第67話『姫様はお転婆』
今年から生まれた新制度――コーチ。
学生のみ、悪い言い方をすれば我流オンリーの中に指導者を置こうというのは、それほど間違った考えではないだろう。
少々特殊なところがあるとすれば、コーチもまた選手の一員であることであろうか。
選手たちを大きく凌駕する圧倒的な力。
彼らの2割弱が昨年度、何かしらの強さを見せた魔導師だと考えれば無理もないことであった。
そんな優秀なコーチたちだが、問い方を変えると評価ががらりと変わる人物がいる。
仮に最強のコーチが誰かと問われれば、彼女たちは迷いなく自分たちのコーチの名を上げるだろう。
比類なき強さ、圧倒的な個にして――王者。
しかし、最低のコーチは誰だ、と問われた場合も彼女たちは躊躇なく自分達のコーチの名を上げるだろう。
曰く、ただ敵を踏み潰すだけの男。
きちんと指導しろよ、などと散々な言葉が連ねられる。
矛盾した評価、しかし、そこにピッタリと当て嵌まる『最強』。
九条桜香と直接的に戦ったことのないアリスにとって、王者とは――最強の魔導師とは、間違いなく彼のことを示していた。
「ヴィオラッ!」
「やってますッ! アリス様も、援護をしてくださいッ!」
「それも、やってるわよ!」
友人に怒鳴り返しながら、高まった力を解放する。
多勢に無勢。
壊滅したシューティングスターズは彼女たち2人を残して全員が地へと墜ちていた。
「この、化け物っ!」
口から出てくるのは現実への怒りと理不尽への罵倒だった。
黄金の魔力を纏う寡黙は男は何も応えることなく、真っ直ぐに、只管に真っ直ぐに飛んでくる。
進路上にあるアリスの砲撃も、ヴィオラの罠も彼が纏う理想の前に意味を持たない。
「アリス様、下がって!」
「わかってるわよ! もうっ、これで何回目よ、この展開!」
コーチとの模擬戦。
何処のチームもやっている有り触れた光景だろうが、実に珍しいことにシューティングスターズは今のところ全敗だった。
如何にコーチとはいえ、通常はチームを凌駕するような力を持たない。
現役のコーチで成せる者がいるとしたら、フィーネかもう1人――『皇帝』クリストファー・ビアスだけだろう。
フィーネはチームがチームなので、達成出来なかったが、彼には関係なかった。
仮の話だが、彼を模擬試合で負かすことが出来るチームを探すとすれば、おそらく2チームしかないだろう。
シューティングスターズはその中に入っておらず、待っているのは当たり前の結末だった。
蹂躙。
この一言で全ての説明が出来る。
「姉さんが、苛立つ訳よ! 何よ、この力は! 何系統なのよ!」
アリスが叫びたくなるのも無理はない。
理想を纏った王者は格下の攻撃を通さず、おまけに如何なる距離でも戦えるのだ。
健輔だけが知っていることだが、桜香のような滅茶苦茶をしている訳でもないのに王者は彼女と同じ領域にいる。
たった1度の奇跡。
桜香に勝利した時と同様の奇襲だったからこそ、健輔は『純白』で勝利をもぎ取った。
健輔が技量を高めた上で桜香にもう1度、今度は奇襲という要因なしで勝利しようとしているのは、この事を正しく理解しているからだ。
クリストファーは桜香のような理由など特になく、系統の向こう側にいる。
既に卒業しているからこそ目立たなくなっているが、数多の研究者を発狂させた固有能力『魔導世界』は伊達ではない。
才能ではなく、たった1つ誰でも持ち得る意思のみを究極にした男。
誰でも彼になれる可能性があるからこそ、誰もが苛立たずにはいられないのだ。
「自負、自尊、自立! こんなので、どうして――!」
数多の魔導師が叫んだ言葉。
上位の魔導師であれば、あるほどに彼らは叫ばずにはいられない。
桜香に負けるのは納得できる。
彼女の才能は圧倒的だ。
天に愛された、というべき輝ける才能は心に折り合いをつかせてくれる。
フィーネも同様であろう。
しかし、この男だけは違っていた。
強い、圧倒的なまでの強さだが、そこにあるのはただの自負である。
俺は俺で、だからこそ最強なのだ。
意味はわかるが、理屈にはなっていない。
そして、理屈など欠片も存在しない強さだからこそ、この男は最強だった。
「貰うぞ、姫」
「ぐっ……!」
積み上げられた歴史を窺わせる拳。
流派など欠片もなく、前衛として戦闘をこなした訳でもない。
健輔のようにセンスにも長けてはいなかった。
言うなれば、この男の格闘戦は喧嘩である。
圧倒的なパワーとスピード、そして防御力からわかりにくいが、我流なりの筋があるのだ。
初撃に全力。
様子見がないのは、反撃を受けるとマズイと理解しているからであり、クリストファーなりの戦闘論理が窺える。
避けられたならば、すぐさま離脱。
防御力の割に臆病と言ってよいが、敵には最悪の判断である。
こちらを一撃で落とせる存在が、冷静にヒット&ウェイに徹したら勝てるはずがない。
「ま、慢心もしてくれないし、もう――最悪ッ!」
最強の魔導師としての在り方を容赦なく見せ付けてくるが、アリスの中では尊敬よりも怒りが湧いてくる。
どうして、これでそこまで強くなれるのだ。
強いからこそ、技術的な粗さが目に付く。
遠くにいるのならば憧憬するので済むが、近づき過ぎた故の悲劇であろう。
映ってしまうし、見えてしまうのだ。
「ヴィオラ! 足を止められる?」
「無理です。干渉した瞬間に、こちらの魔力が吹き飛びます。あの黄金には、同質の力が必要ですね」
「最悪な前提よね、それってさ」
「健輔様か、桜香様を連れてくるのがよろしいのではないですか?」
状況からすれば諦めるしかない。
なるほど、確かに詰んでいる。
アリスの聡明な頭脳は正しい答えを導き出していた。
その上で、彼女は自己の判断を投げ捨てる。
「――あり得ないわよ。ねえヴィオラ、私たちは、何よ」
抽象的なアリスの問いに、ヴィオラは笑いながら答える。
愚問だとしか言いようがない、という雰囲気はいつもアリスを立てる彼女には珍しい態度だった。
芝居めいた動作でヴィオラはアリスに深くお辞儀をする。
「流れる星――煌めきの流星を継いだ者ですわ。すなわち」
「終わる時は、前進してから――が掲げるべき祈りよ」
「オーダーを承りました。では、参りましょうか」
「今日こそ、私があの黄金を貫くわよ。見てなさい!」
悲壮感など欠片も見せずに親友にして、戦友たる両名は黄金の輝きに挑む。
最強のコーチの名に恥じぬ強さでクリストファーは2人を叩き潰し、最悪のコーチの名の通りに今日も何も伝えることはない。
これこそが、シューティングスターズにクリストファーが授ける教えの全貌なのであった。
「良き戦だった。これからも精進するといい」
上からの労い。
地に伏しながら、メラメラとアリスの闘志が燃え上がる。
『皇帝』。
初代たる『魔導大帝』が自らを王者として称したことから始まった称号。
この称号の特徴は、何代目という区切りが明確には存在しないことだろう。
代替わりは起こっているのだが、先代と次代には何も繋がりもないのだ。
ある意味では全員が初代であり、王者なのがこの称号の特徴だった。
例えば、女神ならば2代目から基本的に先輩と後輩の関係で、見所のある後輩に称号を譲っている。
数少ない例外がフィーネであり、彼女は先代から称号を奪い取って戴冠していた。
対する皇帝だが、継承などという概念は存在しない。
クリストファーは皇帝と呼ばれた5人目の魔導師であるが、5代目ではない。
同時代に2人が並列した時もあるし、数年単位で誰もいない時もあったりと安定だけはしないのがこの称号の特徴である。
理由はクリストファーを見ればわかるだろう。
圧倒的な自負と自尊。
揺るぎない自我を持ち、理屈のない強さを持つ者。
時代の魔導を象徴する存在こそが『皇帝』となる。
自然と誰かが呼び始めて、彼らは誕生するのだ。
複数いるのもまた、時代の選択であり、人々の希望である。
「今日もボコボコだったわね、ヴィオラ」
「そうですね、ヴィエラお姉様。慙愧の念に絶えませんわ」
ギリギリと歯を噛み締めるアリスとは違い、2人の姉妹は悠然と佇む。
模擬試合でいくら負けようとも彼女たちの在り方は変わらない。
優雅に、かつ無垢に姉妹は微笑む。
熱くなる姫を諌める侍従にして、家臣が彼女たちなのである。
自ら役を破壊するような3流の役者ではない。
「貴様たちも中々見所があった。我が軍団への指揮権は預けてやる」
「感謝しますわ。私の努力も報われましたか」
「見事な技量だ。去年よりも見間違えた。女帝も、喜んでいるだろうさ」
女帝と皇帝は対の称号である。
3年間、圧倒していたのはクリストファーであるが、彼はハンナへの敬意を失ったことはない。
今でもあの猛き女帝にはたくさんの想いを抱いていた。
彼がシューティングスターズにやって来たのも、それが理由の一環であるのは間違いない。
「王者、たとえ1度地に倒れてもあなたは頂点のままですのね。強い殿方です」
ヴィエラの邪気のない賛辞にクリストファーは珍しく笑顔を見せる。
常に巌の如し雰囲気で、緩まぬ強さを持つ男も純真さには弱い。
ヴィエラに微笑を向けて、力強く断言する。
「無論だ。王者とは、勝利し続けるから王者なのではない。上に立ち続けるからこそ、王者なのだ。如何なる苦難も俺を成長させるものに過ぎない」
「どこまで昇られるのですか? 1人で、行く道は寂しいですよ」
「優しいな。しかし、その優しさは俺には無用だ。我が道は王道。たった1人であるのは、覚悟の上だよ」
拳を作り、前に突き出す。
「俺は、こうなりたいと信じ続ける。必ず、達成出来ると信じているのだ」
理屈はないし、特別な理由もない。
空気を吸うかのように決心して、眠りに就くように気が付いたら歩いていた。
王者の在るがままの言葉に、優しき乙女は甘く微笑む。
「果てなき道に、祝福を。こうして、旅の途中を共に歩めることを嬉しく思いますわ」
「ふっ、俺もだよ。俺と対を成す称号。『女帝』は確かに『皇帝』に抗するものだが、女であろうとも強いだけの魔導師には与えられない。ハンナ・キャンベルは確かに俺に比する女だった。俺が誰よりもそのことを認めている」
他の誰の評価も彼には関係ない。
力の大小ではなく、器で確かに感じ取ったのだ。
自らの脅威となりえる存在。
彼の3年間で、常に意識した魔導師は彼女だった。
女神でも、太陽でもない。
個人の色が強い両名に彼は強さを認めていても、同類だとは思っていなかった。
異なる方向性に敬意を見せるのは構わないが、譲りはしない。
王者を下すのは同じ王者であるべきなのだ。
そう言う意味では健輔ですらも彼にとっては不足であった。
「ふふっ、王者を超えるのは王者のみ。あの1戦は、健輔さんとの戦いは王者の戦ではなかったのですね」
「敗北は認めている。しかし、奴は己を弱者と定義していた。それでは、俺も悔しがってはやれんな」
クリストファーの言葉に、アリスは少し意地の悪い笑顔を浮かべる。
少し困らせてみたい。
些細な悪戯心と共に、口から悪態が飛び出す。
「何よ、負け惜しみじゃない。実際、あなたは佐藤健輔に負けたんだし」
「ふむ、道理だな。言いたいことは理解しているが、そういう問題ではないのだ」
皇帝は――あらゆる魔導師を踏み潰し、理解してきた男は健輔のことを評価している。
正しい意味で、評価しているのだ。
「エースたる気概はあるが、まだ描くべきビジョンが奴にはない。諦めない――ではその先は何なのだ」
クリストファーのように王者となるのか。
桜香のように、王者を目指すのか。
フィーネのように、女神である責務を課すのか。
道は1つではないし、それぞれの選択がある。
健輔には健輔の道があるだろう。
道を見出し、歩み出した時に譲れぬ同類なのか――もしくは敬すべき敵なのかが判別できる。
健輔はまだ辿り着いていない。
「貴様は姉のようになりたい、だ。翻って、佐藤健輔は範囲が広すぎる」
魔導を楽しみ、常に諦めない。
立派だし、文句の付けどころもない理想だが、あまりにも抽象的に過ぎる。
加速して進化する魔導の中で、闇雲な方向性がどれだけ危険なのかは周知の事実だろう。
健輔も自覚している問題点。
彼が新しい力の開発を急いでいるのも、確たる部分を手に入れるためという側面があるのは事実であった。
クリストファーが指摘するまでもない。
あの戦いで、王者は正確に敵が『まだまだ』強くなることを悟っていた。
「……何よ、凄い評価してるじゃない」
「言っただろう、敗北は認めている。奴は偉大な戦士だった。我が未熟と、彼の執念には感服している。まあ、負け惜しみのようなものさ。我が意地は、矜持はまだ折られていない、ぞというな」
敗北を認めるが、悔しがることがない。
これは立場の問題だった。
世界ランク第1位の『皇帝』は相手の勝利を寿ぎ、自らの敗北を受け止めた。
しかし、健輔はあの戦いで取り逃がしたものがある。
クリストファーの矜持。
つまりは彼の王道と対峙していないのだ。
お互いが、お互いの魔導を全力でぶつけ合い、相手の全てを凌駕する。
意思と努力――培った物全てをぶつけるにはまだ健輔が至らなかった。
やり残した決戦。
男同士の意地の張り合いが、まだ残っている。
ここで敗北する時、次の戦いこそが『クリストファー』が己を賭す時であった。
健輔が桜香に対してやり残した、と感じていることはそのまま3強に対して彼がやり残したことである。
清算のために、彼は未知を掴もうと果てなき道を進んでいた。
「センチメンタルね。意地とか、誇りとか」
「ロマンがなければ、男は死ぬ。良い女は笑って男のバカを許せるものだ。ハンナ・キャンベルは間違いなく、笑ったと思うぞ」
「……ふん! 好きにやればいいじゃない。でもね、私たちが主役なんだから! 脇役は、メインたる私たちの輝きに、感服すればいいのよっ」
「ああ、認めよう。姫、お前がそうである限り、俺もまた一介の魔導師だよ」
満足そうに王者は笑う。
自らの責務など知らないし、彼は彼のままなのだ。
理解を求めずに、背中だけを示して王者は静かにライバルを待っていた。
偉大な敵の解答にアリスは詰まらなそうに唇を歪める。
この俺様は、結局のところ強い敵と戦いたいのだ。
最高の舞台で、くだらない喧嘩をすることを望んでいる。
たったそれだけなのに、彼らは強く輝いていた。
非常に認めるのはあれだが、アリスもそういうのは――嫌いではない。
脇役にもスポットライトを当てるだけの器量を持つのが自分だと、彼女は強く信仰している。
拙く、まだまだ荒いが彼女もまた、確かに王者の器だった。
他者を才で率いるのではなく、魅力で巻き込む。
小さな小さな王者の姿に、皇帝は静かに笑う。
種が芽吹き始めようとしている。
この熱い戦いを傍観するつもりなど、彼には微塵もなかった。
皇帝ではない、彼個人の祈りはそこには確かにある。
「当然よ。いいわ、クリストファー・ビアス。私があなたを超えてあげる。姉さんがやり残した最後の仕事は妹が完遂しないとね」
「期待しよう。ああ、その気概、誠に好ましいよ。このチームは、悪くない」
凸凹に見えて意外に相性が良い2人。
流星に陰りなし。
ハンナとは違う彼女だけの輝きを携えて、プリンセスは不敵に笑った。
「お姫様の無茶と無謀を叶えるのが、勇者だもの。あなたも王様の前に勇者なんでしょう? だったら、私の臣下なのは当然じゃない」
「なるほど。クク、貴重な体験だ。存分に楽しませて貰おう。裸の王も、稀には悪くない」
姉を超えるために、王者を収めてお姫様は爆走する。
荒々しい導きだからこそ、出来ることも世にはあるのだ。
アリスだけの輝きが、世界に示される時は遠くない未来の出来事なのだった。