第54話『それだけはやめておけ』
天祥学園には美人が多い。
ある種の都市伝説めいた話だが、実はこの話はそれほど事実から乖離していない。
魔導は身体をその人にとって最適な状態へ維持する効果がある、とされている。
思春期にこの魔導に身を捧げた者たちは美しくなれる、この話を補強するかのように歴代の強い魔導師の中で女性は美しい者が多かった。
これに加えて若さまで維持できるとなれば、戦闘という物騒な単語を差し引いても人気が出るのは必然であろう。
平和な時代とは女性が強く、女性にとって『美』とは譲れぬステータスなのだ。
そして、美しい女性の周囲には当然のように男性も群がる。
もっとも、彼女たちの強さから目を背けると大変なことになるのだが。
美しさに釣られた男性の1人、健輔のクラスメイト『清水大輔』は妙な事態に頭を抱えていた。
「だから、男も釣られるかぁ。……俺もその一員だから、あれだけどさー」
頭を掻きながら大輔は溜息を吐く。
幸せが逃げていきそうだが、彼はそんなことを気にしている余裕はなかった。
ある意味では物騒なことになりそうな話が彼の耳に入ってきたからだ。
「なぁ、1年生で変な動きってマジか? 2年でも3年でもなくて?」
「嘘吐いてどうするんだよ。佐藤の奴に、ってのがいるらしいぜ。命知らずというか、ガキは単純でいいよな。あいつがそれでなんとかなるなら、俺たちの誰かがやってるだろう、ってことくらいは頭を巡らせろよな」
「そうだよな。どっちの心配すればいいのか全然わからんよ」
「お前、あいつと仲良く出来てるもんな。実際、凄いと思うぜ。あいつ、空気が違うからな。眠そうな顔してるのに、圧力が半端ない」
友人の言葉に物騒な親友を思い浮かべる。
男相手に何を、とも思うが大輔は健輔と学園の中では1番親しい人間だろう。
隣にいる友人よりは健輔について知っていた。
九条優香、九条桜香、クラウディア・ブルーム、丸山美咲、フィーネ・アルムスター。
幾人の美女・美少女と親しくしている彼にいろいろと思うところがある者たちがいるのは周知の事実である。
暴力沙汰になったことなどは1度もないが、健輔があまり気に入られてないのは事実だった。
クラスでは詰まらなさそうにしていて周囲を拒絶するかのようなオーラを出している男が何故か最上級の美少女と仲が良いのを事情を知らなければ大輔も疑問には思ったはずだ。
「健輔は誤解されやすいからなー。話せばいいやつだぜ。ちょっと、いや、かなりずれてるけどさ」
「知ってるよ。魔導のこととか、かなり真剣に教えてくれたからな。おかげで実践テストはバッチリだった」
「だろ? ……でも、良かったな。授業中とかでさ」
「お、おう、どうしたんだよ、遠い目をしてさ」
友人の言葉に大輔が渇いた笑いを見せる。
妙な雰囲気を発する大輔に微妙にビビりながらも、彼は説明が出てくるのを待った。
「……実は今日、健輔と約束があったんだが、急用が入ったらしく必死に懇願されたので、日程をずらしたんだ」
「お、おう。それは、ご愁傷様」
「本題はここからだ。その急用とやらが、ある人物との戦いらしくてな。あいつ、凄いテンションが高いんだ」
「あっ……」
話自体に不審なところはない。
健輔の知名度ならば、その程度のことは実際に起こりえることだった。
しかし、何故か現時点に至るまで欠片も存在しなかったのか。
そんなものは言うまでもないだろう。
クォークオブフェイトの諸々の噂と、健輔の昨年度の所業を知る者たちが彼と訓練をしたがるはずがなかった。
「1年生の奴、タイミングが悪すぎるだろう。……ちなみに、そいつは結構人気があって、新星とは呼ばれているらしいんだが」
「……で、デジャブだな。凄く覚えのあるパターンなんだが」
大輔が遠い目をするのも無理はないだろう。
1年生のやりたいことはわかる。
わかるが、アホな試みは止めてやるべきだとも思っていた。
正面から挑戦状、というか名指しで呼び出して、戦闘訓練を願う。
いきなり倒そう、ということではなく、まずはどういう人物なのか見ようとしているのだろうが、選んだ手段が最悪としか言いようがない。
対象となる1年生は新しくチームを作ったばかりの存在であり、ある意味でクロックミラージュに近い立場なのだが、彼らほど分を弁えていない。
噂の先行型、とでも言えばよいのか。
まだ混沌とした時期だからこそ、こういった勘違いも起こりえる。
冬辺りに暴走するのが一般生徒ならば、この頃に暴走するのがチームを作った新人――つまりは内部生だった。
「嬉しそうに、ボコボコにしちゃうんだろうな」
「それで、負けを認めても最後までやるんだろう。うわぁ、トラウマ必須じゃん……俺たちに出来るのは祈ることだけだな」
「ああ、少しでも穏当に終わるように、フィーネさんにでも祈っとくか」
何故かフィーネがいるだろう方向に向けて2人は合掌する。
健輔を止めて欲しいのならば美咲に祈るのが1番なのだが、大輔たちはそのことを知らない。
女神だし祈っとこうという日本人らしい行動だったが、残念ながら対象を間違えていた。
仮に正しい対象に祈ったとしても美咲は思いあがったタイプが大嫌いなので、戦いを挑んでしまった時点で結論は見えているのだが、彼らの情報ではまだ確定した未来ではなかった。
悲しい後輩のために、祈る程度の良心は持ち合わせている。
「トラウマで再起不能にならないように……」
「腹パンを見ると吐き気がしなくなるように……」
先輩たちからの切なる祈りが無謀な新入生に届いたのか。
答えはまさに神のみが知ることだった。
話したことはなく、そもそもが顔を合わせた機会もほとんどないが彼にとって九条優香は憧れの先輩だった。
中等部からの内部組ならば、あの姉妹のどちらかに憧れなかった者はいない。
美しく、強く、輝きに満ち溢れている。
いつか共に、並び立つ。
いや、超えてみせると思った男子たちは多く存在しており、彼もその1人だった。
ある意味では幸運だったと言えるだろう。
適度に距離が離れていたがゆえに、圧倒的というのも生温い差を感じることもなかった。
起きているが夢を見ている子どもの淡い理想。
残念なことに内部生である彼は夢から覚める機会も棒に振ってしまい、この場に至ってしまった。
並び立てる、と勘違いしたゆえの喜劇。
彼は自分がその主人公だと気付いていない。
「哲矢、大丈夫なのかよ? いきなり先輩に練習を申し込むなんてさ」
「心配する必要はないさ。腐ってもランカーだろう? 後輩が指導してくれって言って、逃げるようなことはないよ。それに、逃げたらそれはそれで別にいいさ」
ニヤリと自信ありげに笑う。
同じチームの同級生は納得したように頷いた。
「怖いねぇ、流石は俺たちのエースだな」
「当然だよ。僕はこの学園の次代を背負う。目指すは頂点さ」
彼の中では全ての物事に筋が通っている。
視野が狭い、というのはこういう状態をさし、これではせっかくの魔導も欠片の意味も持たない。
自己に没入している、という意味ではこれ以上ない逸材ではあるのだろう。
実際に、彼は相応の思い込みから同年代では飛び抜けていた。
才能がある、と勘違いする程度には強いと言ってよいだろう。
現状において戦闘能力では黄昏の盟約の長谷川友香がトップクラスであるが、彼――高橋哲矢は彼女に授業で勝利していた。
学年でも隠れたライバルだと目していた少女を下して、ついに彼の前に障害はいなくなる。
描いていた栄光がついに現実に迫って来た。
不愉快な噂の大本を潰して、優香や桜香に示す。
その先で、もしかしたらという――美しい夢、多少欲望の色も強いが高校生としては健全だろう。
勝利に勝利を重ねて、手に入れた力が甘美なため、決して酔いから目が覚めない。
必要なのは強烈なまでの一撃だった。
「おい、あれ」
「えっ……まさか」
面倒臭そうに欠伸をしている健輔は予定通りのため特に問題はない。
問題は彼を左右から挟み込むようにしている2人の女性の存在だった。
健輔に困ったような笑顔を向ける少女、九条優香。
彼女は1日の過半を共に過ごしているゆえにここに来て貰うのを対象は期待していた。
しかし、もう1人。
健輔の左隣にいる学園最強の女性は完全に予想外だった。
彼が中等部に入学した時よりも更に成熟した姉妹に、知らず唾を飲み込む。
「……い、いきなりは厳しいな。僕も今日勝てるとは思っていないだけど」
哲矢は夢を見ているが、アホという訳ではない。
健輔がランカーであるというのは正常に認識していたし、稽古を付けて欲しいというのも嘘ではないのだ。
他に副次的な目的があるだけで、今日は別に他意は含んでいなかった。
「箔付けにもなるし、恥ずかしくない程度に頑張ろうぜ」
「勿論さ。今日は胸を借りる、というのは本当だったんだ。ただ、少しはいいところを見せないとダメになったみたいだね」
この場には内部、外部を問わずにそれなりの数の1年生が集まっていた。
チームに所属していない者などが大半だが、100名はいるだろう。
1年生でも強いと評判の哲矢が先輩に挑戦するという噂を聞いて野次馬で来た者たちである。
そこから少し離れた場所にも存在する集団。
1年生のチームに所属している者たちと引率の先輩たちである。
彼らの特徴は無名に近いがそれなりに続いているチームであることだろう。
大輔が所属するツクヨミの面々もこの場にいた。
彼らは戦うかもしれない世界最高クラスの仕上がりを見に来た者たちである。
混沌とする思惑。
騒がしい周囲の雑音を視界にも入れずに悠々と健輔は哲矢の前にやってきた。
「――佐藤健輔先輩、ですよね。来てくれてありがとうございます。僕は――」
「知ってる。高橋哲矢、だろ? 目ぼしい1年の情報は入ってるからな」
「え……」
スッパリと哲矢の挨拶を断ち切り、健輔は相手を見据える。
眠そうな顔はいつも通りだが、瞳には闘志が宿っていた。
俺に直接申し込むとは、貴様見所があるな――見込まれてはいけない男に完全に目を付けられたことを少年はまだ知らない。
「挨拶、敬語、全ていらんよ。早く始めよう。安心しろ、加減なんぞしないから、思う存分楽しもうじゃないか」
「っ、いいでしょう。では、ルールの確認を」
「大会準拠で構わんよ。そっちは9名。バックスもありでいい。俺は1人で十分だ」
「なっ……! あ、後でやめておけば良かったと言っても、遅いですからね」
憤激に顔を赤くする哲矢を健輔は嬉しそうに見つめる。
絶妙にすれ違う距離。
俺に戦いを挑んだのだから、きっと素晴らしいだろう。
仮に実力が足りなくても、挑んだ気概に応えないといけない。
何より、この後には大きなイベントも控えているのだ。
ウォーミングアップ程度にはなるのを期待するのは、決して過大評価とは言えないだろう。
「ま、直ぐにわかるさ。ちょうどよく桜香さんもいるし、真面目にはやるよ」
健輔の意味深な言葉の意味を深く考えずに、哲矢は準備を始める。
普通に努力を重ねても、異常な努力を重ねても九条桜香には届かない。
そんなこともまだ知らない無垢な少年が、全てを知った上で桜香を倒すと誓った男に勝てるはずがないのだ。
男は絶対に負けたくない同性が生まれて、初めて『男』に成れる。
そのことの意味を哲矢は嫌というほど刻まれるのだった。
「ふふっ、優香と練習するようになったおかげで面白い遊びが見られそうです。これは中々に興味深いですね。前座にはなりそうですね」
「姉さん、不謹慎ですよ。健輔さんが戦うのに、その態度は不真面目だと思います」
麗しき姉妹は周囲の視線を意にも介さずに2人の世界を作り上げる。
そもそもの強度が、格が違うのだ。
この場にいるような純度薄い意思でどうにか出来るほど、両名は柔な作りになっていない。
桜香はそもそもとして周囲に期待などしていないし、優香にとっても特別に注視するほどの価値はなかった。
こういった在り方はある意味で姉妹だと言えるだろう。
熱が向かない範囲には極端に冷淡になる。
「優香はいい子ね。でも、私としては遊びでいいと思うわよ」
「……どんなことでも、真剣にやるのは前提だと思うのですが」
「あなたはそれでいいわよ。ただ、世の中はそれだけじゃない、ってことよ。別に戦い以外に目的があるのいいけど、ぶれるのはいただけないわ」
哲矢の願望は男ならば持ち得るものだし、高校生ならば当然だろう。
誰もが普遍的に抱くからこそ、強い願望でもあると言える。
しかし、同時に数が多いということは希釈されるということでもあった。
願望の執着対象が、同一の感情で分散している。
これをぶれていると表現せずに、何をぶれていると言うべきだろうか。
「私を振り向かせたいなら、相応の難易度がある。優香にも同様。あれもこれも、と求めて飢えるのは自由だけど、それで強くなれると思うのはどうなのかしらね」
飢えていれば強い訳ではない。
願望を満たすために努力をしたのは事実でも、忘れてはいけないことがあった。
何事にも優劣は存在する。
佐藤健輔の努力と高橋哲矢の努力は決して重なることがない。
そもそもが次元が違う。
「まあ、どっちにしても何も問題ないわ。今の健輔さんがわかるだけで、私としても満足だもの。それに、やっぱり素敵だということがわかったし、この点だけは感謝してもいいかもしれないわ」
「素敵、ですか?」
「ええ、だって」
――私に隠さない、ということは正面からの告白に等しいでしょう?
とびっきりの笑顔で桜香は妹に微笑む。
周囲で行われるやり取りを優香以外は知らないまま激突は始まる。
1年生たちが夢から覚めるための通過儀礼。
優しくない現実からの使者は、容赦のない術式で相手を粉砕するのだった。