14話 信じられること
「あと30分もしないうちに、第2陣も出撃ですか」
「あぁ、そうだな。もう1陣も千聖たちも相手とかち合う頃か」
テント脇の地べたにあぐらをかき、眠は空を眺めて深いため息をつく。
この地域に足を踏み入れた時には、夜明け色をした空の物珍しさに意味なく何度も見上げていた。
しかしずっと変わらぬ空の色にも、そろそろ飽きてきた。
「心配ですか?」
「千聖の事か? それならそんな心配はしてねーよ。強ぇし、ルナもいるし」
「そこまでの信頼は羨ましいものですね。僕は心配ですよ、見えないんですから」
「ま、フツーはそうかもしんねぇ……つーか、あーぁ。同じ空ばっかだと飽きてくるな」
「そうですか」
隣で立っていたフォールハウトも眠の横に座り、後ろに付いた両手で体重を支えながら同じく空を見上げる。
フォールハウトは同じ空に飽きたことなどない。
元の色は変わらずとも雲の濃さで多少のバリエーションはあるからだ。
それに、空は同じでもそれを見上げる時に抱く感情は時によって違う。
この瞳に映る空は、その時々の感情にも影響を受けて、大きく姿を変えていく。
敵の横に座り見上げているこの空は、戦場の空であるはずなのにどこか穏やかに映っていた。
「なあ、王子……こんなこと聞くべきかわかんねーけど。騎士団っつー組織は王子からみて信用できんのか?」
隣で空を見上げたまま、眠から投げかけられた疑問。
フォールハウトもまた上を見つめたまま、さてどうだろうと考えてみる。
「僕はもちろん、“王子”ではないので王家目線ではお答えできませんが」
「実はそのあだ名気に入ってんだろ……」
「僕が忠誠を誓っているのは姫であって、騎士団ではありません」
眠の冷やかしを笑顔で流し、答えたのはフォールハウトにとって必要最低限の言葉。
発した言葉のままでは少々ずれた返答をしたことにはなるが、意味の中に回答を含んだつもりだ。
この眠という男は獣のくせに賢いようだから、きっと察してくれるだろうという期待を込めて。
「王や姫に忠誠を誓うのと騎士団に忠誠を誓うのがイコールにはなんねぇってことか」
ちらりと横目で眠の様子をうかがえば、空から視線を落としたようで、少し先の地面を見つめながら苦笑している。期待通りの言葉と予想通りの反応に、思わずフォールハウトも苦笑した。
「まあ、僕の場合は少し特殊で──生まれは由緒ある騎士の家系で先祖は王に直接仕えていた王宮騎士でした。とはいえ現代は騎士である以上、騎士団に所属する必要がございまして……それで籍を置いているだけです」
話を聞きながら、手持ち無沙汰に感じた眠は手近な小枝を拾い上げ、足元の土を削っては線のようなものを描いていく。
彼の意識は小枝にも、描いた線の上にもないが、無意識に同じ動作を繰り返していた。
「騎士団は組織的に王国に属しているというわけではありませんからね……仕事柄、アスガルド王へ尽くすことが多いですが、国からは独立した組織なんですよ。まあ独立しているとはいえ、もちろん王に忠誠を誓っている騎士がほとんどです」
帝国軍は王直属の軍であるため、帝国出身である眠にとってはなじみのない話だ。
なじみはないが、現在の王国は帝国と違って国内で対立する組織がないため、膨大な資金を投じてまで軍を保有する必要がないということは想像できる。
国家間の戦争についても王都の警備に関しても、王国が支援し騎士団が動く構図で長年成り立っているのだろう。
「そう改めて言われてみれば、珍しい話でもねぇか」
「ところで貴方は今、なにか忠告しようとしていたのでは?」
「えっ、あぁ……忠告っつーか、大丈夫なのか心配しただけだ。ヒトサマのクニにとやかくいう筋合いもオレにはねぇが、王派と団長派で分裂しなきゃいいけどな」
眠は散々地面を掘った後で小枝を適当な場所に投げ、地面に落下する瞬間を見届けてから立ち上がる。
「歩兵部隊の方も、そろそろ準備が整う頃でしょうか」
「飛翔部隊はもうOKなんだっけ?」
「そうでなければこんなにのんびりしていませんよ。少し覗いてきます、ルークスが上手くやっているか心配ですので……」
「フォルトさーん! 歩兵部隊、準備オッケーです!」
フォールハウトが話しながら立ち上がった丁度その時、タイミングよくルークスが走ってやってきた。
ただその姿は先ほどの作成会議の時に見た全身を鎧で固めた姿ではなく、胴体は胸部を守るプレートのみという簡易的なものとなっている。
脛あてと籠手は装備されているが、以前のものと比べるとかなり身軽だ。
「さすがに決戦前に鎧脱げって、いやー承諾してもらうのはなかなか大変でしたよ」
「飛翔部隊の方も簡単には説得できませんでしたからね、歩兵となれば尚更でしょう。保守的な我々とは根本的に発想が違うようですね、帝国は」
へらへら笑っているルークスの脇で、フォールハウトがジィっと眠を見やる。
何となくだが何が言いたいのか分かった眠は頭を掻きながら視線だけ、彼らとは反対の方向に泳がせた。
「いやいやその指示、オレ出したんじゃねぇし……」
『騎士には鎧を脱いで戦うように指示を出してくれ』
あの作成会議室でそう指示を出したのは、騎士団と帝国の共同作戦で指揮をとることになった帝国将軍だ。
もちろん、その場にいた全員が猛反対。
従者である眠ですら、異論は唱えなかったもののその指示には驚いた。
それでも彼は一貫して鎧は脱げと言い続けた。
曰く、鎧の重さで機動力がえらく落ちているから、らしい。
そもそも兵の機動力では死神が勝っているため、元より攻撃を受ける前提で天使たちは分厚い鎧を身に纏っている。それを脱げというのは、自ら死神の攻撃に身を晒せと言っているようなものだと、フォールハウト達は反論した。
『じゃあ何故こんなに怪我人が出て負けてる? 重たい鎧は転ばせてしまえば起き上がるまで時間がかかる。刃物を武器として持っているなら、転ばせて首や脇の隙間を狙えば鎧の騎士には勝てる。斧や槌が武器なら、攻撃速度は遅いが相手の移動速度も遅いからそのまま当てて鎧を破壊しろ。帝国の兵にはそう教育してる。それはきっと革命軍も同じだよ』
反論に対して将軍がまくし立てたその言葉に、全員が黙った。たしかにその通りだ。
そもそも何故、武器による物理的な攻撃のほか、魔法という手段を持つ天使が鎧を纏ってまで文字通り死神と剣を交えるのか。
それは、身体の丈夫な死神に対し、一般的な魔法で生み出す程度の熱や電撃が致命傷となることは少なく、また殆どの攻撃型魔法はかわされることが多いからだ。
しかし切り傷や刺し傷となれば話は別で、死神に対しても有効的な攻撃手段であり、場所によっては一撃で勝負をつけることができる。
ましてや武器に魔法を纏わせていたなら、少しの切り傷でも痛手を負わせることができる。そうして単体ではイマイチ効果を発揮できなかった魔法も、斬撃と組み合わせることで有効なものへと変えられる。
だからこそ、ある程度攻撃を受けてでも武器での物理攻撃を当てるために、騎士達は鎧を纏っているのだ。
もちろん帝国将軍である千聖だってそんなことは理解したうえで、鎧を脱げと提案しているのだろう。
口元に手を当て考え込むフォールハウトに、頭をぼりぼりと掻きながら地図に視線を落とすルークス。そんな二人を不安そうに見つめるルナの姿に、千聖は少しだけ疲れたような声で続けた。
『大体さ、飛べる、武器も使える、魔法も打てる。この三拍子そろって何故死神との戦いに決着が付かないかわかるか? 全部中途半端だからだよ。魔法を纏った武器は確かに脅威だけど、それとは別で戦いながら使う魔法に、おれらに痛手をくれるだけの威力も精度もない。咄嗟に飛んだって鎧の重さで上昇は遅い、すぐに跳躍すれば追いつける上昇速度だ。鎧と魔法、羽根に甘えて武器の使用技術だって甘い。たまに優秀な魔法剣士だっているけどそんな奴本当に一部だ』
この意見についても、眠は同意見だった。
しかしこの共同作戦は一時的なものでありまた敵同士に戻るはずである。賛同すると同時にこんなに相手の弱点を指摘して良いのかという疑問も浮かんでいた。
それ程までに本気で騎士団を勝たせようとしているのは伝わってくるが、全て込みで計算のうちなのだろうか。
『最後の方悪口みたいになって申し訳ないけど……この戦いでは少なくとも斧、槌を武器にしている相手よりも俊敏であること、加えて歩兵から転倒っていう弱点を失くす。それから飛翔兵は滑空スピードを上げる。戦闘はできる事なら歩兵も飛翔兵も関係なく上空からの魔法メインで。腕に自信のある騎士は武器使用でいくけど、その場合は必ず守備が得意な奴と組んでくれ。武器使用者は攻める事だけを考えて、組んだ奴は援護に徹底。もっと本音を言うと、合流後の攻めは帝国兵に任せて、騎士は出来るだけ援護に回って欲しい』
結局その場にいたものは皆千聖の説明に納得まではいかずとも、理解を示したようだった。ただ、無茶を強いていることに変わりない。
『念のため言っておくけど、騎士の力を信用してないわけではなくて、これは単純に全員の生還を約束したうえで勝つための手段なんだ。死神の身体能力と物理攻撃、天使の魔法による援護と防御、どう考えたって盾と矛をきちんと揃えてる奴が強いんだから、ちゃんと動けばこの部隊は史上最高の部隊だよ』
最後にそう締めくくった千聖の瞳は力強く輝いていた。
側からみれば何でもないように映るかもしれないが、いつも隣にいる眠にはわかる。
その瞳には自信しかない。
「怪我をしても、私たちがいますから大丈夫ですよ」
そんなやりとりを思い出していた途中、背後から聴こえてきた知らない女の声に、我に返った眠は振り返る。
ルークスとフォールハウトもその視線を眠の後ろへと送った。
「初めまして。私、ステラと言います」
ステラと名乗るその少女は、眠がわかるように左腕に付けた十字の腕章を自ら指さし微笑んだ。その腕章がルナと同じく医療部隊所属であること指していると気が付き、眠は軽く「どうも」と挨拶を返す。
そんな素っ気ない挨拶にも愛想よく微笑みを返し、少女は肩まで伸ばした綺麗な赤髪を揺らしながらフォールハウトに近寄っていった。
「ルナ部隊長、将軍様と出発されたのよね」
「えぇ、あの二人は直接敵将を討ちに」
「大丈夫かしら……」
「大丈夫っすよ! なんたって将軍が一緒っす! それにルナさん強いっすから!」
身を案じるステラの言葉に、ルークスがガッツポーズを決めて安心させようとしている。
それでもまだ不安が拭えないのか不安そうで儚げな少女の姿を、眠はじっと観察していた。
「戦場は僕たちに任せて、ステラはここで重傷者を診ていて下さい」
「えぇ、兵の皆さんも万が一怪我をしたら、すぐにここまで引いてきて。やれることはなんでもするから」
「いやぁーそれにしても、この戦況をひっくり返して勝利を納めたらさすがに王国でも英雄扱いされますよ、帝国将軍。負け知らずの名将とは聞いていたけど、さすがっすね」
ウォーミングアップなのか、少し湿った空気をぶち壊しながらルークスが急にスクワットを始めた。
心底感心した様子で口にした“負け知らずの名将”なんて言葉に、眠は苦笑いする。
帝国将軍のそんな二つ名は初耳だ。
「へぇー負け知らず、ね」
ものは言いようだな、と逆に関心する。
確かに国政に影響するような大きな負けはないが、小さな戦いにおいては撤退し世間では負けとみなされることはよくあった。そもそも、勝ち負けがさほど影響しないような戦いではどうも手を抜いているようで、担当する指揮官に対しては、そこそこ相手したら撤退していいよ。なんて指示を出しているらしい。それ故帝国でのあだ名は“撤退王子”である。
本気出して勝てるなら、それこそ負けなしと言われるくらいに勝って見せればいいのに。なんて思って様子を見ているが、将軍本人曰く、それは負ける奴の発想らしい。
まああんまし深く考えてもわかんねぇや。と脳の回転をとめて、眠もフォールハウトの横でルークスにならってウォーミングアップのスクワットを始める。
「ちょっと。僕を挟んでやめてもらえます?」
他人の思考なんて考えたってわかるかけがない。自分のすべきことは、言われたことをきっちりとやり遂げることだ。つまり、将軍が勝利をのぞむ戦闘においては、必ず勝利すること。
「え、あの、一体なんだと言うのです!? 僕を挟んでやる意味あります?」
「なんだよ、王子もやれよ」
「そっすよ! やりましょう! 準備運動は基本中の基本! 習わなかったんすか!?」
二人のスクワットに無理やり付き合わされたフォールハウトが、足をがくがくさせながら狼の背に乗って戦場に向かったのは、これからおよそ30分後の話である。