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25話 従者との契約

 

 宴会会場でのお祭り騒ぎも落ち着き始めた頃。

 千聖(ちあき)は限界まで水を注いだコップを二つ、右手に抱えて基地の中庭に出ていた。


 この中庭はたいして手入れされていないらしく、地面のそこかしこから背の高い雑草が伸びている。

 所々に設置されている植込みも、よくわからない野生の草でいっぱいだ。

 少しの間革命軍に占領されていたとはいえ、さすがに短期間でこうはならないだろう。


 天界の各地方にはそれぞれ騎士団の拠点と、その地方に住まう貴族の城がある。

 各地方における政策面は貴族が担当し、貴族やその他重要人物の警護、帝国や革命軍との戦争の際はその地方の拠点に配属された騎士が対応している。

 騎士と貴族の間に上下関係はなく、お互いに協力し合ってはいるが、それぞれは完全に独立した組織だ。

 どうやらかなり昔は貴族がそれぞれ個別に騎士団を所有し全てを担っていたそうだが、長い歴史の中で紆余曲折あった結果、現代のスタイルに落ち着いたらしい。

 その紆余曲折に関しては、酔っぱらったフォールハウトという名の()()()()()が何度も何度も繰り返し千聖たちに言って聞かせたが、正直千聖と(みん)にとって敵国の歴史など最低限知ってればいいやー程度だったので適当に流していた。

 語られた内容は半分も思い出せないが、「もはや念仏みてーだな」と零した眠の愚痴に、だったらおれらの耳は馬の耳かな、なんて下らない事を考えていたのは鮮明に覚えている。


 でもってこのヘーリオス地方だが、この地に貴族はいない。

 貴族と騎士団の拠点は直接的に関係がないとはいえ、“貴族の訪問がない“ことが、拠点の中庭がここまで荒れ果てた原因の一端を担っている気もする。

 ちなみに、ヘーリオスに貴族が居ないことに関しては千聖も把握していた。

 結構前にヘーリオス辺境伯爵家の血脈が途絶え、それからこのヘーリオスに貴族はいないらしいのだ。

 敵国と隣接しているにも関わらず騎士しか配置されていないのは、おそらくこの地と隣にある帝国のヘルフィニス地方との間では、しばらく戦争が起こっていないからだろう。

 もしかしたら今のアスガルドには新たに爵位を与えるに足る者が居ない、という理由もあるのかもしれない。


 とはいえ敵国と隣接した土地で、この手の抜き様は理解できない。

 やっぱり何か怪しくないか?そんな疑問が、ずっと千聖の中でくすぶっている。


 口出ししてくる貴族がいないから、辺境伯領とはいえ戦争の起こる可能性が低いこの地に配属される騎士の質もどんどん落ちていき、その結果今回のようなことになった。

 そう考えるのが妥当かもしれないが、やはり納得はいっていない。

 ぶっちゃけ騎士団の事なんて知らないし、知る必要も、納得する必要もないとは思う。

 今は手を組んでいるが元は敵国の話だ。

 衰退するなら勝手にしてくれたって帝国としては何も困らない。

 だが誰かの思惑があってのことで、知らぬうちに巻き込まれてしまったのならば、果たして帝国は乗せられてしまったのか、はたまた邪魔をしたことになるのか、それくらいは知っておきたい。


 思い出して心の中でため息をついた千聖は、もう一度この小さな森となりつつある中庭を眺める。ツタが這う外壁に、自由に枝を伸ばす木たち。人工的に作られたこの建物の中庭は、もはや芸術的とみてもいいくらいに自然と混ざり合って、慣れてくれば神秘的にすら思えるほどだった。


「おー? 千聖、どうした」


 中庭内に反響する眠の声で、千聖の意識は現実に戻される。

 そういえば酔った騎士の為に水を運んでいたんだな、と右手で抱えた二つのコップの中で揺れる水を眺めて思い出した。

 中庭の隅っこにしゃがみ込んでいる眠の脇に、だらしなく伸びた二名の騎士がいる。

 一人は何度も何度も騎士団の歴史を語って聞かせてくれた意識の高い騎士、フォールハウト。そしてその隣で眠るのは、フォールハウトとは逆に騎士としての意識が低そうな歩兵部隊を率いていた騎士、ルークスだ。

 フォールハウトは具合が悪そうに唸っているが、ルークスは気持ちよさそうに寝ている。


「いやー、まさか二人がここまで弱いとは思ってなかったぜ……」

「お前が強すぎんの。同じペースで飲んでたらこうもなるよ」

「王子、起き上がれるか?」

「うぅ……」


 王子と呼ばれたフォールハウトが心底具合が悪そうに呻きながらも、ゆっくりと身を起こす。眠はそんな彼を支えて起き上がるのを手伝ってやった。


「眠、おれ左手使えないから……水とって、フォールハウトに飲ませてあげてよ」

「はいはい。ほら、水だ王子、飲めるか?」

「……ぅ」


 眠から手渡された水をゆっくりと口に入れていくフォールハウトの様子を眺めてから、千聖はいびきをかくルークスへと視線を向ける。こいつには……特に恨みなんてないが顔にかけてやろう。

 そんなことを考えたながら、コップに角度をつけていく。


「千聖」

「……むっ」


 静かに名前を呼ばれ、これからしようとしている行為を咎められると思い動きを止めた。

 眠の方に顔を向け様子をうかがうが、表情を見た感じ特にこちらの行動を止めよう等とそんなことは考えていないようだった。


「そろそろ、()()()()()()


 少しだけ言いにくそうに口にしたその要望。千聖はあぁ、と思い出した。

 確かに言われてみれば、最後に分けてから相当時間が経っている。

 先程、崩れ落ちる岩壁の前で彼を召喚し助けてもらったし、その前の戦闘でも結構活躍していたらしいから、力もそれなりに使ってしまったのだろう。

 よく見てみれば、眠の顔には疲労の色も伺える。


「いいよ、いいけど──」


 眠の近くに寄りながら、固定された己の左腕を眺める。


 獣人は主従契約を結んだ主人の身体の一部を己の中に取り込むことで覚醒し、本来の力を発揮する。

 身体の一部と言っても一般的には血液だ。

 その血液を取り込む際に噛みついて吸血するため、一部では吸血鬼と呼ばれることもある。しかしながらよく吸血鬼が登場する架空の話であるような、吸血されたものは同じく吸血鬼になってしまうだとか、鏡に映らないとか、流水や銀が苦手だとか、そんな要素は一切ない。


 千聖は獣人である眠とこの主従関係を結んでいるため、定期的に眠に血を分けてやる必要があった。

 吸血の際はいつも首を噛ませているのだが、今は骨折した左腕を固定し吊るしている。せっかくルナに手当してもらったのだから、下手に首元をいじって固定を崩すのは避けたい。


「首のところ、左腕固定してて」

「あぁ……そういえばそうか」

「せっかくルナさんがやってくれたからなるべく崩したくないな」


 眠は千聖の全身を眺めてから、立ち上がってお互いの距離を詰めた。

 それからそっと左腕に触れて難しい顔をする。


「首じゃなくてどっか別のところを噛むか。手首とか、腹とか?」

「腹ぁ!? そんなん絶対痛い」

「じゃあ、足首?」


 “足首”と聞いて、千聖は自らの足元を見た。足首から血を吸われる絵面が想像できない。


「足って……蒸れて臭かったらどうするんだよ。汚いし」

「お、お前の身体に汚い部分なんて──」

「んー、そんな台詞何かで聞いたことあるな」

「エロめのマンガだな……”そんなトコロ汚いから触るな“っていうお前にオレが言うやつ」

「おれそんなん言ったことあった?」

「今さっき似たようなことは言ってたな」


 なんでおれがそんなこと言った設定になってるんだよとイラついたが、言われてみれば数秒前に似たようなことは言ったかもしれない。だから、返す文句が見当たらなかった。

 今の会話について、全体的に気に食わなかった千聖は何も言わず眉間に皺をよせながら、右手の水を眠に押し付ける。とりあえず、足はナシだ。エロもなし。


「ちょっと水、持ってて」


 何をするつもりなのか見当もつかない眠は、ただ黙って言われる通りにコップを受け取った。右手が自由になった千聖は、パンツのポケットに右手を突っ込む。

 取り出されたのは、小型の折り畳み式ナイフ。


 片手で刃を出しそのまま持ち手を口で加えて、右腕の、袖が捲られ肌が露出している部分を刃に当てがった。そして何のためらいもなく、腕をスライドさせる。



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