9話 演説
テントから一歩踏み出せば、視界を覆う空は来た時と全く変わり映えしない紫。
しかし目の前に広がる白は、来た時とは全く違う。
白い団服を着た天使がまばらに散らばり、テントから出てきた千聖たちを見つめていた。見渡せばずっと奥の方に帝国から引き連れてきた部下が、騎士達とは一定の距離を保ちながら待機している。
あの距離の取り方は若干カンジ悪いようにも思えるが、とりあえず上官の不在中、両軍ともに揉めていなかったことに安堵した。
何をどう話せばいいかと、頭の中で言葉を組み立てている千聖の横に、一人の騎士が跪く。
「こちらをお使いください」
示されたのは、テントの入口横に置いてある簡素な木箱。
ご丁寧にお立ち台を用意してくれたらしいが、どうにもバランスが悪そうだ。
案の定、千聖と一緒に騎士の言葉を聞いていた眠が木箱に触れれば、ガタガタと音を立てて派手に揺れた。
「結構足場悪そうだけど大丈夫か? すっ転んだら大恥だな」
「用意してくれただけ有難いよ」
「ルナはどうする? ここに男女で立つとなるとドキドキ密着バランスゲームが始まるが──天使だから宙に浮くか?」
「変なゲーム始めるなよ」
「龍崇将軍! 必要でしたら横に浮いておりますが!」
「いやルナさん、浮かなくていいよ地面に立っててくれ」
ふざけた発言しかしない眠と真面目過ぎるルナ。その二人の発言に対して返答する事に疲れを感じつつも、千聖は木箱に手を掛ける。
話したいことは、なんとなくまとまった。
問題は周りがどれだけ耳を傾けてくれるかだ。
上に登ろうと木箱についた手に体重を乗せたとき、脇から伸びてきた手が木箱を押さえた。
そのおかげで覚悟していた木箱の揺れが軽減される。
見慣れたその手が誰のものかなどすぐにわかるが、頭が人物を割り出すよりも先に耳元で声が聞こえてきた。
「このまま押さえてる」
先程のふざけた発言をしていた時とはまるで違う従者の声は、続けてささやく。
「上がれば恰好の的だ。騎士団側が裏切るかもわかんねえ、周りの動きはオレが見てるからお前は話に集中してていい。何かあったら──」
「何かあったら、共闘は即刻中止。ヘーリオス奪還もなし。相手は誰であっても容赦なく殺せ。他の奴にもそう伝えてある」
「了解。演説がんばれよ」
他の者には聞こえない程小さな音量で行われたそのやりとりは、近くにいたルナにはすべて聞こえていた。そして、彼女の横についたフォールハウトの耳にも。
ルナは聞かなかったことにしようと、ずっと前を見続ける。少しだけショックではあるが、元々先ほどまで敵同士だったのだから当たり前だ。
「発言も行動も他愛なく見えますが──」
フォールハウトが後ろに手を組んだまま、ルナに耳打ちをする。
「彼らに隙はありません。特に狗。ここに来た時からずっと僕らの動きを監視しています。こちらも油断はしない方が良いでしょう」
「えぇ。でもフォルト、まさか……」
ルナは訝しげにちらりと隣に立つ青年を見上げる。
疑るようなその瞳に映され、苦笑しながらフォールハウトは前を見た。
「裏切ろうなどとは露も考えてはおりません。ですがこれはお互いにお互いを利用し合っているだけです。お友達ごっこにならないように注意して下さいよ、貴女は影響を受けやすいのだから」
苦笑交じりで言われた諭す言葉にルナの顔が赤くなる。
ムッとしてみたが、心当たりが全くないでもない。
「だ、大丈夫よ……そんなこと」
「アスガルド嬢から貴女をお守りするようにと言われて此処に派遣されているのですから、貴女に何かあったのでは姫に合わせる顔がありませんからね。万が一にも将軍に見初められてお持ち帰りされたなんてことになったら──」
「ちょっと! フォルト、声が……」
「あ、貴方の発言も大概だ……フォールハウト」
会話に参戦してきたその声が聞こえた方向へ、ハッとして顔を向けるルナとフォールハウト。まっすぐ前を見ながら木箱の上で立ち上がろうと中腰でバランスをとる将軍がいた。
箱を押さえている従者が笑いをこらえて震えるせいか、箱までガクガクと不安定に、小刻みに揺れている。
「おい馬鹿ッちゃんと押さえろ、お前が震えるから箱まで揺れてんだぞ」
「千聖が女の子お持ち帰りとか。うちの将軍に騎士をお持ち帰りする度胸なんてねーから安心しな王子!」
「おや、失礼致しました。聞こえてしまっていたのですね」
「人を甲斐性ナシみたいに言う前にちゃんと台押さえてくれ!」
「あっボクが押さえます! それとも浮いて将軍を支えましょうか!?」
「ありがとうでも恥ずかしいから遠慮しとく! ていうかさっきから何なんだよアンタらっ、おれは真面目にやってんの! ふざけてる場合か全員死ぬぞ?」
“死ぬぞ”と言ってやればすごい勢いでフォールハウトが眠とは反対側の端を押さえ込む。
「本当に不安定ですね、この箱。石でも挟まっているのでは?」
「はやくしねーと箱がバラバラになっちまいそうだ」
「壊れる前に済ませるから二人とも黙って押さえてて」
「よろしくお願いしますよ、将軍」
経緯はどうあれ、二人掛かりで押さえてくれたおかげか、ようやく千聖は立ち上がることが出来た。
立ち上がれば、思い思いに話していた騎士達も千聖の存在に気が付き、徐々に静かになっていく。
近くで待機していた騎士には今の愚かな会話が聞こえていたのだろう、うかがえる表情のほとんどは苦笑い状態だったり呆れていたり、眉間に皺がよっていたり。
悪いのはおれらだけじゃない、あんたらの上司だってなかなかだぞ。と内心で愚痴を零した。
ざわざわ声も聞こえなくなったところで一度、一番奥で待機している自分の部下たちに視線を送ってから、千聖は大きく息を吸い込む。
「おれの名は龍崇千聖──ご存知の通り、帝国の将軍だ。今はおれの話を聞いてもらう為にここに集まってもらった!」
千聖の声が、辺りに響く。
騎士達は完全に静まり、全員の意識が千聖に向けられる。
「察しの通り、これより此処にいる騎士と帝国兵は手を組み、へーリオス防衛の共同作戦に入る。今、このへーリオスは革命軍に落とされかけている、というより状況から言えば既に落とされている。戦士である貴方たちはすでにわかっていると思うが、おれたち帝国と手を組まない以上、今の騎士団だけでは撤退する他、全滅の道しか残されていない」
異を唱える者もヤジを飛ばすような輩もいないのは、この場で千聖の言葉に耳を傾けているほぼ全員が、言葉の通り現状の戦況と共闘の必要性を察しているからだ。
その共闘を帝国側から申し出た理由について納得できるものであるかを、そのうえで帝国将軍が信頼するに値する存在かを判断するために、彼の言葉を待っている。
「共闘を申し出たのは他でもない、このおれだ。
だが勘違いしないでほしい。へーリオス防衛のため共闘を申し出たとはいえ、これはおれたちヘルヘイム帝国のために過ぎない。帝国は、アスガルド王国に手を貸すつもりはない。 が、革命軍がこのへーリオスを落とす、それをやすやすと許すつもりもない。何故ならこの地に隣接する帝国の領土ヘルフィニスには平和に暮らす住民がいるからだ。
だが革命軍が此処を落としたとなれば、ヘルフィニスの平和はすぐに脅かされることになるだろう、それだけは見過ごせない」
台に立ち、皆に向かって語る千聖の姿を、ルナはずっと見上げていた。
これだけ注目を浴びても顔色一つ変えずスラスラ言葉を紡ぐその将軍は、先ほどまで会話をしていた少年とはまるで別人のように、ルナの瞳に映る。
てっきりテントで見せた低姿勢をここでも披露するものと思っていた。
直前に一人で演説するのが心細いなんて言っていたが、心細さなんてものは微塵も感じないほどに、語る内容も口調も強気だ。
「繰り返すが、おれはアスガルド王国に協力するのではない。帝国の住民の平和を守るため、命を懸けてこの地を守らんとする貴方達と協力するつもりで共闘を申し出た。
おれには今、ここで革命軍に対抗できるほどの兵力がない。貴方達が力を貸してくれたなら、おれは将軍として、貴方達を確実な勝利へと導くための指揮をとる。
これはくだらない貸し借りなんかじゃない。お互いに、自国の為だ。
貴方達は王国の土地を守るため、我々は隣接する土地に住まう住民を守るために、今は手を組み、ともにへーリオスを守りたい!」
千聖は一旦言葉を区切り、こちらに顔を向けている騎士達の表情を確認する。
皆真剣に聞いてくれているようでひとまずはほっとした。
共闘の利害関係についてはこれで明確化した。おそらく大半は納得しただろう。
一度、大きく深呼吸する。
あとは感情の問題だ。
「ただ、この共闘の参加を強制はしないし、おれにも強制力はないから、どうしても嫌なら抜けてくれて構わない。抜けたからといって、今この瞬間から敵として扱うことはしないし、非難することもしない。それも国を想った立派な選択の一つであると尊重する。
最後まで自分たちの手で領土を守りたいと思う気持ちや、最後まで王や騎士団長の元、命を使いたいという忠誠心や愛国の気持ちは素晴らしい。騎士にそこまでの忠誠を誓わせている国王についても、敵ながら尊敬に値する。
だけどよく考えてほしい。
最後まで騎士団のみで戦うことを選んだとして、国王や団長は、忠誠を尽くした結果の死を喜ばしく思うだろうか。撤退することを選び、仮に帰還できたとしても、ここまでの犠牲を払ったうえに土地を奪われた貴方達は、国王や団長を前に胸を張って立つことが出来るだろうか。理想は、へーリオスを守り抜き、胸を張って帰還することではないか?」
共闘を受諾した騎士団の指揮官として、演説する帝国将軍の横に立つ。
将軍の発言により説得力を持たせるため。その役割を持ってここに立っていたはずのルナは、気が付けば一兵士として、その演説に聞き入っていた。