第72話『試し合い』
「さて、見せてもらいましょうか」
優雅に、かつ余裕を以ってアルメダは武器を掲げる。
眼前の少女の力を肌で感じているが、表情は変わらない。
敵は強大、だからこそ遣り甲斐があるのだ。
「挨拶代わりです。――これくらいは、凌いでくださいまし」
「望むところです!」
アルメダの手に携えられた槍型の魔導機に魔力が注がれる。
噴き出す魔力は正面の『虹』に劣っていない。
試合を見守る者たちの中に紛れたものの中から、その魔力色にどよめく者たちが出る。
彼らにとっては見慣れた『銀』の魔力を噴き出す4代目の女神。
フィーネと比べると淡い色合いだが、間違いなく同色の魔力であった。
魔力光の色などそこまで意味があるものではないが、奇妙な一致は見る者にある感慨を引き起こさせた。
実現しなかった対戦。
フィーネ対桜香と似た構図に、高鳴る心臓の鼓動を確かに多くの魔導師が感じた。
強者と戦うのも大好きだが、同じぐらい彼らは強者同士の戦いを見るのも好きなのだ。
この戦いの果てにあるものに、期待をしていないものなど皆無である。
ランカーは勿論、未だにベテランに手が届かない選抜生たちにも感じ取れる何かがこの試合にはあった。
「はあああああああああッ!」
「受けて立ちます!」
先に動いたのはアルメダであった。
痺れを切らした、というよりも己の立場を弁えたと言うべきだろう。
この場では、自分こそが挑戦者だと彼女も認めている。
そして、桜香は王者として相手の挑戦の許可した。
「ハッ!」
鋭い一撃は、女性の細腕から放たれたものとは思えない。
空を切り裂き、虹を穿つ。
技量型と評される魔導師たちの大半が、魔導の技術による超人としての技術を制御することに長けている。
アルメダも傾向としては、そちら側なのだが長い経験を持つには、プラスで別の側面が生まれていた。
能力なしでの、純粋な技巧。
魔導機を武器として扱う術にも、彼女は精通していた。
人体の動きを把握して、常人レベルでもきちんと肉体を整える。
大人だからこその時間の使い方。
身に付けた技は、決して彼女に嘘を吐かない。
「この程度でッ!」
しかし、同じことが桜香にも言える。
ぶつかり合う槍と剣。
押し負けたのは、女神の槍であった。
たった1度の交わりであるが、この時点で衆目にハッキリとした事実が晒されてしまう。
単純なパワーでは、桜香はレジェンドでも最高峰の魔導師を寄せ付けない。
溢れる魔力から与えられた肉体への恩恵は、明らかにアルメダを凌駕している。
アルメダが技巧派であることを考慮に入れても、力では負けていることは明らかであった。
「――ふむ」
周囲が直ぐにわかるのだから、本人の理解も早かった。
アルメダはすぐさま態勢を立て直し、息もつかせぬ連続を攻撃を放つ。
素早い突きの数々は洗練された動きであり、確かな熟練度を感じさせた。
同じ称号を持つフィーネと比べれば、違いは一目瞭然だろう。
白兵戦にも相応の重みがある。
年月という簡単には覆せないものが、アルメダの技には宿っていた。
急激に上昇した昨年度以外の下位ランカー魔導師程度ならば、この時点で容易く仕留められる。
確かな技量に、才能と力。
ただ白兵戦を披露しただけでも露呈する高み。
アルメダ・クディールは強い。
誰もが認める事実がそこにはあった。
それでも――
「無意味です。もう動きは覚えました。――見切ってますよ?」
――九条桜香は更にその上をいく。
誰から吹き込まれたことを忠実に学習した結果、上昇した技に関する洞察眼がアルメダの中に根付いた習性を見抜いていた。
「これは、想像以上の化け物ですねっ」
攻撃の間隙。
隙とも言えない隙を桜香が無理矢理に突破してくる。
手数を増す、ということは一発の威力が落ちてしまう。
僅かな交差で敵の持ち得る膂力を見切った桜香は、アルメダの流麗な技を無造作に踏み荒らす。
桜香にとっては当然の――アルメダには予想外の出来事に、対処を急ぐがそんな泥縄的な動きでは太陽は止められない。
「貰うッ!」
虹の魔力が籠められた気迫の一閃が、アルメダの身体に叩き込まれて――今度は桜香の顔が歪んだ。
「これは、流動系!」
「正解ですよ。まさか、いきなり使わされるとは思わなかった。なるほど、あなたは確かに世界ランク1位に相応しい」
アルメダの身体を障壁ではなく、魔力の流れが覆っている。
桜香ほどの感知力でも、実際に攻撃を叩き込まないと感知出来なかった静かなる激流がアルメダを守っているのだ。
女神の本流は、バックスにある。
彼女はそこを変革した人物――つまり、彼女自身はある意味では狭間に立つ者なのだ。
「この流れ、それに堅さ。あなたの系統は――!」
「ふふっ、何だと思う?」
動きを止めた桜香へと槍が突き出される。
チャンスがピンチへと、素早く切り替わる戦況。
刺激はある。
同時にひどくイライラいが桜香の中で募っていた。
あまりにも理不尽な感情が桜香の中で膨れ上がっていく。
私を追い詰めていいのは、お前ではない。
笑みを浮かべる敵に、確かな逆襲をするため、桜香はあえて1度攻撃を受けることを選んだ。
既に相手の防御の絡繰りは見ている。
そして、事前の知識から彼女はこういう手合いだと知っていた。
意趣返しにはちょうどいいだろうと、見ている者たちが戦慄する事態の引き金を桜香は迷わず引く。
彼女へ槍が直撃する瞬間、今度はアルメダの顔色が変わった。
「なっ……まさか、1度見ただけで、私の防御を!?」
まるで時間を巻き戻したかのような光景。
アルメダの攻撃を、桜香の身体を覆った魔力の流れが遮っている。
あなたが出来る程度のこと、私にも可能だ。
言葉よりも遥かに雄弁に桜香はアルメダに語る。
「あら、どうかしましたか?」
「……流石ですね。私たちと同類なだけはあります。こうまで的確にイラつかせてくれるとは、非常に懐かしい気分です」
「伝説、とまで謳われた先輩にそのように言っていただけるとは光栄です。しかし、この辺りでおやめになった方がよろしいのではないでしょうか? これ以上は、恥を晒してしまいますよ」
にこやかに、これ以上ないほどに丁寧に桜香はアルメダに告げた。
善意100%。
このまま、ここで終わらせれば無様に負ける姿を見せずに終わる、と優しく自然に桜香はアルメダを見下ろした。
10近く下の小娘に明確に見下されて、大人の女性であるアルメダは、
「……ふ、ふふふっ、なるほど、なるほど。これでも私は、結構落ち着いたつもりだったのですが――どうやら、気のせいのようです」
絶対零度の視線で、自らを下に見た者を強く睨みつける。
負けず嫌いで、自らを見下ろす存在を許さない。
強い魔導師に共通する要素を全開にして、女神は静かにブチ切れた。
穏やかな空気は消えて、女神の怒りで大気が震える。
周囲の魔力が銀へと染まり、アルメダへと集まっていく光景は神罰の予兆なのか。
優香に似た技をごく自然にこなす伝説は、最強の太陽に無礼を叩き返す。
「生意気な後輩には、教育が必要ですよね?」
「……はぁ、そちらがそのつもりなら、お相手はしますよ」
嵐のような周囲の光景を冷めた視線で桜香は見つめ、大きく溜息を吐いてから剣を構えた。
相手はレジェンドクラスの魔導師。
普通に考えれば侮ってはいけないし、侮れるような存在ではない。
実際に桜香は侮っていないのだ。
ごく自然に、当然のように下の存在として見下ろしただけである。
皇帝であろうが、女神であろうが自らの才覚よりも下だと桜香は傲慢に断じていた。
自らの領域にくるのは、2人だけいればいいのだ。
他の者など、そもそも必要としていない。
聖域たる場所に土足で踏み入ろうと言うならば、もはや是非もなかった。
「私の道に、許可なく立ち入ったゴミは排除します。返答は、必要ありません。物理的に排除しますので」
「――よく言いました。現役の時も、ここまでバカにされたことはなかったですよ!」
アルメダが閃光となって、桜香に突撃する。
様子見は終わり。
どちらも引かない美しき少女と女性は、麗しい顔に似合わない青筋を浮かべてぶつかり合うのだった。
激戦の場より少し離れて、戦いを一望できるスタンド席で彼らはお互いの感想を述べる。
「浸透、固定、流動だな」
「その系統、バックスじゃない。まさか、アルメダ・クディールって」
「ええ、勘違いされることが多いのですが、元々の出身はバックス系の魔導師です」
ギャラリーの中に混じる健輔たちは、視線の先でぶつかり合う2人を静かに分析していた。
天で戦う女神と色という共通点を持つもう1人の女神を隣において、読み取った情報の答え合わせを続けている。
アルメダの奇妙なバトルスタイル。
桜香と対峙した瞬間から健輔は違和感を感じていた。
決定打は桜香との近接戦闘であろう。
欧州から世界の頂点を取った人物にしては、近接戦闘が妙に手緩いのだ。
年月で覆われた経験という膜が正体を誤魔化していたが、直接見てしまえば正体の判別は容易い。
「どおりで。攻撃が軽いし、動きも少々甘い」
「そうね。私か健輔ならあっさりと懐に入れそうだわ」
「実際、そのぐらいのレベルだと思いますよ。前衛に出てきていますが、生粋の前衛魔導師としては1流というところでしょう。戦闘魔導師としては稚拙なところもあると思います。あの人は、能力で頂点を取ったタイプですからね」
騎士の系譜ならば、おそらく技術でならば桜香を圧倒出来ただろう。
今代のアレンはある意味騎士系統の集大成なのだが、歴代のメンバーも技術面で強い傾向なのは同じだった。
熟練の魔導師らしく地味でも素晴らしい戦闘技術を披露してくれたのは想像に難くない。
しかし、アルメダはそういった分類で言うのならば能力型になる。
根本的には、ある意味で桜香と同類なのだ。
「姉さんの同類である。ならば、勝つのは姉さんに……」
「さて、それはどうでしょうか。同郷の者を擁護するように聞こえるかもしれませんが、仮にもレジェンドですよ。一筋縄ではいかないでしょう」
「……どっちの奥が深いか。この戦いは、そういうレベルの話になるだろうな」
「でしょうね。純粋に才能型でもないでしょうし、アルメダさんの方も簡単にはやられないとは思うわ」
才能の怪物。
桜香を形容する際に用いられる言葉だが、実に的を射た言葉であろう。
天才でも足りないのが、九条桜香と言う魔導師である。
健輔だけでなく、この場に集う者たちは彼女の強さをよく知っていた。
たった1人、両者を知る立場のフィーネだけはなんとも複雑な表情で試合を見守る。
フィーネとアルメダこそ、同系統に近い魔導師なのだ。
アルメダよりも戦闘技術でフィーネは長けているが、アルメダの能力はフィーネよりも扱いやすくため、単純な力では優っていた。
あり得たかもしれない対決を想像するのに、実に最適な存在とも言える。
「たった1人で戦える私、ですか。女神と言う名、誇りには思っていましたが、まさかこんなところでも繋がるとは……不思議なものです」
「まあ、面白ければなんでもいいさ。再確認にはちょうどいい」
「流石、私の弟。意見が合うわね」
「いや、違いますから。血は繋がってないです」
「じゃあ、心の弟、流石ね」
「……もう、それでいいっす。はぁぁ、葵さんこそ、流石ですよ」
周囲から微妙に漂っていた硬さを健輔を使って簡単に取り除いてしまう。
リーダーとして、人を率いる器では健輔の惨敗としか言いようがない。
藤田葵の機微に感服するしかなかった。
「あっ、試合が動きます」
優香の言葉に自然と健輔たちは会話を止める。
煌びやかな戦い。
多くの人たちの心に衝撃と感動を与える戦いは、こうして本番を迎えるのだった。
アルメダ・クディールは誇り高い女性である。
挑発には笑顔で受けて立ち、正面から粉砕して、相手に身の程を理解させてきたが、あのような挑発の仕方をしてきたのは桜香が始めてだった。
アルメダほどの魔導師を明確に格下と見做したのだ。
彼女の誇りはいたく傷つけられたし、怒りを抱いたのは疑いようもない事実である。
しかし、内心は冷静だった。
桜香の挑発に一理あると認められるほどに、数合の激突は現役最強の高みを教えてくれていた。
「……この重さは」
怒りは過剰に傾倒しなければ力になる。
長年の経験から理解しているゆえに、意図的に感情を爆発させた側面もあったのだが、事態は思わぬ方向へと転がっていた。
いや、ある意味では予想通りなのだろうか。
高まった魔力で武装しているアルメダの方が、桜香の通常出力に押し負けている。
「とんでもない馬鹿力ですね!」
「あなたが未熟なだけでしょう。私たちにとって、この程度は普通です。ああ、大昔はこんなことも出来なかったんですか?」
「よく口が動くこと!」
酷薄に、嘲笑と共に桜香はアルメダに答えた。
生意気な子どもに現実を教えてやる。
心の片隅が怒りに燃えるのを感じ取り、その魅力的な提案に賛同してしまいそうになるが、ここは耐える場面だった。
アルメダもここまでの激突で桜香の力を感じている。
総合的なスペックでは、彼女が知る魔導師の中で最高。
知る限りの能力から推測した場合の応用能力も抜群であり、同時に現段階でもまだ完成していない。
レジェンドクラスたるアルメダも終わらない成長期を誇っているが、完全な格上相手に進化の速度で競うのは無謀であろう。。
客観的に判断した際の両者の格は確かにアルメダの方が格下なのだ。
「はああああああああッ!」
「やあああああああッ!」
周囲の魔素に干渉して、自分に集めることでパワープレイもアルメダはやれる。
問題はそこまでやっても、桜香の素の状態と互角だと言うことだろう。
横たわるスペックの差はなんともし難い。
技量においては僅かに優勢だが、力の差とスペックでの優位性がどうしても覆せなかった。
得られた情報を並べるほどに、アルメダの中で悔しさと――誇らしさが湧き上がる。
卒業してから、もうすぐ10年になるが魔導はここまで成長していたのだ。
ランカーの強さがそのまま世界に通用する。
彼らの戦いは、まさに世界の頂点を決める戦いだったのだろう。
目を閉じて、想像するだけで羨ましくなる。
「っ……!」
弾き飛ばされて、宿るのは尊敬の念だった。
誇り高く、かつ強い魔導師である彼女にとって桜香の強さは認めるしかない。
こうして激突するほどに、心が沸き立つ。
勝ちたい、勝ちたいと強く叫び出すのだ。
「――あなたは、良い頂点ですね。才能の怪物、少し勘違いをしていました」
「……当然です。私が、最強なんです」
怒りに駆られていたはずの相手からの掛け値なしの賞賛に桜香の動きが一瞬だが鈍った。
すかさず攻撃を放つが、桜香を覆う魔力の流れが突破を許さない。
自らの得意技に止められる攻撃に、アルメダは苦笑を浮かべながら改めて正面の少女を見据えた。
「まだまだ若いつもりでしたが、なるほど――昔とは違うようです」
桜香の雰囲気が切り替わるのに、笑みを浮かべる。
本当によく出来た頂点であろう。
こちらの本気を察知して、受け止められるように態勢を整えているのだ。
妨害するのでも、回避するのでもない。
受け止める。
言葉は簡単だが、実行に移せるような頂点はそうはいない。
「本当に失礼しました。九条桜香――私は過去の産物。今の立場は一介の魔導師です。王者への礼儀を弁えていなかった」
槍を構え直し、集中力を高める。
現役に返るのではなく、今の自分で力を紡ぐのだ。
そのために、彼女は戻ってきた。
昔とは違うことを成し遂げるため、今だからこそ出来る目標を携えている。
「挑戦者は私。様子見などという贅沢をしたことを謝罪し――」
静かに魔力を中に溜め込む。
イメージするのは、巨大な爆発。
固有能力の発動を以って、彼女は幻想の歌い手となるのだ。
「――――ここからは、私の本領をお見せしましょう」
艶やかな笑みは、小娘には出せない色気がある。
4代目の女神を女神に押し上げた力が姿を現す。
ここからが、この戦いの本番となる――。