第60話『準備は進む』
照りつける太陽。
6月も終わり、季節は完全に夏模様。
学生たちにとって、待望の夏休みを目前にした7月。
最後の試練たる期末試験という魔物との戦いも含めて何かとイベントの多い月だが、その日は周囲の視線を奪うような出来事が起きていた。
いつもの放課後、普通の学生は楽しいフリータイムだが、チームに所属する者たちにとっては生活の本番たる時間。
煌めく銀の流星と定まらぬ白き輝きが正面から激突を行っていた。
「唸れ、水の怒りよッ!」
虚空から大量の水が召喚されて槍となり敵に降り注ぐ。
槍の雨とも言うべき状況に健輔は特に表情を変えることもなく冷静に対処を始める。
「オラッ!」
5本の指が空を引っ掻くと、空間に線が入る。
極小の魔力の糸、槍の雨を捉える魔力の網が即席で構築された。
創造系から糸を生み出し、接触した槍に浸透系で干渉、後はごく少量で構わないので破壊系を流し込む。
大量に、かつ精緻に制御された魔力が成せる技。
健輔の地道な努力の結晶が女神の技を完全に無力化する。
「――見事ですッ!」
「どうも! 直ぐに立て直されたら意味ないけどなッ!」
自らの技を無効化されて、フィーネは直ぐさま魔導機での白兵戦に切り替える。
このまま遠距離は分が悪いと判断したのだろう。
迅速な決断。
自分もそうすると思いながらも表情が歪むのは止められない。
幾度も戦ってきたが、似たような万能型だからこそ相手の強さに理解が及ぶ。
ササラが選択肢の多さに力を発揮出来ないように、多くの人間は多すぎる選択肢の前では当たり前の如く惑う。
健輔のように直感でなんとか出来るような者の方が稀なのだ。
しかし、フィーネはどちらでもなく、どちらでもある存在であった。
勘と思考で組み立てる戦い方は多くの魔導師の中でも一際レベルが高い技である。
「ぐっ!?」
「はああああッ!」
風を纏い暴風となってフィーネが戦場を駆ける。
双剣を構えた健輔は歪んだ表情――好戦的な笑みでで女神の攻防に正面から受けて立つ。
欧州にいる面々が見れば正気を疑う光景なのだが、彼にとってはいつものことだった。
「ふ、ふふふ、いいな! 流石だよ、フィーネさん!」
「私相手に、そこまで余裕が出来ましたか!」
「まさか。でも――」
素晴らしい決断力。
独自の戦闘論理。
戦いながら健輔の胸に過るのは感嘆だった。
いつも素晴らしい相手だと健輔は思っている。
そして、『女神』という名に惑わされずに正当に評価もしていた。
恐ろしいことに健輔にとってフィーネの白兵戦はそこまで怖くない。
いや、正確には怖いものではなくなった。
ただでさえ度胸では誰にも負けない男だったのだ。
ここに揺るぎない自信を加えてしまえば、誰にも手が付けられなくなるのは当然のことであろう。
「この距離で、俺に勝てるはずがない」
「言いましたね! 大言を、よく放つッ!」
桜香との戦いでも見せたギリギリ過ぎる回避。
最低限の安全だけ確保して、1歩間違ったら破滅するチキンレース。
何の戸惑いもなく実行出来る胆力が最大の脅威である。
躊躇がないゆえに、この異常な攻防を自然なものだと錯覚してしまうほどに健輔はこの『攻めの回避』に手を染めていた。
守れば主導権を奪われて負けてしまう。
真由美を失ったために主導権を取られがちな今のチームの状況から考えた健輔なりの答え。
先の戦いを見越したバトルスタイルの変化は、歴戦の女神をして、対処に困る代物だった。
「くっ、こちらの限界ラインをよく見ている――!」
「前に行かせて貰うッ!」
フィーネにも桜香に共通する弱点がある。
火力が過剰過ぎる故に白兵戦に向かない。
普通はそこまで問題にならないのだが、単純な特性に対して無敵に近いこの男だけは例外である。
健輔は選択肢においては万能であり、彼に手数勝負で挑むのはフィーネでも自殺行為に近い。
必然、突破方法は力押しになるのだが、ここで今の健輔の実力が問題となるのだ。
鍛えられた錬度、理想としていた制御能力、年代の割には豊富な経験値。
この3つに飽くなき闘争心をプラスして、佐藤健輔は完成する。
これを超えるには、暴力では届かず、強さにおいても中途半端なものは通用しない。
力を出しきれないフィーネでは、どうしても苦戦は避けられなかった。
「やはり、私のネックはここですかッ!」
「ええ、応用範囲が広すぎる。咄嗟の事態に対応出来ていないですよッ!」
「ふふっ、普通はこんなの弱点にならないんですけどねッ!」
「――だとしても、俺には見えていますよ。つまりは、そういうことでしょう!」
健輔は朴訥に剣を振るう。
邪念の一切が存在しない、敵を倒すための剣技。
完全に我流だが、戦闘者としての筋だけは通っている。
下手に型に嵌めると弱体化してしまうため、只管に自己流で磨き上げたのだが、健輔の特異なスタイルとようやく噛み合うようになっていた。
葵という先駆者のいた格闘に比べるとまだ拙い部分もあるが、見栄えに問題はなく、何よりもフィーネに通用するというのは大きい。
「欧州ではこんなことはほとんどなかったのですが、これが時代というものでしょうか。いえ、あなたが恐ろしいというべきですかね!」
「あなたみたいに素晴らしい相手だからこそ、ですよ!」
優勢なのは健輔だが、フィーネも追い詰められながらも笑顔は消えない。
頂点の一角にいたものとして相応しい振る舞いは既に呼吸も同然となっている。
桜香のような新参とは違い、彼女は自らの居場所を勝ち取って来た者なのだ。
下にいる者の悔しさも、そして上にいる者の強さも等しく理解している。
「さて、コーチとして良いようにされているだけでは――芸がないッ!」
フィーネの力が唸りをあげる。
彼女は先代から女神の座を奪うほどの執念の持ち主。
自らが生み出した系統のリミットスキルを後輩に発現されて黙っているような女ではない。
2番煎じに留まらず、クラウディアを凌駕するための準備は出来ていた。
進化する天才たち、レジェンドやウィザードも怪物なのは間違いないないが、フィーネも間違いなく怪物である。
応用範囲の広すぎる能力『ナチュラル・ディザスター』。
この能力の範囲を狭めて健輔に対応する――などという小さな手段は決して取らない。
王者たる者としての振る舞いは、下にいる者の知恵にはさらなる力を見せ付けることで報いると決まっている。
彼女も欧州の頂点という、疑いようもない王者の1人なのだ。
「事象を操る力――あまり舐めないでくださいッ!」
「ぐっ……!? これは、重力操作!」
いきなり魔導機が重くなる。
魔導師が超人とはいえ、当然ながら筋力の補正などは限界があった。
さらに言えばどれほど強化したところで、自然に立ち向かって力で勝てるはずがない。
「まだですッ! これで、終わりと思わないでください!」
重力に合わせて、風、光が場を支配する。
フィーネをして、ようやく制御できるようになった力。
固有能力を更なる段階へと押し上げて、女神の力が唸りを上げる。
結果、健輔を覆うのは妨害不能な天然自然の檻。
相手に不利な状況を強要する――強制的に地の利を味方に付けるのは、まさに女神の技であった。
「陽炎、読めるか!」
『観測不能、恐らくランダムです。自分に接触するタイミングで逸らしているだけでしょう』
「なるほど、癖も読ませない、ということか。徹底してるなッ!」
フィーネも健輔の性質を知り尽くしている。
如何に困難な状況でも絶対に諦めない男。
法則性、もしくは弱点でも見つければ、どれほど低い確率であろうとも必ず突っ込んでくると確信していた。
女神が健輔を侮ることなどあり得ない。
少なくとも正当に評価することは揺るぎない事実であった。
「これで、どうですか!」
「――流石っ! 今の俺を、止めるのか!」
系統の変化、変幻自在のバトルスタイル、闘志に直感。
健輔の使えるものは全てを使っているが、フィーネがそれを超えようとしている。
戦っているからこそわかることに健輔は笑みを浮かべた。
今の彼には、そこまでしないとフィーネでも単体では勝利出来ない。
彼がもっとも望んでいた証明はここにある。
「はああああああッ!」
雷を纏い槍を捌きながら、健輔は笑った。
先がまだまだある。
これだけで魔導を続ける意味は存在するのだ。
これほど素晴らしいことはない。
徐々に削られるライフの中、健輔は最後まで全霊を尽くした。
女神との1対1。
誰の邪魔も入らない戦いで、健輔はついに単独で半分までフィーネを削ることに成功する。
結果は敗北であっても、この戦いには意味があった。
夏に向けた最後の調整。
7月はこうして始まったのだった。
漆黒の輝きが蒼い煌めきを喰らい尽くす。
最強の魔導師とそれに次ぐ魔導師の戦いは、単純な順位からは信じられないほど圧倒的な差があった。
「雪風っ!」
『ダメです、突破されます! マスター、防御を!』
強く噴き出す優香の魔力は周囲の魔素を染め上げている。
覚醒してから既に2ヶ月近く、鍛え続けた力は十分に強力なものとなっていた。
しかし、それでもこの相手には一切の意味を持たない。
「小手先ですね。相手の力を下げる、というのは同じルールの存在には通じますけど、格上にはひどく脆いですよ」
「姉さん!」
「叫ぶ暇があるのならば、構えなさい」
あらゆる干渉を遮断する黒い力に優香の能力が意味をなさない。
世界最強――九条桜香は静かに妹を嬲り続ける。
この教導で、桜香は懇切丁寧に優香を導くつもりなかった。
妹に必要なのは、導きではなく試練である。
よって桜香に出来るのは、ただ圧倒的な才能で敵を踏み潰すだけであった。
進化を続ける恒星。
既に健輔と戦った経験から精緻な制御を身に付けようとしている。
膨張の速度で優香は桜香に勝てない。
当たり前過ぎる事実を前にして、優香の表情が曇る。
「こんなことを、繰り返していてもッ!」
覚醒した力は強力だが、前衛魔導師のスタンダードから考えると些か以上に不安が大きい。
葵もそうだが、騎士も、ましてやクラウディアも自己を高める方に力を割いている。
彼らの性分的にそうなっている面も強いが、最大の理由は相手の力を下げる努力をするくらいならば、自らを高めた方が効率が良いからだ。
格上の力を下げる努力と自分が強くなるための努力ならば、後者の方がやり易いし、何より効果を発揮させやすい。
覚醒した優香の力は強大だったが、本人のレベルアップよりも相手がやりにくい環境を構築する部分に今のところは力を割かれている。
水守怜という言ってしまえば格下にさえ、効果が微妙だったのだ。
圧倒的に上の存在である桜香に対する効果など高が知れていた。
そして、自慢の環境破壊能力ですらも相手に劣っている。
「融合――弾け飛べ『浸透破壊』」
桜香が手を翳すと漆黒の魔力が手に集う。
この状態でも各系統の能力を扱えるようになっているのだ。
健輔との戦いでも使われた魔素を破壊する魔力が無秩序に拡散される。
瞬間、優香が支配していた領域が消滅した。
魔素ごと砕け散ってしまえば、彼女の魔素固有化など意味をなさない。
「ま、まだッ!」
「闘志は素晴らしいけど、それだけで私に勝てると思うの?」
優香の元々のバトルスタイルは高機動型。
火力よりも機動に重きを置いている。
対する桜香はカウンター型のバトルスタイルをしていた。
攻防の機微には元々敏かった。
ここに今の戦い方、圧倒的な防御能力と攻撃力にモノを言わせた重戦車型バトルスタイルが加わってしまえば、人々に待つのは1つの結果しかない。
おまけとばかりに弱点になりそうな機動力も、統一系という圧倒的な力の前ではあまり意味がなかった。
火力、防御力、機動力、桜香は全てに秀でている。
ハッキリと言えば、桜香は戦いの王道を進んでいた。
如何なる能力、如何なる技術であろうとも圧倒的な力の差があっては意味がない。
小細工を粉砕する力。
王者の進撃に対抗するには同じ高みにあるモノではなくてはならなかった。
「在るがままに、望むがままに力を解放しなさい。あなたは少し頭が固いわ」
「良く言われますッ! しかし、性分ですのでッ!」
「もうっ――」
開き直ったかのような発言に桜香は微笑む。
誇れる妹は本当に変わった。
桜香は胸を満たす感動に何とも言えない想いを感じながら、
「――だったら、レベルを上げるわよ」
きっと優香も望んでいるだろう、と試練のレベルを大きく引き上げる。
桜香にとってもこの練習の利点は大きい。
優香は非常に都合の良い敵だった。
一撃で終わらず、かといって厳しすぎる相手でもない。
相手が健輔ならば負ける訳にはいかない故に遊びを挟む余裕がないのだ。
桜香も自分の力を理解し、そして上に行く必要性は感じていた。
健輔が示した強さの定義。
深く共感するからこそ、彼女もある程度の準備は進めている。
しかし、彼女ほどの強さとなるともはや前例はなくなっていた。
己で切り拓くのは健輔もやっていることだが、1人では限界がある。
優香という敵は、桜香が自分を見つめ直すのに最適な存在だった。
「くっ!」
「下がらないッ! 攻めなさい、それがあなたの戦い方でしょう!」
両者は揃ってお互いを鏡として、力を磨き上げる。
見据えるは遥かなる戦い。
7月になって入った情報は、敵が自分たちだけではないことを教えてくれていた。
桜香に比するクラスの才能、健輔に匹敵する情熱、そして彼らを大きく上回る経験。
考える限り最強の敵たちが姿を見せようとしていた。
強大なる者たちに情けない姿を見せないように最強も己を磨く。
現役最強、ではなく真実の最強として健輔を出迎えるため、乙女は妹と共に美しく自分を彩るのだった。