第85話『総力戦』
桜香すらも上回る速度で最初に動いたのは圭吾だった。
即時展開される糸の結界。
桜香にも縁深い女性と酷似している魔の領域が彼女を捉える。
地の利を作り上げて、干渉領域で敵の力を削ぎ落とす。
相手を弱体化させて戦力の低下させる王道の戦略だが、この手の魔導師はあまり数が多くない。
理由は単純であろう。
「弱いッ!」
「くっ!? やっぱり、こうなるのかっ」
構築した領域が魔力の噴出で消し飛ぶ。
これこそが妨害を主とする魔導師が少ない理由である。
格の差が大きく両者に横たわっている限り、弱体化の力は効果を発揮しない。
藤島紗希、彼女ほどの格を得てようやく戦えるようになるのが、このバトルスタイルの特徴なのだ。
大半の魔導師はよくてベテランで終わる。
錬度も持ち得る能力も桁が違う。
桜香を弱らせたいならば、完成した『不敗の太陽』でなくてはいけない。
当然、圭吾の技と執念は『不滅の太陽』に何の痛手も与えられなかった。
「形は見事! 錬度も十分です。執念も感じますが――」
桜香からの最大級の賛辞。
軽く粉砕しているが、それは自らの強さであってこそと心得ている。
一瞬であろうが、干渉する意思を見せて戦いを挑んだ。
この気概だけでも十分だろう。
遥かな頂に挑める者は多くない。
健輔の親友ということでしっかりと名前を憶えていたが無駄にはならなかった。
憶えるおくだけの価値は存在している。
その上で、しっかりとダメ出しはしておくのだ。
「――まだ自分、というものが弱い!」
「そんなこと、わかってるいるさ。憧れでは、振り向かせられない。それでも、この行為には意味がある! あなたがそうであるように、僕の太陽を舐めるなよ!」
圭吾にとって、この事態は驚くに値しない。
自らの分をよく知っているからこそ、砕かれるのを前提とした第2波が牙を剥く。
「砕けた魔力を、繋ぐ……?」
綺麗に吹き飛んだフィールドを圭吾の魔力が紡ぎ直す。
発想の逆転である。
消し飛ばされない強固なフィールドではなく、仮に消し飛ばされても直ぐに復帰できる柔軟な結界を構築したのだ。
効果も下がってしまうが、0よりはマシであろう。
圧倒的な暴力という評価も生温い最強と戦うために圭吾が磨いた技である。
桜香が最強であり、負けたくないと思うのと同じように、圭吾も憧れの女性の技とその名を守るための努力はしていた。
1人で戦えば誤差程度の縮まりだが、ここにいるのは圭吾だけではない。
圭吾の技がどれほど格下であろうが、対処のために行動すれば必ず隙は生まれる。
「貰う」
「佐竹剛志!」
圭吾が生み出した一瞬の隙を、剛志が的確に貫く。
破壊系を携えて拳士が太陽に立ち向かう。
噴き出す魔力は圧倒的で破壊系でもどうにもならない。
常人と超人の戦い。
結果は見えているが、剛志は怯まずに進む。
怯えた背中など後輩たちに見せられるはずがないのだ。
「ハッ!」
「この程度!」
拳の速度は葵と比べれば雲泥の差だろう。
桜香の強化された視力からは止まって見える攻撃だった。
あっさりと見切って、反撃を放つ。
「まずは、1つ!」
黒い剣は健輔も喰らえば一撃で沈む圧倒的な暴力。
剛志の防御で耐えられるはずもない。
いや、そもそも彼には耐えるつもりがなかった。
これは決闘に非ず。
チームの意地を賭けた戦闘なのだ。
1人の最強で全ての努力を粉砕できる――その幻想を砕くために戦っている。
「和哉、やれ」
「無論、遠慮なくやらせて貰うさ」
「っ、何を!」
桜香の攻撃はもう止まらず、剛志が蹂躙されるのは避けられない。
「まさか――!」
肉の盾。
圭吾がそうであったように砕かれる前提であればやれることはある。
どれほど強くとも桜香は人間なのだ。
相手を倒すのには必ず彼女が行動する必要がある。
愚直であるがゆえに読みやすい行動。
この状況こそが2人の狙いだと気付かずにこうして誘導された。
九条桜香が完全で、無欠などとは程遠いと知っているクォークオブフェイトらしい技であった。
「どうだ? 魔導で強化しているからこそ、こういうのが効くだろう?」
「これは、匂いっ……!」
魔導は身体能力を強化する。
強化し過ぎれば毒となる能力だからこそ制御には気を付けられていた。
桜香ほどの魔導師が制御をミスすることなどあり得ない。
部位ごとに限定された制御は簡単だった。
――何もなければ、という前提が付くのを忘れていなければ、だが。
「気を取られたな」
「グっ!?」
桜香は攻撃対象である剛志ではなく和哉に気を取られた。
匂いという非常にわかりやすい五感に訴える技。
何をしてくるのかと警戒感を強めることも相手の狙いだったのだ。
「小細工を……!」
口からは悪態が出るが、実際には感嘆していた。
全身に防護魔導を展開しているが、自動防御では害として明確に判断されるのは毒などに限られる。
和哉のは刺激臭であったが、それだけのものでしかない。
気を取られた桜香が未熟であるとも言えた。
「私の剣を見切りますか!」
和哉に気を取られた一瞬で間合いを詰めて、ギリギリで剣を躱した剛志も侮れない。
桜香の防御を抜けていないため、ダメージは皆無だが拳は確かに直撃した。
「僕も、まだ墜ちてはいないよ!」
「糸……ああ、もうっ!」
的確なタイミングでの横入りに流石としか言いようがない。
桜香が相手ならば普通は多少の怯えが混じるはずだが、上級生たちには欠片も怯えが見られない。
自分のやるべきことをやる。
彼らの信念はそういう形をしているのだろう。
「流石、と言っておきましょう!」
「チィ――!」
そして、素晴らしい魔導師たちだからこそ、桜香は負けられない。
最強の頂は決して力だけで至った訳ではないのだ。
見事な連携と技だが、桜香は綻びを見抜いていた。
一連の動きから一瞬で中核を読み取った桜香が対象目掛けて一直線で駆け抜けていく。
全身を無敵の魔力で覆った圧倒的なパワープレイに技巧は蹴散らされる。
「怪物が!」
「褒め言葉です!」
和哉の歪んだ表情に笑顔で応じる。
援護しかしていないように見えるが、3人の中で唯一桜香に直接接触可能なのが和哉だった。
他の2人の方が脅威度が高い、と見せかける態度から見てもこの手のタイプは残しておけなかった
戦術の核となっているのも間違いなく彼である以上、見逃してやる理由などない。
「御覚悟ッ!」
「するかよッ!」
和哉も覚悟を決めた表情で桜香に応戦する。
確率が本当に僅かであっても諦めることだけはしない。
素晴らしき闘志に桜香は笑みを浮かべて剣を加速させる。
貰った、桜香が確信した時に――それは起こった。
「やああああああああああああッ!」
「川田!?」
「1年! っ、邪魔です!」
桜香の剣の前に飛び込んできた栞里に2人が驚きを見せる。
和哉ごと粉砕しようと桜香は更に剣を加速させた。
目に見えた結末。
栞里では桜香には勝てない。
そんなことは立ち向かう本人もわかっている。
「それでも――!」
彼女には出来ることがあった。
桜香の剣筋は既に幾度も見たのだ。
1度だけならば、
「力を、技で突き崩す――! 私も、このチームのメンバーだっ!」
「なっ、これは……」
突き出された右腕が桜香の剣と直撃して、攻撃を仕掛けた栞里のライフが一気に吹き飛ぶ。
「ぐぅぅ、ここで!!」
9割削られたが、覚悟を決めた栞里はそのまま流れるように右足で桜香の手元を蹴りあげる。
魔力は全て吹き飛ばされて、ダメージは0でも物理的な現象はしっかりと残留していた。
桜香の手元から魔導機が一瞬であろうが失われる。
誰もが予想していなかった――いや、栞里ともう1人を以外を除いて想像出来なかった光景がこの場にあった。
和哉たちの知らないところで先輩たちすらも囮にした2人の作戦が桜香に届く。
「あなた、いえ……あなたたちは!」
「はああああああああああッ!」
「セット――」
栞里に続くようにもう1人――ササラが右手に雷光と、左手に光を宿して現れる。
この攻撃も桜香には通じない。
通じないが、喰らってよいのかは別の問題である。
後輩の決死の攻勢に和哉たち上級生が燃えないはずがない。
「このまま、立て直しをさせる訳には――」
「いけ、光と雷よ!」
威力的には大したことがなく、統一系のオーラで弾かれているが、桜香の視界を一瞬であろうと奪った。
いくらなんでも敵中で無防備を晒すのはいけない。
脱出をしないといけないのは明白だが、魔導機を失っている状況では桜香も戦力の適切な運用は難しかった。
「ふっ、ふふふふ……流石は、健輔さんのチーム――それでも!」
負ける訳には、いかないのだ。
九条桜香の中で、彼女の才能が意思と呼応する。
見事な覚悟と連携。
1年生にして桜香に立ち向かう勇気も素晴らしい。
全てを評価した上で、桜香は凌駕することを選んだ。
人数の有無、己の装備、地理的環境。
全てが桜香にとってはどうでもいい。
大事なことはたった1つ、己こそが最強である、ということなのだ。
「術式、展開!」
魔導機なしで、桜香が術式を展開する。
統一系の制御も出来ていないの術式を展開、無茶としか言いようがない状況であるが、桜香は自らの才覚を信じた。
己こそが最強で、無敵なのだと誓ったのだ。
代用するものは勿論、自分の頭脳。
思い描くのは妹の切り札。
彼女が真似をするのならば、たった1人の妹以外には想い人しかあり得ない。
「えっ」
「嘘ぉ!?」
完璧な作戦で桜香を追い詰めたはずの2人がたった1つの術式で全てを振出しに戻される。
2人になった桜香は不敵に微笑み、小さな挑戦者に最大級の賛辞を送った。
『見事です。あなたたちの名は覚えておきましょう。――そして、さようなら』
遊びなど欠片もない全力でのパンチ。
「がっ!?」
「来なさい、陽炎」
攻撃対象を惑わすための幻影を解いて本物が姿を見せる。
栞里が一撃で沈め、返す刃でササラに全力を向けた。
刃に集うのは黒い魔力。
しかも今までのようにただ魔力を集めて放つだけではない。
術式として、整備された強さとして太陽の輝きがササラに放たれる。
「眠りなさい。『曙の光』」
この場で統一系の術式を組み上げるという化け物染みた所業で、ササラを消し飛ばす。
窮地に陥ったからこそ、桜香の中から引き出される強さ。
疑いようもなく九条桜香は魔導の天才だった。
「俺らの後輩に、なにしてくれているッ!」
「焼け石に水でも、やらないよりはマシかな」
「もはや、是非もなし」
和哉たちが動くが、彼らの中にも予感があった。
憤怒と義憤で溢れる感情の中で、確かに感じたのだ。
この怪物は、
「私は、最強です」
――止まらない。
統一系の性質さえも突破出来なかったのに術式を使い出したらもうどうしようもない。
バックス的な知識は溜めていたのだろうが、土壇場で閃き、かつ形に出来るなど信じられないとしか言いようがなかった。
言語を絶する才能に、和哉たちの努力が踏み躙られる。
跳梁する太陽に成す術もなく壊滅していくクォークオブフェイト。
桜香を止める希望はここにはいなかった。
栞里が、ササラが、和哉が、剛志が、圭吾が削られる。
一気に欠けたメンバーを前にして、彼――白藤嘉人は何故か冷静だった。
先輩たちが弱いなどとは微塵も思っていないが、まず前提条件が不可能に近い難易度だと言うことを理解していたら、無駄な希望は持てないし持たない。
桜香はこちらを殲滅するつもりなのだ。
健輔に無駄な余力を与えない。
この1点のみを完遂するためにクォークオブフェイトを潰そうとしている。
そして、試みはほぼ成功を収めていた。
まだバックスは更に後方で残っているが、嘉人と朔夜しかいない前線ではどうにもならない。
ここを突破されれば美咲たちが撃墜されてしまい、その結果は健輔にも波及する。
優香と健輔が組んだとしても美咲が欠けていれば桜香には勝てない。
この程度の予想は彼にも容易かった。
つまり、どうしても勝つためのピースが足りないのだ。
葵はヴァルキュリアに足止めされていて、救援は期待できない。
仮にここに辿り着いたとしても、1対1では結末は見えている。
進化する天才――否、進化した怪物を前に立ち向かえる勇者が足りていない。
気概はあっても実力までも備えたものがいないのではどうしようなかった。
「ふ、ふふははっはは」
こみ上げてくる笑いとは裏腹に頭脳は冷静に答えを出す。
――この状況は、詰んでいる。
「はっ、だから――どうしたよ」
嘉人は自分の答えに笑う。
どこをどうやっても正解は桜香の完全勝利。
憐れクォークオブフェイトは太陽の飛躍を彩る舞台となった訳である。
至った結論を嘉人は笑って捨てた。
負けるとわかっている。
それを認めた上で彼がやるべきことはハッキリとしていた。
「桐嶋、いいな! 1秒でも長く耐えろ!!」
「――愚問よ!」
素早く両サイドにわかれて全力で撤退する。
桜香が強いと言っても身体は1つしかない。
これに対応するための選択肢は限られている。
「分身、やっぱりそうくるよな! いい機会に得た力だ、使いたくなる気持ちはよくわかるぜ」
朔夜と嘉人を潰すのに桜香の本気などいらない。
それこそ指先1本でやられかねないと自負していた。
彼我の実力差などよくわかっている。
浸透・遠距離系。
妨害に特化した彼ではどうしようが桜香は倒せないのだ。
それでも戦場にいる限りはやれることがあった。
この状況をなんとかするたった1つの方法を彼は思い付いている。
「術式展開――『浸透領域』」
桜香とはまったく関係ない場所にありったけの魔力を展開する。
残留させる魔力は唯一の切り札に賭けた布石。
これを第1として、本命の第2に全てを賭ける。
戦闘における1つの王道。
剣を使わない戦い舌戦に挑むのだ。
無敵の桜香だが、ここだけは明確な弱点がわかっている。
精巧な術式だからこそ本体だろうが分身だろうが必ず効果があると確信していた。
彼が出す秘策は、それは――
「不滅の太陽、九条桜香さん、か。話に聞いていた通りだ。流石だよ、健輔師匠」
「っ、師匠?」
わざとらしいくらいに師匠、という部分を強調して必死に笑みを作る。
これでもう桜香は朔夜よりも嘉人を注目せざるを得ない。
先ほどの無意味な行動も勝手に深読みしてくれるだろう。
わざわざ分身したのに、貴重な時間を嘉人のような雑魚に費やす。
「コーチ、後は頼みます――!!」
1秒でも早く消し飛ばそうとする桜香の攻撃を受けて嘉人は一瞬で消し飛ぶ。
敗者は彼であり、勝者は間違いなく桜香である。
誰が見ても否定の出来ない事実だが、続く展開を見れば小さな勝利のために桜香が失ったものは大きかったと言えるだろう。
朔夜を追跡していた本体と嘉人を追っていた分身に同時に巨大な裁きが降り注ぐ。
天に描かれた転送陣は見覚えのある銀色の魔力に染まっていた。
「これは……1年生に、権限を付与していたんですか!?」
「見事です、嘉人。あなたの奮闘、私が無駄にはさせません」
フィーネ・アルムスター再臨。
新ルールでのポイント消費を用いて、女神が再び太陽に決戦を挑む。
昨年度には実現しなかった因縁の対決。
1年という時の隔たりを経て、ついに運命の2人が正面から雌雄を決する。
戦いはまだまだ激しさを増す。
女神と太陽の対決を以って、収束に向かっていた試合は更に大きく荒れだすのだった。