表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

杉原千畝の功績

作者: 各務原逍遥

『世界は大きな車輪のようなものですからね。対立したり争っ

たりせずに、皆で手をつなぎ合って、まわっていかなければな

りません』


 明治三十三年(一九〇〇)岐阜県加茂郡八百津町に生まれる。

第二次世界大戦時、リトアニアのカウナスに昭和十四年(一九

三九)日本領事館代理として赴任し、ドイツのヒトラー率いる

ナチスの迫害によって、逃げて来たユダヤ難民の人々に、本国

の命令に背いて次々と、人道上からビザを時間の許す限り発行

し続けた。

 そして、六千人ものユダヤ人を救った人物こそ、日本のシン

ドラーといわれた、杉原千畝すぎはらちうね

 実際には、リストに書かれていない救済された人達を加える

と、膨大な数字になるのではないだろうか。

 

 戦後60年ドラマ《六千人の命のビザ 杉原千畝物語》が、

二〇〇五年十月にテレビで放送された。これをリアルタイムで

観ていた。

 実は、このドラマを観る前に、映画『シンドラーのリスト』

を、ビデオで三回ほど観ていたから、杉原千畝物語は、しこた

ま感動を受けたのを覚えている。

 思うに、ユダヤ人がイスラエルという国を建国した経緯は、

想像を超えるものがあったであろう。

 このドラマを観た後、車を走らせて岐阜県八百津にある

《杉原千畝記念館》を訪ねた。

 そして、当時の資料や写真、また実際に杉原千畝が発行した

ビザも見てきた。

 また、毎月愛読している郵趣サービス社発行の『スタンプマ

ガジン』に、この記念館で撮った写真二枚と記事を書いて投稿

し、掲載をしてもらっている。


『私のした事は、外交官としては間違ったことだったかもしれ

ない。しかし、私には頼って来た何千人もの人を見殺しにする

ことはできなかった』


 杉原千畝の、まさにのりを越えずである。



 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ