45話 『運命の王子様☆滑り込みセーフ大作戦』始動
三人で乗り込んだユキの部屋は、やはり一国のお姫様だけあってとんでもなく広かった。
城全体の内装と同じく白を基調とした部屋ではあるが、ユキの趣味で集められたであろうぬいぐるみや小物がカラフルな為、地味な印象は全く受けない。とはいえすべてが淡いピンクや水色などのパステルカラーで揃えられているせいか、派手というよりはどちらかというとファンシーという言葉がしっくりくる。どこかふわふわしていて、夢の中を思わせるような空間だ。
部屋の主であるユキは大きめのぬいぐるみを抱きしめながら、部屋の奥、窓際に置かれた天蓋付きのベッドに座っていた。抱きしめているもの以外にも、枕元にはたくさんのぬいぐるみが飾られている。動物を模しているようだが、殆どのぬいぐるみには現実味のない可愛らしい羽根が生えていた。
ルナはベッドのわきに腰を下ろし、ベッドの上から拝借したぬいぐるみを膝の上に乗せて、先ほどからずっと止まらないユキの愚痴を聞いている。聞きながら、自分が抱えているこのぬいぐるみはなんの生物を模したものなのだろうと考えていた。パッとみ、淡い緑色のイモムシにピンクがかったファンシーな羽根が付いているが一体なんだろう。ニコニコ笑った顔の刺繍が施されているが、単純に可愛らしいイモムシか。いや、もしかすると胴体が大きめのチョウかもしれない。
「そりゃ私だって1000歩譲ってお姫様だもん。政略結婚とか古いけど、立場上もしかしたらって覚悟はしてたんだよ!? だけど相手が死神? しかも帝国軍の将軍? 私たちの国とずーっと戦争してて、何人もの犠牲を出して、戦犯と言われてもおかしくないような相手? 騎士団と共闘したーみたいな噂を聞くけど、そんなたった一回で今までしてきたことが全てなくなる? そんなわけないじゃない! 絶対に嫌だ。人殺しなんかとは同じ空気も吸いたくないのに結婚なんてありえない。本当、どうにかなりそう」
ユキのこのセリフ、もう何度目かわからない。
それほどまでに繰り返されている内容であったが、ルナはなんて声を掛けるのがベストなのか、答えを見つけられずにいた。
ユキの語る内容は間違ってはいない。が、数か月前の共闘を機に帝国将軍がどんな人物かを知ったルナからしてみれば、合っているとも言えない。
実際に会ってみて、将軍本人から受けた印象は人殺しとは全く違う。どちらかといえば誠実で、話せばわかってくれる人だ。騎士の気持ちを汲もうと一生懸命やってくれた。
だけど、ユキが語る内容は、ルナ自身が帝国将軍と接点を持つまで彼に対して抱いていた印象と同じだった。それだけに、安易にユキの言葉を否定することは憚られる。共闘作戦時の彼の様子や、実際はどんな人物であるのか説明したところで、今の状態だと姫を諭すだけになり、余計に反感を買って終わってしまいそうだ。
ルナの向かいに座るフォールハウトもここでは何も言わない方が賢明と判断したのか、何も言いだす様子がない。今は、彼女の愚痴を聞くにとどめるのか正解とみたのだろう。
「そもそもなんで!? むこうだって私の事何もしらないのにどうしてOKするの!? ぜんっぜん理解できない! 戦争してるんだよ!? 愛なんてないじゃん!」
なんともコメントしにくい発言が飛び出してしまった。
もちろん、愛なんてないだろう。それはルナもフォールハウトも思っていた。本人も『愛なんてない』と発言しているが、この場合どちらかといえば否定した方がいい流れだ。夢見がちなこの少女に対し、第三者までもが『愛なんてない』と同意してしまえば、更に政略結婚に対する印象が悪くなってしまう。ここはフィクションでも愛が芽生える方向に話を持っていった方がよさそうだ。などと二人が些細な言動に気を付けながら、返す言葉を探っている最中、アイルが四人の真ん中に置かれたお菓子の山からクッキーを掴みながら、ついに口を開いてしまった。
「あるわけねーじゃん。政略結婚に、そんなん」
さすがにデリカシーも思いやりの欠片もないその一言に、ルナは「ちょっと!」と咎め、フォールハウトはついにやってしまったか、とため息を零す。
しかし二人のリアクションなどまるで気にならないとばかりに、アイルは掴み取ったクッキーを口に放り込み、また次へと手を伸ばした。
どうでもいいがこのお菓子の山、クッキーの減りが異常に速いのはこの男の仕業である。
「ほんっと話になんない。まだ彼氏とかだっていたことないのに……手をつないでデートとか……してみたかったのに!!」
「はー、なるほどな。デートか。フォルト、こいつとデートしてやれ」
「え!? ぼ、僕がで──熱ッ……!」
急に話を振られ、正座していたフォールハウトは思わず腰を浮かせた。その衝撃で手にしていたマグカップが揺れ、暴れた雫が右手に落ちる。カップを慌てて床に置き、雫が当たった右手の甲あたりをさするその顔はどことなく赤い。普段の落ち着きのある彼からは想像もつかない慌てふためくその姿に、ルナは驚きを隠せず、一連の様子を凝視していた。
「フォルトは違う! 確かにいつも手をとってくれるけど、なんか……そーゆーかんじじゃないもん」
照れたのもつかの間、ニコニコと笑顔で正座しなおすフォールハウトではあるが、その笑顔は明らかに歪んでいる。「そーゆーかんじじゃない」の一言がナイフのように心を突き刺さしたようだ。誰の目からみても一目瞭然であると言い切れるほどにわかりやすく傷ついている。
「あっでも……普段意地悪なアイルが優しくエスコートしてくれるデートなら悪くないかも……!」
「はあ? 馬鹿じゃねーの? ……そもそもデートって何すんだよ」
「知らずに言ってたの!? 知ってると思ってた」
「んなわけねーだろ。おいルナお前は? デートって何するのかわかるか?」
「えっええぇぇッ……で、デート、は……ま、漫画や小説の、空想、でしか……」
なぜデートについて自分が問われるのか。思いもよらない流れに今度はルナが、先ほどのフォールハウト以上にわかりやすく慌てた。ルナにはデートに関連する記憶が一つだけある。ただ、どう考えてもここで言っていい話ではないだろう。何故ならルナの中にあるたった一つのデートに関する記憶、その相手が今話題になっているユキの婚約相手──帝国将軍であるからだ。
助けを求めるように、というよりは矛先を誘導するように、ルナはフォールハウトの方へと視線を向ける。思惑通り、二人の視線もフォールハウトに向いた。
「……デート、ですか。そうですね……」
視線が自分に集まったことを受け、フォールハウトは一度、わざとらしく咳ばらいをする。
「これは伝え聞いた知識でしかございませんが、美しい景色をみたり、美味しいごはんを食べたり、二人で語り合ったりするものと聞いております。そしてその多くは──」
先ほど床に置いたカップを持ち上げ、もったいぶるように一口飲んでから、続けた。
「最後に、キッスをするのです」
『キッス……!?』
キャーっとユキは抱きしめているぬいぐるみに顔を埋め、ルナは両手で顔を覆った。
アイルだけは半笑いで「キッス? キスじゃねーのか?」なんてつぶやいている。
「少女漫画でもそう! ってことは本当にそーゆー感じなんだ!」
「えぇ、まず間違いないでしょう」
「もう面倒くせぇから将軍に頼んで結婚する前にデートしてもら──」
「あー! 私決めたー!」
唐突に、ユキが立ち上がる。
ベッドの上だったため一度バランスを崩しかけるが、なんとか持ちこたえ、拳を天井に向かって突き上げた。提案を遮られたアイルも、デートについて語っていたフォールハウトも、何もいえずにいたルナも、いきなりの行動に驚き、どことなく不安な様相で何かを閃いた姫を見上げる。
三人とも知っているのだ、こーゆー時のユキは、大概とんでもない発想をしているということを。
「結婚するまでに好きな人を見つけて、その人にデートとキスをしてもらうの! 名付けて、『運命の王子様☆滑り込みセーフ大作戦!!』」
言い切った後に、ドドーン!と自分で効果音を付け足すユキ。
フォールハウトからしてみれば、ネーミングセンスはさておき、内容は思っていたよりもまともだった。
ルナからしてみれば、てっきり逃亡を図る内容を予測していただけに、ユキの発想は想像の斜め上を行っていた。
アイルからしてみれば、ただくだらねえとしか言いようがない。
「帝国将軍なんて、絶対無理やりハーレム作って偉そうにしてるような、腹の出たオッサンよ! そんな男に私の初デートとファーストキスなんて奪わせないんだから! ううん、指一本触らせない! 覚悟してなさい! あんたのオンナにされるよりもさきに、私は誰かのオンナになってみせる!」
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「あーーッ! ハーレムくらい作ってみるんだったぁー!」
魔界にて。
帝国将軍こと龍崇千聖は、友人宅に向かう途中の坂道で沈みゆく太陽にむかって叫んでいた。
「おいどうしたいきなり」
あんまりなその内容に、数歩前を歩いていた彼の従者が操作していたスマートフォンから顔を上げて振り返る。
「いや、おれ結婚しなくちゃいけないんだろ? 人生で一回くらいはハーレムを味わっておくべきだったなって後悔してるんだよ……ふと思ったんだ、立場上簡単だろ、ハーレム作るなんて! おれにとってハーレム作成なんて、朝飯まえだったんだよ!」
「うーん……キャバクラ行く?」
「金で買う女に意味はない! もっとこう、一途におれの事が好きって子に囲まれたい」
「えー、女の闇を垣間見そうだけどお前、そーゆーの好きだっけ?」
「……嫌だ。そうじゃない……闇とか違う……」
ぶつぶつと頭を抱えながら、従者を追い越し、坂を下っていく。
まさか婚約者の号令により『運命の王子様☆滑り込みセーフ大作戦!!』なるものが始動していたなどと、知る由もなく……。




