15話 罠_1
「あそこが、革命軍の拠点ですね……」
ルナと千聖が補給基地を出発してからおよそ3時間。
小さな森を抜けた先に見えたのは、岩壁に囲まれた草木の生えぬ荒野。
岩壁は高く、離れた位置から見上げても頂点の様子はうかがえない。
まるで戦場から隔離でもされているかのような空間の真ん中に、この戦における革命軍の本拠地といえる拠点があった。
だが、遠目に視認できるのはこじんまりとしたテント1つだけ。
千聖は身を低くしたまま木の陰や背の高い草に身を隠しつつ、拠点内の様子がよく見える位置まで近付いていく。
ここが敵将のいる拠点で間違ないはずだが、それにしても規模が小さ過ぎる。
そもそもU字拠点をすり抜けここに至るまで、これといって革命軍の兵らしき存在とは一度も出会っていない。そこがまず想定外だ。
流石に目的地到達までの間、何度か戦闘にはなるだろうと覚悟していただけに、あまりに順調すぎる事の運びに気味の悪さすら感じていた。
「将軍っ……あそこに」
少し後方からルナの声が聞こえ、振り返ってみれば千聖から2、3mほど離れた草陰に身を隠す彼女が何かを指差している。
人差し指が示す先を目で辿っていけば、捉えたのはテントの傍らに立つ人影。
目を凝らせば図体のデカい男がこちらに背を向ける形で仁王立ちしている様子がわかる。
褐色の肌に、金色の短髪。
眠以上に鍛えられた筋肉ごりごりの肢体。
千聖はその姿に見覚えがあった。
実際に対面した事はないが、以前に帝国の情報課から回ってきた革命軍の指揮官と思われる人物一覧の中に、非常によく似た男の姿を見かけた事がある。
確か名前は迅と言ったはずだ。
戦闘は主に素手での格闘で、これまで帝国との戦闘において武器を使用した記録はない。そのため彼が生まれながらにしてその身に宿す武器がどんなものかの記載はなかった。
最後の手段として隠しているのだろう、などと言う情報課の考察に対し、単純に武器の使用が苦手なだけじゃないだろうかという印象を持った記憶がある。
「彼が革命軍の……?」
「そうだね。姓はわからないけど、名前は確か迅だったはず。どんな武器かは不明だけど武闘派みたいだよ」
ルナに情報共有をしながら再度周りを見渡し、迅以外の影がないことを確認する。迅がこの戦場における革命軍のアタマで確定だろうが、それにしても本当に他には誰もいない。
ここら一帯を囲う岩壁の上に身を潜めている可能性はあるにしろ、翼を持たない死神があの高さから地面まで降りるのは簡単ではないだろう。
だから正直、上で待機してる兵がいたとしてもそいつは戦力外と見ていい。
迅の隣に建てられているテントも入り口から中の様子が見えているが、人がいるようには見えない。
とすると、どう見てもここに居るのは迅のみだ。
「そういえば、ヘルヘイムにおられる方々の名には生まれた家の姓がつきますが……そこから何か得られる情報があるのでしょうか」
「一応名のある家はその一族特有のチカラをもってることが多いから、姓から戦い方の特徴がある程度予測出来たりもする」
「なるほどっ」
ぐるーっともう一周視線を巡らせてから、ルナの声が聞こえる方へと顔を向ける。
何の気なしにルナを見れば、視線が絡むのはどこか期待したような彼女の瞳。
わかりやすく“将軍は一体どんなお家の方なのでしょうか”と聞きたそうなキラキラした瞳だ。
確かに“龍崇”なんて、自分自身でも思うくらいに大それた姓である。
「おれの家はねー、すっごいから」
聞かれるよりも先に、ニッと笑ってピースサインを作って答えてみれば、ルナは一瞬驚いてからふふっと楽しそうに笑ってくれた。
(あ、可愛い)
この状況を勘繰る思考が、一瞬フリーズする。
(──じゃない! 何考えてんだ、この状況罠かもしれないっていうのに)
いや、この状況だからこそ笑顔って大事だ。
なんだって気を張り詰めすぎるのは良くない。
多少の気の緩み──違う、余裕。余裕は常に持つべきなのだ。
いつだってそうしてきた。
「ところで……将がいるというのに周りに全く兵が居ないなんて、不気味ですね」
「その通りなんだよ。崖の上に隠れてる可能性もあるけど、この高さだと飛び降りるなんて無理だろうし──」
真剣に言い訳を考えていた千聖をおいて、ルナは話を戻す。
現実に引き戻され、あらためて迅とその周辺を見つめて千聖は、地面の所々に周りと比べて土の色が濃い場所があることに気がついた。
色が濃いのは、おそらく湿っているから。
考えられるのは意図的に濡らしたか、もしくは掘り起こして埋め直した部分の土がまだ乾いていないか。
この状況を見て、何をしたかなんて簡単に想像できる。
「ルナさん、地面なんだけど微妙に色が違う箇所があるの見える?」
「えぇ……所々濃い箇所がありますね」
「帝国も革命も地雷とか使うんだけど。色が濃いところに埋まってるかも」
「と言うことは、地面が乾く前の今しか安全に攻められるチャンスはないということですね」
まっすぐ前を見ながら話していた千聖は、チャンスは今しかないというルナの発言に振り返って頷いた。
「ちょっと埋め方が雑過ぎるけど、用心した方がいいね」
横向きに吹く緩やかな風が2人の髪を揺らし、地面に散らばる草葉を運んでいく。
風向きを考えても今なら気配さえ消して動けば匂いで気が付かれることもないだろう。
「よし、仕掛けよう。ルナさんは迅の手が届きそうもない上空から援護を頼む。地雷のことも考えて地面には絶対に足をつけないで」
「わかりました。将軍は……」
「ん。こっから突っ込むよ。地雷のことなら大丈夫、おれの速さなら踏んでも爆発は避けれるから心配ない!」
そう言って千聖は安心させる様に少しだけ口角を上げて親指を立てる。
ルナが小さく頷きふわりと静かに飛び上がる様子を見届けてから、再び顔の向きを迅へと戻した。
地雷があるとわかれば天使は地面に足をつけない。そのため帝国軍も革命軍も騎士団を相手とする戦では基本的に地雷は使用しない。
今この場に地雷が仕掛けられているという事は、迅の中でここにくるのは“羽根の持たない者”と踏んでのことだろう。
しゃがみ歩きで距離を詰めつつ、ここから迅までの直線上で地雷の位置を把握していく。
自分なら、足元の地雷が爆発したとしても切り抜けることは可能だ。
踏み抜いたところで問題はないが、先制攻撃の機会を失う可能性は大きい。
先制のチャンスは生かしたい。
だから、踏み抜くわけにもいかない。
ルナの位置を確認し、迅へと視線を戻す。
目標との距離を測る。この距離なら一瞬だ。
深く息を吸って、静かにゆっくりと吐く。
一度しっかりと瞼を落として目をつむり──開くと同時に千聖は地面を蹴った。
千聖にとって動きの素早さは己の武器とするものの1つ。
帝国の──いや、死神の誰より速い自信がある。
音に配慮せず思い切り地面を蹴ったとしたって、後方から音がしたと相手が気付いた頃にはもう遅い。
迅との距離を一瞬で詰めながら、目標到達直前に千聖は己の右腰から下げた短剣に手を伸ばす。
相手が振り返るよりも先に左手の指先は柄に触れ、右足はスピードを殺さぬまま斬りかかるための一歩を踏み込んだ。
このまま剣を引き抜き、スピードと体重を切っ先に乗せて相手の背後から心臓を貫くイメージをした、その時。
不意に、左耳付近を何かが掠めていくような感覚と、風を切るような音を同時に捉える。
何が起きたのか考え始めるよりも先に、短く切れた青い髪の毛が数本、風に掬い上げられ上空へと舞ってゆく光景が目に映った。それが自らの髪と自覚するのと並行して、髪の毛よりも少し奥、耳元を掠めて飛んでいった何かの方向へと視線の先が移行する。
千聖を掠めて飛んでいき、前に立つ迅の脇をすり抜ける直前で小さな光の粒となり飛び散って消えたのは、たしかに白銀の小型ナイフだった。
(あのナイフ、ルナさんのか!?)
一瞬の情報から真っ先に思い浮かぶのは、ルナが後ろから千聖を狙った可能性。
だが千聖の思考がそこに到達する前に、突如左頬に走った痛みに意識を持っていかれる。
地に着いた右足への荷重は、当初の予定通り剣先に体重を乗せるべく、足の中央から爪先へと移動させている最中。
迅との距離は、もう1mもない。
しかし身体は反射的に重心を前から後ろへと傾け、無意識のうちに迅への接近を中止する動きへと変わっていく。
咄嗟に半歩下がって視界の左端に捉えたのは、赤い液体を付着させた何かが、ひらひらとまるで波打つ様に宙を舞う様子。
一瞬の間で脳内に入ってくる情報量の多さに理解も憶測も追いつかない。
ナイフが飛んで来たのは耳元、しかし痛みが走ったのは頬のあたりだ。
そのまま、2、3本後ろに飛び退いた。
視界の角度が変わった刹那、キラリと空中で何かが光り、すぐにまた見えなくなる。
血のついた糸のようなものは、まるでうな垂れるように下を向き、空中を泳ぐようにゆっくりと落下していく。
目線だけを周辺に巡らせれば、光の加減によってちらちらと輝いては消える細い線のようなものを、景色のあちらこちらで捉えた。
一呼吸置いて、それがこの場所に張り巡らされたワイヤーであると気が付く。
(迅はオトリで地雷はフェイク、本命はおれをワイヤーに引っ掛ける事……? あのまま突っ込んでたら頬から上が飛んでたって事か)
そうなると先ほどの小型ナイフは、上空から見ていたルナがワイヤーに気付き、千聖が引っかかる前に断ち切ろうと放ったものだろう。お陰で、頬に食い込む程度で済んでいる。
全ては先手のために右足を踏み込んでから、ほんの一瞬のうちに起こった。
引き抜こうと柄を握ったはずの短剣も、まだ鞘に収まっている状態のまま。
睨みつけるように真っ直ぐ前を見据えれば、千聖の接近に気がついた迅が、振り返ろうとしていた。
全てがスローモーションのように再生される世界の中で、柄を握る左手に力が篭る。
ゴリ押しで先手を取りに行ってみるか、それとも一度迅の間合いから抜け出すのか。
この短剣を引き抜くか、引き抜かないか──
その迷いは一秒にも満たない時間であった。
しかし、答えが出るより先に、迅が振り返るよりも先に、少女が動いた。
迅の目の前に、天使が姿を現したのだ。
(ルナさん……!?)