第68話『1人では意味がない』
丸山美咲から見て、佐藤健輔は賢い男である。
彼女の普段の態度を見ていると、意外に思う者が多いが美咲は健輔を正当に評価していた。
勘頼りに見えて、根本ではしっかりと論理が組み立てられている。
模倣のようで、莫大な試行錯誤の果てに自分なりの改造を施した戦闘スタイル。
美咲が用意したものオリジナルに対して、幾分か改良されている術式。
目に見えぬように必死の努力を重ねているのを、美咲は良く知っていた。
だからこその冒頭の評価、健輔は賢い、に繋がる。
このことを補強する情報はFFそれなりにあった。
意外なことに、と言うと語弊があるが健輔は成績自体は結構優秀な生徒である。
上位10名には入らないが、上位50位には入ることもあった。
この辺りをウロチョロとしている生徒。
非凡ではないが、十分に頭が良いと言っていいレベルである。
ランカーであることも含めて、対外的には決して頭は悪くないように見えていた。
魔導競技をやってさえいれば満足できる心も含めて、この学園で最高クラスに幸せな学生だろう。
充実した学生生活。
この事自体は別に美咲も文句はない。
文句はないのだが、誰よりも健輔の背中を見ているからこそ、ハッキリと言わねばならないことがあるのだ。
「ぐっ……」
「はい、残念ね。また目標に届いてないわ。戦うことにしか脳を使わないからこうなるのよ。いい加減、理解しないで試験に挑むのはやめなさい」
「ちゃ、ちゃんとそれ以外にも使ってる。じゅ、術式とかな!」
「全部自分で作れるようになってから言いなさい。アレンジするのは、いいけどわかる部分だけで変更しようとするから、結果的にもっと非効率になってるじゃないのよ」
「ぐぉ……」
発言を一刀両断されて、反論しようするが、健輔は美咲に何も言えない。
後輩たちの間で対健輔の最終兵器と名高い丸山美咲が、普段は温和な瞳を吊り上げて、スパルタ訓練を施していた。
全ては健輔の勉強に対する姿勢をなんとかするためである。
「成績は良いんだから、もうちょっと頑張りなさいよ。戦闘時の要領の良さがあるんだから、別に理解出来ない訳じゃないんでしょう?」
「あれは戦闘時限定だ。普段の俺がそこまで頭回る訳ないだろうが」
「威張らないでよ……。というか、どうしてそんなことになってるのよ」
ハァ、と大きく溜息を吐く。
美咲は眉間をほぐすように揉み込む。
要領はいいから、きちんと覚えなくても試験を乗り越えてしまうのが健輔の特徴である。
テストでいい点を取ったからと安心していると、実は何も理解していなかった、などと具体例を挙げるとキリがない。
「勉強のやり方じゃなくて、テストでいい点を取る方法を要領よく見抜かないでよ……」
「いやぁ、すまんすまん」
「照れ臭そうにしないの。はぁぁ……」
勉強や、戦闘を辛いと思ったことは1度もなかったが、健輔を矯正する作業だけは辛かった。
戦闘時のかっこいい姿を知っているゆえに、落差からのダメージも大きい。
優香のように全てを受け入れてニコニコ出来るならば、それが1番なのだろうが美咲は我慢が出来ない性質だった。
より高みに至れるのに至らないのが見ていてイライラするのだ。
既に戦闘技能は高みに至っている。
美咲の予想が正しければ、万能系のリミットスキルにはバックス系も関係しているはずなのだ。
もう少し頑張って欲しいのだが、センスでなんとか出来る戦闘と違い、勉強は継続と努力の賜物である。
頑張っているが、一朝一夕で美咲レベルには来れなかった。
「どっちかと言うとお前の求めるレベルが高いと思うんだが……。この問題集、完全に美咲さんレベルですよね?」
「そうよ。でも、それぐらいはないと万能系の術式は作れないわ」
「基礎からやろうぜ! 基礎からさ!」
「やったわよ。中途半端でも理解出来るのは、それが理由。ここから先には応用しかないのよ」
「嘘ぉ……」
美咲が歯痒く思うのも無理はないだろう。
学園に入る前のことを考えたら驚異的な吸収力である。
魔導に関することならば、学力もしっかりと向上していた。
問題はここから先はやる気よりも、センスの領域ということであろう。
戦闘センスがどうにも出来ないように、術式のセンスはある種のデザインセンスなどに近いものとなる。
健輔のそっち方面が壊滅していることくらいは誰にでも理解できた。
「健輔、あなたが桜香さんの『漆黒』について考察した時のことを覚えている?」
「お、おう。あれは多分だけど、使える系統を1つに纏めているんだと思うって」
「万能系と似ているし、近いけど、同時に物凄い遠い存在でもあるわ。ただ、結果論的にだけど本当に良く似ている」
健輔が桜香との模擬戦の際に彼女に『統一系』と名付けた力。
桜香が発現させ得る全ての系統を1つに纏めた魔力が、あの力なのだと予測していた。
根拠はいくつかある。
破壊系の力が通用しなかったことと、健輔の『純白』と正面から撃ち合えたことだ。
「模擬戦の話も聞いたし、優香の集めたデータも見たわ。確かに、あれは『統一』というのかもね。魔力の性質を全て纏めて、1つの力で制御する」
「結果として力は限界を知らず、さらに噴出する魔力で無敵になれる」
純白についてはまだ健輔も確信はないが、あれも全ての系統の性質があった。
『回帰・万華鏡』におけるゆらゆらと定まっていない状態の魔力、あれに近しい性質があると踏んでいる。
全ての系統を同時にぶつけて防げるのは同じように全ての系統を持つ力だろう。
「追加で、実質的には1つの魔力なのに複数の性質がある。つまりは桜香さんの系統が持っていた膨大な力が全部1つになっている。健輔のリソースの集中と同じようなことをしているわね」
「力が強すぎてどうにもならなかったからなぁ。前提を満たさないと勝てない類の能力だと思ったよ」
「間違ってないわよ。普通に戦っても突破不可能でしょうね。あなたみたいな万能系か、最低でも系統を極めてないと通用しないと思うわ」
「まあ、超強いのは間違いない。でも?」
「ええ、弱点はある」
これだけ聞けばメリットだらけなのだが、健輔が抱えているのよりも更に困る問題があった。
健輔と同じように既存の系統とは異なるため術式が使えない上に、纏められた個々の性質を桜香も引き出せていない。
技も何もない力押ししかしてこなかったのはそういった問題があるからではないのか。
2人はそのように予想していた。
実際のところ、この予想は当たっている。
1つの系統に全てを注力することが出来るというのはメリットであるが、制御も格段に難しくなっていた。
桜香の才能でも御するのが困難なほどに、統一系は暴れ馬である。
「……そのためにも、バックスの知識か……。期末試験だけでも面倒臭いのに」
「文句を言わない。私が付き合ってあげてるんだから。フィーネさんともずっと勉強会をしてるんでしょう? 成果を見せてよ」
挑発的に笑う美咲に、健輔は困ったように笑う。
流石は丸山美咲であった。
健輔にやる気を出させる方法を知っている。
「へいへい。やれるだけは頑張るさ」
「あら、やれるだけ、なんてあり得ないでしょうに」
「あん?」
不思議そうに問い返す健輔に美咲は今まで見たことがないほどに、美しく笑顔を作り、
「佐藤健輔は、絶対に諦めないんでしょう? あなたなら、きっと出来るわよ」
無上の信頼をぶつけてくるのだった。
表情が緩むと同時に、何とも言えない気分になる。
健輔は無言でテキストに視線を落とした。
優香だけでなく、美咲も、果てには葵、かつては真由美もだが、クォークオブフェイトの女性たちはここぞと言う場面で健輔を奮い立たせる言葉を放つ。
卑怯だ、と思うも既に心は覚悟を決めていた。
負けず嫌いで、見栄っ張りな男はいつも通りに退路を塞がれ、逃げられない試練に挑む。
そんな男の見栄を、美咲は苦笑して静かに見守るのだった。
「私に、栞里ちゃんが協力する?」
健輔が美咲による勉強会に連行されている時、同時刻に別の場所で1年生だけの反省会が行われていた。
連行される前に受けた指導内容について振り返り、自分達なりの答えを出す。
自分で考えないと成長しない、と葵から言われてやっている恒例行事なのだが、今日は出だしから飛び出た単語は不思議なものとなっていた。
ササラが不思議そうに栞里の言葉に問い返す。
「うん」
「協力って、今も連携はしてるけど、そういうことじゃないの?」
「えーと、なんていうか、ね」
モジモジと恥ずかしそうに顔を伏せる栞里は助けを求めるように、朔夜たちに視線を送った。
外見的にも非常に似合っているのだが、同性の朔夜には通じず無情にも救援は断られる。
「ダメよ。あなたが自分で言わないと意味がないわ」
「俺が原案だからなぁ。協力してはやりたいんだが、桐嶋がこう言っているし勘弁してくれ」
「戦い自体は門外漢だ。悪いが力になれそうにない」
各々言葉は違うが、拒否の意が籠められている。
ササラのパートナー、相棒になると言ったのは栞里なのだ。
責務を果たせと背中を押していた。
苦手でもやらないといけない場面がここである。
「ぅ……その、ね。いろいろ考えたんだけど、多分ササラちゃんは、経験不足だから」
「それは……、あなたの言う通りだけど」
咄嗟の判断での決断がササラは弱い。
マニュアルを、決められたことをこなす事に関しては一流の力があるが、瞬発に欠けていた。
これは前衛としては致命的である。
あらゆるポジションで戦えることが強みなのに、もっとも汎用性を求められる場面でササラは戦えない。
前衛魔導師としては致命的で、後衛にするにしては汎用性に寄り過ぎている。
栞里の意見は既にササラにとっても既知であり、お互いに共有している問題点であった。
「で、でもね! 私、考えたの。佐藤先輩もそうだったけど、足りないなら別のところから持って来ればいいんだよ」
「足りないなら? それって……」
「うん。私を、使って欲しいんだ」
ササラは栞里が言おうとしている言葉の意味を理解した。
合宿にて戦ったチーム。
黄昏の盟約――あのチームの頭脳たる者が身に付けていた力を応用しようと言うのだ。
「魔導、共有……」
「美咲さんが再現してたから。その、部分的でいいから、練習とかに使えないかなって」
ササラはバックスとしての力もしっかりと持っている。
海斗と比べれば専業でないにも関わらず、ササラは彼を上回るだろう。
マニュアル型、蓄積型である彼女は言うならば大器晩成型なのだ。
瞬発力はないが、秘めたる力は大きい。
ならば、彼女が必要なものを集められるように、栞里が礎となれば良かった。
「栞里ちゃん」
「私は、その……格闘戦は結構、得意だから……大丈夫だと思うんだ。きっと、大変だとは思うけど、やる価値はあると思うの」
「補足すると、技術的にはしっかりと検証したぞ。戦闘中の融合は結構厳しいが、出来なくはない。美咲さんが言ってたよ」
必要なものはお互いを信じる心だけ。
ササラが栞里を信頼できるのか、ただそれだけであった。
決意を込めた瞳は強く、澄んでいる。
ササラのどんな答えも、栞里は受け止めてくれるだろう。
向けられる強い想いを前に、ササラは問いかけてしまった。
――どうして、と。
「えっと……」
「どうして、私に……そこまでしてくれるんですか? あなたとは、其処までの付き合いはない」
「うん、そうだね。私も、そう思うよ」
チームメイトとなってからも悪くもないが良くもない関係だろう。
朔夜とのことを鑑みると、若干だが険悪だったかもしれない。
ここまで献身される理由はないはずだ。
「でも――ササラちゃん、悔しそうだったから」
「……栞里、ちゃん」
「私、わかってるんだ。このチームは凄いから、きっと置いていかれる。ちょっと格闘が得意なだけの私は、きっと大したことがないもの」
健輔のように何がなんでも勝利する、という執念が栞里は薄い。
負けたい訳ではないが、仕方がないだろう。
人は諦めてしまうものだ。
特に納得出来てしまう理由があれば、妥協してしまうのを責めることは出来ない。
しかし、栞里にも負けず嫌いになるだけの理由が出来た。
朔夜が進むのならば、自分も行きたいし、このチームに相応しくあるように努力したい。
――新しい友達と、胸を張ってチームの一員だと言いたいのだ。
「だから、これは私のためでもあるの。あなたという才能の、世界を私に見せてください」
我武者羅に、全力でやる。
朔夜のいこうとしている領域や、ササラと同じ領域にはいけないかもしれないが、諦めるのは意味が違う。
栞里は悩み、出した答えに真摯に向き合っているだけだった。
それがササラよりも前に進んでいるように見えただけである。
友人の覚悟に、戸惑いは消えた。
後は真摯な思いに、向き合うだけである。
「……そうね。いいわ、受けてあげる。必ず、モノにして見せる」
友の覚悟を受け止めて、ササラも決意する。
友人たちが、2人の宣誓を見守り、彼女たちの戦いに目標が定まった。
最終的にはいろいろとやってくれた先輩に恩を返すため、2人の挑戦はこの日から動き始める。
繋いだ手が、新たな絆になり他の3人にも影響を与えた。
熱戦を前にして、彼らの熱は高まり、万全の状態となる。
1年生たちも順調にクォークオブフェイトの流儀に染まっていく。
形は変わり、完全に同じではない。
しかし、受け継がれるものはしっかりと根付こうとしているのだった。