44話 引き籠り姫の誘い出し方
「ユキ、会ってほしい人がいる」
普段のへらへら笑っている間抜けな父は、そこには居なかった。
急に話があると呼び出されたのは、この城──アスガルド城の王間。
王の一人娘であるユキですら、王間になんて滅多に入らない。
そんな場所にある日いきなり、話があると言われて呼び出された。
話ならわざわざ王間に呼び出さなくたって適当に済ませてしまえばいいものを、一体なんだというのか。普段とは異なる流れに緊張しつつも若干胸を躍らせながら、ユキは玉座の前に立ったのだ。
「会ってほしい人……?」
父が座る玉座の前。
しかしユキが対面したのは正装に身を包み真面目な顔をした王だった。
普段は感じることのない王としての威厳やら貫禄やらを感じて、聞き返す声もかすれたものになる。
「お前の結婚相手になる──」
そして告げた王の声は、王間によく響いた。
「下界のヘルヘイム帝国、死神軍の将軍である男だ 」
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とある日の午後。
ユキの母親に呼び出されたルナとアイルは、目の間にある、豪奢だがどこかかわいらしい装飾が施された大きなドアを見上げていた。
「夫が婚約の話をしてから、もう3日も閉じこもったままで……ご飯も食べてないみたいなの」
「……ユキちゃん」
「ったく世話の焼ける姫様だな」
広い廊下の真ん中に取り付けられているこのドアは、ユキの自室へつながるものである。だが、今は固く閉ざされている。
「僕が声を掛けても、意味がないんです」
補足するように言葉を足すその声に振り返れば、後ろにはユキに仕えている金髪の騎士、フォールハウトがいた。廊下の壁に背を預けながら腕を組んでドアを見上げるその顔は、途方に暮れている。
「しかしまあ、そろそろ腹も限界になって出てくるんじゃねーの? あいつに籠城なんて無理だろ」
「そう構えてもう3日が経過するのです。あぁ、アイルのことはもとから戦力だなんて思っておりませんので、帰って頂いても問題ございませんよ」
「はあ!? フォルトお前っ……呼び出しといてそりゃねーだろ!」
「アイル君、ごめんなさい、呼び出したのは私なの」
「え! あ……いや別に、お母さんは悪くないっすよ」
早くも言い争いを始めようとするアイルとフォールハウトだが、それを阻止するかのようにユキの母親である王妃様が割って入る。まるで自分の子供を見るかのような優しい笑顔を向けてくれる王妃様に、ルナは幼少期を思い出して恥ずかしくなった。この優しい笑顔は、昔からずっとかわらない。自分たちは大人になったつもりでいても、きっと彼女からみれば、今も昔と変わらない子供なのだろう。
顔を合わせればすぐに口喧嘩を始める二人──といってもアイルがムキになるだけだが、相変わらずのその様子に、ルナは王妃様に向かって「申し訳ありません」と小さく謝罪した。
「ずっと昔から仲が良いでしょう? あなたたち3人が一緒となれば、ユキもきっとドアを開けてくれると思うの」
「有難うございます……」
よろしく頼むわね。と微笑んで、背を向けてゆっくりと歩き去っていく王妃様の後姿を、ルナは何とも言えない複雑な感情で見送っていた。ユキを支えてあげたいと思う反面、自分にはユキの側にいる資格などないように思えるのだ。
それはほかでもない、ユキが部屋に閉じこもってしまった理由にある。
「後ろめたい、ですか?」
「そう、ね……」
気遣って声をかけてくるフォールハウトの方は見ず、ルナは足元へと視線を落とした。
ユキがショックを受けているのは、勝手に帝国の将軍との婚姻が決まってしまったことについてだ。そしてその話をアスガルド王からの御使いで帝国へと運んだのは、他の誰でもない自分だった。きっとユキはそのことを知らない。
傷つける原因の一端を担った自分が、ユキの側にいるなんて許されないような気がする。
「貴女は、何も間違ったことをしたわけではない、僕はそう思いますよ。ただ、貴女が話をつないだということは、まだ言わない方がいいでしょうね」
「……フォルト」
「とりあえずは、このドアを開けてもらいましょうか」
フォールハウトの優しいフォローに、ルナは眉尻を下げながら頷く。
そしてドアと向き合うルナの隣にフォールハウトも並び、ドアを軽くノックした。
ユキからのリアクションがあるかは微妙なところだが、反応を待ちながらルナはアイルの様子を盗み見る。二人から少し離れた位置で閉ざされたドアをじっと眺めているが、ただ視線を置いているだけで彼の意識はドアにも、中にいる姫にもむかっていない。この状況に飽きているのが一目瞭然だった。
「ユキ様、フォールハウトです。今日はルナとアイルも一緒ですよ。みんなでお菓子を食べながらお話しませんか?」
「ユキちゃん! ボクですっ……ちょっとでもお話、しませんか?」
ユキからの返事を待たずに声を掛けるフォールハウトに続き、ルナもドアに向かって声を掛ける。そしてどんな些細な音でも捉えるために耳をドアへとくっつけた。が、いつまでたっても何も聞こえない。
「いない……ってことはないですよね?」
「さすがにそれはないでしょう。ユキ様──、少なくとも僕たちは貴方の味方です。それはずっと昔からかわりませんし、これからもずっとそうです。みんな、とっても心配していますよ。せめて顔だけでも見せてくれませんか?」
「悩んでいるなら、聞かせてくれませんか? ユキちゃん」
もう一度、二人は聞き耳を立ててなかの様子を探る。やはり中からの音は何一つ聞こえない。本当に誰もいないみたいだ。もしかすると籠城しているのではなく倒れているのではないか、なんて不安がルナの中で生まれはじめる。ついにルナはドアに飛びつくようにして二回、ドンドンと強めにノックした。
「ユキちゃん! ユキちゃんっ……本当に──」
「ったく見てらんねー。退け」
突然、いままで我関せずと二人の様子を眺めていたアイルが、乱暴な口調で割って入きた。フォールハウトの肩を掴んで退かし、ドアに接近したと思えば、ガンッと強く扉を足蹴にする。そうしてアイルは、すぅうっと息を吸い──
「オイコラてめー。こないだお前が作ったクソまっずい野イチゴのジャム、結局俺が全部食ってやったじゃねーか。あれお前が一生かけても返しきれない貸しだからな? だがこのドアを開けたらチャラにしてやるわ。さっさと開けろや。じゃねーとこのドアぶち壊すぞ」
廊下に響き渡る罵声に、ルナとフォールハウトは口を開けたまま、呆然とアイルの様子を眺めることしかできなかった。これで終わると思いきや、アイルは「そもそもー」と付け足して、もう一度大きく息を吸った。
「ジャム作ってあの味なわけだろ? ともなるとお前の飯とか壊滅的な味だろーな。政略結婚が嫌だの言ってるみてーだけどよ、てめーは『飯が不味い』『掃除はできねー』『たいして可愛くもねー』ってその三拍子揃えてんだぞ。よく考えろ、ここで男逃したらお前の相手なんて一生あらわれねー。どこぞの将軍様がお前の生贄なってくれるって言ってんだよ素直に喜べって」
誰も止めないのをいいことに、アイルは更に言葉を続ける。
「いつまで悲劇のヒロイン気取ってんだよ。帝国も何を血迷ったんだか、お前の旦那役とかボランティアだよボランティア! 不味い飯食って、きたねー部屋で一緒に過ごして、可愛くねー女を抱かなくちゃならないんだから同じ男として同情するわ。結局は自分に女としての自信がねーから敵将ってことを理由に出てこられねーだけだろ? 悔しかったら言い返してみろよ。なんもいえねーから閉じこもってんだろ」
広い廊下に罵声の残響。ルナとフォールハウトはただただ呆然とし、その場に立ち尽くしていた。この男、本当に姫を外に出すつもりがあるのか。出すどころか怒りに任せて怒鳴り散らしただけのように思える。態度のわるいやつ、で有名な彼だがまさここまでだったとは──とそこまで呆れたところで、二人の耳は姫の室内から物音を捉える。ドンドンという音は次第に大きくなり、それが足音だと気が付く前に、勢いよく部屋のドアが開かれた。
「うるっさい! 部屋汚くないし、別にわたし可愛くないわけじゃないし! 黙ってればいい気になって散々言って、アイルの方こそモテないくせに何よ!」
寝間着姿にボサボサの髪でそれだけを言い返しにきた姫は、怒鳴り返し、即座にドアを閉めようとするが、アイルはすかさず姫の右手をつかみ取る。そして力任せに引き寄せ、少々乱暴ではあるが完璧に部屋から引っ張り出した。
「あっ! 離してよっ」
「ほら出てきた俺の勝ちだ」
ゲッスい顔でニヤリと嗤うアイル、そして想像以上にプライベート感漂う姫の姿にルナとフォールハウトは変わらず何も言えないままでいる。そんな二人の反応に、アイルは得意げになって鼻をフンと鳴らした。
「この手の女は煽っときゃ出てくんだよ。ほんっとに使えねー騎士だなお前ら」
「騎士の風上にも置けない……」
「そ、そんなやり方、ボクの騎士道には反してます……」
「うるせー。“手段は選ばねえ”これが俺の騎士道だ」
「アイル痛いってば離してよ! こんなの処刑だから、処刑!」
あ?やってみろや。なんて凄みながら、そのまま姫を部屋の中へと連行してくアイルの行動はどうみたって謀反そのものである。しかし実際に役立たずといわれても否定できないルナとフォールハウトはその後に続いて部屋に入るしかなかった。




