第69話『変わってしまった事』
天祥学園にはいろいろと面白い制度がある。
健輔たちが暴れ回るチーム制度を筆頭に、この学園は些か以上に戦闘色が濃い。
魔導師というよくわからない存在になるためにやって来た連中の好奇心などが現在の形を生み出したのだが、経緯自体は大した意味はないのでどうでもいいだろう。
重要なのは戦闘、と言う行為がこの学園では一般化していることである。
しかし、一般化しているとはいえ、密度には差異があった。
部活でサッカーが得意、と言うのと授業でサッカーが得意、というのでは意味が異なるのと同じである。
実際にはこんなレベルではない差異があるのだが、感覚としてはこんなものであろう。
つまり、この構図は苛め以外の何ものでもない、ということになるのだ。
「ぬおおおおおおおおおおおおおお!! 頼む、健輔、勘弁してくれ!!」
「んーそれは無理かな。悪い」
「少しは、悩めええええええええええええええええええええええッ!」
大輔の切なる叫びが空に木霊する。
微妙に眠そうな顔で空を飛びながら、健輔は友人を楽しそうに追い掛けていた。
追いかける側は慌てる友人を見て笑いを我慢するだけで済むが、追いかけられる側には笑い話にならない。
双方に横たわる実力の差は部活と授業、などというレベルではないのだ。
何故か授業にオリンピックなどの世界大会クラスの人物が混ざっている。
しかも相手は絶対に手を抜かないというオプションまで付いていた。
大輔には、自分がボコボコになる以外の未来が見えてこない。
「だ、だからこの授業は外れ扱いなんだよっ! というか、健輔は外せ!」
戦闘授業――通常の学校で互換するのは体育だろう。
天祥学園には普通の体育が存在しない代わりに、魔導を用いたこの戦闘授業が身体を動かす場となる。
普通は人気になるはずなのだが、頗る不人気だった。
上の学年や下の学年ではそれほどでもないのだが、2年生だけは例外なのだ。
佐藤健輔と戦う可能性があるだけで、最悪の授業に早変わりである。
「おいおい、2人組みで鬼ごっこじゃなくて、組手だろう? 早くやろうぜ」
「お前とやり合ったら、最後は腹パンだろうがッ!」
「ん? なんだ、腹パンが嫌なのか?」
不思議そうに聞いてくるが、大輔は怒りをぐっと耐えた。
ここでキレても、あっさりと返り討ちになるだけなのだ。
意味がないどころか、そんなアグレッシブな自殺をするつもりはなかった。
大輔は一応知性派を自称しているのだ。
ここで健輔に反論しても意味がないことをよく知っていた。
「そ、そうだ! 普通に、セーフティにいこう」
「いいぞ、普通にいこうか」
笑顔で素直に受け止めた――ように見えるが、大輔は騙されない。
このアホが裏で考えていることはお見通しだった。
大輔も約1年間に渡って健輔と付き合いがあるのだ。
思考や趣向の大まかな流れも読めている。
「普通、だから本気でやればいいよな――とか思ってるだろう!」
「おお、凄いな! よく心の中を読まれるんだが、コツとかあるのか?」
「感心するなよっ。というか、よく読まれるんかい!」
ツッコミに次ぐツッコミに息切れする。
折れそうになる心に活を入れて、大輔は決死の説得を続けようとして、
「あっ、悪い」
「げ……」
大輔の動きを隙と捉えて本能的に間合いに侵入してしまった健輔と目が合ってしまう。
こいつ、澄んだ目をしている、と意味不明は感想を抱いた後、腹に走る猛烈な衝撃に叫び声をあげた。
「ごっはァッ!?」
出てはいけないところから声が出ている。
他人事のように振り返り、心の中で大輔は泣いた。
紛いなりにも友人なのに、この男には躊躇の欠片もない。
ついでやってしまう暴力、女子でも許されない所業を呼吸をするかのように行う修羅は物凄く良い笑顔で、方向性のずれた賛辞をくれた。
「すげぇ、気絶してない。強くなったな、大輔!」
「うれ、しそうに……言うなぁあああああああああああああああ!」
最後に渾身のツッコミを入れて、まさかの追撃で大輔の意識は綺麗に刈り取られるのだった。
授業での有り触れた光景。
2年生になっても変わらずに暴れ回る健輔の光輝く姿がそこにはあった。
「だから、謝ってるじゃないか。ごめんって」
「お前、謝ったらOKとか思うなよな。くそぉ……」
授業の間の休憩時間。
隣に座った大輔は恨めしそうな視線を健輔に送る。
大多数の人間が大輔に同意するであろう状況だが、視線を向けられる方としては、中々に辛い状況でもあった。
友人に最大限の誠意と感謝を持って相対したのだが、何故か不評なのである。
感覚のズレ。
割とどうしようもない理由で両者はすれ違っていた。
「ふ、不思議そうな顔をしやがって……!」
「怒るなよ。いや、俺が多分悪いんだろうけどさぁ」
「ぐぅ、怒るこっちを惨めにさせるなよなぁ」
半分泣きそうになっている友人に健輔の罪悪感がチクチクと刺される。
最近、フィーネや美咲にも釘を刺されていたが、ようやく健輔も言われた言葉の意味を理解しようとしていた。
あなたは、そろそろ挑戦者ではない立場も理解すべきだ。
要約するとこのような言葉を2人から貰っていた。
言われた時はとりあえずの返事だけで済ませたが、大輔の様子を見ればわかることもある。
「もう、授業じゃあ、俺は楽しめないのか……」
「あん? 当たり前だろう。むしろ、俺たちの中に楽しくやれそうな存在がいたのか?」
「それは、いないけどさ。期待はするだろう? 未知の相手、何も知らないんだ。やってみれば、面白いかもしれない」
「可能性の話、ね。まあ、0じゃないと思うが、期待しすぎだろう」
隠れた実力者というのは隠れていることに意味がある。
彼らが表舞台に立つのは、条件が揃ったからなのだ。
大した状況でもないのに、出てくるはずがない。
瑞穂のようなパターンは稀有だと理解はしていた。
理解はしているが、認めたくない。
こういうところが、『皇帝』には届かない健輔の未熟な部分である。
同時に健輔なりの美徳でもあった。
自分程度でもここまで来れたからこそ、他者の努力を期待してしまうのだ。
敵の可能性を、健輔は誰よりも信じている。
「それでも、俺は期待したいんだよ。見たことない強敵のとのバトルにさ。誰だって、強くなれるのが魔導だろう?」
「変に前向きだよなー。お前の世界ランクから考えれば、そっちの可能性はほとんどないだろうに。否定するつもりはないけどさ。上にいけば、こういう風になるのも当然だろう?」
「まあ、そう言われるのは理解するさ。俺が納得したくないだけだよ」
自らの成長を、強さを実感するのに勝利を欲する。
おかしいことではないが、確かに健輔は強く願い過ぎていた。
桜香に偉そうなことを言っても、健輔もまだ感情の制御は出来ていないのだ。
彼女に言った言葉の内、半分ぐらいは自らにも跳ね返る。
理解していても口に出したのは、外に出すことで強く自覚するためだった。
「とりあえず、授業では落ち着こうぜ。俺はまだいいけどさ。他の奴で心が折れると、あれじゃないか。後味悪いだろう?」
「……おう、いろいろとありがとう。自重、してみせるさ」
自らとは異なる視点の持ち主。
健輔が大輔を友と呼んでいるのも、この差異が大きな理由だった。
常識を忘れそうになる男を導いてくれる存在である。
視点が違うことの重要さは自分から嫌というほどに学習していた。
「まったくっ、強くなるのも良いことばかりじゃないな」
「当たり前だろう? 誰だってそんなもんだと思うぞ」
「相応の立場には、相応の苦労がある、か?」
「そういうことだよ」
強くなったゆえの束縛に健輔が顔を歪める。
健輔はまだマシであろう。
上がいるし、能力の特性上どれほど強くなったところでランカークラスとの戦いは楽にはならない。
大輔は善意で忠告しているが、実際のところ健輔は授業で戦う相手にも極小といえ負ける可能性がある。
誰にでも勝利出来る代わりに誰にでも負ける可能性があるのが健輔なのだ。
安定感が放り投げられている辺りに、健輔らしさを感じるだろう。
しかし、これは健輔だけの話である。
通常のランカーたちは上にいけばいくほどに挑戦するべき頂を失う。
もしくは、自分の限界を悟ってしまうのが常だった。
真由美ですらも、上位3名との戦いを個人としては割り切るしかなかったのだ。
健輔は本当に恵まれていた。
「……これは、今までよりも気合を入れないとな」
上にいるものたちが上にいる甲斐のあるように健輔も努力しないといけない。
これ以上やるのか、とツッコむ者が不在のままで、健輔は静かに意思を固めるのだった。
健輔が戦闘授業でも手を抜かずに力を見せ付けるのに対して、文句をつけたのは大輔だった。
この構図こそが、天祥学園のみならず各国の魔導学校が抱える問題点である。
極論になるが、時間さえ掛けて育てれば魔導師の大半は成長を続けられるのだ。
最も成長をし易い時期が高校生の間というだけであり、例えば皇帝のように強烈な想念があれば無限に成長を続けるのは不可能ではない。
完全に魔導を自身にフィットしたものへと変える。
魔導の固有化を成せば、どこまでも上にいけるのだ。
容易い道ではないし、鈍化するのは避けられないが、1つの事実としてウィザードとレジェンドが証明していた。
彼らがマスターを超えた領域として、敬われているのは道無き道を切り拓いているからである。
健輔も含めて、彼らが拓いた恩恵を受けての今なのだ。
「なるほど……授業が重要というのはそういうことなんですね」
「ええ、美咲。日本は初代女神による無秩序な覚醒がなかったから、ごく普通に進歩してきた。羨ましい限りですよ」
バックスである美咲はまだ健輔のように学園に不足を感じていない。
教師は普通に優秀であるし、学ぶべきことがたくさんあったからだ。
しかし、これから先もそうだとは限らない。
授業を置き去りにする。
成長したがゆえの事態に学園が何もしていないのか。
美咲は疑問を放置できないタイプである。
葵や香奈がこういったことを気にしない以上は、1番詳しそうな相手に聞くのは間違っていなかった。
「初代女神……」
「あの人の功罪は非常に大きい。罪の中で最大のものは、努力を実質的に無為にしてしまった時代があること。功は、如何なる者でも努力すれば、マスターに至れると物理的に証明したことです」
「今の魔導のキャッチコピー、ですね。努力すれば、必ず叶う」
「ええ、普通は荒唐無稽な話ですが……」
学園の方針としては、大学部卒業までにしっかりとした基礎を作り、その上で各種能力などに覚醒して貰うことだった。
初代女神――マリアが学生だった時代はまだ魔導が発展し始めて10年ほどである。
ようやく幾人かがマスターに至ったばかりの時であり、まだ魔導師の成長については仮説でしかなかった。
彼女はそんな時代に現れてしまった奇跡だったのだ。
「――始まりの女神は示しました。全ての者に、輝く才能があることを、誰にもわかりやすい形で」
番外能力――『女神の恩寵』。
詳細な効果はフィーネも知らないが、伝わっている伝説だけでもとんでもない能力であることがわかる。
まずは、系統の覚醒。
フィーネや桜香が複数の系統を保有しているが、これと同じことが最低でも同時代に存在した魔導師数十人単位で発生した。
次に制御。
当時は系統へと適性などはまだ判別出来なかったのだが、覚醒した系統は必然として本人とピッタリと合っていたのだ。
そして、これらの力が覚醒することによって戦えば戦うほどに成長することが実証された。
「魔導の発展に大きく寄与した方ですよ。その後の欧州の混乱と、与えられた者と与えられなかった者の差を気にしなければね」
「魔導競技の早急な整備もそのせいですか」
「ええ、通常のカリキュラムは7年で現在のベテラン域にまで完成させます。けど、満足出来ない人もいるんですよ。今のコーチ制度はその辺りを補う意味もありますね」
かつては大学部までで十分だったのが、ランカーや競技者との差異を埋めるための制度が今の改変でもあるのだ。
欧州は割と早めにコーチではないが、OBの目が入っていたのだが、ようやく全体が追い付いたと言うべきだろう。
ちなみに欧州が先行することになったのはやっぱり初代女神、つまりはマリアのせいである。
「初代の時代は学生の段階でエキスパートなどの各クラスに至った者とマスターに至る可能性がある者がそれまでの100倍になったらしいです。欧州の最強時代ですね」
「……むしろ、その恩恵の受けていた世代のチームを1人で撃破した『皇帝』を怖いと思いましたよ」
「この流れに置いて行かれたのが日本なのですが、変わりに僅かに遅れて独自の進化を始めました。初代の太陽はこの頃の登場ですね」
初代女神は欧州の国内大会を恐るべき戦場に変えた。
現在で言うならば、全てのメンバーがランカークラスになったチーム同士の戦いばかりなのだ。
レベルが上がるのも当然だろう。
しかし、彼らの強さに呼応してアメリカで怪物が目覚めてしまう。
『皇帝』。
クリストファーに至る最強の称号は、黄金の時代の欧州を蹴散らすことで、不動のものとなった。
欧州の暴威に晒されたアメリカの覚醒、欧州は女神によって引き上げられた全体レベル。
天祥学園が出遅れた理由がここにある。
もっとも、出遅れた分、着実に進歩を続けた育成システムはついに世界を牛耳る段階にまで来た。
早さが結果として、長期的なメリットを失わせる。
今の戦闘授業はそういったバランスの上で絶妙な位置に立っていた。
「何事にも、歴史ありですか」
「ええ。初代の女神が復活するのも、もしかしたら今ならばちょうどいいという事なのかもしれないですね」
才能を目覚めさせる女神はかつての時代は圧倒的だった。
しかし、今の魔導師たちは自分の足で歩んできたのだ。
神の恩寵を超えるだけの覚悟はある。
時代を超えて、ぶつかり合う意地と意地。
歴史の大きな転換点。
押し寄せる嵐の予兆に、美咲は少しだけ身を震わせるのだった。