48話 あの日の清算
あの時と何も変わらない夕焼け。
ヘルミュンデ地方を取り返してから、もう2年程経っただろうか。
あれから少しずつこの地域は発展してきてはいるが、戦場となったここは当時のまま、何も変わっていなかった。
千聖が立っているのはあの日、天離を抱き締めた場所。
パンツの生地を握り締める様に掴む両の拳は小刻みに震えている。
従者である眠は、その様子を一歩後ろから眺めていた。
「ごめん……天離……」
さっきからずっと、千聖はそれしか言っていない。
聞こえてくる震える声に、眠は少し驚いていた。
あの日、天離を探してくるといって姿を消してから戻ってくるまでの間に、何があったのかは知らない。だが戻ってきた千聖の、すこしの感情も感じさせない冷たい瞳は今でも鮮明に覚えている。てっきり他人の死について特別な感情を抱かないタイプなのかと思っていた。そう感じてしまうくらいに、戻ってきた千聖は泰然としていたから。
けど今日、後ろ姿を見ていてわかった。
感情がないのではなく、単純に天離の死を受け入れていなかっただけだということが。
2年経った今になって、ようやく天離の死と向き合おうとしているのだ。
将軍という立場の重さは眠にはわからない。
だけど、平気で感情を消せるほど強くないと務まりはしないのだろう。
彼の背中が、それを語っていた。
あの日、眠は見ていた。天離の最後の瞬間を。
だけど、己の役目は天離やその他大勢を守ることではなく、主人である千聖を守ることだと解釈していた。それが己の存在意義だと。余所見をする訳にはいかないんだと言い聞かせて、そんなつもりはなくても結果的に天離を見殺しにした。
「なぁ、千聖」
背を向ける親友に声を掛ける。
あの日まで、千聖は目の前の全てを自分で守ろうとしていた。
あの日まで、自分は千聖と帝国さえ守れればと思っていた。
「ここには、誰も来ない」
だけどあの日から、千聖は王と帝国以外の全てを捨てた。
そのせいかあの日を境に見違えるほど立派な将軍になった。
捨てさせた原因は、あの時の自分の言葉にあったのかもしれない。
だから、千聖が捨てた全てを、代わりに拾って行くと決めた。
ふとあいつが“大切なもの”を思い出した時、それを失くしていない為に。
「二人の時まで、将軍でいる必要はねーよ」
眠が掛けた言葉を千聖がどう捉えたのか、本当の事はわからない。
ただ、振り返った彼の表情を見た眠は、意図した意味で伝わったと解釈した。
ゆっくりとこちらに歩いてくる千聖の目からは、すでに涙が筋を作って零れ落ちている。
眠の隣にたどり着くまでに、千聖は何度か袖で涙を拭っていた。
「天離の身体はレグルスと同じ池に還したんだっけ?」
答えは返ってこないが、小さくうなずく様子が視界の端で確認できた。
行こうぜと促して、眠は池の方へと歩を進める。
池までの道も、何もかも時間が止まったかのようにあの日、あの時のままだった。
切り倒された木、焼け焦げた跡。だけど、そこから新しい芽が息吹いているのも見てわかる。
それはつまり、世界にとっては過去の話にすぎないということ。
前に進まなければ、世界からは置いて行かれてしまうのだ。
「闘いの跡にも、新しい芽がもう出てんだよ。だからオレたちも──って千聖?」
諭すようにちょっといいことを言おうとした眠だったが、千聖の姿が隣から消えていることに気が付いた。周りを見渡しても姿はなく、振り返れば先ほど立っていた場所に座り込んでいる。
「おい!? どうしたッ!?」
まさか敵襲!? それとも当時張られていた罠がそのまま残っていてそれに引っかかってしまったとか!?……などと様々な可能性が一瞬にして頭の中をよぎり、慌てて駆けつけ、俯向く千聖の肩を掴んで揺さぶれば……。
「おれもう無理、辛すぎてここに居られない……」
「お前……」
鼻水まで垂らして号泣している将軍のきったねぇ顔が、そこにあった。
ため息つきたい気持ちと、失礼ながら吹き出しそうになる衝動をなんとか堪える。
「案外打たれ弱いんだな」
独りで立ち上がる気配がまるでない千聖の腕を掴んで無理矢理立たせ、半ば連行するようにして池を目指す。いざ歩き始めれば覚悟したほどの抵抗はなく、千聖はすぐに自分の意志で眠の後ろをついてきた。腕をつかむ必要はないかと思い拘束を解けば、何故かぐいっと後ろに引かれる感覚がする。おそらく背中あたりの生地が引っ張られるのだろう。静止させようとしてるのだろうかと思い立ち止まれば、続いてズズズ……という音が聞こえてくる。なんとなく、嫌な予感がした。
「まさかと思うが人の服で鼻かんでるわけじゃねーよな?」
「……」
「おい」
「そうだと言ったら?」
「ふざけんなよ……お前なぁ、そんなんで結婚して大丈夫か!?」
「ほっといてくれ! おれだって別に結婚したいわけじゃないんだ」
また懲りずに、というより今度はあてつけがましくズズーーッなんて音が聞こえてきた。これは確実に、派手に鼻をかんでいる。立派なマントをつけているのだから、自分のマントでやってくれと思う眠のこめかみに青筋が浮かぶが、暴露された本心に文句を言う気も失せてしまった。
「……本心聞いちまったぞ」
「もういっそ『その結婚式ちょっと待った』っておれのこと攫ってくれない? おれを救えるのはお前しかいないんだよ」
「そんな事したら前代未聞だろうが」
「そんなの知ったことか! おれの気持ち考えて。将来的には子供が云々言ってたけど姫がブスだったら無理、抱けない。子供、できない。お義父さまとお義母さまから『一体いつになったら可愛い孫の顔を見せてくれるのかしら』っておれがいびられるんだ。いっそのことお前を嫁にしたほうがまだマシだよ。わかるだろ? おれとお前なら、子供、できない。オレ、イビラレナイ」
「お前今自分で何言ってるかわかってるか?」
「……わかんない。おれ何言ってた?」
「……もういいわ」
どこまでが本心か全くわからない千聖の言葉を適当に受け流しながらも、徐々に姿を現す目的の池に、眠の足を運ぶ速度は無意識に上がっていった。
近付く池から視線を逸らすことなく、眠はずっと千聖の視線から隠すように持っていた箱を、胸の高さまで持ち上げる。
そして指先でそっと形を確認するかのように箱に触れた。
池の前で立ち止まる眠の横に並び、千聖は彼の手の中にある箱を横目に見る。
出発したときからずっと眠がその箱を持っていたのは知っていたが、それを隠そうとしていることにも気が付いていた千聖は、あえてここまで触れてこなかったのだ。このまま触れずにいてもいいのだが、ただ全く触れないのは逆に不自然に思えて、どう触れるべきか慎重に言葉を選んでいた。
「それ……ずっと咥えて走ってたよな。歯形ついてんじゃん」
「仕方ねぇだろ……獣化しちまったら足しかないんだから」
「言ってくれればおれが代わりに持ってたのに」
「オレが自分で持ってこねぇと意味ねーの!」
そう主張した後、これ以上は辞めてくれと言わんばかりに千聖の方を一切見ないまま、その場に腰を下ろした。そんな様子に千聖は思わずふっと息を漏らして笑う。ちらりと見えた横顔はどことなくムっとしていた。
こんなにもわかりやすく本気で照れているなんて、眠にしては珍しい。
「これは、天離に贈る」
丁寧に箱から取り出したのはネックレスだ。
ぶら下がるガラス玉の中には、薄紫色の花が入っている。
「それ、なんの花?」
「……さあな。知らねぇけど、なんか可愛いから買った」
千聖に対しては、“さあな”なんて知らないふりをした。けど、そんなのは嘘だ。
本当は店の人に聞いていた。この花の名前と、その花言葉を。
空に浮かぶ夕陽に翳せば、オレンジ色の光を反射させてきらりと輝いた。
まるで自分に託された想いが何か、知っているかのように。
「天離の気持ちにはずっと気付いてたんだ。だけど、知らないフリしてた。ごめんな」
ネックレスをじっと眺めてから、眠はそれを、そっと池の中へと入れる。
「今更だけど、これがオレの答えだから」
静かに沈んでく薄紫色の花。徐々に見えなくなっていく想い。
花の名はシオン、その花言葉は“君をわすれない”。
あの日、天離からの問いには答えた。
でも照れ隠しのため、ぶっきらぼうに簡単な言葉でしか返さなかったことを覚えている。
本当の気持ちの十分の一だって伝えられてないだろう。
それは、また別の機会に伝えることができるだろうと心のどこかで思っていたからだ。
あの会話をした数日後、天離はここ、ヘルミュンデで命を落とした。
先にあると信じていた機会は、一生、訪れることはなかった。
いつだってまた会えるとおもっていた。次があるとおもっていた。だが、どんな時でも明るい笑顔を向けてくれた彼女には、もう二度と会うことはできない。
──男として想いに応える事はできねぇけど、オレや千聖の心を支えてくれた明るいその存在にはいつだって感謝してたんだ。絶対に、忘れねぇから──
目を瞑って、あの日の答えに補足するように、眠は心の中で天離に言葉をささげた。
届くかはわからない。だけど届くといいなと、そう願って。
「願えば伝わるのかな」
「伝えないよりは届くんじゃねえかな」
じゃーおれも、と笑って、千聖は池の水へと右手を伸ばした。
指先が軽く触れた夕焼け色の水面は、まるで呼応するかのように波紋を広げていく。水面が静まるのをまってから、千聖は口を開いた。
「……レグルス、誇っていいよ。あの子は優しくて立派な騎士になってた。おれのこと、赦してくれるって」
「……は? オレそれ知らないんだけど誰の話? もしかしなくてもルナか? レグルスとルナってなんか関係あんの!?」
「内緒―」
「内緒ってお前……! つーかデキてるだろ? ヘーリオスでルナのこと食っただろ?」
「おい。この場でなんつーこと言ってくれんだよ! しばくぞお前……」
「でも否定しねぇのな!」
「否定するまでもないってだけだ!」
千聖の言葉を最後に、二人のあいだに一瞬、間があく。
気が付けば結構大きな声で言い合っていたらしく、会話に間があき音が途切れたことによって、より周りの静けさを強く感じてしまった。この場に存在する音なんて、自分たちの発する音以外、風が木の葉を揺らす音くらいだ。
この場所にはお互いにつらい思い出しかない。
ここに来るために、それなりの覚悟だってしてきた。
だけど結局、今言い合っていたのはそんな覚悟と比べれば下らない内容である。
本当にバカみたいだと実感した千聖は、思わずふきだしてしまった。
「なんかさ、おれたちっていっつもこうだよね」
「こうって?」
「真面目になんかやってても結局最後は笑ってるじゃん」
「あー、間違いねーな。困ったもんだ」
『あーあ』なんてため息をつくような、それでも笑っているような、そんな声を出しながら眠は立ち上がる。困ったもんだといいながらも、その表情は全く困ってないようだった。
「ほら、もう行こうぜ」
頭をぼりぼりかきながら、早くも池に背を向けて歩き出す眠。
千聖も立ち上がり、見慣れたその背中に向かって声を掛ける。
「おれの相棒が王牙で、本当によかった」
かけられた言葉に、彼の歩みが止まった。
決して振り向かない背中。うしろ姿で、何が言いたいかはなんとなくわかる。
「千聖、その呼び──」
「ここには、誰も来ないから」
とどまり続ける親友に向かって、千聖も歩き出す。
すぐに追いつき、そして追い越した。
「二人の時まで、従者でなんていて欲しくないんだ」
追い越し際で言われた台詞。
数刻前に、眠が自分で言った台詞とよく似ている。
なんだかしてやられた気分になった。
「なんかちょっと変わったな、お前」
吐く息に幸せなため息を乗せながら、もう一度、追い越していったその背中を追って歩き出す。
自分の相棒が、目の前の道を進む彼であることを幸せに感じながら。
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巨大な狼へと獣化した眠の背に乗り、アスガルド王国へと向かう。
空を見上げれば、夕陽の色も薄くなりつつあった。
天際に広がるは昼を表す澄んだ青。
天界のエリアに突入したと思ってよさそうだ。
“引きずること”や“背負うこと”と、“受け入れること”はまったく違う。
あの日の怒りと悲しみを断ち切って、あの日の記憶を忘れて、前を向かなければ。
そう思えば思うほど、背を向けて断ち切れなかった想いは、ずるずると引きずって足枷になってしまう。
全て忘れてやるなんて思っていても、結局完全に忘れることなど無理なのだ。
確かに、感情は時が経つにつれ薄いものになっていく。だけど、所詮は薄れただけで、なかった事にはできない。
だから、あの日の記憶や感情を受け入れて、前に進もうと決めた。そう思えたのはきっと、ルナがお互いを赦せたらと、ヘーリオスの演説でそう語ってくれたからだ。
「どーせ世界を変えるんなら、優しい騎士が笑って生きられる世界にしてみたい」
目的地目指して懸命に足を動かしてくれる狼の頭を、掻くように撫でてやる。
まるで千聖の言葉に肯定するように、ガウっと小さく狼は鳴いた。




