杉原千畝の功績
『世界は大きな車輪のようなものですからね。対立したり争っ
たりせずに、皆で手をつなぎ合って、まわっていかなければな
りません』
明治三十三年(一九〇〇)岐阜県加茂郡八百津町に生まれる。
第二次世界大戦時、リトアニアのカウナスに昭和十四年(一九
三九)日本領事館代理として赴任し、ドイツのヒトラー率いる
ナチスの迫害によって、逃げて来たユダヤ難民の人々に、本国
の命令に背いて次々と、人道上からビザを時間の許す限り発行
し続けた。
そして、六千人ものユダヤ人を救った人物こそ、日本のシン
ドラーといわれた、杉原千畝。
実際には、リストに書かれていない救済された人達を加える
と、膨大な数字になるのではないだろうか。
戦後60年ドラマ《六千人の命のビザ 杉原千畝物語》が、
二〇〇五年十月にテレビで放送された。これをリアルタイムで
観ていた。
実は、このドラマを観る前に、映画『シンドラーのリスト』
を、ビデオで三回ほど観ていたから、杉原千畝物語は、しこた
ま感動を受けたのを覚えている。
思うに、ユダヤ人がイスラエルという国を建国した経緯は、
想像を超えるものがあったであろう。
このドラマを観た後、車を走らせて岐阜県八百津にある
《杉原千畝記念館》を訪ねた。
そして、当時の資料や写真、また実際に杉原千畝が発行した
ビザも見てきた。
また、毎月愛読している郵趣サービス社発行の『スタンプマ
ガジン』に、この記念館で撮った写真二枚と記事を書いて投稿
し、掲載をしてもらっている。
『私のした事は、外交官としては間違ったことだったかもしれ
ない。しかし、私には頼って来た何千人もの人を見殺しにする
ことはできなかった』
杉原千畝の、まさに矩を越えずである。