20話 生きて帰ったら
「龍崇将軍っ……眠さん!!」
眠たちの真上に、大きな岩の塊を見つけたルナは二人の名前を叫んだ。
フォールハウトは今にも飛び出していきそうなルナの腕を掴んだまま、空いた片手を二人にかざす。
「だめですルナ! 僕たちはここからでも出来ることを!」
二人の真上に、金色の光が作る防壁が幾重にも展開されていく。
それに気が付いたルナも同じく、被せるようにして防壁を展開していった。
上から落下してくる岩の重さには耐えられないかもしれないが、それでもやれるだけのことはやりたい。少しでも何かが軽減されればいいと願って何重もの壁を重ねていく。
どうか、どうか二人をお助け下さいと“神”に願って。
「お願いっ……」
しかし、そんな努力や祈りも空しく、岩の塊はルナとフォールハウトが重ねた防壁をことごとく割りながら落下していった。
涙が混じったルナの叫びは、響いた轟音と地響きに飲み込まれて消えていく。
周辺には粉々に散った壁の破片が、金と薄緑色の光を放ちながらキラキラと舞う。
皮肉にも、それは綺麗な景色だった。
ルナはその場にへたり込み、フォールハウトはかざしていた手をそっと降ろす。
あっという間に、辺りは静寂に包みこまれた。
微かな風の音に、お互いの呼吸の音。それから耳鳴り。
それくらいの音しかない世界。
岩は、落下の衝撃で割れたのか、落ちた時よりは細かくなっていたが、一つ一つの塊は依然として大きなままだった。
「見に行きましょう」
静寂の中で、フォールハウトの声が聞こえ、ルナは視線を彼へと移動させる。
フォールハウトの表情は、いつもと何も変わらない。
「一国の将軍が、この程度で死すわけないと、そう思うのですが」
「怖くて……」
「獣人はもっと頑丈でしょうし。まあ……彼が将軍を押しつぶしていなければ、二人とも無事でしょう」
何でもないようにスタスタと崩れ落ちた岩に近づいていくフォールハウトを、ルナも恐る恐る追っていく。彼の言うことには説得力があるが、しかしそれでも見るのが怖かった。
歴史に名を残すような偉人があっけなく死ぬパターンだって、長い歴史の中では数えきれないくらいある。目の前で起こったこれが、そのうちの一つである可能性だって否定は出来ない。
一つの岩に、フォールハウトが手を伸ばした。
手が触れた一瞬、帯状の魔法式が岩の表面を走り、そして消える。
ボロボロと、岩が崩れた。
それを何度も繰り返していく。
慎重に岩を選んでは崩し、選んでは崩しを繰り返し、やっと見えてきたのは琥珀色の毛皮。
「あっ!」
ただ静かに眺めていたルナが声を上げて駆け寄った。
しゃがみ込んで手で払える土や砂なんかを除いていく。
続いてフォールハウトも、動かせる大きさの岩を手で直接除けていった。
琥珀色の狼──これは、間違いなく眠だ。
毛皮の上に乗った土が微かに上下しているところから息があるのがわかり、ルナの身体から力が抜けていく。なんだかんだ言っていたフォールハウトも安心したのか、息を吐くように軽く笑う声が上から聞こえてきた。
「眠さん! 眠さん!」
大きな狼の身体に触れて揺すってみれば、耳がピクリと反応する。
触れる身体も暖かい。その熱に安堵したルナの目からは、ついに涙が零れ落ちた。
ゆっくりと、それでもしっかりとした足で立ち上がった狼は、ぶるぶると身体を震わせ毛に付いた砂をほろう。見事にまき散らかされた砂を被ったフォールハウトは咳き込んだ。
「眠さん────っ!」
カフッと軽く咳き込む狼の首に感極まったルナが抱き着いた。
ふかふかなその毛に顔を埋める。
一方でむせ終わったフォールハウトは、今度は目を擦っていた。
目に砂が入っていて非常に痛い。この狼め、やってくれる。
「助かったぜ……」
流石に抱き着かれたまま人の姿に戻るのはどうかと思った眠は、ルナが離れるのを待って元の姿へと戻った。
近くで立っているフォールハウトが涙ぐんだ目でこちらを見ているのに気が付いて、少しだけ申し訳なくなる。想像以上に物凄く心配をかけてしまったようだと思い、眠は頭を掻きながらフォールハウトに向き直った。
「悪かった……」
「……何に対しての謝罪です?」
「心配かけちまったから……」
深く、深くため息をついて、フォールハウトは視線を眠の足元へと落とした。
溜息の意味はわからなかったが、眠もその視線を追う。視線の先にいたのは安らかな顔をして横たわる千聖。気付いたルナが悲鳴を上げた。
「そんなあっ!」
「貴方、押しつぶしたのですね」
「あっいや、違う……!」
「しっかりして下さい……将軍ッ……」
膝をついてそっと横たわる身体に触れるルナ。反応は、ない。
「庇うときに頭カバーしてやるの忘れてて。そのままの勢いで押し倒しちまったもんだから……地面に強く、頭打って……悪ぃ千聖……」
「僕にも謝って頂けます?」
「えぇっ!? 何でだよ!?」
「そんなっ……龍崇将軍……?」
名前を呼びながら、ついにルナは盛大に泣き始めてしまった。
冷静にその様子を観察しているフォールハウトと押し倒した張本人である眠は、千聖の息があることぐらいわかっている。
しかし激しく動揺している彼女は、医療部隊長でありながらも誤った判断を下す程、冷静さを欠いているようだ。……敢えてやっているわけじゃないのなら。
「嫌ですッ龍崇さん……死んじゃいやです!」
「死んで……ないです……」
いつから意識があったのか、もともと目を瞑って大人しくしていただけなのか。
細い声なのは、あまりのルナの反応に死んでいないと申告しにくかったからなのか。
千聖が目を閉じたまま、ルナに答えた。
「あぁ、良かった、良かったです……」
「ルナさん、に……お願いがあるんだ……」
「何でしょうっ叶えます。ボクで出来ることなら叶えます!」
絞り出すような、苦しそうな声で、千聖は続けた。
自らの死を悟ったかのような只ならぬ雰囲気に、眠もフォールハウトも横たわる将軍へと意識を向ける。
目を閉じ眉間に皺を寄せるその表情に、2人は息を飲んだ。
軽視していたが、本当はまずい状態なのかもしれない。
「あぁ。おれが、生きて帰ったら……。
おれのこと、縛り上げて……。好きに弄んで、くれないか」
雰囲気も、声色も全く変えず、至極真っ当な死に際のお願いでもしているかのような雰囲気で、そんなことを言ってぬかした。
「千聖ぃいぃぃ! お前頭打ったのか!」
「貴方が打ち付けたんでしょう!!!」
「わかりました……だ、男性を縛り上げて弄んだ事がないので……う、うまく出来ないかもしれませんが、力の限り弄ばさせて頂きますッ!」
ざわつく2人を完全に無視し、ルナは千聖の手を取り力強く頷いた。その答えに、当の千聖は安堵したかのように身体の力を抜いていく。
その顔は「天命を全うしました」とでも言いたげだ。
「承諾すんのかよ!! つーか千聖、おま……オレの時は全力で拒否っといてなんだよそれ……女ならいいのかよ」
「あの、誰か一人くらいマトモなことを言ったらどうです? せめて将軍、状況の説明を言い残してから志半ばの死を遂げてはいかがでしょうか」
本気なのか冗談なのか、戦場で好き放題にボケまくる三人の様子に、フォールハウトはそばにある大きな岩に背を預け、頭を抱える。
呆れたように瞳を閉じて、ふぅっと長く息を吐いた。
流石にふざけすぎたと思ったのか、将軍が身を起こすような音が聞こえる。
その気配に片目だけをうっすら開けて、チラリと視線を送った。
「とりあえず、革命軍の敵将は討ち取った。さっきの男が出てきたのはその後だ。向こうからいきなり仕掛けてきたけど……敵討ちっていうんじゃなさそうだったな。革命軍の将に恨みがあったような感じがした」
「たしかに彼に恨みを持っていたようですが……かといって革命軍そのものを裏切ったってわけでもないような……彼の言葉からは何と言いますか、天使も死神も関係なく全てを恨んでいる、そんな感じがしました」
千聖の説明にルナが言葉を被せ、その視線を先ほどまで青年が居たと思われる場所へと向ける。
そこにもこちら同様、大きな岩石がごろごろと転がり積み重なっていた。
二人の話に眠とフォールハウトは顔を見合わせる。
「つまりヤベー奴ってこと?」
「そんなトコ。理解できないから過激派って事でとりあえず納得しようかなって思ってる。で、そっちは? 眠と一緒にフォールハウトまで呼び出しちゃったけど大丈夫?」
「もう殆ど終わってるぜ。ヘルフィニス基地からの応援部隊の到着が予定より早くてな、第一陣の奇襲開始前には合流してたんだ」
「早くに来てくださったおかげで騎士は全員、帝国兵の援護に徹底できたので、全体的に見ても怪我人は少数、軽症者のみですみそうです」
眠の言葉に千聖は、ヘルフィニス基地に応援要請を出した時間から考えると奇襲開始前の合流は難しいように思え、一瞬首をかしげる。しかし続くフォールハウトの発言にあった「全体的に怪我人は少数、軽症者のみ」という情報が気になってしまった。
恐らく、この左腕は折れている。
骨折は重傷だろうか。よりによって自分一人が重傷なんて流石に恥ずかしい。
誰にも気付かれないようにチラッと左腕を眺めて、骨折って隠し通せるのかな、などと考えはじめていた。
「とりあえず合流しようぜ。千聖立てるか?」
「あっ……うん、問題ない」
「あのっ龍崇将軍、左う……」
「大丈夫! 問題ない」
「将軍、先程から気になっていたのですが、その鼻に詰められているのはルナのスカートの、布でしょうか?」
「だから、問題ない──っていや、これはっ」
四人の間を、風が静かに通り抜ける。
千聖は静かに鼻から布を抜き取って、そっと上着のポケットに忍ばせた。
「断じておれが剥ぎ取ったわけじゃない」
「それはっボクが勝手に将軍の鼻に詰め込んだものであって……先程鼻血が出ていたからっ」
「御厚意だとよ、王子」
「……御厚意、ですか」
どうにも煮え切らないと言いたげな顔をしながら、フォールハウトは三人を置いてさっさと歩いて行──こうとして、三歩ほど進めた足を止めた。
よく考えれば此処へは召喚で飛ばされてきただけなので彼には帰り道がわからない。
「どちらへ行けば帰れるのです?」
「あ、ボクが案内を!」
強がっているのか絶対に振り返ろうとしないフォールハウトのことを追い越し、案内役をかって出るルナ。
千聖と眠は、そんな遠ざかっていく二人を眺めていた。
「腕、痛ぇだろ」
「……痛い」
「頭は平気か?」
「ジンジンする、お前力強すぎ」
ぽつりぽつりと会話する二人の足元に、天使の羽根がフワリと落ちる。
音もなく舞い降りたそれは、空の光を受けて淡い桃色に輝いていた。
「ヘーリオスってどう思う?」
風に乗り、くるくると踊るように地面を滑り、またどこかへと消えていく羽根。
その羽根を目で追いながら、となりの従者へと問いかける。
「どう思うって──」
「人材ごともらっちゃおっかな。いらないなら」
ちらりと見えた千聖の表情からは、どこまで本気で言っているのかわからない。
しかし“いらないなら”の言葉に、眠は軽く引きつるような笑みをこぼした。
なんとなくだが感じ取れた、その言葉が、間接的に誰に向いているのか。
少し考えればこのヘーリオスにおける戦いの一連については疑問な点が多い。
いや、この“戦い”以前の問題ともいえるかもしれない。
やはり将軍である千聖も、そのことには気が付いているようだった。
「もらっちゃおうかなって、お前。説得するとき如何なる権利も主張しないって言ってただろ。言い訳はあんのかよ」
「“嘘も方便”って、あるだろ。それだ」
「それだ、じゃねーよ。実は将軍一人だけ重傷だってこと全員にバラすぞ」
「あぁ、はい。やめておきます」
脅されて即刻侵略を断念する千聖を置いて、眠はだいぶ小さくなってしまった二人の天使を追いかけていく。千聖も眠に続いて一歩前へ踏み出し──しかし、視線を肩越しに後ろへと向けた。
「どーした? 置いてかれんぜ?」
「あー、先行っててくれ。直ぐに追い付く」
少しだけ遠くから聴こえた呼び声に返事をしてから、千聖は視線を再び足元へと落とす。
もう一枚、天使の羽根が舞い落ちた。




