第52話『燻る火種』
「く、クソ……本当にボコボコにしてくれたな、あの人」
「健輔さん、無理しちゃダメですよ。わざわざ10回も戦って、あのままじゃ勝てないのくらいわかってたじゃないですか」
不機嫌な健輔を優香が諌める。
涼やかな優香の声で言われると途端に逆らう気力がなくなるのが健輔の常だった。
調教でもされているのかと内心で首を傾げているのだが、本当に困ったように言われるとどうにもそわそわしてしまう。
心の中に微妙に残っている良心が疼くのだ。
「いや、その……反省します」
「はい、よろしい。ふふっ、ちょっと偉そうでしたか?」
「そ、そんなことはないぞ、うん。どっちかと言うと、あれだ。……可愛いんじゃないかな?」
「え?」
優香のリアクションが予想外だったからか、思わず本音を吐露してしまう。
いきなり可愛い、などと言われた優香は急速にそれこそ茹蛸ように顔が赤くなっていく。
失敗した、と思うも時は巻き戻らない。
嫌な沈黙ではないが、何とも言い難い空気が漂う。
「あー、えーと……あれだ、別に、嘘とかじゃないからな?」
「わ、わかってます。健輔さんは、その、そういうところで変なことをする人じゃないって知ってますよ」
「そうか、だったらいいんだけど」
「不意打ちだったから、吃驚しただけです。健輔さんもちゃんと女性を強さ以外で褒められるんですね」
遠回しに微妙にバカにされているような気がするが、笑顔の優香に悪意はないのだろう。
嫉妬心を恥ずかしがるような彼女に婉曲な悪口など思いつくはずもない。
自然と飛び出てきたということは、普段似たようなことを優香に言っている者がいるのだろう。
優香とよく話し、健輔を婉曲に表現する者など1人しかいない。
「おのれ、美咲……」
「美咲ちゃんがどうかしましたか?」
「……何、ちょっとお礼を言わないといけないことを思いだしただけだ。うん、それだけだよ」
胡散臭い笑顔で優香に断言する。
素直な優香は納得したのかそれ以上踏み込んでくることはなかった。
羞恥心も消えたのか、徐々に空気は元へと戻る。
ああいうのは不意打ちで言うのはマズイ、という微妙にずれた学習をしつつ健輔は話題の転換を行う。
とはいえ、健輔にファッションなどの気の利いた話題など出来るはずもない。
口から出てくるのは親しい女性と話すとは思えない戦闘関連の話題ばかりである。
「暮稲の奴は何かを掴めたと思うか? 割とストレートにいったつもりだけど」
「どうでしょうか。ササラちゃんは、その、私に似ているところがあるから、ちょっと心配ですね」
優香が笑顔で応じてくれるから問題になっていないが、毎日のように繰り返す話題に普通は難色を示す者もいるだろう。
女心など欠片も理解していない男。
フィーネが大きく溜息を吐くの仕方がないくらいにそっち方面は壊滅していた。
愛想が尽きてもおかしくないのだが、優香も健輔以外ではどうにも出来ないくらいの破滅物件であることを忘れてはいけない。
「えー、似てるか? どっちも妙なところが固いとは思うけどさ」
「ふふっ、私に真っ直ぐとそんなことを言うの健輔さんくらいですよ。自分でも健輔さんに言われて気付いたんですよ。私はきっと、頭が固いです」
少し胸を張るのは、どうだとでも言いたいのだろうか。
最近富みに肉体での意思表示が増えているような気がするのは気のせいで済ませてよいのだろうか。
健輔は真剣に悩む。
1年間、短いようで長く、何よりも濃かった日々はお互いに影響を与えている。
不器用だった少女は少しだけ器用になって、優しくなった。
器用だった少年は少しだけ不器用になって、強くなった。
お互いにお互いの素晴らしい部分を2人は讃えあっている。
「まあ、柔らか過ぎるのもあれだけどな。貫く意思って奴も必要だよ。優香はそこはすごいと思うぜ」
「ありがとうございます。でも、健輔さんの方が凄いですよ。私は後を追い掛けていただけですから。今はこうして隣にいますけど、いつ離されるかとビクビクしてます」
「ないない。俺みたいに奴に付き合ってくれるのは優香みたいな懐の大きい奴だけだよ」
どこまでも昇り続ける在り方に差異はなく、2人は揃っていない自分たちをもう想像も出来ないだろう。
姉に似た傲慢さを少しだけ滲ませて、優香は優しく微笑む。
この日々が、ずっと続きますように――。
「お付き合いしますよ。最後の、最後まで」
「おう、一緒にいこうな、世界の頂点!」
少女の想いを知らずとも、少年は前に進む。
背中を見つめて、横顔を覗く。
変わらない在り方を続けるために優香も前を見る。
立ち塞がる姉の重圧よりも、隣にいたいという思いが胸に満ちていた。
今度の戦いは、昨年度よりもあらゆるものが隔絶した死闘になる。
避けられない未来に覚悟を秘めて、優香は静かに覚悟を決めるのだった。
「さ、ササラちゃん……その、大丈夫?」
「……うぅ、どうせ、私は頭が固いですよぅ。ぐす……」
「だ、大丈夫だよ! 先輩も別に悪意を籠めた訳じゃないし」
「つまり、心底そう思ってるってことじゃないですかぁ……。いいですよーだ、絶対に、絶対に自分で気付いて、見返してやるんだからぁ」
音にするならば、ズーンという表現がぴったりだろうか。
暗い背景を背負う友人に栞里はワタワタと対応していた。
そんな2人を嘉人と海斗は微笑ましそうに、朔夜は真剣な表情で見つめる。
「なぁ、桐嶋」
「ん? 何よ、白藤」
小声で朔夜に嘉人は声を掛ける。
眼前の少女が真剣な顔をしているのは、嫉妬しているからと考えた――訳ではなく、初見の印象に反して以外と思慮深いとしっているからだ。
認めるのは癪ではあるが、この中で1番戦闘魔導師として精神が出来上っているのは朔夜である。
健輔の言葉から何かを掴んでいる可能性は高いだろう。
「先輩の言ってたこと、お前はどう思う?」
「どう思う、ね。……まあ、私が思うに、ササラは前提を履き違えてるんだと思うわよ」
「ほぅ、その心は?」
ちょっとは自分で考えろ、と非難の視線を放つも、直ぐに切り替えて朔夜はゆっくりと口を開いた。
「変換系で、別に自然現象を作る必要なんてないじゃない。ササラは、全部使えるけど、全部中途半端よ。ようは佐藤先輩と同じじゃない。ありのままに能力を使っても意味がないわ」
万能系の在り方からササラは学ぶべき、朔夜の意見はそう言う部分に集約される。
万能系は全ての系統を使えるがパワー不足。
この部分を逆手に取ったのが健輔である。
足りないパワーを補うための変幻自在なバトルスタイル。
それでも猶足りないならば味方から、敵から、と次々と対処していった。
対するササラは自分の変換系を真剣に見つめていると言えるだろうか。
クラウディアが変換系の本質を思考した上で、あえて変換系を捨てたようにササラも自分を見つめた上で考えないといけない。
「バックスとしても、戦闘魔導師としても、何よりササラとしても中途半端なのよ。頭が良いから、実行する前に問題点が思い当たって、結局は実行しない。前提の知識があっている保証もないのに、勝手に自己判断している」
「ははっ、なるほどな。佐藤先輩らしい、っていうか」
健輔がササラに対して言いたいこと、それはたった1つの単純な言葉である。
「考えるよりも、行動しろ。あの人はそう言いたいんでしょうね。まあ、私も同じ意見かしら。あの子の今の実力の物差しじゃ、見える範囲も狭いでしょう。冒険をしろ、ってことね」
見栄えを気にしているから外見だけを繕う。
これではどれだけのバトルスタイルを試そうとも意味がない。
栞里が得た答えと似ているのは偶然なのだろうか。
泥臭く、真剣に、全てを賭けてやらないことに意味はあるのか。
健輔が問い掛けたかったことはそうではないのか、と朔夜は考えたのだ。
先輩は偉大に見えるものだが、過大評価である。
似たようなことは考えていたが、健輔が思っていたのはこいつは小突いたら化ける、とか根拠のない確信が大半だった。
面白そうな方向に全力で駆け抜ける男をあまり甘く見てはいけない。
健輔は葵の弟子であり、武雄の精神的な意味での後継者でもある。
奇跡の悪魔合体をした男が普通に後輩を導くはずがなかった。
「ま、なるほど。でも、なんかあれだな。違和感凄くね?」
「……否定はしないわよ。普通に考えたら、だもん」
少し拗ねたように嘉人を横目で見つめる。
朔夜が1番近くとも、彼女もまだ未熟者なのだ。
健輔のように別の方向に吹き飛んでいる男を完全に理解するのは難しい。
真由美ですらも手に余った奴であることを忘れてはいけなかった。
「……どうなるんだろうな」
「さあ? なんだかんだで、先輩はなんとかすると思うわよ。それに」
「それに?」
「ササラもこのチームのメンバーでしょう? 非常に遺憾だけど、此処に適応出来ている時点で全員、普通じゃないわよ」
朔夜の言葉に嘉人が固まり、海斗が忍び笑いをする。
合宿で黄昏の盟約のメンバーにこちらのことを話した時の態度。
凄く生暖かい目で見られたことを忘れてはいない。
「随分、遠くに来たな……」
「まだまだ序の口よ。私はこの程度で満足するつもりはないわ」
男よりも男らしい言葉に嘉人の闘志も火が灯る。
この辺りがこのチームで生き抜くための必須技能だった。
負けず嫌い、そのまま終わることを彼らは決して好まない。
先輩たちの見えないところで、後輩たちも育っていく。
かつて健輔がそうだったように、伝統は確かに受け継がれていた。
ランカー、それは上位10名を指し示す言葉、魔導師たちの最高位。
順位そのものは100位ほどまでが定められているが、上の10人以外は記号として以上の意味を持つことはない。
それほどまでに重い称号だからこそ、彼女は最後の年度に名を刻むために奮起する。
昨年度まで栄光の10人に名を連ねておきながら、外れてしまった者。
彼女――『星光の魔女』クレア・オルブライトは逆襲に燃えていた。
「ふんっ、私が外れて、どうしてキャンベルの小娘が入ったのかしら。本当に、失礼しちゃうわよ」
言葉は荒いのだが、あまり威厳というものは存在しない。
微妙に震えるような声なのも錯覚ではないだろう。
本人的には憤怒の表情を浮かべているのだろうが、涙目の顔は彼女の悔しさと可愛らしさしか表現していなかった。
絵本の中から出てきたような魔女の姿をした魔導師。
手に持つのは箒を模した魔導機。
身体を覆うは黒衣に、帽子も備えている。
イメージというものを大切する彼女の系統は創造・収束系。
別名『ロマン砲台』という異端の砲撃魔導師だった。
遠距離系がない場合の魔導は距離と共に大きく減衰する。
例外を除けばこれは絶対のルールだった。
しかし、忘れてはいけない。
どこぞの王者のように、創造系は時に限界を超える恐ろしい系統である。
魔女の創造系は極めて珍しい変化を遂げるタイプの能力を持っていた。
一言で言えば変身願望――彼女は強く祈ることで、真実の魔女へと変貌する。
「まあ、今のお姉様が負けるとは思いませんけど、どちらにしても私たちとしては少々、よろしくない状況ですわね」
「まったくよ。先代の女神がアホみたいに強かっただけで、私たちは弱くないわ。わ、私だって、結構強いのよ!」
「お姉様が砲撃以外にも興味を持ってくれていたら、去年の段階でもうちょっとマシだったのですけど、そこは無視ですか」
「うぇ? ひ、否定はしないけど、理想の自分を思い描くの、結構大変なのよ! あれでもかなりすごいでしょう!」
理屈としては皇帝と同じタイプの魔導師。
天地を穿つ、星を総べる魔女というイメージを纏い彼女は最高峰の砲台となった。
残念なことにイメージが凄すぎたせいで、実現に時間が掛かるという弱点のせいで昨年度は世界大会の出場を逃してしまい、今回の不本意なランキングに収まってしまったのだ。
魔力のチャージもそうだが、イメージの堅持も含めて夢溢れてる能力だったのは間違いない。
代わりに夢が溢れて過ぎていたせいで、相性で『ラファール』に負け、僅差で『アルマダ』に屈した。
「どこのチームも今年は面倒そうで、私としては非常に億劫です」
「でも、私たちのチームの名をこのままにする訳にもいかないでしょう。せっかく戦力の増強もしたんだし、今年は狙うわよ! 私の名を、轟かすためにも!」
「サラさんがいますから先輩も存分に力を溜められますからねー。いやはや、創造系からの複数系統に開眼とは、御見それします。大分成長しましたねー。――妄想力が」
「……あんた、褒めてるの? 貶してるの? というか、先輩に対する態度なの、それ?」
慇懃な後輩に不満そうな態度を見せるが、ギリギリのところで飲み込む。
小声で私は先輩、私は先輩、と言い聞かせる姿は中々に可愛らしい。
先輩のこういう風に大人ぶるところが大好きでからかうのが辞められないとは、後輩の本人には言えない秘密だった。
「……もう、いくわよ! 今日はラファール。去年のお返しをするんだからね!」
「りょーかいです。きちんと戦いはやりますよ。戦いは、ね」
プライドと誇りに相応しく魔女たちが戦場を支配する。
ある意味では魔導の祖とも言える、黎明から存在するチーム。
自らをそのように定義する美しき黒の集団。
欧州の古豪、ここにありと彼女たちは確かな存在感を世界に刻もうとしていた。
雪辱に燃えるのは決して健輔たちだけではない。
本番に向けて、各自の準備は着々と整い始めているのであった。