28話 報告書
あの戦で起きた出来事は全て、騎士団長を伝い、光の国アスガルドの王──世界から”神”と呼ばれる存在にまで報告が上がったそうだ。
あれから暫く日付は経ったが、ルナは少しでも手が空けば、当時の事を思い返していた。
騎士たちの運命を背負わされ、心が折れかけていた自分に手を差し出してくれた帝国将軍。彼の手の温かさや言葉の優しさは、これまで何百年と敵対し殺し合ってきた相手のものとは思えなかった。最後には涙さえもぬぐってくれた。
だからこそ逆に、今、また敵対関係に戻ってしまったことも信じられずにいる。
あれだけ信頼関係を結ぶことができたというのに、「共闘作戦が終わった」というそれだけの理由で、また殺し合う関係に戻ってしまったというのか。
そうは、思いたくない。
──男として貴女をエスコートしたいんだけど。つまり、おれとデートしない?
──遊びにおいで。許されなくても、待ってるから。
回想の途中でふと思い出した彼のとんでも発言に、ルナは一人で頬を赤くする。
一体どういうつもりで言ったのかもわからない。いや十中八九社交辞令、リップサービスだろう。男性からそんな言葉を贈られたことがなかったから、あの類の社交辞令には何の耐性もなかった。真に受けるなんてどうかしてる。
持っても意味のない期待を振り払うかのように、ルナはぶんぶんと頭を振って、一人、高い空を見上げた。白く光る太陽とどこまでも広がる蒼の眩しさに思わず目を細める。
ちらほらと雲は浮かんでいるが、今日は快晴だ。
ふぅと息を吐きながら、ルナは白いレンガで作られた城壁にその背を預ける。
今日の担当は城壁周辺の警護。帝国でいうところの革命軍のような、反政府組織がない王国にとっては半日を城壁とともに過ごすだけの簡単な仕事だ。
別に舐めて掛かっているわけじゃない。ただ、やることが“考え事”以外にないため、こうしてずーっとあの日の出来事を思い返してしまう。
とはいえいくら反芻したところで、時がたてばたつほどに、記憶はその鮮明さを欠いていく。不確かになりつつある記憶を埋めるかのように、次第にルナは彼の事をもっと知りたいと強く思うようになっていた。
もともと立場上、ある程度彼に関する知識はあったものの、天界にある限りの資料から、彼がどんな人物なのか調べたりもした。
年齢は自分よりも一つ上。
死神の住まう下界では“死神の象徴”とされ崇められているほどの名家、“龍崇” 家の息子。
正真正銘の直系なのだが、彼の父親が何やら破門されているようで、本家の長男であるにもかかわらず龍崇一族のなかでは同一族として扱われてはいないらしい。
今は下界の帝都、ヘルヘイムの王である恐夜に腹心として支えながら帝国軍の指揮権を握っている。
彼が敵軍の長である事に変わりはない。
味方の命を容赦なく奪ってきた事も、決して許せることではない。
わかってはいるが、今はもう、以前のように憎悪の目を向けることが出来なくなっているのも事実だ。
敵味方に関わらず容赦なく切り捨てるような極悪非道な連中だと勝手に考えていたが、実際そうではなかった。
ルナと同じく仲間の死を悼み、救われたと感じたなら、敵であろうと感謝の言葉すら口にする。ひとたび手を組めば、騎士たちを仲間として認め、この身を案じ助けてくれた。
話せばわかるような人たちだ。
そう思えた瞬間から徐々に、闘う意味を見いだせなくなった。
敵対関係にもどった今、話し合えないのか。これから先も共存する術はないのだろうか。
もう一度、ルナは空を見上げた。
彼は、千聖は、今何を思っているのだろう。
*********
城壁周辺の警護を終えたルナは、城内にある騎士団の事務室で、例の共同作戦に関する報告書に目を通していた。
もちろんルナ自身も戦場から帰還してすぐ、報告書にまとめ団長に渡しているが、今手にしているのはあの時共闘作戦に関わった騎士たちの報告だ。
「いきなり登場して共闘を持ち掛けた挙句、何の報酬も求めてこない。そのうえ後日参加した騎士にまで金配るって……考えらんねーな」
「うわぁっ」
眺めていた紙が突如として上から伸びてきた手にヒョイと持っていかれ、思わずルナは小さな悲鳴をあげて振り返る。
「こんな事されちゃあやり難いわなー俺らもさ」
どかっとルナのデスクに腰を落とした少年は、パッと報告書から手を離す。
ばさっと雑な音を立ててデスクに散らばる報告書を、あぁぁっなんて声をあげながら、ルナは慌てて拾い上げた。
「ちょっとアイル? 邪魔するなら帰って! 」
「邪魔? いやいやいや、ここんところコレ眺めてるか将軍の事調べるかしかしてねーじゃんお前」
にやりと嫌味な笑顔を浮かべたアイルという名の幼馴染は、“コレ”と言ってもう一度ルナの手から報告書を奪い去る。
両手は空になってしまったうえ、容赦のない指摘になんだか恥ずかしくなった。
断じて業務をサボっていたわけではないが、これも仕事の一環、なんて自分自身に言い訳をしながら将軍について調べたり報告書を何度も読み返したりしていたこともあったから、後ろめたさがない事もない。
「だって、こんな事~……」
ゔー と唸りながら真っ当な言い訳も出来ずにルナはデスクに突っ伏した。
「それにしても敵将に助けを求めちゃうなんてな~。ま、お前ならいつかやると思ってたけど、甘ぇなーほんっと」
「はいはい、どうせ考え方も何もかも甘いですよ……好きに言ってよもう」
むー、と頬を膨らませながらふてくされてはいるが、言われなくとも認識も覚悟も甘い事ぐらいわかってる。というか、今回の件に関しては英断だと称賛される声こそ多いものの、陰ではルナの考え方が甘いと散々言われてもいたから、嫌でも自覚させられていた。
「なぁ、将軍と接触してどう思った」
「へ……? 」
「俺は直接会ったことなんて無いし、そもそも接点持ったやつなんていままで誰もいねーだろ? だから、正直この共闘も王国を油断させるための罠なんじゃねーの? て考えてる」
急に声のトーンを変え、真剣な様子で話し始めるアイルに、少々困惑しながらもルナは真剣に返答しようと起き上がって姿勢を正した。
「罠なんかじゃないよ……きっと裏なんてない。全部本気でボクたちと向き合ってくれてたって、感じた」
思い起こされるのは、あの日騎士たちにしてくれた演説。騎士たちを生かして帰すための作戦。彼の態度や言葉には少しの裏もないように感じた。
そして最後に、なんの躊躇いもなくルナに向けられた土下座。
もうこの数日で何度再生されたかもわからない記憶。
「ふーん。で? 惚れたわけ? 」
「ちがっ! そんな訳……」
急にまた意地の悪い笑みを浮かべはじめたアイルに、悔しいがルナの顔は自分で自覚出来る程に赤くなる。
断じてそのようなことはないが、でもその反面、気になっているのは確かだから否定しきれない部分もあった。
「そうじゃねーならあんなに調べたりなんかしないだろーが、ストーカみたいに」
「ス、ストーカーって……ただどんな方なのかなって、そう思って……」
両手を熱くなった頬に当ててそれ以上何も言わなくなるルナに、アイルがわざとらしく深い溜息をついたその時。
「なんだ二人とも、サボりかい? 」
「団長ッ! 」
「なんだよアニキかよ」
予期しなかった人物の登場にルナはガタガタと慌ただしく立ち上がるが、反対にアイルはデスクに座ったまま更に姿勢を崩した。団長の視線は、正反対のリアクションをキメる二人の間に置かれた、件の報告書にたどり着く。
「ルナ、その件で王が呼んでるよ。直接話しをしたいそうだ」
「王って、アスガルド王ですか!? 」
「この国の王って二人以上居たか? 」
「そうそう、アスガルド王だよ。それにしてもアイルはそうやってすぐに人を茶化すの、やめた方がいいね」
相変わらずの弟をたしなめながら、団長はデスク上の報告書に手を伸ばした。
「……除籍の勧告とか、でしょうか」
“王がこの件で話したい” どうやらルナはそれをマイナスな意味合いで捉えたらしく、しゅんと俯いてしまう。
「今回の件、色々意見はあるようだね」
団長にとってもこの報告書は、もう何度目を通したかわからないものだった。
内容すら暗記しかけているそれをもう一度眺めながら、気落ちしているルナに語りかける。
「確かにルナのとった行動は、賛否両論あっても仕方がないよ。でもね、国と仲間を想った結果の勇気ある選択だったって、俺は思ってる。俺の大事な部下たちを守ってくれてありがとう、ルナ」
「団長……! 」
「この思いはきっと王もおんなじさ。だからほら、早く行って来な。敵に助けを借りることなんかより王を待たせることの方が重罪だよ」
にっこり微笑みかけてやれば、半泣きだったルナの表情は一気に明るくなる。はい! と威勢良く敬礼したかと思えば、すぐに走り去って行った。
「ホント単純だよな」
残された兄弟は、顔を見合わせて苦笑いする。
「複雑よりはずっといいよ」




