籠の中の龍 -罪の所在-
「おい、何が起きてる? 説明しろ」
返り血なのか、自らの姿も血に染め泣いている息子に聞くことはせず、案内してくれた帝国兵に質問の矛先を向ける。その兵は明らかにおびえた様子で聖我を盾にし、千聖から身を隠していた。
「あ、あそこに……」
そういって指さしたのは千聖ではなく、その隣の牢獄。
錠の掛かったそこには誰かが収監されているようだった。
もう一度息子に視線を戻せば、そこに収監されている人物を守る様に立っている。
一言残し、それ以降なにも言わなくなった兵からこれ以上情報を引き出すのは諦めて、聖我は檻まで歩みを進めていった。
檻の中に入っているのもまた子供。
見慣れた赤髪のその子供は俯いている。近付く聖我に気が付き、上目使いで睨みつけるその視線は、鋭さと冷たさを宿すのみ。
「お前、恐夜か」
千聖と同様血に濡れた恐夜に、いつも庭で遊んでいた時の面影はなく、子供らしさのかけらなどどこにも残っていなかった。それに、今までとは明確に違う点がある。こちらを睨みつける眼光が一つしかないのだ。本来右の眼球が埋まっているそこの瞼は窪み、真っ暗な眼孔が瞼の隙間から顔を覗かせていた。まるで血の涙でも流しているように、眼孔から顎にかけて血が零れ落ちている。
「お前……右目は、どうした……?」
聞いてもそれについての答えは返ってこない。ただただ、こちらを睨みつけるだけだった。
睨みつけてはくるが、それは聖我に対して何か怒りがあるというわけではなく、天敵を警戒する野生動物のようであった。
「父親はどうした」
「死にました」
「母親は?」
「千聖に殺させました」
温度の宿っていない声。
青白い顔に、まっすぐ聖我に向けられた怪しい光を灯した左の瞳。
彼の姿を遮る鉄の格子が、どこかしっくりくるような感じがした。
目の前の子供はそれほどまでの獰猛さを孕んでいる。
「これ、全部お前がやったのか、千聖」
「だって……恐ちゃん、殺されちゃうからっ」
そんな恐夜とは対照的に、千聖は涙と鼻水と血で滅茶苦茶になった顔で駄々でも捏ねるようにそう叫ぶ。その声が冷たい石に囲まれた空間に木霊した。
恐夜が殺される? なぜこいつは収監されている? 影野が死んだ? 母親を殺させた? 千聖はただ言う事を聞いたのか? 一体何が起こった……? 何をした? 何をさせた?
状況が把握できず、理解も出来ない。
見渡せば、床に散らばる肉塊は原型をとどめていないものが多い。
かろうじて姿が分かるものもあるが、見る限り身体の内側から破裂しているようだった。
普通の殺し方ではない。
「千聖……これを開けろ」
血のついた手で目元の涙をごしごし拭う千聖に、そう命令したのは恐夜だった。
変わらず泣き続ける千聖だが、瞬間、ゾンッと心臓に響くような低い音と鉄の擦れるような甲高い音が地下全体に響き渡る。
聖我はその不協和音に、恐夜を閉じ込めていた格子へと視線を向け──大きく曲がった鉄の格子に、ぞっとした。円を形作るように、鉄が曲がっている。ぐにゃりと曲がる鉄は、まるで高温で溶けたかのように赤く光っていた。
恐夜の言葉を合図に起こった現象。
千聖は何の素振りも見せなかったが、これはこの子がやったのだろう。
おそらく、他の牢も。
一体なんだというのだ、この子は。
魔法なのだろうが、まるで世界を自分の意志のままに動かしているようで気味が悪い。
言い知れぬ不気味さを自らの子に感じながらも、恐夜が出てくる前にこの穴を塞がねばと熱され曲がった鉄へと手をかざす。空気中で渦巻くように水のしぶきが巻き起こり、穴を補完するかのように水の格子を生成した。
それと同時に後ろから「部屋を用意しましたので、ご子息様を連れてこちらに」と声が掛けられる。先ほどの兵士の声とは違うものだ。
「これは魔法じゃねえ。水龍の力だ。何をしたのかは知らないがお前はもう出られないぞ」
目の前の格子に閉じ込められた少年は、もう子供扱いしていいモノではないと察した。
恐夜にそれだけ言い残し、しゃくりあげて泣く千聖を抱き上げて出入口の方へと歩いていく。狂ったように「恐ちゃん、恐ちゃん」と暴れる千聖の背中を叩きながら、大丈夫と言い聞かせ、その場を後にした。
一体何が起こったのか、何も聞かされないまま数時間を用意された部屋で過ごした。
恐夜だけが牢に入れられ、千聖に部屋が用意されているのは身分の違いだけが理由だろうか? 先ほどの様子を見るに千聖は恐夜の指示に従っているように見えた。恐夜から命令されない限りは人を襲っていないということか? 考えたところで憶測の域をでることはないが、それでも思考はいくつもの憶測を生み出していく。
あの惨状は、千聖がやったのだろう。牢を破壊したのも、あの肉塊の海も。
そしてそれはあの場だけではないはずだ。一体何人を手に掛けた?
この年の子供は人を殺してはいけない、ということが分からないのだろうか。
いくら友達が危ないとはいえ、命を奪うという事がどういうことか、全く想像つかないのだろうか?
疲れてしまったのか、ひとしきり泣いた後眠りに堕ちた我が子へと視線を向ける。
それともこの子供──千聖は、思っているよりもずっと普通じゃないのでは……。
千聖が眠りに堕ちてすぐ、燐湖も部屋にやってきた。
この部屋に辿り着くまでに大勢の命を奪ったという事だけは聞いたらしく、聖我の姿を見るなり崩れ落ちて泣き始める。そんな妻の肩を抱いて、なんと言うべきなのか考え始めたところで、燐湖を連れてきた兵士が今度は聖我に付いてくるようにと指示してきた。
千聖の監視を燐湖に任せて、聖我は兵士に案内されるまま城の外へと出ていった。
しばらく歩かされた後、到着したのは影野の自宅。
そこもまた血に塗れていた。荒れに荒れた家の中に土足で入り、辿り着いたのは影野の書斎と思われる部屋。この部屋だけは争った痕跡もなく、壁一面の本棚に所せましと並べられた本の上部に埃がうっすら被っているのがわかるほど。ただ他の部屋と同様にこの部屋の床も血で濡れていた。とはいえ血がぶちまけられているだけじゃない。血で、何かが描かれていた。
「ここが現場です」
「床のは、魔法陣か……?」
何の現場なのかは聞かされないまま。
どこかで見たことがあるような魔法陣の形式だ。
異世界転送用のものに似ている。ということは、魔法が使えない死神でも発動できる類のものなのだろう。もしかしたら、と、聖我の中で一つの可能性が生まれる。
恐夜は、父親は死んだといった。殺されたとは言ってない。
そもそも影野の遺体はどこにある?
「影野の遺体は」
「ありません」
その答えに、聖我の中にあった一つの可能性が、確実なものとなる。
ここで何が起こったのか。
「──魂削武器生成……か」
魂削武器生成。
己の魂を削って、二本目の武器を生み出す禁忌。
死のリスクが非常に高いその禁忌は、失敗すれば魂はおろか身体すらも消え去る。
例え成功したとしても、二本目の武器を持つ者はその力の強大さから必ず極刑が下る。
禁忌の成功を認知し、黙認した周りの者にも同じく極刑が下される。家族だったとしても。
聖我は血で描かれた魔法陣を手でなぞる。
乾き、変色した血液がパラパラと崩れた。
脳裏に浮かぶのは片目を失い、人が変わったような形相になっていた恐夜。
年の頃は7つ。そんな子供が一人で禁忌を行えるとは思えない。
「影野……お前がやったんだな」
身体すらも消え、もはや言葉が届かないのはわかっている。
あいつは禁忌を犯すほどの馬鹿だったというのか。
確かに思い返せば力に固執するきらいはあったが、ここまでとは思っていなかった。
一体何を目的として生きていたのだろう。
何を成し遂げたくて、こんなことをしたのだろうか。
理由がまるでわからなかった。
無残にも失敗し、身体すら喪失していく様を、息子の恐夜が目撃したのかもしれない。
何か余計なことを教え込んでいた可能性もあるが、失敗し魔法陣だけが残されたこの部屋で、恐夜が父を真似て同じことをしたのだろう。
そして奇跡というのか皮肉というのが正しいのか、息子は方目を犠牲に成功してしまった、と。
もしかしたらそこにタイミング悪く千聖が遊びに行ってしまって……あるいは、こうなることを見越して千聖を呼び出したか?
これが禁忌であり、知られたらどうなるかを聞かされていた恐夜は、恐夜を咎めた大人を千聖に殺させたのだろう。相手が母親であったとしても。
それから騒ぎを聞きつけた近隣の住民が帝国の兵を呼び、大人が駆けつければその分、千聖が恐夜を庇い続けた。
きっと自分がここに連れて来られたのは、口頭で説明するよりも一目見た方が理解が速いと思われたのだろう。
相棒を失った悲しみなんて微塵も感じなかった。
悲しみどころか、ふつふつと湧いてくるのは怒りの感情。
禁忌に手を出すなんて馬鹿じゃないのか。一体何を考えていた?
そんな馬鹿なことに俺の息子を利用しやがって。そんな怒りが一番強かった。
***************
影野の自宅から城の部屋に戻れば、やつれた燐湖がベッドの上で未だに眠っている千聖の頭を撫でている。その隣に聖我も腰を掛ければ、か細い声で燐湖が「地下に行きました」と言葉を零した。あれが片付けられていたとは考えにくい。きっと燐湖も見てしまったのだろう、自らの子が作り出したあの凄惨な光景を。
「すみません……私のせいなんです……」
「それは違うだろ……影野の家を見てきたが、千聖は利用されたんだ」
聖我の慰めに、そういうことではないんですと燐湖は反論する。
自分の身体を抱きしめるようにして燐湖は小刻みに震えていたが、聖我にはその理由がわからない。我が子が数も数えられないほどの命を奪った事実に震えているのかと思ったが、どうもそれだけではないように思えた。
「地下の惨状は、全て魔法によるものです」
「だろうな。燐湖が習得していたものか?」
「いいえ。知識だけは持っていましたが、私では扱えないものです」
息子は燐湖が持つ魔法の技術をそのまま継承しているはず。知識しかないものを何故扱えるのかは不明だが、燐湖の中にある魔法の知識を全て継承し、それを扱えるのだとしたら……魔界で魔法を研究していた燐湖の知識は相当なものだろうから、千聖が使える魔法も相当数あるのだろう。
「燐湖たちはどんな魔法を研究していたんだ?」
聖我の問いに、千聖の髪に触れる燐湖の手がピタリと止まった。
「古代エルフが残した魔法……の中でも呪術師と呼ばれた者が残した呪術の類です」
呪術ときいて妙にしっくりきた。
身体が内側から爆発したような狂気じみたあの死にざま……。
「決して有効範囲は広くありませんが、仕掛けた範囲に踏み込んだ相手の体内に巡る魔力を暴発させ、その身を内側から破裂させる呪い……発動のトリガーは自分に向く強い恐怖心、です」
「そんな魔法が……」
一人でも強い恐怖心を持つ者がいればそいつが破裂し、それを見た者が恐怖心を抱き、連鎖的に人が死んでいく。そんな恐ろしい魔法が世界に存在するのか。
「古代魔法は普通、古代エルフにしか使えません。人間や天使が使おうとすれば、大概はたくさんの命と引き換えに、です。それは魔法の発動のさせ方が違うからであって……」
聞けば、古代エルフが魔法を発動させる場合、自分の中の魔力ではなく自然に存在する木や水、太陽の光から魔力に似たエネルギーを借りているのだとか。それを人間や天使が発動させるとなると同じ方法がとれず、命を消費することになると。
「コイツは水龍の力を継いでいるから水があればそこから魔力を得られる。例え水がなくても空気中の原子から水を生み出すことで発動か可能だったつーことか」
「この子はきっと、自分が魔法を使っているという自覚がないんです。こうしたい、という思いで無意識に発動させているのかと」
「燐湖がしっている呪術はこれだけか?」
「いえ……他にも、いくつも。きっと、あの魔法が一番人を殺めるのに効率的だと……千聖の中の、私の智識が判断したのでしょう……」
聖我は頭を抱えてため息を零す。
どうしたらいい。これからさきそんな子供をどう教育したらいい?
無自覚だというのなら、「消えて欲しい」と思った相手をその願いだけで殺す可能性も否めない。
いや現に、この惨状がそうなのだろう。
そんな子供が、罪を理解できるのか。
「まるで、化け物だな」
そう零して、笑うしかなかった。