35話 綺麗な羽根
「お、おはようございます!」
「おはよー、よく寝れた?」
時刻は午前7時。
ルナは帝国軍将軍の部屋で、将軍本人に向かって敬礼をしていた。
帝国で迎える朝はこれで2回目だ。
和平の交渉が成立したとはいえなんの契りも交わしていない上に公にすらなっていないわけで。
まだ敵国に変わりないが宿と食事を世話になっている以上、朝の挨拶は欠かせない。
「あ、はい! でもやっぱり朝でも暗いままなのは不便というか、びっくりというか」
「おれらからしてみればずーと明るいアスガルドの方が不便だよ、眠れないじゃん」
下界ヘルヘイムには日が登らず、朝も夜もずっと真っ暗なままだ。
逆に天界であるアスガルドは昼夜関係なく光で満たされており、その陽は沈む事を知らない。
日は出ず、太陽の光がないこの下界では、夜光石と呼ばれる自ら発光する石が様々な形で太陽の代わりをしていた。
「おれご飯まだだから食べに出ようと思うんだけど、もしよかったら付き合って」
「は、はい! ご一緒させて頂きます」
机の上に置かれた書類を軽く揃えて立ち上がった将軍は、近くの壁に掛けてあった軍服の上着に手を掛ける。
軽く上着を羽織ってから、近くの鏡に姿を映してネクタイの結び目をいじるその背中に、ルナはもう一度敬礼をした。
こうしてネクタイを正す仕草や、机に置いた財布をお尻のポケットに入れる様子に、やることは天使も死神も変わらないんだと思わず口元が緩む。
準備が整ったらしく、よしと言って振り返った将軍が、ルナに笑顔を返したかと思えば──
「起きろッ、いつまで寝てんだ!」
ドンッと派手な音を立てて、事務室内にあるドアを蹴り開けた。
呆然とその光景を眺めるルナの耳に、くぐもった唸り声が届く。
「いつまでって、まだ朝じゃん……」
もごもごと辛うじて聞き取れるその声には聞き覚えがあった。
「そもそも人の部屋で勝手に寝るなよ。お前がおれのベッドで寝るからこっちはソファーで寝てるんだよ! あーっ体痛ぇー! 」
蹴り開かれたドアに向かって将軍が叫べば、中からもぞもぞと動く音がする。
どうやら事務室に備え付けられたドアは将軍の自室へと繋がっているらしく、会話の流れから今日は従者である狼男がその部屋を占拠しているようだ。
その証拠に、事務室に置かれた応接用のソファーの上には毛布とクッションが置かれている。
「あー? で、今日何かあんだっけー?」
「おぉぉぉぉい!!」
「あっ……」
ダルそうな声とともに、ボサボサの頭を掻きながら従者が姿を表したその直後。
将軍の悲鳴が聞こえたのと、ルナの視界が急に暗くなったのはほぼ同時であった。
眠の姿が見えた瞬間に視界が暗くなったというよりは、何者かの手によって視界が塞がれていた。
「ふざけんな……ルナさん居るんだぞ。何で全裸なんだよパンツ履けよほんと」
呆れ返った声が耳元で聞こえる。
会話の内容から何となく、状況が把握出来てきた。つまり、全裸で登場してきた従者に気付いて、将軍が咄嗟にルナの視界をふさいだと。それにしてもやっぱりここまで俊敏に動ける将軍の反射神経はすごいなと、ルナはそこに感心をしていた。
「って待てよ、てことはおれのベッドに全裸で寝てたってこと? ……最悪すぎるだろ」
一旦は感心したルナだが、その思考は一周回って停止する。よく考えても、え、全裸?
「はえぇぇぇええぇぇッ」
将軍は変な悲鳴をあげて崩れ落ちそうになるルナを何とか左手で支えながらも、右手ではしっかり視界をホールドし続ける。そしてルナの悲鳴を聞いてやっと、全裸の狼男は覚醒した。
「……な……うわッわっわ! わッマジで!」
慌ててドアの奥へと身を隠し顔だけひょこっとのぞかせるその額からは、だらだらと分かりやすい程冷や汗が流れて落ちる。
「悪ぃ寝ぼけてた……ルナ、居たの?」
「おれはお前を許さない」
「悪かったって……」
ははははーと渇いた笑い声を出しながら、おずおずとドアの向こうに引っ込んで行く。
「暑くて脱いじまったみてーだ」とか何とかぶつぶつと聞こえてくるのをシカトして、将軍はルナから手を離した。
「……申し訳ない」
「あ……いえ……そ、その……」
顔を真っ赤にして俯き、スカートの裾をぎゅっと握るルナの姿に、将軍は困ったように笑う。
そのウブさちょっと可愛いな、なんて思ってしまった。
「アイツの準備が出来るまで城内でも散歩しますか、ルナさん」
とりあえず連れ出そうと思いつきでした提案に、はっと顔を上げるルナのキラキラした青い瞳がこちらに向けられる。
大きく頷く彼女の動きに合わせて 若葉色の髪の毛がふわりと揺れ、心なしか甘い香りが漂ってくる。
「行きますっ! 」
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黒が基調とされているこの城内で、"白"である事は良くも悪くも非常に目立つ。
おまけに将軍の横に並んで歩けばなおのこと、すれ違う者の視線がこちらに向けられた。
その視線の一つ一つが気になって仕方がない。
下を向いて歩きたいが、先ほど視線を床に落とした際、ピカピカに磨かれた黒い床に反射した自分の姿を見つけてしまった。
服のシワや表情が映りこむほど鮮明ではないが、床の素材は鏡ではないかと一度錯覚するくらいにハッキリと白い光を反射していた。
自分がこの場所にとってどれだけ異質な存在であるかを、磨かれた床に思い知らされたのだ。
「あの、龍崇将軍」
歩く将軍様はそんな視線など全く気にならないらしく、かわらず爽やかな笑顔を返してくれる。
「今はどこに向かっているのでしょうか? 」
城内を散歩しようとの提案だったが、彼の足取りに迷いはなかった。
もしかすると最初から行き先を決めていたのかなと疑問になり、なんとなく聞けば彼はピタリと足を止めた。
不思議に思いつつルナも習って足を止め、ふと視線を前に向ければ、真っ直ぐ行った突きあたりに大きめのドアがある。
「ここ、ですか? 」
ただ頷いて、ドアの取っ手に手を掛ける。
「医務室、まだ霊夢に会ってないよね? 」
「レム……? 」
"レム"の言葉に、口元に手を当てて首をかしげる。確かに、その響きには覚えがあった。
会う、ということは人物名のようだが……
「……あ! 」
記憶を遡ろうとして不意に、思い出す。
そういえばあの日、助けた死神はレムと呼ばれていた気がする。
「会ってない! 会いたいです! 」
その言葉に、嬉しそうにもう一度頷いた将軍はドアを引いた。
風に乗って、薬品の匂いが香ってくる。
視界に飛び込んできたのは、広く大きな空間に等間隔で並べられたベッドと、同じく等間隔に並べられたカーテンがその一つ一つを個別の空間として仕切っている光景だった。
見上げれば、高い位置にある天井は全体が夜光石で作られているのか、この空間全体がとても明るい。
「霊夢はこっちだよ」
奥へと進む将軍の後を追いながらルナは室内を見回す。
結構な数のベッドが置いてあるがその殆どが使われているようだった。
カーテンで仕切られてはいるが通路からはベッドがよく見えるようになっている為、患者にとってのプライバシーはほぼないらしい。
それによく見れば男女構わず寝かされている。
帝国の人からすれば性別なんて分けるほどではないのかもしれないが、自分が患者だったら、治療される身とはいえちょっと嫌だな。なんて思ったルナはふとあることに気がついた。
ベッドが殆ど埋まっている程患者がいるはずなのに、この空間はとても静かで、ルナの位置から確認できる全員が、規則正しい呼吸をしながら眠っているように見える。
「患者さん、みんな寝てるんですか?」
「うん。おれらって殆ど治癒魔法──どころか、魔法自体うまく使えないし、ソッコー治せる医療技術もないから強制的に寝かせてるって感じかな……」
そうでもしないと動き回って悪化させる馬鹿ばっかだからねーと言いながら将軍は、他の患者たちと同じく寝息を立てて眠る一人の少女の前で足を止める。
その姿には、確かに見覚えがあった。
深い眠りについているのをいい事に、ルナはまじまじと少女の顔を見つめる。
白い肌に長い睫毛。先端にいくにつれ赤みがかった茶色の長髪は、今は解かれた状態でベッドに散らされているが、あの日はツインテールだった記憶がある。
「お人形みたいですね……」
「可愛いけどね、ちょっと変わってる」
本当に可愛らしい女の子だ。
将軍は霊夢の顔にかかる髪をそっと払い、布団から出されている手に触れる。
初めにこちらをかばってくれたのは帝国側であったとはいえ、こちらがその敵を救った事について賛否両論色々言われた。しかし今、将軍のとても優しい表情を目の前にして、この少女を助けることができて本当によかったと、ルナは心からそう思えた。
将軍が握る霊夢の手に、自らの右手を重ねて目を瞑る。
触れた二人の手から温もりが伝わってくる。種族が異なっていても、争い合っていても、その心と身体に宿る暖かさはみんな同じだ。
当たり前のことだけど、その当たり前をお互いに知ることができれば、争いをなくす事はきっとそう難しい事ではないのだろうとルナは思う。
「早く良くなりますように」
魔法の代わりにそんな言葉を掛けて、ふと瞼を開けてみれば、隣から物凄く強い視線を感じる。
恐る恐る顔を向けてみれば、案の定こちらをガン見する将軍と視線がかち合った。
ただ、その表情はどこか呆気に取られているようだ。
「……ど、どうかされましたか? 」
もしかすると念を込めた言葉は不味かったかと心配になったルナは、そろそろと手を引っ込める。
こちらの世界に、自分の知らないジンクスがあるのかもしれない。
例えば、眠る患者に言葉を掛けてはいけない、とか。
「いや、綺麗だなーて、思って……」
変らず呆気にとられたような顔で、返ってきたのはそんな予想外の言葉。
「きれい……? 」
"綺麗"の視線の先が何処なのか辿ろうとして、振り返るが、そこにあるのは他と変わらぬ白のカーテン。
もう一度彼に向き直った時、それが自分の背中に生えた羽根に向けられていることに気付く。
その瞬間に、言葉の意味を理解してルナの心臓は跳ね上がった。
「えっ……ぁ、あ……の……」
自分の羽根が綺麗と言われた。
そんな事を言われるのは初めてだった。
それも、敵対していた国の将軍に言われるなんて。
「て、天使の羽根なんてみんな一緒です」
恥ずかしくなり俯きながら、とりあえず否定してみるルナの姿に将軍は「そんなことないんだけどな」と辛うじて聞き取れるくらいの声でつぶやき、その視線を羽根から眠る少女へと戻した。
「昔戦場でさ、悪魔みたいな天使に会ったんだ」
まるで独り言のように、静かに話し始める将軍にただならぬ雰囲気を感じてルナは顔をあげた。
つられて視線を霊夢に向けながら、彼の言葉を待つ。
「人の良心を利用して、面白がって陥れるような、本当に最悪な奴だった」
何かを哀しみ懐かしむように、記憶を辿るように、将軍は言葉を紡ぐ。
「戦争なんだからどんな手使ったって仕方ないかもしれない。だけどそいつは勝つためなんかじゃない、優しい人を騙して、いたずらに殺して……単純にただ面白がってた」
語る声に、感情の温度は感じない。
ふと見つめた将軍の表情は、優しいままだ。
「そんな奴を目の当たりにしておれは、天使って生き物を本気で恨んだ。もちろんおれ達だって人のことなんていえないけど、良心につけ込んで騙すような事はしない」
それが怒りや軽蔑を超越したものだと、ルナは気がつく。
気付いても、彼に掛けるのに適した言葉が見当たらない。
「真っ白な羽根も、金色に輝く環も。見た目ばっかり美しい天使がマジで嫌いだった」
霊夢から手を離し、不意に身を屈める彼の動きを視線で追う。
ルナの足元に伸ばされたその手が掴んだのは、いつの間にかルナの背から抜け落ちた一枚の羽根だった。
思わず、息を飲む。
「それなのに変な話だけどさ……おれ貴女の羽根は最初から綺麗だって思ってた」
「……えっ」
何処か諦めたように微笑みながら、彼は手にした羽根を優しく霊夢の胸に乗せて、隣の天使に体を向けた。
「霊夢の事、本当にありがとうね。おれ達じゃ何もできずに死なせてた」
にっこりと微笑みかけられる。
将軍から送られる言葉に不意を突かれてばかりでまともな言葉が出てこない。
この人も、アスガルドの王と同じだ。
自分の感情を真っ直ぐに言葉にする。
「帝国の奴らは、貰った恩は絶対に忘れない。もしもこの先、この件の事で……いや、そうじゃなくても貴女の身に何かあったら、必ず──」
「おぉーいたいた! 待たせたなーっ! 」
将軍が一番大事な何かを伝えようとしたちょうどその時、自分達以外に音源はないと思える程静かなこの空間で突如響いた大きな声に、全てを持っていかれた。
「待たせたなーじゃないよ露出狂」
今までの静けさを全く無視して、先ほどまでは全裸だった従者が、今度は服をまとった姿で駆け寄ってくる。
静かな場所では静かにしよう、などという考えは無いらしい。
将軍は分かりやすく“やれやれ”と顔に出している。
「凄いですね! どうして場所が……?」
「狼の嗅覚舐めるなよ!」
えっへんとでも言いたげに、誇らしそうに胸を張る彼の尻尾がパタパタと揺れているのは、褒められて喜んでいるからだろう。
先ほどはボサボサだった琥珀色の髪が、今はキッチリセットされているのを見つけて、ふと元気な尻尾のふかふかな毛と見比べてしまう。
狼の身だしなみはよくわからないが、尻尾は頭のようにカッコつけたセットをしないものなのかと、どうしようもなくくだらない質問が頭をよぎるが、聞かないことにする。
「しゃーっ! 行くぞ」
一人で楽しそうに出口へと向かう眠の後ろを、将軍が追う。
そんな仲のよさをうかがえる光景を見て、思わず口元を緩ませながらルナもその後を追った。




