第62話『友人との語らい』
魔導のことを考えて、魔導を思いながら眠る。
健輔の日常とはそういうものであり、これからの未来でも揺らぐことはないだろう。
如何なる時でも、チラつくのは頂点の景色。
己が非才であり、それくらいしないとこの場にいれないと知っているからこそ健輔は決して目を逸らさない。
自分の弱さを知っているからこそ、佐藤健輔は強い男だった。
表向きは変わらずに、内面では常に自分と戦う。
学生をやっている時の健輔の日常とはそんなものだった。
もっとも、密かにやっていると思っているのは本人だけである。
ああ、またやっているな、と思いつつ、圭吾は親友の言葉に耳を傾けるのだった。
「手応えはあるんだけど、視覚的なものが欲しい。これって、贅沢な悩みだと思うか?」
「どうだろうねー。気持ちはよくわかるよ。やっぱり目で見るのはわかりやすいからね。客観的にも判別できるものじゃないと、成長したと断言は出来ない気持ちは……うん、あるんじゃないかな」
喧噪に包まれる昼の空気。
学生らしい活気の中で、健輔は圭吾に愚痴のようなものを発していた。
成長に関する悩み、圭吾も健輔に語ったことのある悩みである。
彼らは共通して既にベテランクラスには届いてしまった。
魔導競技におけるベテランとは、アカデミークラスにおいてはランクでS以上を指す。
つまりここから上はエキスパートやマイスター、つまりは社会に出た際の能力で判定されることになるのだ。
当然ながら条件も厳しくなるし、何よりも成長の鈍化は避けられない。
天井は超えるべきものだが、0点からのスタートと100点からスタートは意味が大きく異なる。
健輔ほどの意思力であっても、スピードだけはどうにも出来ない要素だった。
気合だけでは、届かない現実もある。
「健輔のはもう高望みだと思うけどねぇ」
「わかってるんだけどな。実際にワンパンでやられると焦りも出るさ」
「……蕎麦を啜りながら言われても、なんていうか緊張感がないよ」
「今更でしょう。こいつに緊張感を望むのが高望みよ」
美咲が会話に割り込む。
2人の微妙にずれた会話を彼女が軌道修正をする。
圭吾は優しいというか、健輔には妙に甘いので美咲が強く言うしかないのだ。
自然と行われた役割の分担。
健輔を確実に止められるただ1人の女性は蕎麦を啜る男をジト目で見つめる。
「桜香さんと自信満々に戦って、それで不安になるとか、あなたもまだまだ可愛いところがあるのね」
「いや……別に、そういうのじゃないし」
「あら、言い訳? これまたらしくないわよ」
健輔の矜持を突く形で的確に逃げ道を塞ぐ。
丸山美咲以上に佐藤健輔を封じられる女はこの世にいない。
戦闘能力の差など意味のない圧倒的な相性差が此処にあった。
仮に健輔が世界最強になったところで母親に頭が上がらないのと同じように、ここから先で何があっても美咲には頭が上がらないだろう。
「ははっ、流石だね、美咲ちゃん。健輔が大人しくなったよ」
「別に、大したことじゃないわよ。なんだかんだで、正論には反発しないもの。まあ、根本は優しいってことよね」
「九条さんみたいなことを言うね。本当によく見ているよ」
誤解されがちな友人に対する的確な批評に圭吾は微笑む。
美咲には甘い、と思われているようだが、圭吾もどちらかと言うとアホに所属する分類なので、大きなことを言えないのだ。
彼女と同じチームになってからはしっかりと言ってくれる存在のおかげで非常に楽をしていた。
自分には出来ないことだと素直に感心するしかない。
「ところで、肝心の優香はどうしたの? あの子が隣にいないとか珍しいじゃない」
「桜香さんのところだよ。食事してから、また戦うんだってさ。一皮剥けるまでは健輔の隣は禁止にしたみたいだね」
「願掛け……というか、それを掛けるの? 本当に、染まっちゃったわね」
美咲は悲しそうな表情を浮かべる。
あんまりな評価だが、圭吾も同感なため曖昧な笑みで誤魔化すしかなかった。
あの温厚な優香が1年で吃驚するほど誰かさんに似てきている。
桜香もそうだが、九条姉妹は実に影響を受けやすいようだった。
付き合いの長い圭吾から見ても、行動の端々に影響が出ている。
「まあ、今回は九条さんだけの意思という訳でもないと思うよ。桜香さんも含めて、良く健輔を見ているからね」
「ああ、そういうことね」
「え、いや、どういうこと……」
美咲は諸悪の根源に冷たい視線を送る。
向けられた本人には一切の覚えがないのだが、美咲に言っても通用しないため、沈黙を選ぶしかない。
「あなたが焦るから、あの子も焦る。違う?」
「い、いやーそれは流石に無罪を主張したいんだが……」
美咲は無言で微笑む。
徐々に満開になろうと咲き誇る笑顔という花を前にして、健輔の胆力が折れた。
どんな英雄であろうが、最後は女で身を崩したりするのだ。
覚悟を決めた女性に男性が勝てないのは神話の時代からのルールである。
神様でも奥さんの怒りは怖いのだ。
人間では当然、もっと怖いものだろう。
魔導における相棒の眼光に健輔は直ぐに圧し折れた。
「す、すんません……。もうちょっと、周囲に気を払います」
「ま、健輔も日頃楽しくやってるんだから、稀には怒られるのもいいんじゃない?」
「最近、滅茶苦茶怒られていると思うんだが、どうだろうか? 俺は圭吾と違ってMではないので勘弁して欲しい」
「あなたが反省すれば済む話なんだけどっ!」
「後、僕はMじゃないから。風評被害を撒き散らさないでよ」
抗議の声に形勢の不利を悟るが、1度口を出してしまった以上は易々引き下がれない。
余計に事態が悪化すること視野に入れて、覚悟と共に口を開いた。
「……俺を言葉で殴れば済むって安易な流れは今後やめよう。うん、それがいい」
「……ふーん、いいわよ。受け入れてあげるわ。ただし、勝負であなたが勝ったらね」
「おっ、いいぞ。受けて立とうじゃないか」
勝負と言う単語にノータイムで飛びつく。
結果さえ示せば今後は文句を言われないだろうとい安易な発想は、案の定、次の美咲の言葉で崩れ落ちた。
「じゃあ、今度の期末試験で勝負しましょうか。圭吾君も、それでいいわよね」
「異論なし、だね」
「はっ? え、いや、勝負だろ!? 魔導競技で――」
「あなたの1人勝ちじゃない。別に、他の勝負の方法でもいいけど、公正な内容が他にあるかしら?」
「ふ、普通に決闘を行えばいいじゃないか!」
健輔の魂の叫びを、美咲は可憐な笑みで受け止め、
「ここ、法治国家なんですけど。決闘裁判とかあなた何世紀の人間よ。魔導は学問、学生の本分は勉強。何かおかしいところがある?」
「期末試験と総合成績で判断しようか。これなら健輔にも有利だろう? 後は、そうだねフィーネさんに何か用意をして貰おうか」
「3本勝負よ。これでも、受け入れないの? 自分の有利な場所じゃないと戦えないのかしら?」
「ぐ、ぐぬぬぬ……」
美咲の健輔の弱点を突く発言に何も言い返せなくなる。
3本勝負の内、2本は明確に不利になりそうな状況だが、これ以上は厳しい。
仮にもランカーなため総合成績は悪くないので、こちらはなんとかなるだろう。
勝算と誇りを天秤に賭けて、健輔は決断した。
「その勝負、受けて立つ!」
「じゃあ、最下位の人が罰ゲームね」
「九条さんも誘おうか。ちょうど良い暇つぶしだよ」
「ちょ、優香は成績上位だろうが、ヤバイから、俺が危険だから!」
慌てる健輔を置き去りにして話はスムーズに決着する。
見栄の張り合いと勝負。
本番を前にして、小さな熱戦の火蓋が切って落とされた。
「う~ん、最近は凄く賑やかなのはいいけど~ちょっと落ち着きが~足りないですね~」
校内の空気から祭りの前のような慌ただしさを感じる。
里奈はいつも通りの雰囲気のまま、童顔に困った表情を浮かべた。
変化への適応は相応の負担を求められる。
若い学生たちにはあっさりと適応するだろうが、里奈もそこそこ良い年なのだ。
昔のように、とはいかない面があった。
30を目前にしたとは思えない童顔ゆえに、よく彩夏に嫉妬されるのだが、流石に学生時代よりは大人しくなっている。
「先輩や~あの子たちも~来るみたいですし~。本当に困ったものですよね~」
「困った、って言ってもどうしようもないでしょう。はぁぁ、教え子の問題児は可愛いから耐えられるけど、先輩の問題児には来てほしくないわぁ」
「あらー、彩夏ちゃん~、お疲れ様~」
「お疲れ様。まったく、あの自由人たち、何も変わってないじゃない」
魔導の教師になるためにはいくつかの条件がある。
まずは普通の教職課程を収めていること、これは天祥学園の条件になるが各国の魔導校でも特に変わることはない。
そして、魔導師としての採用条件だが、最低でもエキスパート、もしくはマイスターでBランクを保持していることが条件になっていた。
保持しているクラスの学科の授業を担当出来る、という条件付きだがこの時点で教師になることは可能である。
しかし、里奈や彩夏のように担任になろうと思うと実はもう1つの壁が存在していた。
マスタークラスの取得、つまりはどちらにも習熟していることが条件となるのだ。
エキスパート、マイスターで、双方Bランクを保持することで、マスターのFランクを取得可能となる。
里奈はマスターのDランク、彩夏はEランク。
万が一、生徒が魔力暴走した際に力で抑え込めるように相応の戦闘能力を彼女たちも保持している。
「凄い人たちが来たわよね~。むしろ、今の子たちは~あの人たちと戦える訳だから~そっちの方が凄いのかしら~」
「どっちもどっち、じゃないかしら。九条さん、ああ、お姉さんの方ね。あの子、バックス系が少し弱いけど、そっちさえクリアすれば今の時点でもマスターのSは軽くいけるわ」
「桜香ちゃんは~優秀よね~」
「あなたのところの佐藤くんだって、マスタークラスはありますよ。ランカーはエキスパートの上位、もしくはマスターばかりですからね」
専門性や技術的知識が微妙な部分はあるが、スペックでは上位のクラスに余裕で匹敵するのがランカーである。
大学できちんと学べば全員が大成出来るのだ。
これ以上、質を上げようとする必要があるのか、という疑問はある。
しかし、他ならぬ生徒たちが上にいくことを望んでいた。
それならば彼女たちは出来ることをやるだけである。
「そういえば~、あの人たちが無茶しないように~きちんと監視しないと~ダメみたいですよ~」
「だから、私は嫌だったんですよ。はぁぁ、マスター上位は問題ないでしょう。レジェンドも別にいいです。なんだかんで理解出来るからこそ、伝説になったのですし、問題は――」
「――ウィザードよね~。う~ん、あの人たちは、大きくなった佐藤くんみたいだから~テンションが上がると~心配なのよね~」
子どもの心を持った大人たち、と言えば聞こえはいいが実際に存在すると厄介極まりない。
大人として、1流として問題ない実力を持っていながら時に理性を振り切っていくのだ。
下手に頭が回る分、子どもよりも素直に危険だった。
健輔や武雄も問題児だったが、何だかんで学生である。
里奈たちの経験で完全に対処出来ない、ということはなかった。
対するウィザードは何をするのかさっぱりわからない。
「とにかく対ウィザード用にいろいろと考えないといけませんね」
「ただでさえ~人手が不足ぎみなのに~大変よね~」
「……あなたが言うと大変なように聞こえないけどその通りよね。まあ、生徒に何かあるよりはいいでしょう」
「これからは~毎日がお祭りみたいになるのかしら~」
爆発を前にした火山のように、熱気は高まっている。
ここに核ミサイルを撃ち込むのだから盛大に噴火するのは疑いようもない。
ウィザードの存在は間違いなく、現役生に刺激を与える。
特に最上位にいる連中は必ず反応するだろう。
あるかもしれない未来の彼ら、これほど倒した時に楽しい相手はそうはいない。
「あの子たちの反応、これからやるべき対策……。仕事が、減らない……」
「あら~いいじゃない~。子どもが楽しいんだし~バンバンやりましょうよ~」
「あなたは本当に! 羨ましい性格をしていますね! 婚期も逃しそうだし、私、結構焦ってるんですよッ!」
「そうなの~? 彩夏ちゃん、美人さんだから~すぐにいけるわよ~」
「近場の男が、全員戦闘狂じゃ、意味ないでしょう!」
親友の悲痛な叫びに里奈は困ったように微笑む。
ストレスが溜まるとこうなるのだ。
余程かつての先輩たちの来襲が心身を消耗させているのだろう。
ご飯でも食べに行って、落ち着かせる必要があった。
「もう~今度~付き合ってあげるから~。此処は~学校ですよ~」
「わ、わかってますよ。……ありがとう」
「いいえ~どういたしまして~」
望んで裏方になった2人は、裏方なりの苦労していた。
彼女たちのように表に出ない者たちのおかげで健輔たちも好きに戦えている。
大人たちも大きな流れの変化に翻弄されていた。
ウィザードという嵐に生徒たちが巻き込まれても、なんとか出来るように教師たちは全霊を尽くす。
彼女たちが静かに休める日は、まだまだ遠い先の出来事なのであった。