第55話『善意100%』
我流、と言う言葉はあまり良い意味の言葉ではない。
多くの人間の手を経て洗練されたものと、たった1人の人間が自分にはこれがあっている、として進めたものでは前者の方が大多数にとっては扱いやすいものなのは当たり前のことだった。
先人の苦労をしなくてもいい、と言う意味で整備されたカリキュラムは非常に重要になる。
魔導と言えども例外ではない。
整備されたカリキュラムで育てられた者たちは、ある一定の領域まではあっさりと強くなる。
良いか悪いかは置いておくとして、長年の成果であることは間違いないだろう。
しかし、だからこそ失うモノもある。
何かを得れば、何かを失う。
かつての魔導師たちの如く我流で道を切り拓こうとしている男には、その違いがよくわかっていた。
『術式展開『回帰・万華鏡』――発動します』
「おう、頼んだ」
大輔が危惧した通りに、この招待に対して健輔が思ったことは哲矢たちにとっての死刑宣告に近いものだった。
相手が誰であろうが戦いを挑まれたのなら倍にして返す。
試合であろうが、練習であろうが基本的にやることは何も変わらない。
問題があるとすれば、相手がどれほどの強さなのか、ということだった。
恐らく満足は出来ないだろうが、出来ないなりに何か得るものが欲しい。
戦いとは双方向性のものだろう。
相手に意地があって欲しいと思いながら、健輔は一切の加減なく相手を叩き潰すのだ。
「術式選択」
美しい教科書通りの進撃に苦笑を浮かべる。
内部生にありがちな勘違いなのだが、教科書通りというのは最低限の知識なのであって実戦でそのままに通用するものではない。
綺麗な砲撃支援、整ったバックスの動き、前衛陣の散開しながらの突撃。
美しく、かつ健輔も知っている動きに、
「アホが、何も考えずに進撃するな。相手の考えを読む、こんなものは基礎ですらないぞ」
片手を天に捧げて、健輔は術式を構成していく。
『万華鏡』の真価とは、系統の切り替えだけではない。
この状態の健輔は制御が上達していくだけでやれることが増えていく。
例えば、今までは絶対に不可能だった力押しもやれない訳ではないのだ。
「消し飛ぶがいい――『天墜・凶星光』」
シャドーモードも使用しないで、今までからは考えられない規模の術式を使用する。
万能系の枷を超えて、極限へと至るための道筋。
回帰など所詮は通過ポイントに過ぎないのだが、それでも得られる効果は絶大だった。
今の健輔は決戦術式を必要としない領域に手を掛けている。
天に展開された術式は、魔導陣の技術も応用した特別製。
新入生たちではそもそも知ることすらも不可能な領域の代物だった。
分かれて進撃した程度で、真の火力型が止まるならば魔導競技はもう少し単純なものとなっていただろう。
今更、健輔程度の火力で慌てる新人を冷静に観察する。
『着弾します』
「対応が遅いな。あれじゃあ、バックスは壊滅するぞ。初手に最大火力なんてセオリーもいいところだろうに、まったく対応出来てないな」
牽制に過ぎない一撃で軽く相手を叩き潰す。
ランカーというものを舐め過ぎた代償は大きい。
彼らは例外なく魔導を背負う逸材なのだ。
昨年度の激戦を経て、誰もが更に上を目指している。
内部生、などという狭すぎる世界では広大な世界に手も足も出ない。
「真っ直ぐな空中機動だな。なんというか、教科書通り過ぎて心配になる。誰か矯正してやれよ」
『術式展開。美咲から譲りうけたトーチカを展開します』
「ま、牽制でいいよ。多分、突破出来ないだろうがな」
いくつも術式が展開されていき、全てが固定されていく。
リミットスキルとは基本的に系統が持ち得る効果を拡大させたものである。
健輔は未だにリミットスキルの域にはいないが、近い場所にいるのだ。
真似事は容易であるし、彼の真似事は格下には致命傷となる。
佐藤健輔は格上殺しであり、格下殺しでもあるのだ。
矛盾しているようだが、豊富な手段はそのまま彼の強さに直結している。
誰にでも勝てる可能性と、誰にでも負ける可能性を内包する男。
上位と下位の境目――『境界の白』。
2つ名が示す通りに彼はただ線引きを示すだけである。
「おいおい、ダメダメだな。うちのチームだったら全員失格だ」
砲火に飛び込むかのような下手くそな回避に溜息を吐く。
昨年度もそうだったが、戦闘授業と魔導競技のレベルに差がありすぎて、両者にとってありがたくない光景が生まれていた。
健輔からすると練習なのに練習の前に沈んでいるという本末転倒な事態だし、1年生側には正しく悪夢である。
組み合うどころかそもそもとして同じフィールドにいない。
格が違う。
この言葉の意味を示すような光景がそこかしこで広がっている。
「……ちょっと、流石に弱すぎじゃないか。俺、天に手を翳してただけなんですけど」
『多少は根性のあるのもいるかと、あの前線で白兵戦をしている無礼者ですが、中々筋は良いと思います』
「まあ、恰好は様になっているな」
『はい、魔導師としてはともかく見栄えはよろしいのではないしょうか』
陽炎の遠回しな侮蔑に健輔は苦笑する。
実際のところ、1年生にしてはいろいろとよく固まっていた。
クォークオブフェイトの新人たちと比較すると違いがよくわかる。
将来性はともかくとして、現時点では哲矢の方が上だろう。
「騎士と同系統ってところか。中々にテクニカルだな。態度と言葉は、まあ、ただの大言壮語ではないってことか」
『残念ながら曇っている目では何も成せないでしょうが。自分が強い、という思いあがりは頂点に立ってから抱くべきかと思います』
「厳しいねぇ。個人的にはバカな奴は多い方が好きだけどな。今回も喧嘩を売る気概があるだけ、結構評価が高いよ」
喧嘩を売ろうとするだけの実力は確かにある。
友香に授業で勝ったと聞いていたが、おそらく事実なのだろう。
ササラにトラウマを刻んだ新人、黄昏の盟約の中でも一際面白かった存在だが、彼女は大きな弱点を抱えている。
技術的には将来的にも大きく伸びるだろうが、別に技術で圧倒していなくても倒すのはそれほど難しくないのだ。
友香は斬撃による障壁の突破で火力が高いように錯覚してしまうだけで、保有火力は魔導機の物理攻撃に限られている。
一撃を貰う覚悟で相手の足を止めれば、実は簡単に仕留められるのだ。
ササラもこの方法ならば勝機が存在していた。
必要以上に被弾を恐れたからこそ、一方的に撃破されたのである。
実際の戦闘とは違い、魔導競技は競技としての側面もあるのだ。
攻撃をあえて受けるというのも選択肢の1つではあった。
『しかし、優れた戦術眼も誤認を前提としていたら意味がありません』
「確かにな。いろいろと未熟なのは事実だよ。昔の俺を見てるみたいで結構楽しんだけど」
『マスターは優しすぎます。もう少し苛烈にいっても構わないと思いますが』
「善処しよう。ただ、こういうのは好きなんだよ。無謀と勇気は違うが、たとえ勘違いでも這い上がろうとするだけの熱意は受けてとめてやりたい。先輩たちがそうしてくれたようにな」
微笑ましいミス、と健輔の瞳には映っている。
好みの女性に良いところを見せたい、というのは男性心理として間違ったものではないだろう。
相手もそこまで悪意に満ちたことを考えていた訳ではない。
自らの実力で、健輔を下そうとした気概自体は否定するものではなかった。
『どちらにしても、彼だけしか来れなさそうですね』
「美咲だったら呆れてるだろうなぁ。実力の評価も出来ない魔導師は死ね、とか言いそうだ。あれで、あいつは結構毒舌だからな」
『美咲が死ね、はないと思います。冷たい目で一瞥するだけでしょう』
「光景が想像出来て、俺の心臓がヤバイな」
もう1人の相棒はあれで中々気の激しい性分なため、こういう戦いは好まないだろう。
割と実利に重きを置くのが女性であり、男の方は時に無意味なことにも情熱を注ぐ。
この戦い、健輔にはある種のロマンしか存在していなかった。
後輩を甚振る悪い先輩、という構図に健輔は苦笑する。
「こうやって、嫌な伝統が受け継がれる訳だよ。ま、直すつもりもないけどな」
『いつも通り、ですか。来るのならば、完膚なきまでに』
「最近は少し余裕を見せているからな。実力を制御できる強さにするのは必ず必要だが、熱を失うつもりはないよ。そうさ、俺は今度こそ自分の内に取り込んでみせる」
試合を見守る桜香に自分の方向性を魅せ付けないといけない。
世界大会の決勝戦で、健輔は互角に桜香と戦ったように見えて、ある1点において完璧に敗北していた。
その1点の曇りが、あの戦いでの勝敗に直結してしまったのだ。
健輔の敗北の理由は――覚醒してしまったことである。
一見すると互角、しかし水面下には大きな違いがあったのだ。
桜香が才能による覚醒を同じく才能で己の制御下に置いたのに対して、健輔は力の方向性を決めるのが精いっぱいで、真価を発揮することも出来なかった。
これで勝てる、という方があり得ないだろう。
全てを掌握し、知略を尽くし、全霊を超えないとあの太陽を沈めることは出来ない。
「……そうだな。俺が桜香さんという得難い敵を見定めたように、あいつには俺という壁をプレゼントするか」
『また悪い顔を成されていますよ』
「そうか? ――ま、きっと面白いことになるさ。多分、だけどな」
魔力回路の回転を高めていく。
不確定な魔力が強く揺らめき、激しい魔力の放出が始まった。
未だに届かない遥かな天上、目指すべきは上であり、『回帰』はそのための過程に過ぎない。
己に強く言い聞かせて、健輔は少し無理をすることに決めた。
「いけるか、いけないか。やってみれば――わかるだろうさ」
健輔の意識が様子見から戦闘に切り替わる。
ランカー、という言葉の意味を哲矢は知ることになってしまう。
努力など当然、才能もまた然り、全てを兼ね備えてそれでもまだ飽き足らないバカたちが全力で戦うのだ。
賢い者ではいけない道があり、特大のバカでしか出来ないことがある。
健輔がいるのはそういう領域なのだと、戦いを通して理解させられるのだった。
高橋哲矢はトライングルサーキットを保持した優秀な魔導師である。
収束・身体・浸透系。
白兵戦を主にする者としては十分な力であろう。
1年前の1年生と比較すれば彼は圧倒的な強さを持っている。
新技術による平均的な戦力の上昇。
同時期の存在を比べるとこれがあるために新世代の方が旧世代よりも強い、ということになっている。
しかし、系統の保持数などのスペックだけで優劣が決まらないのも魔導だった。
どれだけ使いこなしているのか、どれだけ信じているのか、何よりどれだけ自分のモノと出来ているのか。
魔導は本人だけの形に近づくことでより高いレベルに至るものである。
新入生の多くが履き違えるのは、その部分に関することだった。
「くっ、くそおおおおおおおおおおおおおッ!」
哲矢の叫びが木霊する。
彼は無謀な試みを目論んだ男だが、それは結果論であろう。
少なくとも彼の中では勝利には至らずともある程度の面子は守れるぐらいのものを想定していたのに、予定は崩れてこの様だった。
誰がどう見ても、彼が負けている。
何よりも彼自身が敗北を痛感していた。
「俺は、まだ組み合ってすらいないのにっ」
戦う前に蹂躙された。
展開された術式たちは名前も効果も知らずとも予想は可能だった。
必死に回避に専念したが結果はこの様である。
体感したランカーの高みは彼らが想像していたものと完全に領域がずれていた。
今の世の中ならば情報だけを手に入れるのは難しくない。
映像までいけるかはわからないが、著名なものならばそれも難しくはないだろう。
魔導においても例外ではない。
哲矢は砲撃魔導を知っていたし、トーチカ術式も知っていた。
どのようなものかを想像もしていたのだ。
ならば、どうしてここまであっさりとやられてしまったのか。
理由は1つ、想像力の不足である。
「知っていただけ、理解していたつもりなだけ……。無様だ、無様すぎるだろう!」
健輔に向かって突撃しながら、魔導の真実へと彼の思考は飛ぶ。
多くの内部生は砲撃魔導の実演を見たことがある。
遥かな彼方を撃ちぬく光。
圧倒的な攻撃力は美しくもあり、同時に怖さもあった。
試合を観戦している時に、そんな光を切り裂いて前進する戦士たちに惹かれたからこそ、哲矢は前衛の魔導師を選んだ。
求める理想を思い描くのは悪くはない。
魔導師としてある意味では正しい方向を進んでいたのだが、やはりここでも一面の事実しか捉えられていなかった。
砲撃魔導は、剣で切り裂けるのだと、超1流の動きを見て誤認したのである。
本当の砲撃がそんな甘いものはずがない。
イメージとの錯誤、本来ならばもっと早くに気付いてしかるべきなのだが、哲矢は1年生チームのリーダーだった。
仲間内では無敗に近く、先輩との戦いはこれが初めてという有様である。
「佐藤、健輔っ!」
「この状態でまだ敵意バリバリとか。お前さん中々に見所があるな。変に賢しくない感じでいいと思うぞ。惜しむは、選択が下手だな。運がない」
「うるさいッ!」
相手を黙らせようと剣を振り下ろす。
同年代ならば目を見張るような斬撃なのだろうが、健輔には欠伸が出るような代物だった。
低い水準で満足してしまった哲矢では、常に飢えている健輔に届かない。
1年生でチームを作り、頂点を目指す。
皇帝がやって見せたサクセスストーリーだが、当然だが簡単なはずがない。
『理の皇子』はいろいろと言われているが、強烈な自負と自尊は持っている。
クリストファーを超えるという熱い意思を抱いて挑戦した彼は無謀な上にバカかもしれないが、同時に偉大な魔導師だった。
健輔でさえも考えもしなかった選択肢である。
力及ばずに屈辱に沈んでいるが、受けた痛みの分だけ、彼は強くなるだろう。
では、正面の少年はどうだろうか。
「お前がこれから伸びるかどうか、ここで見せて貰おうか」
「なっ……」
魔導機を素手で受け止められて、絶句する哲矢を置いてけぼりに戦闘は様相を大きく変化させる。
もはやこれより先にあるのは戦いではない。
どこか意図の読めない笑顔を浮かべて、健輔は厳かに宣言した。
「じゃ、本気でいくから。――耐えろよ」