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41話 “将軍”として


「がッ……」


 助けられたと頭の中で自覚するよりも先に、狼の巨大な尾に打たれて千聖(ちあき)は森に吹き飛んだ。

 狼はそのまま矢が飛んできた方向に向かって走っていく。

 すぐに、その従者の行動は故意によるものだとわかった。

 “お前にはやる事があんだろ”と、そう叱られてしまった。


 自分が今、命を懸けるのはたった一人にではない。

 国や王に、戦っている皆に、戦いの末死んでいった皆に、懸ける命だ。

 それを忘れてしまっては、将軍など名乗れはしない。


 吹き飛ばされながら千聖は、右手の拳を挙げる天離(あまり)を見た。

 きっと“こちらは大丈夫だ”と伝えたいのだろう。


 木にぶつかりながら体勢を立て直した直後、燃える大剣が回転しながら多くの木をなぎ倒し、此方に飛んでくる。千聖の少し上を通過し、真後ろの大木に突き刺さった。


「集中力がねぇと思ったらそーゆー事か……あの嬢ちゃんは誰だ? 」

「おれの妹です」

「ほー、えらく似てないんだな」


 話しながら、レグルスは武器をその手に戻す。


「……あの通り、敵にも甘くて」


 千聖は首を傾げて笑って見せた。

 敵に対しても甘く、すぐ同情してしまうなんて本当に困った奴だ。

 兵士として、なんて当たり前に失格である。

 だけど、その優しさが彼女らしさだ。

 千聖はそんな甘さも含めて、彼女のことを誇らしいと思っている。


 千聖の様子をみて通じるものがあったのか、レグルスはふと肩の力を抜いた。


「あぁ…分かるぞ。ウチのガキも優秀だが甘ちゃんでな……将来的には医療部隊を任せようと思ってるんだが、あいつなら死神(アンタら)すら助けようとしそうで困ってる」


 敵前とは思えないほど穏やかな表情をうかべるレグルスは、笑いに混ぜて深いため息をこぼす。その姿を見ても、意外とは思わなかった。

 

 千聖が将軍という立場になる前から、レグルスとはこれまでに幾度となく剣を交えてきた。

 その分、戦闘の合間に言葉を交わす機会も多かった。

 そんなとき彼は決まって「お前と同じくらいのガキがいてな」という切り口で、自分の娘の話を始めるのだ。

 幼い頃からすぐ泣く癖が治らない──だの、前回の戦から帰還した際は手料理を作って待っていた──だの、他愛もない親ばかな話から、こんなで立派な騎士になれるのか。といった心配まで、毎度毎度、戦場であうたびに聞かされている。

 そして最後にはこう付け加えられるのだ。

 

 ──そのうち戦場であうだろうから、よろしく頼むぞ。


 敵を相手になにを言っているんだか。

 最初はそう思い呆れていた千聖だったが、いつのまにか、苦笑いでハイと返事をするようになっていた。どんな心境の変化なのかと問われれば、繰り返し話を聞くうちに、その存在が身近に感じてしまったのだと思う。


「……ちゃんと、敵は殺せと教えてください。天使に助けられたんじゃ死神なんか名乗れません」

「あー、ごもっともだな」


 がはは、と盛大な笑い声。

 教育するつもりはないんだろうなと感じ取った千聖も、失笑する。

 多分、自分と同じなんだろう。

 そんな優しい彼女が、自慢なんだ。


 戦場でもしも味方が、自分が、敵に救われたなら。

 そんなことになったら将軍として自分はどうするだろうか。

 変わらず殺すのか、恩に思い借りを返そうとするのか。

 とにかく、困るだろうな。


「さてと、龍崇(りゅうすい)──」


 レグルスの声音が変わり、呼びかけられた千聖の目付きも変わる。


「そろそろ決着、付けようじゃねえか」




 武器同士がぶつかり合う、金属音がこだまする。


 生い茂る木々。近くには池。

 計画性には欠けるが千聖には勝算があった。

 上手くやれば一瞬でかたがつく。

 ただ、自分の耐久力頼みの、大きな賭けだ。



 周りにある木々を利用し、千聖は目で追えない程のスピードで他方向からレグルスを攻めていた。

 ぶつかり合う炎と水。

 千聖が木を足場にするたびに、レグルスがその木を切り倒し、あっという間に場所が拓ける。

 弓使いのアランから身を隠すため入った森だったが、今度のこれは作戦通りだ。

 はたから見れば、スピードについてこられないレグルスの劣勢。千聖もレグルスもずぶぬれで、フランベルジュに纏わりついていた炎も、今は消えている。

 だが実際のところこちらの体力は既に限界だった。

 これ以上は続けられない、と千聖自身が感じ始めている。


 優秀な部下ならきっと、(みん)に追われながらも狙っているはずだ。敵将の動きが止まる瞬間を。周囲の木々が薙ぎ倒された今、確実に仕留められる瞬間を待っているはずだ。


 レグルスが池の前に来た時、千聖は大胆にも真正面から突っ込んで動きを止める。

 すぐに、お互いに力任せに武器を押し付けあっての競り合いが始まった。


「大分疲れていそうだな」


 レグルスは、肩で息をする千聖を視界にとらえ、その後ろに“勝利”を見たのか、ニカッと笑った。

 その一瞬の視線を見逃さない。


 ──来る。


 全神経を耳に集中させる。

 かすかに聞こえた、甲高い弦音(つるね)


 レグルスの視線から、アランの位置は上。場所は、荒野を挟んだ反対側の森。ここから400mほど離れている場所だ。そこから考えると矢は放物線を描いてこちらに落下してくる。

 位置は背後……胸から上くらいだろうか。後は、視覚に頼るしかない。

 どのような弓を使っていたかはよく覚えていなかったから正確ではないものの、先ほど矢を放たれた時のスピードや今の風向きから考えて、だいたい秒速80m程と仮定すれば──

 3秒……2秒……

 レグルスが、競り合っていた力を緩め、感電を恐れてのことだろう、フランベルジュから手を離した。


 ここだ。


 千聖は武器を捨て、身体を右に回転させて後ろを向く。眉間あたりを貫かんと電撃を纏って降ってくる矢を左手──素手でつかみ取った。


「ぅッ」


 激痛が全身を走り抜けるなか、上手く動かない右手をレグルスに伸ばす。

 目の前の光景に目を見開く彼は、確信した勝利の油断から動けずにいる。


 掴んだ服の裾。

 服は、水を十分に吸っている。

 電気は千聖からレグルスに流れた。

 そのまま電流が逃げ切る前に、もつれるようにして2人は池に飛び込んだ。

 全ては、面白いほどに上手くいった。


 ──取った。

 電流の流れる池の中、

 千聖は気を失って水中を漂うレグルスを見た。

 こうして意識を失っている天使とは違い、死神の自分にとってこの程度の電流は単なる痛みでしかない。

 死神の耐久力様々だな、とあらためて実感する。


 浮力に従い、ゆっくりと水面に上がっていく目の前の敵将に近づいた。

 レグルスはいい奴だ。

 

 自分と彼には親子ほどの年の差がある。

 現に彼には、自分と同じくらいの年の娘がいる。

 それこそ毎度、まるで自分の息子であるかのように接してくるが、かといって相手に対する敬意を忘れることはない男だ。それでいて強くて、騎士たちからの信頼も厚い。

 敵に変わりはないが、そんなレグルスに憧れに近い思いを抱いていた。


 正直言って殺したくはない存在だった。

 今度こそ討ち取ってやるぞと意気込んでみても、結局直接会って会話してしまえば、討ち取るという気持ちは薄れてしまう。今回だってそうだ。

 

 甘い考えかもしれないが、レグルスが参ったといってくれれば、何も討ち取る必要はないだろう。そう思った千聖は、レグルスの身体に向かって腕を伸ばす。




「はぁっ……」


 千聖は水面から顔を出した。

 その腕に抱えるのはレグルス。

 今まで決定的な勝敗というのが付いたことはなかった。

 だが今回は、誰がどう見たって帝国(ちあき)の勝利だろう。

 目を覚ましたレグルスが負けを認めれば、この戦いも終わり。

 彼ならきっと、素直に負けを認めるはずだ。


 とはいえ、上手く動かせない身体でこの大男を運びながら泳ぐのはなかなか大変だ、と思い、千聖はふと空を見上げる。

 何もないと思って何気なく見上げた空、そこに──


「え……?」


 誰を狙ったでもなく空に放たれた一本の矢。池に向かって降ってくる。

 先程掴み取ったものよりも遥かに強い電流を帯びているのは見ればすぐにわかった。


 まずい。


 陸地まではまだ遠く、急ごうにも体はうまく動かない。

 このままあの矢がこの池に入れば、先程以上に強い電流を受けることになる。

 自分の身を守るためにレグルスを手放して泳げば逃れられるだろう。

 だけど、手放したくはない。

 

 電流や熱に強い死神と違い、耐性のない天使があの矢に纏う電流を受けたら間違いなく命を落とすだろう。いや、死神である自分だって、どうなるかわからない。


 何故だ。

 団長もろとも敵将を討とうとしている?

 それともレグルスが討たれたと思ったアランが、(かたき)を討とうと放ったのだろうか?


 千聖は右手を空に向かって(かざ)し、矢が通過するであろう位置に防御魔法(プロテクト)を展開する。

 半ば無意識の行動だった。

 威力が一転集中している矢に対し、憶測で広範囲に展開した薄い壁なんて役に立たないだろう。

 そんなことは考えなくてもわかるが、かといって瞬時に、ピンポイントで厚い壁を展開する防御魔法のセンスは持ち合わせていない。

 それでも、千聖は反射的に雷の矢を食い止めようと壁を展開させずにはいられなかった。

 自分の身の安全のためなんかじゃない。

 レグルスを死なせたくない、その一心だった。

 

 しかしそんな思いも虚しく、あっさり光の壁は突き破られ、それは水面に触れる。


 瞬間、千聖の身体中に衝撃が走った。


 そして、脳がそれを痛みと知覚する前に、千聖の意識は沈んでいった。



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