第50話『先輩は鬼畜』
今日も新人をボコボコにしつつ、普段通りの日常が流れていく。
裏での激流を誰もが感じてはいるが、まだ表に出るような段階ではない。
表にない以上は存在しないのと大差がないので、少なくとも表面上の変化は何もなかった。
しかし、水面下の変化は徐々に表れている。
今、この瞬間、新人との貴重な触れ合いのタイミングにも芽を出そうとしていた。
「おおっ! これは予想外だな!」
「やあああああああああああああッ!」
烈火の気迫と共にササラが健輔に白兵戦を挑んでくる。
端的に言えば正気ではないのだが、相手役である健輔は実に楽しそうな顔をしていた。
拙かろうが、下手くそだろうが健輔には関係ない。
弱いことは罪ではないし、強さの在り方は人それぞれである。
健輔は誰かに干渉することを好まないため、主義主張に首を突っ込むことはない。
だからこそ、仮にササラが現実から目を逸らすというのならば何もしなかっただろう。
弱いままの彼女を遠慮なしに使っていた。
弱い、ということも武器にすることは可能だからだ。
どのような選択であろうと健輔を筆頭として皆が受けいれただろう。
ある意味で放任だが、クォークオブフェイトは方針として変わりたいなら自分で意思を示せ、というのがある。
誰かを強制的に変えるのは好みではないのだ。
しかし、相手が望んでいるのならば話は別だろう。
弱くない、強くなりたいと主張する態度は実に好みで――よって、ぶつかり合いは過激になる。
「強くなりたいか、暮稲」
「っ、はいっ!」
「なるほど。――確かに、承った」
簡潔に問い、簡潔に答えた。
瞬間、拳に力が籠る。
「じゃあ――身体で覚えろ。今までの4倍ぐらいでいくぞ」
「っ……! 望む、ところですッ!」
健輔が本気で潰しに掛かる。
発せられる闘気は本気のヤル気に満ち溢れていた。
身体は竦むも表情と威勢は変わらずにササラは吠える。
これにて両者の間で契約は成された。
健輔は本当に遠慮しない。
むしろ掛け値なしの善意でササラを潰しに入る。
相手が何を思っているかなどはわからないが、今よりも苛烈な展開を望んでいるのだ。
汲んでやるのが先輩だと信じていた。
「陽炎、遠慮はいらないようだ。――いくぞッ!」
『術式『回帰・万華鏡』を発動。存分にマスター』
いきなりの全開、健輔が目指す先に必要な『万華鏡』を後輩にぶつける。
未完成なのは何も変わっていないが、クラウディアに1度使用しているのだ。
健輔が使用を戸惑う理由はなかった。
先輩の本気の姿にササラが僅かに怯むも、1度瞳を閉じた後に強く見返してくる。
健輔の好みにピッタリと合致する良い目がそこにはあった。
「わ、私は……これくらいでッ!」
「ふむ……それが、お前の悩みか?」
「――ご指導、よろしくお願いしますッ!」
変換系の力を最大に稼働させて、炎を起こす。
あらゆる属性に適応する、という触れ込みは確かに見事だが、4月から何も成長していない。
頭打ちに至ったのかと錯覚するほどにササラは変わっていなかった。
不自然、というよりももはや異変と言うべきだろう。
彼女が変わらないことには間違いなく理由がある。
大体の理由はわかっているのだが、確信を得るためにも今は拳を交える方が先であろう。
あっさりと割り切ると思考を戦闘へと切り替える。
「――まあ、今は捨て置こうか」
考察を投げ捨てて、『敵』に意識を集中させる。
叩き潰すのは決定事項だが、やり方は相応に考える必要があった。
瞬殺も可能なのだが、まずはこれが選択肢から消える。
何も悟れない内に叩き潰してしまっては叩き潰す意味が無くなってしまう。
婉曲かつ面倒臭いのは承知の上で、健輔はササラと同じ戦い方を選択することにした。
黄昏の盟約に見せ付けたように、ササラの技を遥かな高みのレベルで再現してやるのだ。
「プライド、後は信念だな。しっかりとしろよ。詰まらないようなら、ここで魔導師としての全てを終わらせてやる」
「か、覚悟の上ですッ! え、遠慮はいらないと言いましたっ」
震える言葉が、ササラの弱気を示している。
下級生の精いっぱいの強がり。
彼女は壁を超えるために激しく壊して欲しいのだろう。
既存の価値観や、それこそ今に至る積み重ねを放棄するだけの強い思いを感じる。
このままでは置いて行かれるという焦燥感、他にも劣等感などこの距離でも感じられる想いは多い。
口元を僅かに弧を描いて、健輔は勇敢な少女に敬意を表した。
「ああ、お前の勇気に、応えるとしようか」
定まらないという選択をした男に何かを見定めるために挑む少女。
対照的な両者だが、共に相手を学ぼうとする共通点があった。
健輔は常に新しい戦い方を求めている。
ササラは核となる戦い方を求めている。
健輔も万能だが、ササラも応用性は高い。
2人が影響し合う先に何があるのか、この戦いが教えてくれるだろう。
暮稲ササラには才能がある。
天祥学園では天才、という領域までは届かないかもしれないが秀才クラスの才能は確実にあるだろう。
トライアングルサーキットの適合者でもあり将来は明るい。
入学当時から評価はそんなものであり、そして今の評価も変わっていなかった。
例えば、栞里の場合は『主体性がなく、熱意が足りない』などの評価があったが、今では『積極的に学び、敗北から逃れるために知恵を絞る』と言った風に評価に変化が生まれている。
入学からまだたった2ヶ月程度だが、人が成長するには十分な時間だろう。
栞里や朔夜、仲間の中でも明確に変化が生まれている。
しかし、ササラだけは何も変わっていなかった。
このチームのメンバーを尊敬し、学習意欲にも長けるはずの彼女にどうして変化がないのか。
ササラも把握していない問題を、暴力という形で健輔が叩き付ける。
「ぐぅぅぅぅぅぅっ!?」
0距離での魔導砲撃。
変換系での些細な防御などこの男には通用しない。
純粋な魔力での対処など全てを砕くのが万能系。
彼らに応用力、汎用性で勝利したいのならばバックスでの世界最高峰、戦闘魔導師ならば桜香でも連れてくるべきだった。
皇帝ですらも汎用性と言う面では遅れを取るのが健輔である。
ササラでは何をどうしようが健輔に勝てない。
「ほ、炎よッ!」
拳に炎を纏い、迎撃に動く。
ササラはバックスながらも戦闘系の技能も相応に習熟している。
バランスが良い、と言う評価は決して過大なものではない。
相手のレベルを考えなければ、ササラは前衛でもやれるだけの素質がある。
残念なことに、この『敵』にはそのぐらいでは意味を成さないのが悲劇だと言えるだろう。
「炎よ」
小さく、呟くように空に同じ言葉が融ける。
次の瞬間、ササラが纏っていた火の鎧が消滅した。
同じだけの魔力を同じ性質でぶつけられてしまえば、待っているのは0――すなわち消失である。
戦闘中に敵の前で丸裸になる危険性など今更問うまでもないことだった。
いつの間に背後に回っていたのかもわからないままに、ササラは背中から衝撃に意識を飛ばしそうになる。
「ほら、これでまたライフ0だ。何回目だよ――お前、やる気あるのか?」
「っ、ま、ま――」
反論しようと口を開くとまるで黙れと言わんばかりに、鳩尾に拳が突き刺さる。
くの字に折れ曲がるササラに容赦のない追撃が迫っていた。
右から放たれた蹴りが今度は脇腹へ決まる。
吹き飛びそうになったところを糸で捕獲して、
「はい、ドーン」
やる気の無さげな声と共に魔導砲撃を叩き込む。
これでまたライフは0。
練習の設定に従い直ぐにライフは復活するが、ササラは心に罅が入る音が聞こえた。
何をしようが通用しない。
これが圧倒的な高みであり、クォークオブフェイトが目指すべき場所である。
「じゃ、次で」
「あ……あぁ……」
構えを取ろうにも身体は震えている。
叩き付けられる本気の闘志はササラの中にある克己心を圧し折りにかかっていた。
変換系で何を生み出そうが、何も通用しない。
流動系による魔力の受け流しなどそもそもの錬度差から言って通用するはずもない。
創造系もこの相手に勝てるものなど想像も出来ない。
ないない尽くしの絶望、ササラが描くビジョンに勝利の可能性は何もなかった。
「おいおい、棒立ちすんなよ。これは――練習だぞ!」
「がぁ……!?」
ササラの最大の勘違い。
彼女に一切の変化がない理由は簡単だった。
定型的に捉えている上に、頭が良いから彼女の挑戦は挑戦ではないのだ。
フィーネのように戦えない。
特化型を持っているクラウディアたちのようにも戦えない。
変換系という新しい力を持つために避けられない、いや、そうでなくても自分のバトルスタイルを切り拓く際に必要になる力。
新しいものを想像する力に欠けているのだ。
「そのまま戦っても何も変わらんぞ。ハッキリと言わんとわからんか?」
「そんなこと――言われるまでも、ないですよッ!!」
「おうおう、威勢がいいな。だったら、これくらいは簡単になんとかしてくれよ。まだ俺は全然、力を出してないぞ」
栞里に協力を申し出てもらい、共に歩むようになってササラは直ぐに自己の問題点に気付かされた。
遠慮がちに告げられた言葉は、恐らく生涯忘れられないだろう。
『そ、その……ササラさん、行動が全部教科書通りで……わ、わかりやすいかも』
想像力の欠如は細かいところまで及んでいた。
ようはササラはマニュアル人間なのだ。
中等部程度までならばどうとでも出来ただろうが、高等部の激戦では小さな行動の規則性も致命傷だった。
咄嗟の判断も自分の決断ではなく、過去の例に倣おうと動いてしまう。
この欠点をなんとかしたく健輔との戦闘に臨んだが、結果はこの状況だった。
何も出来ずに只管にボコボコにされている。
ササラの顔に浮かんだ色に健輔が僅かに反応を示す。
眼前の『敵』が問題点そのものには気付いているということを見抜いたのだ。
「なんだ、もしかして、問題には気付いていたのか。じゃあ、1つだけハッキリとさせておこう。ここから自分のマニュアル癖を直そうするのはやめておけよ」
「え……」
思いもしなかった言葉にササラが聞き返す。
今はまだ練習中、予想外の言葉に気を抜いたササラは隙だらけだった。
当然ながら隙を晒してしまえば、健輔が見逃すはずもない。
ササラの疑問に応えるよりも先に健輔は行動を開始する。
放たれる拳が身体に突き刺さり、ササラが苦痛で顔を歪めた。
しかし、今の彼女には苦痛よりも遥かに気になることがある。
「ガッ……ちょ、ま、待って」
「だから、隙だらけだぞ」
ササラの問いに健輔は絶対に答えない。
目の前に明らかに答えを持っていそうな男がいるのに、その人物は何も答えないのだ。
ササラが先輩を尊敬している、と言っても流石にこの状況では怒りを感じる。
自分は嬲られるために此処にいるのではない。
「おっ、いいぞいいぞ。それぐらいの目をしている方が俺も遣り甲斐がある」
健輔がササラの悩みに気付いていないはずがない。
より正確に言うならば最初から気付いて放置していた。
こういうのは無意識にまで至っているから根が深いのだ。
黄昏の盟約の長谷川友香のような苦手意識で飛べない、などというレベルとは少々深さが異なる。
「お前の弱点はその真面目さだな。より言うならば、頭でっかちと言うべきか。知識を溜め込むのも応用も上手い。そういう意味ではバックス向きなんだが……」
答えを教えるつもりは皆無だが、これから戦う理由は教えておくべきだろう。
気合が入っている方が、健輔としても遣り甲斐がある。
「お前、本当に頭が固いみたいだからな。一言で言えば、魔導師向きじゃないんだよ」
「なっ……」
「わかっていたんだろう? というか、無意識でも悟ってたから俺に戦いを挑んだんじゃないのか? いや、なんというか本当に頭固いよな」
「か、固い固い、連呼しないでくださいよッ!」
「だって、それ以外の言い方ないもんよ。石頭」
ササラが珍しくも表情を崩す。
年相応の羞恥心に震える少女に健輔は意地の悪そうな笑みを浮かべる。
何処から見ても無垢な少女を虐めるクソ野郎だった。
自覚的にやっているのだから猶のこと性質が悪いだろう。
更に輪をかけて厄介なのは、健輔にとってこの戦闘は純度100%の善意のみというところである。
「おまけにお前はもう嫌、ぐらいでは解れそうな頭してないからな。これはもう、かつてないぐらいにボコボコにしないとな。いや、するべきだろう」
「……せ、先輩が戦闘狂って言われる理由に納得が出来たかもしれません」
引き攣った表情をするササラに健輔は自信ありげに胸を張る。
言われ過ぎて慣れてしまった健輔にはもうその言葉はダメージがない。
「せ、先輩方の偉大さに……少し気付いたかもしれないです」
「おう、俺はともかくとして他の奴らには敬意を払えよ。……俺みたいなのと普通に付き合えるとかマジで凄いと思うぞ」
健輔は一部に関して以外は相応に聡い。
自分の扱いがどんな感じなのかは空気から感じていた。
今更方向転換するつもりなど皆無のため、もはや突き進むだけの道。
もしかしなくても健輔は悪化する方向しか残っていなかったりする。
つまるところ、健輔は友達が少ない。
そのことを直感して、これから地獄に叩き込まれるはずのササラは少し優しい視線になった。
「……先輩も、その一緒に友達作る練習でもしませんか? 私も、その栞里さんしかいませんので」
「……ち、違うからな。お、俺はボッチではない……」
妙なシンパシーを感じながら、2人は微妙に居た堪れない雰囲気になっていた。
これから暑い激戦をする空気、とは言い難いだろう。
健輔は仕切り直すかのように大きな声を出す。
心の中で、少しだけ加減しようと思いながら真っ直ぐに後輩へと向かう。
「うんんッ! いくぞ、ササラッ!」
「えっ……は、はい、佐藤先輩ッ!」
頭が固い秀才少女と頭は柔らかいバカが交わる時に見えてくるものがある。
勝てないとわかっていながらもササラは何かを掴むために必死で挑む。
後輩の必死な姿に健輔は笑った。
1年越しの理解、真由美が嬉しそうに微笑んでいた理由をなんとなく察して、拳を強く握り締める。
「全てを出し尽くせ。お前の戦いは、まずそこからだ」
既にボロボロのササラに繰り出される攻撃の数々。
勝利のない戦場で、それでもササラは最後まで諦めなかった。
一頻り彼女を殴った男は確信する。
彼女は必ず、自分の道で大成するだろう。
その時を見るのが楽しみだと、鬼畜の所業の果てで笑うのだった。