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37話 得る機会と失う機会


 見上げれば、夜空には満月が浮かぶ。

 “下界”と呼ばれる死神の帝国ヘルヘイム、その中央に位置する帝都一帯には、日が昇ることはない。

 その為、見上げた先にあるのは何時でも夜空なのだが、それでも朝や夜など時間の概念はあるし、季節によって気温の変化もある。真夏の夜が寝苦しいのはどこの世界も同じだ。


 王室のバルコニーで、寝付けない王とそれに付き合わされた将軍は夜風に当たりながら盃を交わしていた。

 

「ルナはもう発ったのか」

「夕方頃にね。(みん)が送って行ったよ」


 天界から光の王の使者としてやって来たルナは約一週間この地に滞在し、その間、千聖(ちあき)と眠も魔界には帰らず、護衛と観光を兼ねて彼女と共に過ごしていた。

 魔法を多用しない文化や、天界とは違う味付けの料理一つ一つに興奮するルナの姿に、何故か千聖達まで、日頃親しんでいる生活が新鮮なもののように感じた。

 メモまで取り始めた姿には流石に失笑したが。

 

 そうしてルナと過ごすうちに、天界と下界が一つになる平和な未来も、それはそれでいいかもしれないと思えてくる。

 もともと千聖も眠も、世界の未来には毛ほども興味がなかった。

 忠誠を誓った王が目指しているのは、革命軍の鎮圧、下界統一の達成と、帝国を守り、繁栄させること。

 天界云々はその後だと言ってはいたが、おそらく公にはしていないものの、両世界の統合までいかなくとも共存を視野に入れていたのだろう。事実、王が恐夜に変わってからというもの、天使と死神が直接衝突する機会は、目に見えるほどに減ってきている。


 千聖とルナが出会ったヘーリオスでの共闘作戦も、そもそもの目的は領土を広げて脅威を拡大せんとする革命軍を潰す為であり、天界の土地などさらさら興味もなかった。

 現に、ヘーリオスの土地については復興の手伝いこそしたものの、依然天界の領地であることに変わりはないし、帝国から何かしらの権利を主張することも一切していない。

 帝国側でもあの共闘については大きな話題として取り上げられたが、否定的な意見はそこまで上がらなかった。


 ただ、大昔からの確執もあるし、天界に対して個々の考え方もある。

 共闘自体を否定しないにしろ、天界や天使の存在を生理的に受け付けないと思っている死神が依然多いのも事実で、それに関しては王も認知していた。

 かといってそこの認識を正そうとする訳でもない。


 千聖は、何故天界と下界が(いにしえ)より争っているのか理由が全くわからなかった。

 単純に領土を増やしたいという欲が始まりだったとは到底思えないが、かといってそれ以外の理由はてんで見当がつかない。

 多分、今となっては誰も知らないのだろう。

 それでも理由を知りたいなどと思ったことはなかったし、今の今まで気にしたこともなかった。

 確実に言える事は、自分が従うと決めた王──恐夜(きょうや)には何かが視えているという事。

 そして、自分にはわかららないという事は、それを知る必要がないという事だ。


「話がまとまったらおれも天界に行って挨拶してこないとなぁー」


 空のグラスに残った氷を転がしながら、独り言のようにぼやいた。

 穏やかな風の音、城の何処かの部屋から聞こえる誰かの話し声や笑い声。

 それらがどこか遠くから聞こえてくる。

 そして近くで聞こえる、カランカランと氷がグラスの中でぶつかりあって奏でる澄んだ音。

 同じ世界の音なのにそれぞれ違う世界から聞こえる音のようだと、千聖は耳を澄ませていた。

 

「……引きずるなよ、千聖」


 聞こえた、自分の名前を呼ぶ王の声。


「……恐夜?」


 王が自分を名前で呼ぶ事は珍しい。

 聞きなれた声の、聞きなれない言葉に戸惑いを隠そうともせず、王の表情をうかがった。

 彼の視線はグラスに注がれた液体を見たままだ。


「別に引き摺ってなんか──」

「いや、お前は背負いきれてない」


 なんの話をしているのかは、すぐにわかった。


「婚姻の承諾、天離あまりの一件があったからだろう」


 ――アマリ。

 まさか、恐夜の口からその名前が出るとは思わず、千聖は失笑した。

 関係がないといえば、嘘になる。

 だけどそればかりが理由かと言えば、そんな事はない。


「いや、あの時おれは……」


 守りたいものが多いというのは幸せな事なんだよ、という人もいる。

 でも、そうではないと知った。

 大事なものが増えた分、失う機会も増える。

 幸せと辛いはその字の通り紙一重だ。


**************


「……?」


 さっきまで一定の速度で走り続けていた狼が、突然足を止めた。

 城で見上げた空よりは明るみを増している為、帝都からは結構離れた場所まで来たみたいだが、それでも王都アスガルドまでの道のりはまだまだ遠い。


「どうかしましたか?」


 ぴょんっと、背中から降りるとそれを待っていたかの様に、狼は青年へと姿を変えた。


「雨の匂いがする」

「あめのにおい?」


 一瞬何のことかわからなかったが、よく考えなくても、彼が狼のそれと同じ嗅覚や聴覚を持っているなら、これから降る雨を感じるのも不思議ではない事に気づく。


「この辺りに帝国が所有する小屋がある。雨が過ぎるまで休んだ方が良さそうだ。手紙、濡れたら困るだろ?」


 話しながら山道から外れた林の中へ入っていく眠。

 足場の悪い道なき道を必死についていけば、“掘っ立て小屋”なんて言い方がしっくりきそうな小屋がすぐに視界に入ってきた。




「ほ、本当に降ってきました……雨」


 窓から見える空も陰り、二人が小屋に入ってから間もなく、大粒の雨が降ってきた。小屋の屋根を打つ雨音は強い。外から見ればボロボロだったが、雨と風をしのぐには十分らしい。


「何驚いてるんだよ、ほら毛布! 仮眠取っとけよ、この前よりも先は長いぞ」

 

 どこから引っ張り出してきたのか、眠は大きめの毛布を投げ渡してきた。

 ごわごわしていて決してさわり心地がいいものではないが、固く埃っぽい床の上に敷いて仮眠をとる分には申し分ないだろう。


「オレは起きてるから、爆睡してもいいぜー」

「それは出来ません! 走っていただくのは眠さんなので……むしろ眠さんが寝てください! ボクが起きてます!」


 窓の外を眺めている眠に対して、慌てたように先程受け取った毛布を突き返すルナ。胸に毛布を押し付けられながら眠は、予想していなかったが彼女らしいその行動に、思わず息を漏らして笑ってしまった。

 押し付けられた毛布を、そのままルナに押し返す。


「いいって。こーゆーの慣れてるから」

「いいえ! せめて座っていて下さい。見張っていなくても大丈夫です、いざとなったらボクも闘えますから!」


 そんなことを言いながらルナは、一旦毛布を受け取り床に敷いた。

 そしてポンポンと毛布を軽くたたいてここに座れとでも言いたげなアピールをし、続けてキリっとした表情でシャドーボクシングのような動きをとってみせた。

 闘えるぞ、という主張ととれるが、眠からしてみればその動きはとんでもなく弱そうだ。

 とはいえこの様子から意見を曲げる気配もなかったので、今回は自分が折れる事にし眠はルナが敷いてくれた毛布の上に腰掛ける。


「こーゆーの慣れてるって大変ですね。頻繁なんですか?」

「それ程頻繁ではねーけど……そもそもオレら普段は魔界で学生やってんだ。まぁこの時期はあっちじゃ夏休みっつー長期休暇に入るから、こっちにいることも多くなりそうだけどな」

「魔界で学生……!?」

「そ。だからオレも千聖も魔法が使えるって事」


 魔界というのは天界とも下界とも全く関係のない、いわば人間のいる、昼と夜が交互に訪れる世界のことだ。そこにいる人間やエルフはみな日常的に魔法を使う為魔界と言われている。

 魔法の進歩もさることながら、天界や下界とはまた別の科学技術の発展も目まぐるしい。

 魔界で生活している時間が長い眠や千聖にとって、あの世界ではみんなが持っているガラケーやスマートフォンという通信機器が、こちらの世界では天界下界共に普及しておらず、全く使えないのが不便で仕方がなかった。


「あっちの世界はこっちよか便利だし、食べ物は豊富だし、それなりに平和だし楽なんだよなー」

「そのお気持ちとてもよくわかります! ボクも魔界にいることがありますので! こちら程戦いもなくて平和で──……」


 自分で発した“平和”という言葉に、はたと思い出したのは千聖が医務室で聞かせてくれた“悪魔みたいな天使”の話だ。

 詳細を聞かされてはいなかったが、語る彼の表情はその内容にそぐわないほど穏やかだったのが、ひどくルナの心に引っかかっていた。


「……あの、そういえば少し、千聖くんの事で気になっていた事があって……」

「おぅ」

「千聖くんって、天使との争いで何かあったのでしょうか……こんな事ボクが知って何になるってわけではないんですが」


 聞いておきながら、さすがに首を突っ込み過ぎかと反省する。


「あー……」


 少し笑いながら、何かを知っていそうな風に眠は頭を掻いた。

 話すかどうか、迷っているらしい。


「まぁこっちじゃ皆知ってる話だし、別に言ってもいいか……」


 そして眠は、土砂降りの中で、数年前彼の身に起きた出来事を聞かせてくれた。


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