第61話『理想は高い』
健輔たち先輩陣が着々を成果を上げる隣で1年生たちも徐々に強くなるペースを上げ始めていた。
過密すぎた練習も一因だが、彼らなりのスタイルに目途が立ったということが最大の理由であろう。
完成度に関してはまだまだお粗末の一言であり、世界大会で戦い抜くには心許ない、
しかし、強さに関してはまだどうでもよいことである。
徐々に形になっているということが重要なのだ。
皆が成長している。
この事実が、来る世界大会を左右するほどの要因になるのは、疑う余地も存在しない。
春から考えれば僅か3ヶ月で格段に進歩した1年生たち。
中でも、己の中の芯が定まった朔夜に関しては、ベテラン域に迫ろうとする急激な進歩を遂げていた。
「うん、朔夜ちゃんは大分いい感じになってきたね。真由美さんを思い出すよ。個人的には凄くありがたいかな」
「はぁ、はぁ……あ、ありがとうございますっ」
朔夜は杖を支えにしてなんとか立ち上がる。
健輔以外にも3年生たちの練習も増えており、真希との練習も既に二桁に達する回数に至ろうとしていた。
真希たち3年生と戦い思うことは、自分の至らなさと春頃の自分の恥ずかしさである。
無知を曝け出して、平気な顔をしていたのだ。
今からすると、死にたくなるほどに恥ずかしかった。
「うーん、次はどうしようかなぁ」
朗らかに微笑む真希の姿に尊敬の念を隠せない。
ベテランなど、エースの前には意味はない――このように思う新入生は非常に多かった。
実際、上の方の試合ではエースの優劣がそのまま試合結果に反映されることが多いのだ。
彼らがそのように誤解してしまうのは無理もないことである。
ベテランの強さ、この事を正確に理解出来ていないのだ。
「おろ? そんなに熱く見つめてどうしたの? 視線で火傷しちゃいそうだよ。」
「いえ……その」
同じだけの練習をこなして、息も絶え絶えな朔夜に対して余裕を見せる真希。
基礎体力の差、というものが如実に出ていた。
エースのようなド派手ではない、しかし、堅実に積み重ねた力というものを佇むだけで漂わせている。
「真希さんは、凄いですね……」
あまり様になっているとは言い難い状態であるが、朔夜の瞳だけは朗々と輝いていた。
素晴らしい先輩、素晴らしい環境に身を置けることが楽しくて仕方がない。
来る世界大会を最も楽しみにしているのは間違いなく彼女だった。
「うーん、私なんてまだまだなんだけどね。朔夜ちゃんがそう言ってくれるのは嬉しいけど、もっと上を目指した方がいいよ。健輔みたいに何と戦うつもりだ! みたいな感じになるのもあれだけどさ」
「そんな、えーと、先輩たちは皆さん、凄いですよ」
「う、うう、純粋な目が痛いよ。嬉しいけど、背中が痒くなるね」
褒められて悪い気がする者はいない。
朔夜の素直な賛辞に真希は照れ顔を見せる。
真希は白兵戦は弱いが敵を穿つことに関してはチームでも随一の存在だった。
エースは揺るぎなく健輔たち3人だが、脇を支えるものとしては彼女はトップクラスだろう。
圭吾に敵の足止め、という役目があるように真希の役割は敵を撃ち落とすことにある。
隠密に長けた必殺のスナイパー。
わかりやすい砲台タイプとは異なる役目を持っている。
「謙遜するな、お前は優秀だよ」
「あれ、和哉? どうしたの、こっちに来て。嘉人くんと練習だよね?」
「嘉人が圭吾に捕まった。海斗も含めていろいろとやってるみたいだからな。少し席を外したのさ」
「いろいろ、ですか?」
朔夜の表情に和哉は意地の悪い表情を浮かべる。
先輩の中で接した時間が長いのは健輔、真希、和哉の順だが、朔夜はこの男性の先輩が微妙に苦手だった。
万事に優秀なのに力押しではなく、真っ直ぐに進む者の足を引くような、そんな怖さがある。
今までの人生で出会ったことのないタイプだった。
「いろいろ、だ。お前のお友達も含めて、皆いろいろあるのさ。こっちのプラン通りに進みそうなのは結局、お前さんだけみたいだしな」
「葵が外れるのを望んでたからね。美咲ちゃんはササラちゃんのことで文句は言ってたけどねん」
最初は微妙に健輔と似ているため、いろいろと警戒された朔夜だったが、実情としては彼女が1番優秀な存在となっていた。
健輔もそうだが、この手の人間は学ぶ時は非常に謙虚なのだ。
大暴れするようになるのは試合の中だけであり、日常で大きく迷惑を掛けるようなことはない。
朔夜は自分の制御がまだ甘い部分もあったからこそ、春には些か暴走してしまった。
しかし、流石に2度目はない。
ちょうど良いことに似たような存在と戦う事が幾度もあったのだ。
反面教師として有効活用していた。
朔夜はあそこまで逝ってしまうつもりはない。
「私たちも、成長出来てるんでしょうか」
「なんだ、不安な点でもあるのか?」
「それは、勿論。絶対に勝つとか、勝てるとか、思えませんから」
「ふっ、まあ、気持ちは理解出来るな」
「真由美さんもそうだったけど、やっぱり上の方にいる人っていろいろと外れてるからね」
先輩2人は過去を思い出して苦笑した。
真由美は良くやってくれたが、偶についていけないと思ったこともある。
飛び抜けているあの辺りに付き合うのは本当に大変なのだ。
「まあ、今となると言っていることも、やっていたことも正しいとわかるんだがな」
「教えってのは、必要としている時に初めて理解出来るからね。もっと1年生から頑張っておけば、って今なら思うよ」
「先輩たちも、まだ足りないと思っていらっしゃるんですね」
「当然だろう? 人生、これ修行だよ。俺たちもまだまだ未熟者だ。大層に教えを授けているがな」
後輩に追い抜かれたり、涙を流したりと2人にも後悔はいつも付き纏う。
それでも進んできた日々は彼らの確かな力となっていた。
朔夜も今はまだ迷い、苦しんでいるがいつか答えを得る日がくるだろう。
「今は、身近な目標に向かって頑張れ」
「朔夜ちゃんの目標は高いから、必然引っ張られると思うけどね」
「が、頑張ります!」
身体に努力を刻み付けて、桐嶋朔夜は前に進む。
友人たちの努力に負けないようにと、少女は輝くのだ。
彼女たちが本当の意味で魔導師となるのも、そう遠くない日まで近づいていた。
非常に珍しい対決と言うべき光景が広がっている。
部室に設置された机で幾人かの人間が向かい合うが男女比が著しく偏っていた。
監督役の女性が1人に教え子が3人。
内訳は男性1人に女性が2人となっており、1人は涼しい顔をしているが、約2名は青い表情で問題集と向かい合っていた。
「うん、流石ね。ササラちゃん、満点です」
「ありがとうございますっ! 美咲さんの教え方、とても分かり易かったです」
当てこするかのようにわかりやすい、という部分を強調してササラは美咲に喜びを露わにする。
事情を知る美咲は僅かに苦笑したが、行為自体は咎めない。
多少は煽られるくらいの方がこの男には有効だと知っている。
如何なる分野でも負けず嫌い。
苦手な勉強でも、より言うならば苦手だからこそ机に齧り付く男性――佐藤健輔は燃え上がるのだとよく知っていた。
さながら調教師の如く、美咲にとって健輔の扱いは手慣れたものである。
「栞里ちゃん、まだ時間はあるから焦らないでね」
「うぅ、はいぃ……」
問題が解けない焦りもあるが、それ以上に隣で殺気を撒き散らす存在に涙目になりながらも栞里は気丈に返答する。
母性本能を刺激する光景に美咲の良心がチクリと突かれた。
健輔を地獄に叩き落すのは別に何も思わないが、同じ水準を可愛い後輩にしたがるほど美咲は鬼ではない。
「栞里ちゃんは間違えても怒らないから、急ぐよりも確実に問題を解いてね」
「は、はい、ありがとうございます」
「……えっ、ずるくね」
「何か、言ったかしら?」
笑顔だが、強く区切られた美咲の言葉に健輔は直ぐに戦略的撤退を選ぶ。
問題に視線を落として、周囲の情報を遮断する。
迅速な現実逃避に感心すればよいのか、呆れるべきなのか僅かに判断に迷う。
一応やっていることは凄いはずなのだが、相変わらず妙なところで威厳を失う同級生である。
「はぁぁ、もうちょっと落ち着いてくれたら素敵になるのに」
密かな願望が口からポロリと出てしまう。
完全に自己の世界に入っているアホはともかくとして、女子2人はしっかりと言葉を拾っていた。
以前から微妙に疑っていたのだが、後輩たちの中である確信が深まる。
とはいえ、佐藤健輔とか言う男と違い2人は自分たちの中で収めるだけの度量があった。
――それはそれとして、後で話に花を咲かせるのだが、ここでは関係ないことだろう。
「えーと、美咲さん、その……どうして、バックス系の練習に2人を入れたのか、聞いてもいいですか?」
「へ? あ、ああ、うん、大丈夫よ。まずは栞里ちゃんだけど、こっちは純粋に学力的な意味と、今後のためにかな」
ササラが場の空気を入れ替えるために、流れを無視した話を切り出す。
視界の隅でガッツポーズを取る栞里に視線で頷きつつ、美咲へ問い返した。
「学力? 後は、今後についてですか?」
「うん。今はまだ大丈夫だけど、前衛系は結構勉強を疎かにするからね。今の内に習慣化しておこうかなってね」
「なるほど」
「私の後輩が、どっかのアホみたいに毎回一夜漬けとかあり得ないしね。むしろ、追い詰められた方が勘が働く、なんて理由でハードルを越えるようになるのは絶対に許さないわ」
「は、はは……そ、そんな人いるんですね」
物凄い目力の美咲に、ササラは場の空気を誤魔化すように苦笑する。
既に3ヶ月ほどの付き合いになるのだ。
温厚な人物である美咲がアホ呼ばわりする存在など1人しかいない。
ササラも隣で無心で問題を解く先輩に尊敬とも呆れとも言えない言語に出来ない想いがあるのだ。
付き合いの長い美咲にいろいろと鬱憤が溜まっているのは仕方がないだろう。
「もう1人は……説明、いる?」
「い、いいえ……わかりますから、いいです」
非常に美しい笑顔を浮かべる美咲にササラも綺麗な笑みで応じる。
鏡を向けたら引き攣った表情の自分がいるんだろうな、と思いつつ必死で笑顔を浮かべる彼女は悲しい努力を続けていた。
真横で元凶が現実逃避をしているのだから酷い光景となっている。
「ササラちゃん。あなたの能力はどこかのアホと似ている部分が多いけど」
「は、はい」
「絶対に、私的な部分だけは真似しないでね。私と、約束して」
「しょ、承知しましたっ!」
健輔は脅威の集中力でボロクソに言われていることをスルーする。
その胆力を尊敬すべきなのか、それとも怒るべきなのだろうか。
小さな勉強会で、笑顔は怖いものだといういらぬ情報を手に入れつつササラは1つ大人になるのだった。
見る人が見れば厄介すぎる組み合わせ。
藤田葵と霧島武雄。
この2人が喫茶店というこれまた似合わない場所で密会をしている。
仮に健輔の耳にこの情報が入れば、合宿で何かが起こるのを警戒しただろう。
戦バカが警戒するほどに危険な香りを漂わせる2人はこれ以上ないほどの素晴らしい笑顔で向き合っていた。
「ふーん、まさに全力での出撃って感じね」
「厄介よな。断言してもよいが、コーチとしてはこちらよりも格上ばかりじゃろうて。儂程度では相手にもならん」
「良く言うわよ。勝てはしなくてもいいところを持っていくのが先輩じゃないですか。私、去年のことは忘れてないですからね」
「おいおい、俺のようなか弱く、小賢しい男のことは忘れてくれて構わんぞ。記憶するにも勿体ないじゃろうて」
武雄は笑顔で葵にアホなことをのたまう。
霧島武雄を侮る魔導師など日本にはいないし、いたらそのチームはもうダメとしか言いようがない。
頭脳プレー、というと陳腐だが、この男の鬼謀に泣かされた者は多いのだ。
享楽的だが、物事への真摯さも兼ね備えた読み辛い男。
葵のように正面から突破を是とする者には鬼門としか言いようがないタイプの人間だった。
健輔があり方を参考にしたのは伊達ではない。
厄ネタ度では学園屈指を誇る事故物件である。
しかし、だからこそこの男の見解は頼りになるのだ。
健輔に己の在り方を伝授したのも、そうした方が面白くなりだったからである。
クォークオブフェイトのメンバーの何人かの胃と引き換えに健輔は強くなったのだから、ある意味ではチームの躍進を押し進めた功労者だった。
「あなたを忘れる? あり得ないでしょう。あんまり芝居に付き合う趣味はないの。せっかく美少女とお茶をしてるんだから、早く口でも滑らせてよ」
「……いやはや、お前みたいに固まっておるのは詰まらんの。いや、楽しいのは楽しんじゃが、遊びとしては落第よ」
「あらあら、失礼な人ね」
葵は武雄に妖艶な笑みを向ける。
黙っていれば美人なのだ。
本性を知るものからすれば肉食獣が今から食事をする宣言でも、何も知らない者には高校生とは思えない色気を放つ美少女だった。
ただ非常に残念なことだがこの場にいるのは第3の選択肢であるバカのため、武雄には微塵も効果がない。
「やめい、気持ちの悪い」
「……あなたのそういうところ、健輔に受け継がしたのだけはいつか落とし前をつけるからね」
「はんっ、あいつは天然物だろうに。儂は少し悪い遊びを教えただけでの。素質よ、素質」
「変わりませんね、先輩」
「根本が簡単に変わるような奴は魔導師をやれんさ」
葵が大きく溜息を吐いてから、視線を鋭くする。
空気が変わったのを受けて、武雄は口角を吊り上げた。
目の前の後輩のこういう部分は非常に彼の好みである。
獲物を狙う狩人、武雄から情報を引き抜こうとしているのだ。
「ほう、良い目をするの」
「私もリーダーとしてやることがありますからね。根回し、とかいうのは好きじゃないですけど、共犯者は増やしておくべきだと思うので」
「――ほう、つまりは面白いこと、と言う訳か」
「ええ、お約束しますよ。今のままの合宿よりも、きっと」
不敵に笑う2人。
瞳と瞳は違いの思惑を読み合っているようで、本当のところは噛み合っていない。
どちらも高レベルの魔導師であり、同時に揺るぎない自己の持ち主なのだ。
意に沿わないことは決してやらない。
「レジェンド、そしてウィザード、敵情視察と行きましょう。お知恵を貸してくださいな」
「ふむ、良い感じに喧嘩を売りたいのか。わかった、考えておこうかの。とりあえず、無難なところから攻めてみるか」
熱い夏をさらに熱くするために、裏で胎動する者たち。
多くの者の胃にダイレクトアタックをかます準備が着々と進み始めるのだった。