幕間後編『女神との一時』
フィーネ・アルムスターという女性は控えめに言っても完璧な女性だった。
容姿、頭脳、そして才能。
果てには精神性。
彼女は天才であり、しかし、同時に優しかった。
傲慢さの欠片もない振る舞い。
美咲も疑う自分が悪いとは思うが怖いのだ。
不自然なまでに完璧だからこそ、張り付いた笑顔の裏が気になる。
彼女の警戒心の根源は、フィーネを理解できないことにあった。
もし、まだ2年生の辺りのフィーネならばこの危惧を見逃してしまった可能性はある。
彼女は3年間の全てで成長した珍しいタイプの強者なのだ。
今に至るまでまだまだ完成には程遠い。
それでも今のフィーネは昔のままではなかった。
幼かった、と昔の自分を振り返り、懐かしく思う程には余裕がある。
こうして、自分に付いてくる少女にもしっかりと気を使うことが出来ていた。
本当に心配するようなことはないのだと信じてもらうには胸襟を開く必要がある。
「さて、何を話しましょうか」
「えっ、さっきは話があるって……」
「出任せですよ。嘘も方便、というのはこの国の諺でしたっけ?」
朗らかな笑顔でフィーネは言い切る。
美咲は女神の御茶目な一面に、声を上げようとして――諦めたように溜息を吐き、フィーネの隣に腰掛けた。
学園の中に用意されたベンチの1つ。
そこに絶世の美女と、可愛らしい美少女が同居する奇妙な空間が生まれる。
「……私、そんなにひどい顔をしてますか?」
「してますねぇ。強いて言うならば、5徹明けの健輔さんみたいな顔です」
瞳を指で持ち上げるジェスチャーをして、がおーとフィーネが吠える。
あまり似合っていない動作に美咲は眉間に皺を寄せるが、大きく息を吐いて少しだけ口を緩ませた。
「それは、酷いですね」
「ええ、女の子がしていい顔じゃないですよ。如何なる時も、強く、美しく。男性は、女性にそうあって欲しいと思ってますよ」
「どうだか。都合よく、後ろに控えて、イエスとだけ言っておけ。そんな風に思ってる人も多いんじゃないですか?」
美咲の毒が多分に含まれた発言にフィーネは柔らかく微笑む。
いつもよりも意味のない毒が強い。
本人もらしくないと思っているのだろう。
言った後のバツの悪そうな顔が証拠だった。
「美咲は可愛い顔に似合わず毒舌ですね」
「け、健輔のせいです。……うぅ、ちょっと控えます」
「別に構いませんよ。まだ距離があるからこそ、言えることもあるでしょう?」
美咲は図星を突かれたように、表情を固める。
この女神はサラッといつもの様子で重大なことを投げ掛けてきた。
心臓に悪いとしか言いようがない。
「フィーネさんは、やっぱり怖い人ですね」
「あら、酷いですね。これでも優しい方だと自負しているのですが」
隣に少女をおいて、少し懐かしい気分になる。
欧州にいた頃を思い出すのは、彼女が少し大人になった証拠なのだろうか。
向こうには辛いことも、楽しいこともたくさんあった。
正直なところ彼女はあまり褒められた経緯で『女神』を得た訳ではない。
先代からの、力尽くでの簒奪。
客観的にこういう言い方が正しく、事実としてまだ先代が居た時に奪い取ったものだと言える。
焦りと、羨望――そして自負。
早く力を発揮したくて無理に奪ったものだということを否定できる要素はない。
先代を慕っていた者たちが彼女のことを非難するのも当然だと受け止めていた。
笑顔で後ろに控えて、背中から刺した――実に的を射た言葉である。
美咲の警戒が無意味だとはフィーネにも言えない。
「私も、向こうではいろいろとありましたから。これでも、2つは年上ですよ? 人生相談くらい、大船に乗った気持ちでしてみてください」
胸を張り、偉そうに断言してみる。
向こうでは嫋やかな女神としてのイメージを崩さぬように、中々こういうのも出来なかったが、こっちでは好きなだけやれるのだ。
これだけでもやって来た甲斐があると思っている。
「まあ、フィーネさんは大船でしょうけど」
「あら、異論がおありですか?」
「もうっ、真面目な話だと思ってたのに、どうして!」
怒ったような、どちらかと言うと駄々をこねる感じで美咲が問う。
メンバーのメンタルケアというコーチらしい仕事にフィーネは笑った。
誰も彼もが己の道を爆走しているからこそ、この普通の少女が可愛らしくて堪らない。
周りは皆が皆、覚悟を決めている。
健輔も、優香も、圭吾ですらも。
1人だけ、必死に健輔の背中を追う彼女の重圧は、きっとフィーネにもわからない。
規模の大小はあったとしても、小さな少女の双肩には欧州の覇者などという称号よりも遥かに重い重圧があったはずだ。
友達だからこそ、対等でありたいと九条優香に負けないように頑張る。
相棒だからこそ、信頼してもらいたいと佐藤健輔のためにに実力を磨く。
同じように凡人でも必死で頑張る高島圭吾に恥じぬように己を高める。
言葉は簡単だが、追いかける辛さはあったはずである。
「青春してますね」
「え……」
「大抵の悩みなんて、後から振り返ると、ああ、そんなことがあったなぁ――ですよ。好きなように、後悔しないようにすればいいです。あっ、少し良い感じですかね?」
真剣な表情で、良いことを言ってみる。
自慢ではないが、フィーネの顔は整っているのだ。
真剣な瞳と口調で語れば、大抵のことは良い事のように聞こえる。
ここに少しふざけた空気を混ぜればいろいろと話しやすくなるだろう、と計算もしてはいた。
半分くらいは地の部分が透けているだけであるが、心配しているのは事実なのだ。
言ったことも嘘ではない。
深く悩んで得られる答えもあるだろうが、押し潰される人間の方が多いのだ。
助け舟を出すのも年上の役目だと心得ている。
「ぷっ、台無しですよ。最後の言葉、付け足さない方がいいんじゃないですか?」
「あら、それは残念です。人生の中でも、会心の一言だと思ったのですが」
「後の言葉がなければ、完璧だったんじゃないですかね」
「でしたら、無理ですね。私は結構御喋りなので、余計なことまで言ってしまうんです。これも健輔さんの影響ですね」
「いや、そこまで健輔のせいにしたら、流石に泣きますよ、俺は無実だ、って」
美咲に少しずつだがいつもの調子が戻ってくる。
くだらない雑談。
意味はなく、そして無為でしかないが、無為であることに意味があるのだ。
常に張り詰めた存在は鋭いが脆い。
美咲は、ここまで懸命に努力して付いてきたのだ。
フィーネが特別何かをする必要などない。
クォークオブフェイトの4人の中で、1番真っ当に心が強いのは間違いなく彼女なのだ。
フィーネの手助けなどなくても本当は勝手に立ち直る。
「ふふ、そうですね。でも、健輔さんはこう、なんというか――便利なので」
「真顔で言わないでください。本当に泣きますよ? 最近はもう少し優しくないとあれかなって思ってるんですから」
「あらあら、スパルタなのにお優しいですね。まあ、私も心の片隅に留めておきましょう」
これでよい、とフィーネは内心で安堵する。
今日まで中々コーチらしいことをやれなかったが、ようやくといったところであろう。
強さの鍛錬だけでなく、1人ずつをしっかりと見つめて導くのが自分の役割なのだ。
元々、彼女はそれがやりたくて此処に来たのだから。
女神とは本来は戦闘者の称号ではない。
初代女神のマリアはいろんな意味で波乱を巻き起こしたが、彼女の名前が『女神』と呼ばれるほどになったのには当然理由がある。
才能を引き出す固有能力もそうだが、彼女のチームは本当にすごかったのだ。
誰もが仲間と完璧な連携を見せた不動の最強チーム。
初代が生み、初代と共に消えた最高のチームがあったのだ。
育成においての称号だった女神で、フィーネはそこだけは超えられなかった。
『ヴァルキュリア』は良いチームだが、あそこで自分がやれることは全てやり切ったと断言できる。
新天地にやって来たのは、かつてとは違うやり方が自分に出来るかを試すためだった。
強くなりたいというのもあるが、最大の目的は1点に絞られている。
「女神ではなく、フィーネとして私がやれることをやりたい」
「えっ」
「美咲が知りたかった、私がこのチームに来た理由ですよ。本当に、それだけなんです」
女神の威光に怯まないチームで、彼女個人を見てくれるチームは此処しかなかった。
強さ云々よりも戦おうぜ、と言ってくる愛すべきアホを筆頭に面白い人たちが揃っている。
初代を超えるために来たのだが、世界の広さを思い知った。
近藤真由美は――『終わりなき凶星』は確かに次代に何かを残している。
彼女のリーダーとしての能力に、フィーネは嫉妬せずにいられない。
そして、同時に強く奮起もしていた。
自分も、このチームに何かを残したい、と。
「向こうは、向こうで歩いていけます。だから、私は私で自分の道を歩もうかなと。見たことない人もいっぱいですからね」
何も特別ではない。
女神も再出発したかっただけなのだ。
強くなって得た枷は誇りでもあるが、同時に正しく枷でもある。
もっと広い場所を見たいと願ったフィーネの想いは、欧州では叶えられないものだった。
「そう、ですか……」
真剣な瞳と空気。
これすらも装っている可能性はある。
しかし、ここまでくれば後は美咲の心の問題だった。
信じたいのか、信じたくないのか。
いや、彼女が見守る男ならば、この場面でどうするのか――これこそが1番大事だろう。
誰よりも上を目指す男にとって、最良の選択は1つしかない。
大きく溜息を吐いて、美咲は肩の力を抜いた。
「――お行儀がよくない人ばかりですから。フィーネさんも染まったんじゃないですか? 意外とお茶目な人なんだって、吃驚ました」
「あら。――だったら、少し嬉しいですね。私もまだまだ変われるということですから。それに、美咲とも少しだけ仲良くなれた、ということでしょう?」
夏の暑い日差しの中、銀の女神と頑張る少女の距離が少しだけ近づいた。
重苦しい悩みも、過ぎれば良い思い出になる。
良い思い出になるように頑張ろうと、フィーネは思っていた。
彼女なりの努力の証。
クリストファーほど自負で満たされておらず、桜香ほどに才能に溢れていない。
誰かと繋がって努力する道が、彼女の選んだ道なのだから。
着実に、焦ることなく女神はまた強くなる。
3強の中で1番弱く、歴代女神の中で1番未熟者。
フィーネ・アルムスターだからこそ出来ることが確かに此処にあった。
一糸乱れぬ連携。
全体を1つの身体に見立てる彼らの艦隊運動は、一種の美しさが宿っていた。
空を舞う華麗な動きに目を細める。
既に15年近くの年月が経っている青春。
このような形で帰還するとは、彼女も思っていなかった。
「でも、最近の子は凄いわねー。私たちの頃とは大違いだわ~」
白いワンピースに身を包んだ女性は暖かく微笑む。
ふんわりとした物言いは彼女の変わらない特徴であり、母性溢れる微笑みは子どもの成長を見守る親そのものだった。
栄光の称号――『女神』。
欧州全域で特別な響きを持つ名を生み出した存在。
彼女こそが『慈愛の女神』マリア・ブリューである。
「凄いわ~って、あのちゃんとやってくださいよ? あなた、仮にも偉大なる女神なんですから」
「いやだわ~メアリーちゃん。私、お仕事はきっちりやるわよ~。こう見えても、お母さんですもの~。娘の年頃の子どもの相手は慣れているわ!」
「あ、相変わらず、地味に嫌味を……」
練習を見守るウィザードの2名。
キツイ顔立ちの美人、メアリー・クラプトンはウィザード投入の第1陣となった友人へ不安を隠せない表情で見せる。
最終的にはなんとかしてしまうのはマリアの凄いところなのだが、経過を見ている側は胃が痛くてしょうがない。
残りの2名はともかく、彼女だけは上手くいって貰わないと困るのだ。
これからの魔導のために、更なる環境の構築のためにメアリーも失敗することは出来ない。
「ふふっ、そんなに心配そうな顔をしなくても大丈夫よ~。私も魔導師だもの~。ちゃんとわかってるわぁ」
「……しっかりとしてくださいよ? 慈愛の女神。もう1度、魔導に波乱と光を齎すためにわざわざご登場を願ったんですからね」
「わかってるわ~。特別な力、想いに左右されないようにしたい。メアリーちゃんの口癖だものね。友達のお願いだもの、私も叶えるように~努力するわ~」
のんびりとした言い方だが、強い意思は感じられる。
長い付き合いだったが、ここまで真剣な瞳をしているマリアをメアリーは初めて見た。
昔とは違う形で、マリアの瞳は輝いている。
これならば問題ないとメアリーも信じることが出来た。
「ちゃんとやれるなら、普段からしっかりとしてください」
「むぅ~。普段もしっかりとしてるわよ~。メアリーちゃんが、固すぎるだけだと思うなぁ。お母さんが抱きしめてあげないと、子どもは行く場所がなくなるわよぉ」
「嫌味ですか! 変わらない持論ですね。まったく、外見と違って意思は固いですね。ええ、外見とは違って、ね」
マリアの女性らしい豊満な身体つきに毒を吐く。
メアリーが起伏の少ない身体だからこそ、嫉妬は募る一方だった。
もっとも友人同士の軽口でもある。
彼女たちは、お互いを認め合っていた。
魔導の裾野を広げよう。
夢を語り合った日々を忘れてはいない。
「アルマダは非常にいいチームです。あなたの番外能力、使い方は考えてください。固有能力の方もお願いしますよ」
「ええ~わかってるわ。押し付けた力なんて、役に立たないもの~。私も、昔とは違うわよぉ。そこは、信じて欲しいわ~」
「信じてますよ、これ以上ないぐらいにね。では、失礼しますよ。私は、これから天祥学園の方に用があるので」
「いってらっしゃいー」
メアリーが手を天に翳すと巨大な魔導陣が描かれる。
規模にして1つの施設を必要とする超長距離の転移。
バックスの頂点に立つ彼女にとって、この程度のことは芸にもならない。
マリアに再度強い視線を送ると、メアリーは早々と転移する。
最後まで固い態度を崩さない友人に、マリアは少しだけ眉を下げた。
「もうっ~、自分は派手なことをしてるじゃない~」
口から飛び出た言葉は文句の類だったが、悪意は含まれていない。
生来的な気質が善であり、決して揺らぐことがないのだ。
――そう、ウィザードの者にはある特徴がある。
全員が全員、1つの執念を持っており、決して曲がることがない。
穏やかで戦いには欠片も向いていないように見える彼女も、『女神』と呼ばれるだけの理由を持っている。
見た目で判断してはいけない。
彼女を含めて、彼らは皆が皆、止まらずに進み続ける恒星なのだ。
秘めた熱量は決して現役には劣らない。
「文句を言っても、仕方がないし~まずは、挨拶からかしら~。ふふっ、おばさん、年甲斐もなく、ときめきそう~」
努力する子どもたちに、あなたたちの努力は無駄でないと示すために彼女はやって来た。
才能を与えるのは、彼女の生来の力だが導くのは彼女の心である。
今の魔導を支える魔導師たちを生み出した魔導の母。
女神の裏に隠れたもう1つの力が、この地で正しく芽吹こうとしている。
加速する世界で、誰もが乗り遅れないように彼女たちが揺り籠を作り出す。
新時代の兆しは既に現れようとしていた――。