまでになってしまった。
現在は医療部隊の到着に加え、隣のヴィオエラ基地から増援で駆け付けたセイリオスという、戦闘経験が豊富な騎士がこの場の指揮をとっているため、士気低下の心配はなくなった。
だが、果たしてこの状況から好転に運ぶことが出来るのか。
仮設基地到着時に見た、怪我人で溢れかえったテント内の光景を思い出し、 ルナは小さく息を吐いた。
今日は乗り切った。けど、続く明日が不安で、つぶれてしまいそう。
「ルナ医療部隊長、大丈夫ですか?」
後ろから掛けられた声にゆっくりと振り向けば、同じく医療部隊として派遣されている赤髪の少女が、心配そうにこちらの様子を伺っていた。
「ステラ……大丈夫ですよ。ありがとう」
言葉に続けて、心配かけてごめんなさい。と付け足すと、彼女は優しく微笑み、ルナの真横に立つ。そして同じく、変わらぬ色の空を眺めた。
「綺麗ですね、ここの空は」
二人の間を風が通り抜け、ステラの、前下がりに切りそろえられた髪を揺らす。
その光景をルナはじっと見つめていた。
空を見上げる彼女の瞳は何となくだが寂しげで、全体的にどこか愁いを帯びているような姿。ルナの目にはそう映る。
──どうしました?
そう声をかけようと口を開いたところで──
「いつか、種族など気にしないで生きていける世界になるといいのですが」
ステラがぽつりと零した言葉。
「……え?」
もちろん、言葉は理解できた。
だけど、その言葉に隠された真意が、ルナにはすぐにわからなかった。
そのせいで掛ける言葉を見失う。
「医療部隊長! ちょっといいですか!」
言葉に詰まるルナの代わりに、遠くからルナを呼ぶセイリオスの声が聞こえた。
あっと小さく声を漏らして、ルナの視線はステラと、声の聞こえた方向を交互に行き来する。そんなルナに対して、ステラは先ほどここに来た時と同じように優しい微笑みを向けた
「ステラッあとで、またお話しましょうっ!」
「はい」
ステラの返事を聞いてから、ルナはセイリオスの元へと駆け足で向かう。
拠点の中央に戻れば、光の量と人の多さからか、少しだけ体感気温が高くなる。
仮設の拠点とはいえ、ここには大き目のテントがいくつも設営されており、救護者用、騎士の休息用、物資の保管用など、それぞれ役割ごとに分けられていた。
今、セイリオスが手招きしているのは作戦会議等を行うためのテントだ。
「お待たせ致しました」
「ああ、お話し中にすみません」
セイリオスは笑顔でルナをその中に招き入れ、しかし入口のカーテンを閉める時には周辺を警戒し、きっちりと隙間なく閉じた。
テントの中は、まるで人払いでもしたかのように誰もいない。
てっきり数人で集まって明日の作戦でも話し合うのかとばかり思っていたが、何やらそうではないらしい
「セイリオスさん、あの……」
「会議、というかご相談がありまして」
まあ長くなるので座って下さい。と、ホットミルクの入ったカップと共に席を勧められ、ルナは言われるままに着席する。
セイリオスはルナが着席するのを見届けてから、ルナの二つとなりに腰掛けた。
「これからの事です」
それだけ言って、セイリオスはルナの手元にあるものと同じカップに口をつける。
もったいぶっているのではなく、ルナをここに呼んでなお、話し出すタイミングをうかがっているようだった。
内容が気になるものの、ルナは急かすことはせずに大人しく次の言葉を待つ。
「もしも、私が討たれれば──次の指揮官はルナさん、貴方です」
ピクリと、カップに添えた指に力が入る。
「そ、そんなこと……」
確かに、今この拠点の中で医療部隊長であるルナの立場は、セイリオスに次いで二番目だ。
たとえ部隊が医療特化型であったとしても、“騎士団の本拠地アスガルドから派遣された隊長”という肩書をもつ以上、立場はどの拠点に属するどの部隊の騎士よりも上になる。
本当のことを言えば、地方拠点のセイリオスよりも立場上うえにはなるが、指揮に関してはセイリオスの方が長け、適任であるがゆえにセイリオスが引き続き舵をとっている状態。
つまり、セイリオスを失ってしまえば指揮をとれる者がいなくなる、ということだ。
最初から指揮官がいなかったわけではない。
地域柄戦闘に慣れない者が多く、不慣れで引け腰になる騎士たちを鼓舞するには、指揮官自らが前衛に立ち、その背を追わせる他なかった。
かといって前に立つ指揮官がみな優秀かと言えばそうでもなく、その結果より多くの指揮官が短期間のうちにその命を落とす結果となってしまったのだ。
なんとなく、セイリオスを失えば次にその役が自分に回ってくるだろうな、とは思っていた。が、面と向かってしっかりと言われてしまうとやっぱり動揺は隠せない。
「また指揮官が討たれたとなれば、ルナさんが後を継ごうが、さすがにもうここにいる騎士たちのみでの立て直しは厳しいでしょう。これからお話しするのは決して貴女への指示ではなく、方法の一つと捉えていただければと思うのですが──」
──もしも貴女に指揮権が移ることがあれば、その時は隣の、ヘルフィニスの帝国基地に救援要請を出すのも、手の一つです──
そう提案されて、ようやく人払いの意味が分かった。
これまでずっと敵対してきた死神の、帝国軍に助けを求めるなど前代未聞。
そんなことまでするくらいなら、いっそこの地で名誉の戦死を遂げようと考える騎士の方が多いだろう。
ましてやそんなことを、現指揮官が視野に入れているなどと知れればそれだけで士気の低下も免れない。もちろんルナも反対だ。
そもそも……。
「こちらのプライドを捨てて救援要請を出したとしても、帝国が、騎士団からの要請に応じるとは到底思えません」
「いえ、応じるはずです」
否定するルナの目を真っすぐに見つめたまま、セイリオスは続ける。
「革命軍がへーリオスを落とすことは、帝国にとっても害しかありません。これまでこの地で戦争が起こらなかったのは、へーリオスを管理していたのが騎士団だったからにほかなりません。革命軍がここに拠点を置けば、次に狙われるのは帝国のヘルフィニスなんて、想像に難くない」
「そうとは思いますが……」
確かに同じ死神とはいえ、帝国と革命軍は敵対関係にある。
しかし、帝国と敵対関係にあるのは騎士団も同じ。
「利害関係が一致するのであれば一時でも手を組む──手段を選ばず、時として騎士としての誇りすらも捨てる覚悟を持つ。国を守るとは、そういうことです」
けどまあ、そうならないように私も一生懸命指揮をとるよ。
そう言ってくれるセイリオスの言葉も、ルナの耳には遠く聞こえる。
もしも本当にその時が来たら、敵を頼ってでも国土の一部を守るべきか、
最後まで騎士としての誇りを持ったまま戦死の道を騎士に歩ませるべきか。
決断を迫られないテントの中では、考えたところで答えになど近づけない。
人は、然るべき時に然るべき話をするものだ──
ルナがそれを実感するのは、翌日になってからだった。