第83話『それぞれの思惑』
容赦はしない。
優香が迷いを捨てて、全てを薙ぎ払う覚悟を決める。
このままでは、おそらく桜香にも何かが降りかかってしまう。
淀んだ空気を消し飛ばすために、仮にアマテラスのメンバーから成長の余地を奪うとしても粉砕すると覚悟を決めた。
「魔力バーストッ!」
『拡散開始』
勢いよく周囲に拡散する魔力が周囲の魔素を染め上げていく。
防御を固めていたアマテラスのメンバーはざわめき出した。
相手の様子に一切頓着せず、優香は双剣を無慈悲に翳す。
ただの蹂躙では足りない。
相手の全てを引きずり出して、その上で無意味だと踏みつける覚悟が必要だった。
優勢なのに心臓の動悸が高まるのは、やりたくないことだからだろう。
自分にそんな資格はない。
それでも誰かがやらないといけないのならば、やれるのは自分だけだと覚悟を決めた。
「――いきます」
低く冷たい声。
動悸は早くなり、心臓の音は聞こえるのに体温は限りなく下がっていく。
高揚感もなく、ただ義務感のみで剣を振る。
機械のような正確さで、圧倒的な暴力を見せつけていく。
「なっ、はや――」
「はっ!」
剣ではなく優香の蹴りが脇腹に入る。
表情を歪めた相手だが、怪訝そうな表情も浮かべていた。
九条優香が魔力で強化した攻撃にしては、痛みがごく普通なのだ。
まるで女性が渾身の蹴りを放ったかのような、痛いには痛いが規格外ではない痛みが彼を襲っていた。
「おいおい、お前……まさかっ」
「黙ってください。……先ほどから口ばかり軽い。なるほど、姉の周囲にいるだけの寄生虫は口だけは達者なようです」
「な、なんだと!」
挑発であるが、モノには限度がある。
怪訝そうな表情から怒りの色を浮かべた先輩を瞳に映さず、優香は冷めた瞳のままで断言した。
会話をしようとする意思はもうないのだ。
優香がやろうとしているのは、自分の理想とは対極にあるモノ。
強者の傲慢で弱者のあらん限りのものを踏み潰す、という決して褒められたものではない行為である。
これでも目が覚めないならば、もはやどうにならない。
悲壮な覚悟を決めて、優香は自分と戦っている。
やめたくなるが、ここで辞めてしまえば世界大会で無様を晒すのは姉になるのだ。
心を鬼する必要性があった。
「お、桜香さんの妹だからって、調子に乗るなよ!!」
「――だから、あなたたちはダメなんですよ」
妹、という言葉に一瞬だが悲しそうな顔を見せる。
相手には通じないだろう、と思っていても実際に通じなければ悲しいのは当たり前だった。
結局、この人たちは何も変わっていない。
何もかも変わっていく中で、変化への対応をしていないのだ。
未だに優香を『桜香の妹』としか認識していないのが良い例だろう。
安息の箱庭で、自分たちだけの栄光を夢見ている。
既に箱庭の主が脱した境地に信者だけが浸っていた。
「シッ!」
魔力をブーストして周囲の魔素を染め上げている。
これで格下であるアマテラスの面々は魔導をまともに扱えない。
魔力を使えば蹂躙など容易いのだが、優香はあえて魔力を使わず、身体能力を年相応の少女にして彼らに戦いを挑んでいた。
もはや魔導など関係ない分野で、敵を叩き潰そうとしている。
「おいっ、おい! ま、真面目にやれよ!」
敵は叫ぶが優香は何も反応しない。
問答は終ったのだ。
優香を翻意させられる者がこの場におらず、行動で示せる者もいない。
必然としてこの流れになった。
唯一変えられた可能性のあるものは、勝手に諦観して状況に身を任せている。
結果として理不尽に晒されるのはごく普通のアマテラスのメンバーだった。
彼らにもチームに対する想いの濃淡がある。
アマテラスは最強、とあまりにも甘ったるい思いしかない者は優香がやろうとしていることを理解して顔が青ざめていた。
「ど、どうしてそこまでしようとするんだっ。桜香さんを軸にした戦術は別に間違いじゃないだろう!!」
「――ええ、そこは否定しませんよ。ある1点さえ、目を瞑ればですが」
優香は鬼ではないし、無慈悲でもない。
本当はこんなことはやりたくないのだが、何も理解していないものたちには理解をさせないといけないだろう。
自分達は、魔導の才能がないから桜香を軸にしている。
この甘すぎる幻想を粉砕しておかないといけない。
――魔導の有無、優劣に限らずお前たちが『雑魚』なのだ。
これを誰かが正確に伝える必要がある。
ただアマテラスにいるだけ、桜香のための数合わせ。
努力など無意味で、何も成していない。
方向性がずれた努力など努力ではない、と桜香が言えないなら優香が言うしかなかった。
「恨んでくれていいです。しかし、あなたたちが2度とアマテラスを名乗る気力がわかないようにここで潰しておきます。どうせ数合わせなら、静かな方がまだマシだ」
中途半端な覚悟と思いで、私たちの戦いに混じるな。
やりたくないが、この1点だけは譲れないと優香は残酷な戦いにアマテラスを引きずり込む。
お互いに空を飛べるだけの人間同士の戦い。
言い訳の余地のない練習量の差と才能の差、そして意思力の差が白日の下に晒される。
自分達が弱いのは桜香の才能など関係なく努力をしていないからだと、太陽の眷属たちは残酷な現実を知るのだった。
桜香は後方で起きていることを理解していた。
確かに不覚は取ったが、同時にただの1発の拳でしかない。
極限まで抑えられたダメージは桜香の規格外さを示し、万全の様子を見せている。
最後の最後で健輔以外の相手にやられてしまい本音では割とイラついているのだが、健輔も関わっていたのだと納得はしていた。
幾分まだ機嫌は良くないが、状況理解は正確である。
「……優しく正しい太陽ならばすぐに駆けつけるべき、なのですが」
やるべきことはわかっているが、正直なところ気が乗らない。
彼らに悪意はないが、同時に善意もないのだ。
何もない、中立中庸。
どちらにも傾いているし、どちらにも傾いていない。
これ自体は別に悪くないし問題でもないのだが、桜香としても何もないに等しい者たちには何も思うことが出来なかった。
重視するのは想いの強さ。
普通は罪ではないが、この場で行動しないことは罪であった。
「私のアマテラスははてさて、どうあるべきか。まあ、答えは決まっていますよね」
微笑む笑顔は整った顔立ちに良く映える。
そして、同時にある種の怖さがあった。
大切なもののために、他ものを切り捨てられる強さは女性の特権である。
アマテラスを『正しい』形にするために、ランカーというものを叩き込む必要があった。
優香にこれをやらせるのは少し心が痛いが、必要な痛みであろう。
自らだけは無傷で、利益は最大限得ようとするなど桜香には考えられない。
「妹に嫌な作業を引き受けてもらいましたし、私が悪役になるべきでしょうね」
優香と違い悲壮感は欠片もない。
弱いゆえの悲哀など桜香には無縁であり、理解することなど不可能なのだ。
強い己を堅持したいと思うのが彼女であり、強くなろう、という気持ちなど存在していない。
九条桜香は自分としてあるだけで強いのであり、強くなろうとするものではなかった。
決して交わることのない地平は両者の断絶を生み、桜香を孤高としてしまったのだ。
寂しくはあったが、かつての桜香は納得していた。
彼らは弱くて、それでいいんだろう、と。
桜香の根底にあった感情、もっともそれは綺麗に砕かれてしまっている。
俺は強くなる、と主張する男に見事に心臓を射抜かれていた。
居場所があるということが桜香を強くするのだ。
「では、香奈子さんの投入タイミングは見計らいますか」
桜香の中であっさりと結論は出て、アマテラスのメンバーは見捨てられる。
彼らも気付いていただろうに目を逸らしていた事実。
桜香は1人で世界を制覇したのだ。
チームメイトなど世界大会に出場する人数がいれば誰でも構わない。
今のアマテラスの在り方ではこの結論になるしかなく、メンバー自体が自らに価値はないと定義してしまった。
桜香が積極的に是正しないし、出来ない以上はどうしようもなく。
世界最強のチームは僅か2名で他のチームとの戦いを続行する。
「あら、もう終わりかしら」
自分のチームなのに酷く冷淡だが、この2面性こそが桜香の強さでもある。
努力を認めているからこそ、自ら引導を渡さなかったのだ。
本気で何も思っていないのならば、既に幕を引いている。
「ふぅー」
大きく深呼吸をして、不滅の太陽が天に昇る。
己の真意など伝わらないと諦めているからこそ、桜香はもはや期待を示さない。
彼女に出来ることは既にやり切っている。
1人でいることの寂しさは知って、ゆっくりと歩み寄っているがまだ十分ではなかった。
これ以上は桜香にもまだまだ時間が必要なのだ。
悲しいまでにすれ違う最強のチーム。
彼らが纏まるまでには、まだ幾分かの時間と、双方の覚悟が必要だった。
「アマテラスは壊滅。しかし、本体が残っている……」
レオナの独白が宙に消える。
真由美の撤退後、前線の立て直しを図っている間に既に戦線は綺麗に整理されていた。
アマテラスがチームとしては事実上の壊滅状態に陥り、残りは桜香のみとなる。
恐ろしいことに戦力的には桜香単独の方が遥かに怖いということだろう。
自由に動く最強をなんとかする必要がある。
「カルラ、イリーネ、準備はどうですか?」
『大丈夫です。ただ、イリーネが』
『すいません。体力を消耗し過ぎました。……あまり、お役に立てないかもしれないです』
「わかりました。無理をするのは、今のタイミングじゃないです。安全に戦ってくれたらいいですよ」
総合力ではこの場のチームでも最高峰であるが、まだまだ個性が育っていない。
レオナも含めて上位ランカーと戦うにはまだ足りないモノがある。
「……この合宿で掴む必要がある。ここまで残りのチームも強いとは思わなかった」
クォークオブフェイトとアマテラスに関しては予定調和であるが、シューティングスターズについては予想外だと言える。
ハンナ・キャンベルのワンマンだと思っていたからこそ意外としか言いようがなかった。
妹であるアリスを中心にして、実にチームとして纏まっている。
アマテラスへのクォークオブフェイトの攻勢も利があると見ればあっさりと支援に移っていた。
合理的な動きには感心しか浮かばない。
「2年生が核だけど、上手く据えられている。ハンナ・キャンベル。女帝の名は伊達ではない、ということですか」
フィーネも傑物だが、チームの構成力では負けていると認めるしかない。
客観的に状況を見守らないと守れるもの守れない。
仮に負けてしまっても、この試合では必ず何かを持ち帰る必要がある。
ヴァルキュリアの成長のためにも、必須の事柄がそれなのだ。
『レオナ、こっちは大丈夫だけど次はどうする?』
「セオリーならば、消耗したはずのクォークオブフェイトを叩きたいのですが……」
『4つ巴だからね。どこも同じことを考えるけど、どうせ当たるならもうちょっと消耗してから、って考えるわよね』
参謀の真似事をしてくれているリタの言葉にレオナも内心で頷く。
魔導師は、少なくとも上位に来るような魔導師は良い意味でバカなものが多い。
フィーネもこの法則から漏れないのだから、現状の上位ランカーはそうだと考えるべきだろう。
正々堂々、言い換えるのなら正面から突破を好む、というのは事実であるが、同時に彼らは戦いに真摯でもある。
考え抜いた果てで、正面突破が最善ならばそうするが、無意味に正面から吶喊することはない。
彼らは勝つために、より良い戦いにするためにバカをするのだ。
「この場面では、効率性を考える、か」
『否定できないでしょう? 理詰めで考えて、その上で1番良い手段を使うと思うよ』
「1番良いが戦場だけに適応される話ならば簡単だったのですが……」
『ははっ、そこは諦めないとね。個々で考える最善、って奴にはズレがあるから、そこはどうしようもないよ』
リタの快活な笑みに、レオナは気が楽になる。
なんとも頼もしくなった同級生にレオナも楽観的な気分になれた。
真由美からの教えでもあったが、複雑に考えてもいいことなど何もない。
最初から彼女たちは挑戦者なのだ。
王者であったフィーネとは事情が大きく異なる。
「私たちなりに、やれることをやりましょうか。後輩に負けるのは嫌だしね」
『それでいいわよ。レオナは強く引っ張っていくとか、調和でやろうとか、どっちも難しいからね。私たちが足りないところは補うわよ』
「うん、ありがとう」
フィーネのようにはやれないが、レオナはレオナにしか出来ないやり方がある。
ヴァルキュリアは決して『女神』が切り捨てた残骸などではない。
信じて、託されたとわかっているからこそ、無様な様子は見せられなかった。
「リタ、準備をしましょう。当たって砕けろ、ってね。私たちが最初に試合を動かしたんだもの。次も私たちの仕事よ」
確かな自信と共に光の女神が宣誓する。
覚悟はあり、実力も備えた彼女たちの行動だったが、意気込みとは逆に戦場の方が先に動く。
『レオナ、反応あり! これって、コーチの投入――まさかっ!』
「嘘、このタイミングで!?」
優香によってアマテラスのチームが壊滅するのを見計らって漆黒コンビが蹂躙を開始する。
攻撃に全振りした恐怖の2人組みがチームという枷を取り払われて、全開の攻撃を行う。
戦場を染める黒の脅威が、全てのチームに降りかかるのだった。