22話 ヘーリオス基地
ヘーリオス奪還戦にて完全勝利を納めた騎士団は、すぐにヘーリオス基地に居座っていた革命兵を追い出し、ルナや千聖たちが合流するころには完全に基地を取り返していた。
幸いにも基地の内部は大きく荒らされていることもなく、食料も医療器具もそれなりに残っている。騎士達は奪還作戦に協力してくれた帝国兵たちを基地に案内し、食事と治療でもてなしたいという意見で一致。
千聖が連れてきた帝国兵と、それから途中から参加してくれたヘルフィニス基地の帝国兵を招待した。
ルナも食事の準備を手伝ったり、軽傷者を治療したりとあわただしくしていたが、それでも楽し気に話している騎士と帝国兵の姿に、こんな瞬間が訪れるなんて誰が考えただろうかと胸を弾ませる。
種族は違うが、話してみれば案外何も変わらない。
むしろ敵国という事実ですら忘れるくらいに、皆笑顔だった。
それに空いている一室で眠らせている帝国兵の少女──霊夢を含む重傷者たちの容態も安定しているようでなによりだ。
こうして心配事の大半はなくなっているのだが、それとは別に、ルナの中では新たな心配事が一つ増えていた。
同じくアスガルドの医療部隊として派遣された騎士、ステラの姿が見当たらない。
人が多すぎて会えていないだけかもしれない、そう思えばたいして心配する必要もないのだが、それでも気掛かりだった。他の医療部隊のメンバーからは様々な報告なり情報共有があるのにステラからは一度もない。彼女はもともと連絡はマメなタイプだから、ここまで顔を合わせないのは珍しい。気にし過ぎと言われればそれまでではあるが、なんだかもやもやする。
言い知れぬ不安な気持ちを抱えて、ルナは重傷者たちが眠る部屋のドアを静かに閉めて廊下に出た。
「おーいルナ、ちょっといいか」
そういえば夜の宴会ではお酒も出るだろうから、そうなってくると酔っ払いの介抱も必要になるな。なんて、頭の中を切り替えつつ歩き出したものの、廊下の端から聴こえた自分を呼び止めようとする声に、ルナはパタリと足を止めて振り返る。
そこに居たのは、帝国将軍の従者である眠。
宴会が始まるまで休んでもらうようにと、将軍と従者には一部屋貸していた。
退屈して探索している様子でもなく、少しだけ周囲を気にした様子をみせる従者。
何か必要なものでも出来たのだろうかと、ルナは眠に近づいた。
「どうかなさいましたか?」
「千聖の腕、診てやってくんねぇかな?」
耳打ちするようにこっそりとそう告げられて、ルナはすぐに状況を理解した。
なんとなく、怪しいなと思っていたがやっぱりか。
「ほら、奪還作戦での重傷者はいねぇって聞いて……」
「将軍、折れてるのを隠しているわけですね」
「話が早いな。みんなには内緒で頼むわ。千聖、部屋にいるから」
「眠さんは……」
「あー……オレはー、腹減っちまって。食堂ってさ、覗きに行ったらなんか分けてもらえると思う?」
少しだけバツの悪そうな顔をして後ろ髪をぼりぼりと掻く眠に、ルナは思わずふふっと笑みをこぼした。まるで夕飯が待ちきれない子供のようだ。
「もらえると思います。食堂はあちらですよ」
「さんきゅー、千聖のこと、頼むな」
食堂の方向を指さして教えれば、片手をあげて礼をしたあと、嬉しそうな面持ちで食堂へと向かっていく。ゆったりと左右に振れるその尻尾を見つめ、ルナは少し迷って、引き留めた。
「眠さん、あの」
「……なんだ?」
「人を探していまして……ステラという、赤い髪の女の子ですが、見かけませんでしたか? 医療部隊の方なのですが」
聞けば、片手を腰に当てて斜め上へと視線を動かし、記憶を探るようなしぐさをする。
二人きりの静かな廊下、ふわりと一度尻尾が大きく揺れた。
「あぁ! 見た! 話したぜ?」
「本当ですか!?」
「おぅ、出撃前だけど……その子がどうした?」
一瞬、ものすごく明るくなったルナの顔は、続く“出撃前”の言葉を聞いて、一気に暗くなる。その変化に気が付いた眠は不思議そうにルナの顔を覗き込んだ。
「みなさんと合流したから、探しても見当たらなくって……」
「あら、マジか。タイミング悪ぃのかな?」
「……かもしれません。人も多いですし……もし見かけたら、教えて頂けると嬉しいです」
「りょーかい、見たら言うわ」
自分でも思ってはいたが、改めて他人から言われればなおさら、慌ただしさに加え人も多いこの状況のせいで、会えていないだけかもしれないと思えてくる。
眠の言葉に笑顔を返してルナは、将軍に貸した部屋へと向かった。
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「失礼します」
二度ノックしてから、少し間をおいて部屋のドアを開ける。
部屋の角に置かれたベッドの上でワイシャツ姿の将軍が眠っていた。
軍服の上着やマントは、近くの椅子の背もたれに掛けられている。
窓から入り込む風が、彼の青い髪をかすかに揺らす。
緩められたネクタイや、少し開けられたシャツのボタン。ラフな姿と無防備な寝顔に、一瞬だがドキッとした。
「りゅ、龍崇将軍」
呼び掛けると千聖はすぐに目を覚ましたが、ゆっくりと開かれた瞼はものすごく重たそうだ。
「ルナさん……何かあった?」
「あ、えっと……その、左腕の治療に……」
千聖はルナの言葉を聞きながら、そろそろと身を起こし足をベッドの下に降ろした。
明らかに寝足りない様子に、起こした事をほんの少しだけ申し訳なく思う。
「そっか、ありがとう」
柔らかな笑顔を返されてルナは、そっと千聖の左側で膝をつき失礼しますと言ってシャツの上から腕に触れる。
「やっぱり、折れてるじゃないですか……」
「す、すみません」
隣に腰掛けてしまえば楽ではあるが、ルナにはそんな大胆な事などできなかった。
距離が近くなりすぎる様な気もするし、そもそも男女が同じベッドの上に腰掛けるなんて健全には思えない。
密室に二人きりだと妙に意識してしまい、治療と割り切ったって無理だった。いやむしろ、治療と称して近付こうとしている女なのだと勘違いされたら悲しいから無理だ。
ルナがそんな事を悶々と考えている一方、千聖もまた似たような事で人知れず悩んでいた。
診やすいように左側を大きく空けて座ったつもりが、ルナは床に膝をついた状態で診察をはじめている。どう考えたってあえて距離を取られてしまった。
左腕について黙っていたことに怒っているのか、そもそも自分を嫌っているのか、同じベッドに腰かければ押し倒すような浅ましい男と警戒されているのか。
いずれにせよ、ショックだ。
「あ……将軍、シャツを」
「脱いだ方がいいですか?」
「……片手で脱げますか?」
「頑張ります」
先程までの共闘など嘘かのように、お互いの心に謎の壁が生まれていた。妙に静かな室内は、風の音すら良く聞こえる。
医療部隊員として、片腕が不自由な彼に対し手伝いますと提案するのが正しいのだろうが、全然言い出せない。
もちろん手伝ってくれなんて言えるわけがない千聖は、もともと緩めていたネクタイの結び目に右の人差し指を掛ける。
そのまま馴れた手つきで解き、一本の細い帯となったネクタイを襟から引き抜いてベッド脇の机に置いた。流れ作業のように今度はシャツのボタンに手を掛けたところで、千聖はついにその手を止める。
ネクタイに指を掛けてからのルナの視線が、熱い。
「ルナさん……そこまで観察されると流石に恥ずかしくなってくるというか」
「はぁうあぁっもも申し訳ありませんっ……!!」
たまらず指摘すれば、急激に赤く染まる頬に両手を当てて俯いてしまった。そして彼女は、か細い声で言葉を続ける。
「ね、ネクタイを解く仕草が好きな女性が多いと……聞いたことがありまして……だ、男性がネクタイを解く姿を見たことがなかったものですから、つい観察してしまって……」
「へ、へぇ……そーなんだ」
「あっその! とても素敵でした……なので、どうかお気になさらず!」
どんだけ素直なんだよ何を気にしたと思ったんだよむしろこっちが色々気になるよ!と言いたくなる気持ちをぐっと堪えて──しかし、シャツのボタンに掛けた指が動かない。片手で外せないのではない、気恥ずかしくて脱げなくなった。
「あー、ネクタイ、もう一回やります?」
「いえ結構です。どうぞ、続けて下さい!」
この空間でひたすら服を脱いでいく、というのに耐えられずちょっとした冗談のつもりで言ってみた言葉も、速攻否定する形で返答される。
社交的な彼女の、こちらを気遣う笑顔がとても辛い。
これは左腕の治療、これは左腕の治療。と内心で呟きながら、妙な緊張感をもってボタンを外していった。意識しすぎて、ボタンの外し方を忘れそうになる。まるで初めてシャツを脱ぐ瞬間のような心持ちだ。もちろん、何かに期待している訳ではない。
ただ本当に、純粋無垢な天使の少女に着替えをじっと観察されるこの状況が辛く思えた。
なんとかボタンを外しても、袖を捲っていたせいで腕が抜けない。これはもう、完全に一人では戦えないと判断できる状況だった。
とはいえ打開策が、あるにはある。
左手を使うという選択だが、これは諸刃の剣ともいえた。
戦闘時こそ大量に分泌されていたであろうアドレナリンのお陰で、痛みはある程度何とかなっていたが、今はそうじゃない。
左手を使えば脱げるだろうが、大変痛がりながら強がって自分一人で脱ごうとする男の様子を観察させる羽目になる。そんなモデルにはなりたくない。
「ルナさん、ごめん。袖引っ張ってくれるか」
「わかりました」
結局千聖に手伝いを求められて、ルナがシャツを脱がせた。ルナは最終的にこうなるのなら、恥じていないで初めから手を貸すべきだったと後悔しつつも直接患部に触れて診察を始める。
ルナから魔力を受けて、触れられた患部が僅かに光った。
「折れていますが、そこまで酷い折れ方はしていません。外側からの固定だけですみそうです」
「そっか、ならよかった」
「ほかにお怪我はありませんか? 」
どこかに傷があるなら治してあげようと、それなりに鍛えられている引き締まった上半身全体を眺める。千聖も、自分の身体をザッとみて腕の他には異常がないことを確認した。
「多分大丈夫そーかな?」
「そうですね、見た感じ目立った傷も──」
ないですね、そう言いかけたところで、ルナはあることに気がつく。
彼の肩越しからチラリと覗いた背中に、赤色が見えたのだ。
出血や大きなあざかもしれないと思い、慌てて背中を覗き込んで、言葉を失った。
見えた赤は血などではなく、大きく彫られた赤色の帝国の紋だったから。
「これ──」
「え? あ、背中?」
覗き込むために身体を大きく傾けたまま、動きを止めてしまったルナ。そんな彼女を不思議に思って視線の先を辿った千聖は、それが自分の背中に向いていることに気がついて察した。
「何か特別な呪でしょうか?」
「そんなんじゃないよ、ただの刺青だ」
「……そう、なんですか」
じぃっと見つめながら、ルナはどこか悲しそうな顔をする。千聖からすればその表情が意味するところが何かわからないが、敵国の紋なのだから気を悪くしたのかもしれない。
「帝国の軍人さんは強制、なのですか?」
「いや、これはおれの意思だよ。いくらなんでもそんな恐ろしい文化はないって」
おれの意思。
そう聞いてなおさら、ルナは複雑な気持ちになっていく。王国側の文化では、魔法による紋様は別としてタトゥーはあまり好まれない。“天使の身体は神のもの’’とされており、その身体に消えない傷を意図して残すことになるからだ。
対して帝国の者は身体に絵や文字を彫る事になんの抵抗もないようで、ファッションの一環として入れているようにも見受けられる。
千聖の従者である眠の左肩にも何かしら入れられていた気がするが、しかし千聖の背中のものに関して言えば、明らかに他とは訳が違う。
自分の意思で、その身体に消えぬ帝国の紋を入れる。それはつまり“一生、この身を帝国に捧げる”と誓いを立てているとも取れた。
絶対に揺るがない王への忠誠。この命は王の為に使うという覚悟。
騎士の忠誠心も決して軽いものではないが、身体に直接刻むのとでは忠誠心も桁が違う。
改めて、彼とは住む世界も、きっと見ている世界も自分とは違うのだろうと痛感した。
「将軍、ありがとうございます」
ルナは姿勢を正して、千聖に向き直る。
予期していなかった御礼の言葉に、千聖はすぐに反応できず、ただ目の前でこちらを見上げている少女を見つめて言葉の続きを待った。
「貴方が、何もかも守って下さった。これはそのために出来た傷です」
そっと患部に手を伸ばし、優しく触れた。
伏せがちな長いまつげや髪が、外の光を受けてキラキラと光る。
腕を見つめるその瞳は、とても優しい。
「このお身体は、貴方の王のものなのに……。本来はごめんなさいが正しいと思うのですが、何故でしょう。出てくる言葉も伝えたい言葉も、ありがとう ばかりです」
最後にニコっと笑う目の前の天使に、千聖は息を吐いた後、吸うことを忘れそうになる。
それくらい全ての意識を彼女に持っていかれた。
いや、意識どころか内臓ごと全部かっさらっていかれた気分だ。
ありがとうと言われて照れ臭いだとか、嬉しいとか、そんなわかりやすい感情ではないし、可愛いとか、性格すら天使、だとか彼女に対するそんな感想でもない。
わからないが、持っていかれた内臓の代わりに、暖かいようなくすぐったいような、そんな何かが身体の中に溢れてくる。
「これから腕を固定致しますが、そうしたら少しお眠りになりますか?」
「ん、どうしようかな」
「まだ宴会までは時間がありますし、もしよろければ安眠の魔法を掛けます」
「じゃあお願いするよ」
言葉を交わした通り左腕を固定した後、千聖はすぐに横になった。
ルナの魔法を額に受けて、すぐに眠気はやってくる。
ルナは眠りに落ちようとしている千聖の身体に毛布を掛けてから、ベッド脇の床に膝をついた。そうして右手を軽く握って眠りを妨害しないようにそっと声を掛ける。
「時間になったら起こしますので、それまではゆっくりとお休みください」
千聖は、だんだんと狭くなっていく視界の中、返事の代わりにルナの手を握り返した。
この場から離れようと、腰を上げる彼女の様子がぼんやりと視界にうつる。
徐々に触れる面積の少なくなっていく指先のぬくもりに感じる名残惜しさ。
どうしてそう思ったのかなんてわからない。
もう少し触れていたい。なんて。
普段なら絶対、誰かに言ったりなんてしないけど。
「もし……よければ、もう少しここに居ても、いいでしょうか」
「よかったら、もう少しだけ居てくれると嬉しい」
相手が眠りに落ちる瞬間なのを良いことに、自分が寝ぼけているのを良いことに、
二人同時に口にしたのは同じ意味を持つ言葉だった。
不意に静まり返ったこの空気に恥ずかしくなり、二人は小さく笑う。
今度こそルナは、ベッドに腰掛けた。
「おやすみなさい、将軍」
「おやすみルナさん」




