第87話『心の形』
桜香と健輔が激闘を繰り広げる少しだけ前、もう1つ重要な戦いが行われていた。
クォークオブフェイトを殲滅するために桜香が投入したのは自らだけではない。
もう1人、この場には怪物はいる。
チームの主柱たる桜香と同じ色を纏い、黒き破壊者は圧倒的な火力を見せ付けていた。
「ああ、もう! 嫌になるわねっ」
対峙するのは流星の姫。
クォークオブフェイトを援護する訳ではないが、彼女は健輔に借りがある。
勝手に彼女が借りだと思っているだけなのだが、アリスは義理堅い女性であった。
相手にその気があろうが、返す時には返すのである。
「健輔への借りと、私の矜持。どちらも満たす戦いというのは、中々に気持ちがいいわね!」
「実にイイ笑顔ですわ、アリス様」
アリスの顔には輝かしい笑みが浮かぶ。
ハンナに匹敵するほどの相手との砲撃戦。
桜香や葵、レオナとの戦いが嫌いな訳ではないが、やはり同じジャンルは格別であった。
同類だからこそ感じる差異が楽しくて仕方がないのだ。
「ここまで通じないと笑えるわね!」
戦況は劣勢。
アリスの技は欠片も通じないままに粉砕されていく。
それでも相手を留められているのは、アリスの努力の証であった。
「あー、もう、やっぱりいろいろと上手くいかなかったわ」
「仕方ないでしょう。全てを自分の思うが儘に、というのは傲慢ですよ。アリス様」
「わかってるわよ! でも、愚痴くらい吐いたってじゃない」
涼しい顔の友人に唇を尖らせて抗議する。
アリスだって、少しは弱気になることがあるのだ。
慰めて欲しかった訳ではないが、流石にバッサリと斬られるのは思うところも生まれる。
「一芸だったら押し潰せたのよ。それを技巧まで磨かれてるんじゃ、反則って思ってもいいじゃないの」
「敵は進歩するものですわ」
「もうっ、わかってるわよ!」
高速移動を行いながら、アリスは2重のバレットを展開する。
砲弾を包むように展開されるものは相手の破壊系を相殺するために用意した術式。
もう1つはごく普通の砲撃術式。
高度な術式を戦場における最高速度を維持しつつ展開する。
アリスの極端なバトルスタイルの一端が見え隠れしているが、本人としてはこの方向性に確信を持っていた。
ハンナは自らも白兵戦技能を持つことで上位ランカーや近接戦を挑む者たちに対抗しようとしたが、これはハンナだからこそ出来ることだ。
アリスにはそこまでの才能はない。
自分に最適なスタイルを考え抜き、その結果がこの戦い方となった。
憧れに惑わされない強さは、彼女が持つ隠れた特性である。
激情家であるが、1年に渡る期間と敗北の経験は少女にもう1つの側面を与えたのだ。
「ヴィオラ、いけるわね!」
「問題ないですよ」
外側の術式にヴィオラの魔力が注がれる。
アリスが展開した術式の側に本命を注いだことで破壊系を貫く術式が完成する。
友との絆、2人だからこそ出来る技であった。
「潰れなさい!」
乱射される流星群。
真由美を超える連射力が正しく香奈子へと放たれた。
「ん、来た」
言葉少なく、しかし強い意思でアリスの攻撃を見つめる。
高速で展開される砲撃術式はシンプルな構成で纏まっていた。
香奈子の本質は破壊系による特異な火力。
ハンナや真由美を凌駕する火力は対魔導師において彼女が頂点に立つ砲撃魔導師だと証明していた。
「いけ」
確かな技量の向上。
桜香という究極の魔導師との練習は香奈子をより高みへと引き上げている。
破壊系の特性だけでなく、魔導師としての質そのものが上昇していた。
アリスには劣るし、真由美にも届かないがベテラン域は超えた領域の連射力でアリスの流星群を黒き魔力が迎え撃つ。
どれほどの規模と威力であろうが、香奈子の破壊系は敵を滅する。
魔力に対しては間違いなく最強の一角なのだ。
チームメイトである桜香もそうだが、香奈子も圧倒的な防御と破壊力を両立させる存在であった。
努力にも不備はなく、心にも油断はない。
いつも通りの、最高の砲撃であった。
香奈子に落ち度はなく、仮に1つだけ明確なミスがあるとすれば、
「え……」
破壊系がいつまでも無敵だと、幻想を抱いていたことだろう。
アリスと香奈子。
両者の砲撃はぶつかり合って、香奈子側の攻撃の消滅という結果が示される。
貫いたのはアリスの力。
予想外の出来事に香奈子の反応が一瞬遅れる。
そして、彼女相手にその一瞬は致命傷であった。
「――貰ったわ」
相手の反応を待っていたプリンセスは本命を叩き込む。
傍らで従者の如く佇む友人を携えて、アリスは黒き破王を普通の魔導師の1人に叩き落す。
破壊系の特性ゆえに香奈子は強かったのだ。
ここが突き破られると一気に脅威が落ちる。
世界大会まで戦い抜いたことでランカーに迫る実力は十分にあるが、中位ランカーに匹敵するには破壊系の特性を抜きには語れない。
アリス側の砲撃も相殺されているが、相殺という結果ならば軍配が上がるのはアリスであった。
ハンナに連射力で及ばず、真由美には破壊力で及ばない。
しかし、前提を入れ替えればアリスは両者を上回る。
ここまでがごく普通の砲撃魔導師としてのアリスだが、彼女には彼女だけのバトルスタイルがあった。
アリスが重視したのは、対応力であり小回りである。
砲撃型のバトルスタイルの特徴であった防御を捨てる代わりに、あらゆる機動を上昇させた。
それは移動速度の高速化もそうだし、今のように攻撃術式の高速展開も含まれる。
「悪いけど、戦いって進化するものよ。執念は素晴らしいけど、ちょっと落ち着きすぎじゃないかしら」
アリスは未熟者である。
ハンナと比べればムラが多く、感情の起伏を完全に制御出来ているとは言えないだろう。
真由美と比べても同様の結果が待っている。
これらは事実であり、アリスも認めていることだった。
アリス・キャンベルは自分が弱いと知っており、だからこそ思考することを続けている。
健輔がかつてヴィオラから能力の工夫というやり方を学習したように、アリスは諦めずに考えることを学習していた。
健輔や、本家であるヴィオラ。
どちらとも接触する機会があるのだ。
貪欲に学習した形が今のアリスだった。
「じゃあね。今回は私の勝ちよ」
再度断言しよう。
アリス・キャンベルは未熟者である。
勘違いしてはならないのは、未熟であることは弱いということを意味しないことだった。
魔導の世界で誠に完成された者など存在はしない。
誰もが未熟であり、完成はしていないと主張するからこそ、魔導はどこまでも進化していく。
破壊系を破るような技術が現れるのも至極当然のことだった。
誰もが上を目指すからこそ、敵の武器に対抗はする。
「ん、見事。次は、負けない」
閃光が香奈子を飲み込み、アリスの勝利を高らかに示す。
潔く敗北を認めた香奈子の声は遠距離ゆえに届かないが、意思はアリスの下に確かに辿り着いた。
「ありがとう。私を認めてくれたのね」
「アリス様は、努力家ですもの。香奈子お姉様もしっかりと見て下さってますわ」
「……そっか。だったらいいけど。それよりも、ヴィオラ?」
「ええ、ヴァルキュリアがクォークオブフェイトと交戦中。我がチームもお姉様を中心に抗戦しております」
香奈子と戦う間にも状況は動く。
ヴァルキュリアがクォークオブフェイトの残存を狙い、それを優香と葵が食い止めているのが現在の戦況だった。
自分という戦力の使いどころを考えてアリスは決断する。
「太陽を狙いましょう」
「御意」
香奈子の進化にアリスが進化で応え、この場においては勝利を手にした。
常に上昇するのがアリスの本懐。
この戦場で最高の激突が行われるのは、間違いなくそこになる。
見逃す手はないだろう。
「見せて貰うわ、健輔。あなたの今の強さを」
同じように姉と真由美から手解きを受けた者がどれだけ自らの技を昇華させたのか。
不敵な笑みを携えて、少女は空を掛ける。
輝く軌跡は閃光の如く。
シューティングスターズのお転婆姫は絶好調であった。
対峙する健輔と桜香。
因縁の対決だが、両者の表情には何も浮かんでいなかった。
健輔を見て冷静になった桜香と、チームの戦況を鑑みて冷静になるしかない健輔。
内情に差はあるが、表に出ている情報は一致している。
シューティングスターズとヴァルキュリアが圧力を掛けている以上、彼らは手を抜けないし、同時にここから去ることも出来なくなった。
どちらか片方、勝者のみが此処から先に挑戦しないといけない。
優香と葵の援護のない独力での激突。
強くなったフィーネを更に正面から粉砕する。
怪物としての在り方を改めて示した桜香に健輔は何も言わずに剣を構えることで意思を示した。
前回からの成長を見せる意味でも後ろに下がる選択肢は健輔にはない。
勝利を以って、帰還する。
それしかないのである。
「いくぞ」
過った記憶を全て過去にして、健輔は駆け抜ける。
自らの感傷などこの場面では邪魔でしかない。
チームの危機を救うのがエースである。
誰が相手であろうが、健輔のやることに変化はない。
わざわざ最強であることを意識する必要はなかった。
やるべきことは、シンプルに纏まっている。
挑み、勝利するだけであった。
「――受けて立ちます」
桜香の立ち振る舞いが洗練されていく。
それまでの最強が演技だとすれば、こちらは自然体での振る舞いなのだろう。
どちらが上、ということはないがより自分らしいのは後者であった。
今までの戦いであった『最強』への拘りが抜ける。
健輔と戦う時の桜香は『最強』なのだ。
スイッチを切り替えるかのように、誰と戦うよりも完璧な状態を彼女は見せつける。
客観的には絶望的な戦局。
魔導を次の段階へと押し上げかねない怪物と、回帰から道を切り拓こうとする男。
現段階で後者の方はそもそも可能性すらも見えていない。
「セット」
展開されたバレット内で剣を生成する。
リミットスキルとは系統を極めた力だが、健輔のこれはまだ真似事に過ぎない。
万能系が本当は各々の系統を模したものではないことを彼は知っている。
万能系のリミットスキルがあり、そこに至った時に本当の意味で他の系統のリミットスキルにも手が届く。
これが意味することは何なのか。
現状の健輔のリミットスキルは完全ではないということだった。
1人で戦えば、この僅かな差が致命傷となる。
「構成が、甘い」
一太刀。
振るわれた剣はそれだけであり、たったそれだけで健輔の技を塵へと変えた。
統一系の漆黒の魔力が全てを粉砕する。
立夏のように完全に1つの物質に切り替えるのは相応の熟練度を求められる。
彼女が物理的な力に特化したのは、魔力――つまりは純粋な魔力の技では桜香に勝てないと踏んでいたからだ。
健輔も認める見解だが、完璧に真似るにはやはり力量がネックとなる。
これまでも繰り返された結論、確かめるまでもなく結末はわかっていた。
「くっ!」
「どうしましたか! 鈍ったように感じられますが!」
「抜かせ!」
桜香の猛攻。
一瞬で間合いを詰めて剣で連続攻撃を放つ。
言葉にすれば単純なのだが、一撃が重すぎる。
健輔が対処可能なパワーを明らかに逸脱していた。
たった一ヶ月で前よりも更に強くなっている。
リソースの集中など焼け石に水も良いところであった。
「笑えるなっ!」
フィーネがやられた時に思ったことだが、本当に桜香の才能は恐ろしい。
何より持ち得る能力が反則としか言いようがないだろう。
魔導吸収や系統融合など危険な能力はいろいろとあるが、健輔が罵倒したいのはある1つの能力だった。
昨年度は1年生だったこともあり、切り札としての運用が多かったが今年はそうもいかない。
先輩として健輔は獅子奮迅の働きを見せた。
これ自体は否定するべきことはではないが、確かなマイナス面もある。
短時間であろうとも、極限の集中を強いられる戦場。
これこそがあるものを健輔から奪っていた。
「キレがない! まさか、この程度で体力が尽きましたか!」
「はっ、どうだろうな!」
桜香の罵倒に苦笑しかない。
戦場を全力で飛び回り、かつ周囲へのフォロー。
おまけとばかりに最強の魔導師とのタイマン。
試合も30分を超えて既に中盤なのだ。
健輔が疲労するのも当然だろう。
「口は動くが、身体は正直だな……」
桜香の攻撃をなんともないように装いながら決死に防ぐ。
口と顔だけは決して崩さない。
仮に踏み込んでくるならば、瞳で殺すつもりで睨みつけていた。
虚勢であろうが、看破されなければ本物である。
「それでこそ!」
健輔の反撃に嬉しそうに笑う桜香にフィーネとの戦いの消耗はない。
魔導師は超人であるが、疲労を知らない訳ではないのだ。
桜香の持つ固有能力『魔導安定化』が彼女を最適な状態で固定してしまっている。
どれほどの激戦であろうとも彼女を消耗させることは出来ない。
この試合でならば4つ巴の決戦も、フィーネとの決闘ですらもダメージはあれど疲労はないのだ。
常に最高のポテンシャルを発揮する怪物は疲れている人間の戦士を嬉しそうに蹂躙する。
悪意など欠片もないが、明確なスペック差を叩き付けられる方は堪ったものではない。
『マスター……!』
陽炎の声に応答する余裕も無くなってくる。
わかっていたことだが、エースとなってチームのために戦うのは想定以上に心身を蝕んでいた。
健輔は不屈の男であるが、緊張などを感じない訳でも疲労しない訳でもない。
超人ではないゆえに不屈なのだが、超人ではないことがこの局面では明確な枷となってしまう。
怪物を倒すには自らも怪物になるか、英雄にでもなるしかないが、健輔は前者には才能が足らず、後者になるには些か条件が足りない。
「ふふ! これは、どうですか!」
無造作に、そして圧倒的に叩き付けられる力。
逸らせるのは彼の身体が身に付けた技のおかげである。
日々の反復が、彼を活かしていた。
リソースを絞ってなんとか対抗していた相手なのに、既にリソースをある程度使った後に相対すればこうなってしまうのも当然であろう。
弱った健輔と全開の桜香ではどう考えても後者が強い。
『――それでも、俺は諦めない。そんな事を考えてるでしょう?』
激戦の最中、揶揄するかのように、しかし、親愛を感じさせる声が心に響く。
少女の声は今までないほどに柔らかい。
声の持ち主を気性を思えば、本来はそちら側なのだろう。
いつも怒鳴らせて悪い、とそんな状況でもないのに反省心が湧き上がる。
信じていたし、とても嬉しい。
同時に申し訳なくも感じる複雑な感情を押さえて、健輔は不敵に言い放った。
「はっ、わかるか!」
『わかるわよ。誰が1番、あなたのサポートをしてきたと思ってるのよ』
言葉は厳しいが口調は優しい。
全部わかっているからこそ、健輔が1人で戦えるように彼女はサポートしてくれていた。
健輔もわかっていて好意に甘えていたのだ。
たった1人では大したことがないとわかっている。
センス、などというのものも裏付けがないとただのハリボテだ。
健輔が戦えるように、1人でも大丈夫なように、目立たなくとも準備をしてくれたのは真由美であり、葵であり――美咲であった。
「1人で、強くなりたかったけど……まあ、柄じゃないか」
挑むことは決して諦めない。
しかし、現実は認めるべきだろう。
佐藤健輔に才能はなく、誇るべきものは度胸となんとなく備わっていたセンスぐらいだ。
強さの源泉、才能で言えば朔夜などの方が余程芽がある。
他の誰が否定しても健輔はそう思っていた。
弱い自分が強くなるために必死にここまで歩いてきたのだ。
憧れは未だ遠く、理想には手が届かない。
どうしようもない現実をしっかりと見据えて――その上で、
「頼む、美咲。俺を、上に連れて行ってくれ」
『任せて。……うん、1人でなんでもっていうよりも、そっちの方が私はらしく感じるよ』
「俺は1人でやれる方がかっこいいと思うけどな」
『見解の相違ね。私は、支えてあげたくなる人の方がいいと思うな。1人で戦えるのは、寂しいじゃない』
桜香のように1人で在れてしまう強さは少し悲しく見える。
歩み寄ればどうとでもなるのに、1人でいれる強さを見せつけてしまうのだ。
美咲は健輔にそんな寂しい道を進むくらいならば、頼ってくれた方がずっと嬉しかった。
少女の心は男には理解は出来ても納得は出来ないだろう。
叶うならば、健輔は1人でやりたかった。
「まあ、わからんが、でも、だからこそ大事なんだろうな」
『今日は、本当に素直なんだから』
自分にはないものだからこそ、きっと素晴らしい。
全幅の信頼を籠めて、健輔は美咲を受け入れる。
何をするにも、まずはスタートラインに立つ必要があるのだ。
この場所こそが、エースとしてのスタートライン。
才能の怪物との終わりのないマラソンの始まりだった。
頂を見上げるだけでは味気ないからこそ、健輔は全力で駆けあがる。
『いきましょうか』
「おう」
両者の想いは重ならず、お互いの理想はずれている。
それでも、いや、だからこそ2人は理解し合うために手を取り合う。
どちらがより強いのか。
答えはきっと出ないが、どちらも1つの強さであることは間違いないのだ。
己の理想を体現している九条桜香という強さに、理想とは異なる強さで健輔は挑む。
憧れたまま、憧れを超えていく。
1人では届かぬ頂に、誰かと一緒に手を伸ばす。
不屈の男が確かに例外を認めた瞬間、この時に彼の進む道は決まったのかもしれなかった。
男に少女の技が宿り、少女の可能性が花開く。
怪物は1人ではない。
この戦場にいる隠れた才能が、ついに同類に牙を立てた。
『不可逆の螺旋――回帰を超えて、原初に至れ』
「今日から、俺は――俺を超える」
健輔では導けないモノも、美咲には描くことが出来る。
2人だからこその合体技。
回帰を超えて、原初に至る。
『モード展開『原初・万華鏡』』