第79話『空白の最終決戦』
――終わった。
あまりにも大きすぎる力に確かに敗北を感じてしまう。
あの桜香からそれほど長い時間ではないとはいえ、意識を逸らしてしまえばこうなるのは当然である。
イリーネは覚悟を決めたはずなのに、自分の弱さを再び痛感させられていた。
彼女が目指す『女神』への頂は遠くて、心が挫けそうになる。
去年もこうだった。
分不相応な夢を抱いて、恩を返すどころか仇を成す。
己の才覚に自負があるからこそ、イリーネは膝を屈してしまいたくなった。
自分とは所詮、こんなものなのか。
「私は、こんなところで……」
「終わるのか。いいえ、終わりたくない、でしょう?」
「えっ……」
黒に包まれる視界の中、カルラの火とも違う真紅の輝きがイリーネを守る。
言葉にすれば単純だが、実行できるのはごく少数だろう。
魔導師全体でも2桁いればいい方だ。
ヴァルキュリアで確実にそれが成せる人物は1人しかいない。
「ほらほら、悩んでる時間が勿体ないよ。最後にはあなたは立ち上がるんでしょう? 大丈夫だよ、私が挑める玉座なんだからさ。誰だって、挑む権利は持ってるよ」
周囲を真紅で染め上げる圧倒的な魔力。
力で言えばこの場に集うコーチの中では彼女は1段劣るのかもしれない。
しかし、誰1人として彼女を侮るような者はいなかった。
昨年度、大きく躍進を果たしたクォークオブフェイト。
あのチームの核を生み出し、今へと繋げたのは間違いなく彼女である。
「真由美さんっ」
「仕切り直しだよ。イリーネちゃん、あなたは広い視野がある。戦士じゃなくて、王者の戦い方をしなさい。大丈夫、絶対に出来るよ」
「……はい! ご武運を――」
何故、どうして、などという言葉は過ったが全てを飲み込む。
桜香による一撃。
不意打ち気味だったあの攻撃を、防げる者はあの場にいなかった。
葵ですらも例外ではない決死のタイミング。
後方にいたレオナは即断で彼女の投入を決意した。
アマテラス以外は必ずこの瞬間に、勝負を仕切り直そうとする。
確信に似た想いが彼女を動かしたのだ。
結果はこの場に現れている。
「さてと」
真由美はイリーネとカルラが態勢を立て直すのを確認してから、ようやく意識を天へと集中させた。
この場に現れた力は都合3つ。
1つは、レオナによってイリーネたちを守るために呼ばれた真由美。
そして、この場には残り2つの力がある。
「下がれ、演出家。今はまだ、お前たちが落ちるべきではない」
ヴィエラと同じ黄金だが威圧感が異なる。
当然であろう。
彼が纏うのは戦場に具現する王者の気風。
存在感において、最強の魔導師に劣らぬ『最強』の王者が降臨する。
「まぁ……これは、素敵ですわね」
「ええ、お姉様。これは素敵ですわ」
かつてあったはずの最終決戦。
幻となった決着を果たすために、最強にして最後の『皇帝』が戦意を露わに笑う。
お姫様の要請――アリスの願いに呼応して、王者は1人の魔導師として戦いに来たのだ。
同じ黄金でもただの色でしかないヴィエラと違い、クリストファーの黄金には意思が宿っている。
王者の輝きが、姉妹に希望を抱かせた。
不滅の太陽がどれほどの難敵であっても関係ないのだ。
彼女たちは王様に寄り添う流星群。
容易く掻き消されるような存在ではない。
「ヴィオラ、殿方のエスコートには従いましょう」
「はい、ヴィエラお姉様。ここは、王の下知に従う場面です」
2人は淑女に恥じない振る舞いで、優雅に戦場から退場する。
いつでも戻れるように、されど邪魔にならない位置へ。
これから始まる決戦に胸を躍らせていた。
「……はぁぁ、やっぱりこうなったのね」
「申し訳ありません、葵。私も健輔さんに言われると、ちょっと心が揺れ動いてしまいまして」
「確信犯じゃない。あいつがこのタイミングであなたを投入しない訳ないでしょう。……まぁ、私も見たかったから否定は出来ないけどさ」
最後の1つ。
剛志たちを守った銀色の輝き。
戦場を美しく彩る欧州が誇った女神。
彼女の光が世界を美しく照らす。
やり残したことの清算の機会が、唐突にやって来たのだ。
彼女の魂もまた高ぶっている。
ましてや、それなりに気になる男性からの頼みごとなのだ。
乙女として、叶えたいという願いはあった。
「ふふっ、では、後ろにどうぞ。安心してください。あまり長い戦いではないですよ」
「わかりました。……不甲斐ない戦いだったら、怒りますからね」
「ええ、約束しますよ。必ず、見応えがある戦にします」
葵たちも僅かに後ろに下がり、戦場を見渡せる位置に付く。
これで戦うために中央に残ったのは4人。
『終わりなき凶星』――近藤真由美。
『皇帝』――クリストファー・ビアス。
『元素の女神』――フィーネ・アルムスター。
そして、現役最強『不滅の太陽』九条桜香。
戦えなかった昨年度。
1つの『IF』を片付けるために彼らが総力を結集してぶつかり合う。
立場も、背負うものも変わっているが、胸に宿った矜持だけは消えていない。
火花を散らす視線は誰もが、自らの強さを信じているからこそ光に満ちていた。
序盤も序盤で、切り札がいきなり投入される。
合宿の熱量を象徴するかのような大決戦。
全員が時代を象徴する魔導師で、時代を牽引した魔導師。
魔導の歴史に残るはずの、しかし、公式ではない頂上決戦がついに行われるのだった。
睨み合う4人。
実力的には抜きんでている皇帝や桜香であるが、女神と凶星に隙を見せる訳にはいかない。
奇妙な睨み合い、時間制限のあるコーチとしては3名は早急に動くべきだが、動くに動けない状況だった。
誰かが行動すれば、そこから一気に決戦に雪崩れ込む。
「ふふ、さて――いきますか」
そして、均衡は破られる。
この中で真っ先に動いたのは、意外にも銀の女神であった。
微笑みは変わらず、されど戦意は陰りなし。
全力全開。
最初の一撃から加減など存在しない。
「テンペスト!」
『術式展開『ヴァルハラ』』
脅威の展開速度。
他の3名が気付いた時には、女神の術式は展開を終えていた。
流れるように2つ目の術式が展開されて、3人に強制的な対処を促す。
天に描かれるのは巨大な魔導陣。
銀色の魔力で描かれたそれは、初撃で展開されたレオナのものと酷似していた。
たった一瞬の邂逅で、全てを読み取ったのである。
忘れてはならない。
変換系は彼女が生み出した系統なのだ。
どれほど優れていても、大枠で外に出ない限りは女神の技の範疇である。
「消し飛びなさいッ!」
『ジャッジメント』
光で直接的に描くことで展開速度を大幅に短縮した魔導陣。
レオナと違い専用の陣が用意出来ていないゆえの即席だったが、それでも破壊力は十分であった。
女神の技に衰えなし。
3強の名に相応しい圧倒的な力を示している。
しかし、忘れてはならない此処に集った輝きは全てが極限。
女神の技に感嘆はしても、怯えなど存在しない。
「――こい」
天に巨大な裁きが降臨した時、永劫の王者が動き出す。
天井知らずに高まる魔力は黄金。
王者の行進は、同じ王者以外には止められない。
女神、太陽、凶星。
いずれ劣らぬ強者であるが、最強の王者は間違いなく彼だった。
正攻法、小細工不要な圧倒的魔力が右手に集う。
「蹂躙せよ、我が魔力」
『術式展開『フォース・ブラスト』』
術式の効果は単純明快。
魔力を束ねる。
限界を定めずに目的も存在しない。
魔力を束ねてだけに特化した王権の証の――強さの証明が女神の裁きに投げつけられる。
「いけえいッ!」
会心の一投が、天空の魔導陣に直撃して弾け飛ぶ。
密度という面での究極。
単純ゆえに王者の攻撃は防ぎ難いのだ。
自らの最高位の攻撃がただの遠投で弾け飛ぶのを見て、フィーネも笑うしかない。
知ってはいたが、見る度に無茶苦茶だとしか言いようがないだろう。
あの強さを支えるのは、極限の自負と自尊しかないのだ。
「厄介ですね……。彼も――あなたも!」
フィーネが動いたことで開いた戦端。
言うまでもなく最初に動いたフィーネは隙を晒している。
皇帝によって攻撃が叩き潰された今、彼女を狙う人物がいた。
黒い太陽。
漆黒の輝きが、銀の女神に狙いを定める。
「貰います」
「させると思いますかッ!」
最速を上回る速度で、桜香が飛来する。
攻撃に必要な要素が全て飛び抜けていた。
これこそが、桜香のためにある系統――統一系。
健輔から話を聞いていたフィーネでも衝撃は押さえきれない。
彼女と同格とされたこの女性は、女神を大きく超えようとしている。
道理として、フィーネもその程度は弁えていた。
素直に納得するかは別の問題であるが。
「――私は、フィーネ・アルムスターッ! 容易く討ち取れると思うなッ!」
「ちィ! この程度では落とせませんか! 何より、その体捌きはっ」
フィーネの魔力が跳ね上がり、桜香に抵抗可能な白兵能力を見せ付ける。
桜香が舌打ちをしたのは相手の動きにある人物の影を感じたからだ。
フィーネは現在、クォークオブフェイトのコーチである。
教導相手にはある男性が存在しており、該当人物は当然のようにフィーネに全力を強要してきた。
常に全力での戦闘、当然両者が影響を受ける。
お互いにお互いの技を吸収し合った果てが現在のフィーネであった。
ヴァルキュリアだけが彼女の世界だった頃とは違う。
滲み出る積み上げられた時間。
桜香が築きあげることの出来ない日々に嫉妬しているのだ。
「忌々しい」
健輔の動きに、強さに対応して女神も自身の最適化を行っている。
自分で至った結論に、桜香は顔を歪めた。
欧州で最強を誇っていただけの『女神』には絶対に負けない自信がある。
しかし、日本で健輔と触れ合い感化されたフィーネ・アルムスターには警戒が必要だった。
少なくとも、このまま力押しで勝てるとは思えない。
「悩みどころ、ですか!」
「悩むほどの時間を与えると思いますか!」
「愚問です。あなたが、私に勝てると思いますかッ!」
桜香の傲慢な言葉。
上からの発言に、フィーネは笑みを浮かべる。
「それこそ、愚問です。あなた程度に、健輔さんが出張る必要があると思いますか?」
逆鱗に触れると理解して、真っ直ぐに踏み躙りにいく。
激昂して力を増すだの、統一系の脅威だの、あるかも知れない展開に怯えるのはフィーネのすることではない。
彼女も1つの時代と地域を背負った魔導師である。
喧嘩の売り方はよくわかっていた。
「ふ、ふふふふっ――」
「あらあら、怒りますか?」
正面から対峙する絶世の美女たち。
多くの男を虜にする美貌には麗しい笑みが浮かんでいる。
本来ならば、誰もが目を奪われるはずの光景なのに猛烈は忌避感が襲ってくるのは何故だろうか。
答えはたった1つしか、存在していない。
「潰します」
「やってみせなさい、か弱い太陽さん。健輔さんがいないと、そこまで至れなかった分際で、態度が大きいですよ」
槍と剣がぶつかり合う。
桜香の統一系に難なく対応するのは、フィーネの技量とこの手の相手への経験の賜物だった。
統一系の全てに完全に対処するのはフィーネでも厳しい。
女神の叡智がその程度のことを見抜いていないはずもなかった。
では、桜香には何も出来ないのか、ということそんな事もない。
既にある男が対抗してみせたのだ。
ようは度胸があれば、やってやれないことはない。
健輔が桜香に対してやったリソースの集中。
基本的な考え方はあれと同じもので、フィーネは桜香に抵抗していた。
重要な部分だけに対処して後はアドバンテージを渡してしまえばよいのだ。
全てで凌駕しようとするから、果てなき頂に心がすり減っていく。
ハードルを飛び越えるのが大変ならば、潜ってしまえばいい。
高く飛ぶことが勝負ではないのだ。
相手を倒して、自分が立っていればいい。
「風よ!」
「ぐっ――!」
フィーネが桜香から一気に距離を取る。
風による自己強化。
速度は桜香も自信があるが、こうした器用さではフィーネには及ばない。
通常常態ならばもう少しやりようがあるが、圧倒的な強さの代わりに柔軟さが失われている今の統一系では無理だった。
そして、桜香にはこの状態を解除できない理由がある。
「どこを見ている」
「やっぱりっ!」
フィーネが意図的に空けていた領域から黄金の王者が突っ込んでくる。
総合的な戦術能力、視野の広さではフィーネに桜香は勝てない。
自らで及ばぬならば、上手く他のモノを使えばよい、という割り切りがそこにはあった。
クリストファーの『黄金』は彼の自負と理想の結晶。
健輔がぶつかるのに『純白』を必要としたように、桜香でも同じレベルの技が必要になる。
ぶつけるのにこれ以上に最適な存在はいない。
「どちらか、1人だけなら――!」
「繰り言だ。そして、弱音だな。王者の、言ではない!」
「くっ!?」
誰よりも王者だったものの言葉に動揺が浮かぶ。
桜香も意味のない言葉だとわかっていたからこそ、心に衝撃が走ってしまった。
動揺は技に直ぐに反映される。
競り合いをしている王者の拳が、敵の揺らぎを見逃すはずがなかった。
「終わりだ」
「ッ――まだよ!」
クリストファーの一押し。
軽く入れた力で、桜香の体勢が大きく崩れる。
手から抜けていくのは彼女の剣で、目前に迫るは黄金の拳。
最強があっさりと追い詰められる。
アルメダと戦った時ですらも、これほどの苦境はなかった。
『皇帝』クリストファー・ビアス。
想念の王者に、不滅の太陽が滅される。
このまま順当に運んだ際の結末は、そうなるはずだった。
「――楽しそうね。そろそろ私も、混ぜて欲しいかな」
響く声には茶目っ気が満ちている。
3強の戦いに割って入る者。
己の分を知らないとしか思えない怖いもの知らずの行動。
事実、桜香も皇帝すらもこの瞬間だけは彼女のことを忘れていた。
フィーネだけが、気付いていたからこそ安全圏にいる。
銀の女神は大切なことを知っていた。
藤田葵、佐藤健輔に受け継がれた愛すべきバカの枠。
元祖は誰であり、彼女は何者なのか。
「真由美さんっ!? これは、まさか!!」
「なるほど、凶星は――限界を超えたのか」
驚く桜香と静かに感嘆の念を発するクリストファー。
全身を真紅に染め上げて、瞳にまで魔力が浸透した真由美の姿に両者が感じるものがあったのだ。
世界大会の時とは違う。
敗北、それも夢の終焉となる致命的な終わり。
決着の果てに真由美が思ったのは、これから、という言葉だった。
真由美の戦いは確かにあの時1つの終わりを迎えている。
しかし、あくまでも1つの終わりなのだ。
終わりの次に、新しい旅は既に始まっていた。
今度は負けないように、敗北という切っ掛けが少女を1つ上に押し上げる。
近藤真由美は魔法には至れなくても、伝説に至れる女性だ。
砲撃というスタイルの1つの完成系は彼女であり、彼女のライバルだった。
刻み付けた煌めきは、決して3強に劣らない。
この場にいる教え子と、後輩のためにも新生した凶星を魅せつける必要があった。
「今度は私を無視はさせない。これは、絶対に、絶対よ」
3年間の想いとこれからの戦いに向けて、不敵に笑顔を放つ。
4つ巴の決戦。
遅れてやって来た最終決戦はまだ始まったばかりだった。