1話 共闘の3日前・帝国
──全ての発端とも言える出来事が起こる、3日前。
下界ヘルヘイム帝国、帝都ヘルヘイム城──作戦会議室。
薄暗い室内の真ん中には巨大な机。
その上に広げられたこれまた巨大な地図。
決して広いとは言えない会議室の一番奥、二人の少年が机に広がる世界の縮図を眺めていた。
「ここが、へーリオス地方」
「アスガルド王国の領土、だな」
二人のうち赤いマントを纏う少年が、地図の真ん中あたりを右手で示す。
すると後ろにいたもう一人の少年が、自身の琥珀色の髪をいじりつつ興味なさげに示された場所へと視線を向けた。
「死神の革命軍が侵略を始めて1週間になる」
マントの隙間から覗く黒い軍服と、その所々に施された金の装飾。それは、誰の目から見ても少年の位が軍の中でも最高位であることを示している。
対して後ろで頭を掻く少年は、黒いノースリーブに立てた襟。袖にも襟にもファーが付いているため派手に見えるが、赤いマントや金の装飾に比べると色使いには劣る。
大胆にも開け放たれた胸元。それから余裕を持たせだらしなく履いたパンツの裾は、ブーツの中。軍服の少年と比べて幾分もラフな格好だ。
しかし二人の少年の大きな違いは服装ではない。
ラフな少年の頭からは、髪と同じ琥珀色をした三角形の耳——尻からはこちらも同じく琥珀色の巨大な尻尾が生えていた。それらは全て、狼のものと類似している。
──人狼。
彼は、この死神の国でも珍しい獣人だ。
耳も尻尾も目に付くが、一番目立つのはその首に嵌められた大きな首輪。
中途半端な長さの鎖をぶら下げるその歪な首輪は、彼が自由の身でないことを表していた。
「戦況は、最初っから革命軍の優勢。偵察に行かせた夢霊からの報告によれば、アスガルドの騎士団も随時増援を派遣しているみたいで規模はどんどん拡大中。スタートがゲリラ的だったとはいえ革命軍相手に騎士団がここまで苦戦って珍しいよねー」
内容の割にはどこか気の抜けたような話し方をするせいか、内容が全然頭に入ってこない。
獣人の視線は地図に向いているのだが、どうにも意識は目の前の赤いマントと、それを纏う少年の青い髪にいってしまう。脳内を支配するのは “青い髪に対して赤より似合うマントの色は何か” と、そこから派生する “もしかしたらこいつ長髪似合うんじゃね?” なんていう、全然どうでもいい思考。
地図上の地名から、何かを語る彼へとピントをずらして獣人の少年は——唐突に、この一連のやり取りにおいては何の脈絡もなく、目の前の青い髪に触れた。
「なに……」
「見るたび思うけど、赤いマントと青い髪ってアンバランスだよな」
髪に触れられた軍服の少年は、驚いてその瞳を獣人へと向ける。
語られる、髪を触れた理由に、少年の視線の色はみるみる冷たくなっていく。
「別に赤と青って補色の関係じゃないはずだけど……」
「つかお前さ、肩ぐらいまで髪伸ばしてみたら? 絶対可愛いって」
視線の温度など気に留めることもなく、獣人はにっかり笑ってもう一度その髪に触れた。
今度はしっかりと、そのこめかみに青筋を立てながら、少年は獣人を睨み上げる。
「……あ? お前さぁ、おれの話聞いてた?」
ぶつかる瞳は、同じ朱色。
その瞳の色と縦に割れる瞳孔が、二人の唯一といえる共通点だ。
そして睨みつけたその瞳の中には、まったくもって悪気というものがない。
「おれが髪伸ばしたら可愛くなりすぎて男集るからぜってー嫌だ。そもそも自分の顔面偏差値が他の追随を許さないレベルで群を抜いて良いことぐらい自覚してるからわざわざ女装もアリだって教えてくれなくても結構なんで。で? ちゃんと話は聞いてた?」
この反論に関して言えば、逆に悪気以外に込められた意味など何もない。
「いやでも男としてはオレの方が勝ってるっしょ!」
「うるせえ! で? ちゃんと話は聞いてた?」
「あたりめーだろ……さすがにそこまでじゃねーって」
「じゃあおれが何て言ってたか言える?」
「“ここが、へーリオス地方”」
一瞬、この会議室が無音となる。
硬く閉ざされたドア越しに、廊下で談笑している帝国兵たちの声が薄く聞こえたくらいに。
「最初からちゃんと聞けよもう!」
「最初は聞いてただろ」
「ホントに最初だけじゃん」
「まーでも何となくわかるよ。各地で起こる戦争の状況くらいちゃんと確認してますから。続けて続けて!」
あ――っと叫びとも溜息ともとれない声を上げてから、軍服の少年はその視線を地図に記載された“へーリオス”の文字へと戻す。
「このヘーリオス地方は王国の領土だけど、その近くは帝国領のヘルフィニス地方だ。ここにも帝国の基地はあるにしろ、住民の暮らす村もある。これ以上戦場を拡大されても困るし、何より──」
「革命軍がヘーリオスを落としてそこに拠点を構えようもんなら、次に白羽の矢が立つのはヘルフィニス! だな」
獣人は自らの“ヘルフィニス”の言葉に合わせ、拳を地図上のそこへと叩きつけた。
ドンと鈍い音を響かせ、拳の勢いで地図の角度がほんの少し変わる。
そのわずかに変わった角度を見つめて、軍服の少年は修正したい気持ちにかられるがグっと堪えて「そうだね」と相槌を打った。几帳面な奴だとは思われたくない。
「というわけだから、おれの独断ではあるけど帝国からも軍を出そうと思う。さすがに革命軍にへーリオスを落とさせるわけにはいかない」
「帝国が騎士団に助力するっつーことか!?」
「いやそこまでするつもりもないけど……けどまあ、今まで隣り合ってたのに争いにならなかったのはお互いに仕掛けて来なかったからだし。ヘルフィニスの死神がへーリオスの天使から野菜分けてもらったーとかよくわかんない話も聞くしね! 偵察行ってた霊夢のお迎いついでに腕の立つ奴ら10人くらい連れてちょっと邪魔して来ようかなって」
まるでちょっとイタズラの作戦でも立てているかのような物言い。
獣人はわかりやすくため息をつきながら、テーブルの下にしまわれた椅子を乱暴に引き出し、地図に背を向けて腰を降ろした。
「10って小隊にもならねーじゃん……勝算あんのか?」
「今帝国はどこともデカいのやりあってないからね。空いてる少佐クラスは沢山いるし、騎士団と革命軍の両方を相手するって言ってんじゃない。革命軍さえどうにかできれば、騎士団は別にどうだっていい。勝算っていうか、少数精鋭で行って霊夢と合流後、革命軍を蹴散らせればそれでいいってかんじ」
「よーするに暇つぶしってワケね」
呆れたような声音だが、その瞳は確かに笑っている。
それを見た軍服の少年もまた、目の前で笑う獣人に向かって無邪気な笑顔を返した。
──これは、歴史に残る共闘が始まる、およそ3日前の話である。