第46話『それぞれの壁』
普段好き勝手に暴れているため、稀に本人も忘れそうになるのだが健輔は学生である。
学生の本分とは勉強であり、魔導競技は教育カリキュラムにも組み込まれているれっきとした学業だった。
つまるところ学園基準、魔導基準では健輔は物凄く勤勉な学生になるのだが、何事も上手くいくことばかりではない。
腐っても最新の技術を学び、同時に運用できる人材を育てる世界最先端の学園である。
身体を動かすことだけが勉強のはずがなかった。
「ぐ、うおおおおおおおっ!」
物凄く気合を入れて、烈火の如き勢いで教科書を開く。
目の入ってくるのは術式の構成について詳細に書かれたページ。
健輔は不敵に微笑み、口角を吊り上げた。
「まったく、わからん」
「まったくわからん、じゃないです。健輔さんが普段使っているものぐらいはしっかりと理解して使ってください。というか、恰好を付けても問題の難易度は変わりませんよ」
「いやいや、おかしいから! この教科書、バックス系の奴じゃないですか。俺に出来る訳ないでしょう!?」
悲鳴のような、というか悲鳴を上げて健輔は銀の女神に抗議する。
彼は戦闘魔導師。
バックス系のように機械関係の知識など不要だし、術式についても最小限知っていたら問題ないのだ。
いくらフィーネがコーチで、ここが彼女の研究室だと言ってもこれを解く必要性は皆無であろう。
数多の試験でお世話になったが、主張するところはきっちりと主張する男だった。
自分は勉強は出来ません、とここまで堂々と言う男が過去にいただろうか。
「はぁぁ、戦闘時の積極性はどこにいったんですかね……。まあ、いいです。挑発するのと、説明どちらかがいいですか?」
フィーネはメガネ型魔導機をクイッ、と動かして挑発的な流し目を向けてくる。
どういう訳か白衣と合わさって妙な色気を発生させていた。
健全な男子高校生ならば、唾を飲み込むくらいはしただろう。
しかし、此処に居るのは佐藤健輔である。
健全ではあるが、そっち方面は小学生の男には糠に釘状態だった。
つまるところまったく効果が発生していない。
「どっちもいらないので、俺を解放する方向性で」
「……わかっていましたが、健輔さんって日常では本当に人の期待を見事にスルーしますよね」
「へ? いや、何の話ですか」
本気でわかっていないのだろう。
不思議そうな表情で大丈夫かこの人、と全力で語りかける瞳をフィーネに向けている。
どうして自分が心配されているのだろう、とフィーネは当たり前の疑問を抱くが、大きな溜息を吐いて頭から追い出す。
彼女も健輔と同じチームで過ごすようになってから既に3ヶ月目になろうとしている。
彼の行動には多少の耐性が出来ていた。
「美咲の偉大さがわかりますね。曲りなりにも日常の健輔さんをコントロールできるのは本当に凄いです」
「何故、ここで美咲? あの――」
「お静かに。今から、どうしてこれらを学ばないといけないのか、ちゃんと理由を説明するので理解してくださいね?」
「い、イエス、マム」
明らかに理解して、という部分に力を入れていたフィーネに無条件で健輔は降参する。
何に苛立っているのかはわからないが、こういう時に女性に立ち向かうのはアホの所業だ。
賢い男は嵐が過ぎるのを静かに待つのである。
ちなみに遭遇をやり過ごそうが、そもそも出会った時点でダメだということに気付いていない辺りが健輔の健輔たる由縁だろう。
また変なことを考えている、と完璧に見切った女神は健輔が余計な思考を巡らせる前に口を開く。
「新しいルール、環境については黄昏の盟約との戦いで身に沁みましたね? あの戦いで分かった重要なことはなんでしょうか」
「え、えーと、戦術性が強くなる?」
「正解です。戦闘関係は本当に優秀ですよね……、こう、一応教える立場の人間としてはどうしてその理解力を他に応用してくれないのかが本気で気になります」
「ふぃ、フィーネさん、脱線してますよー」
再び愚痴が出てきそうだったので笑顔で軌道修正を図る。
フィーネの瞳が怪しく光り出したことに畏れを抱いた訳ではない。
戦場にいるよりも細心の注意を払って、健輔はフィーネを宥める。
最近、というか何だかんだで付き合いが続く内に健輔もフィーネの性格を掴んでいた。
しっかりとしているように見えて意外とお茶目だし、結構愉快な人なのだ。
優香のように真面目一辺倒とは違う。
「む、上手く逸らされたような気もしますが……。先のことを踏まえて、本題から行きましょうか。私がこうして時間を割いているのは、健輔さんの系統のためです」
「は、はぁ、万能系ですよね」
「そうですね。ただ、私の仮説なんですが、健輔さんの持っている系統はもう万能系とも異なるかもしれないです」
「へ?」
思いもしないフィーネの言葉に健輔は間の抜けた声を出す。
使い手であり、本能で悟っている男は言語化が苦手だった。
感性で生きている健輔の考えを1年以上に渡り翻訳してきた美咲の努力にフィーネは泣きそうになる。
こうやって勉強会を開いて彼女が知ったのは、この男が保有する直感の理不尽なまでの精度の高さだった。
追い詰められると何故か知らないがテストの点数も上がるのだ。
記憶に結びつかないが、残ってはいる部分と何かしらの反応を行い答えを導き出しているのだろうが、仮にも理論派であるフィーネには理不尽としか言いようがない。
女神と謳われた彼女をして、反則と言いたくなるものだった。
「……健輔さん、わかってはいますよね? ご自分の系統のこと」
「ま、まあ、流石に」
「だったら、最近のご自身に少しは違和感を感じませんか?」
「違和感……」
何故か普通の魔導師と最近正面から戦っても力負けしなくなっている。
他には、系統の同時使用可能数が増えているような気がする、と言った具合に健輔が思い返すと異変が多々浮かび始めてきた。
「……おお、本当だ」
「そ、そのリアクションですかっ。ああ、もう……」
両手で顔を覆うフィーネに物凄く申し訳ない気持ちになるも、どうしようもないと開き直って笑顔で続きを促す。
非常に珍しいことに健輔に押されるフィーネだったが、気を取り直したのか咳払いをしてから続きを話し出した。
「美咲とも話しましたが、万能系の枷とも言える部分が徐々に解れてきているのではと。おそらくですが、普通の万能系ではリミットスキルには至れませんが、今の健輔さんなら可能だと思いますよ」
「ま、マジっすか!?」
「マジ、です。理由はいろいろとあるのですが……そんな泣きそうな顔をしないで下さい。わかりました。簡潔に言いますよ」
瞳の抗議に折れて、フィーネは要点を語る。
「魔力回路の初期状態、様々な回路を扱える、始まりの状態ですが……そうですね『原初回路』とも言うべき状態、この状態で定着に失敗したのが、万能系ではないか。私と美咲は、そのように考えています」
「失敗……ですか」
頷くフィーネは天上の調べとも評される美しい声で続きを奏でる。
彼女の言わんとしていることは単純だった。
万能系が失敗から生まれた系統だとすれば、力が不足していることなど様々なことに説明が付くのだ。
だからこそ、健輔の特異性が際立つ。
「失敗、ですがこれは現状の常識に沿えば、という前提になります。おそらくですけど、育て方が違うんですよ」
「は、はぁ、育て方」
「ええ、健輔さんほど魔力回路を酷使する人を私は知りませんが、あなたでもようやくリミットスキルが見えてくる。ハッキリと言ってこれは異常です」
いくら何でも成長の速度が遅すぎる。
健輔が潜り抜けた修羅場を思えば3回は覚醒していないとおかしいだろう。
しかし、現実はそうなっていない。
物事には常に何かしらの理由があるものだ。
万能系に何かあるとしたらそこではないのか。
フィーネと美咲が目を付けた場所はそもそもの成り立ちだった。
「今思うと、桜香は本能で悟っていたのかもしれないですね。あの『漆黒』はそういう意味であなたの真逆にいると思いますよ」
「……どうですかね。俺的にはこっちが異常で、向こうが正常だと思います。難易度的に、ですけど」
「なるほど。……なんとなく、でも理解は出来るものですか。本当に研究者泣かせな人です。私が本職だったら、胸に縋り付いて号泣しますよ」
「は、ははは……」
勘弁して欲しいと思うも口には出さない。
このタイミング、この雰囲気で言ってはいけない言葉があることくらいは健輔も理解している。
メンタルが小学生でも、いや、だからこそ危機には敏感なのだ。
変なことを言えば死ぬ。
微笑んでいるが、世界大会の桜香よりも怖い存在が目の前にいるとしっかりと自覚していた。
「また変なことを考えてそうですが……。とりあえず、最初に戻します。私が術式への理解を深めて欲しいのは、そういう前提がある万能系では既存体系での応用はそろそろ厳しいからです」
「既存体系からの応用……。げっ、まさか」
「ご賢察です。専用の術式で全てを組み上げる時が来るかもしれない、というかリミットスキルに至るにはそれが必須だと思います」
「ま、マジかぁ……」
言われて何故か胸にストン、と言葉が落ちた。
最近、妙に堅苦しさを覚えていたのだ。
俺はもっとやれる、と身体が主張しているような気はしていたが、もしかしたらこの事が原因なのかもしれなかった。
「美咲がコツコツと頑張ったものを私と香奈、海斗の協力で仕上げてみせます。しかし、物が物です。歴史を創るような難業ですので、猫の手も借りたい状態になっているとご理解ください」
「り、理解しました……」
「よろしい。では、この教科書をどうすればいいのかはわかってますよね?」
「……よ、よろしくお願いします」
「はい、良く出来ました」
女神の主張を受けて、健輔は諦めて旅立つことを決める。
健輔に何かを諦めさせる、という偉業を達成したことに気付いているのか、いないのか。
相も変わらず読みにくい笑顔を浮かべて、フィーネは甘い声で囁いた。
「ちゃんと課題をクリアしたらご褒美をあげますので、頑張ってくださいね」
「え……」
ご褒美、と言う言葉にクエスチョンマークを浮かべるが、質問をすることはない。
きっと戦ってくれるのだろう、と間違った方向に納得して取りあえずのやる気を出す健輔なのだった。
噴き出す魔力。
蒼と白、そして銀の混じった色は彼女を鮮やかに彩る。
リミッターを解除するまでもなく周辺を覆う自分の魔力を困ったように見つめて、視線を掌に移す。
「これでは、まだ戦闘は厳しいですか」
静かに固有能力発動を取りやめて、周囲を覆っていた魔力は少しずつ収まっていく。
放課後の戦闘フィールドで佇む1人の美少女。
世界ランク第2位、九条優香。
先月頭の合宿で覚醒してから日課となった自分の力の確認に今日も頭を悩まさせていた。
「雪風、先ほどの制御はどうでしたか?」
『やはり意図したものよりも幾分高い数値でした。おそらく、感情に起因して出力を上下させています。先の試合のような接戦の場合、手綱を握るのは厳しいと思います』
「ありがとう。的確な意見です。私と同じようで安心しました」
『そんな、マスターが凄いだけですから』
照れたような声を出す大切な相棒に微笑んでから視線を周囲へと向けた。
あるのはいつも通りの光景。
しかし、大きく強化された優香の瞳は別のものを捉えていた。
「魔素、ですね。この瞳になると見えるという訳ですか。……使い方次第でしょうが、今はただの視界不良ですよ」
蒼くなった瞳を意識して元の色に戻す。
魔力に呼応して、優香の身体は様々な変化をしてきた。
かつての暴走、桜香への変貌、などと例を挙げればキリがないのだが、今までは全てを直ぐに掌握出来ていた。
優香の比類なき才能、それこそ桜香くらいしか超える存在がいないだろう潜在能力と直向きな努力の賜物なのだが、流石に今回はそう上手くはいっていない。
自分を高める。
他に参考にすべき存在がいない中で自己流を貫くは中々に大変なのだ。
開拓者は最大の利益を得る存在であるが苦労も相応のものだった。
初見でノウハウも何もない状態では、優香でなくても苦労するだろう。
「葵さんに相談したけど……」
優香もこの一ヶ月遊んでいた訳ではない。
むしろ先の試合での結果を鑑みれば、今まで以上に努力をするのが自然な姿だろう。
あれほどの失態を侵したのだ。
他の誰が許しても、優香が自分を許せない。
だからこそ、更なる努力を己に課していたのだが、結果はこの程度だった。
理由は簡単である。
他の人物たちは皆が皆、優れていても自分の基礎はしっかりと作っていた。
その上に土台を築き上げてきたのだ。
対して優香は、空にあるものを大地に降ろすかのような作業になっている。
既に完成系としての自分の力は見えているのだが、制御だけが完全に吹き飛んでしまっているのだ。
築き上げるのではなく、形を整える。
他の魔導師とは求められているものが異なっていた。
『マスター、私の進言を聞いていただいてもよろしいでしょうか』
「えっ、あ、うん。大丈夫だよ」
思考の海に沈む優香を雪風が呼び戻す。
優香を傍で見つめ続けた存在は、しっかりと彼女の悩みを見抜いていた。
今の優香を教導するには高すぎるハードルが存在している。
まずは、優香を超える実力を持つこと。
次に彼女のように圧倒的な才能に悩んだ経験があること。
最後にそれを乗り越えて、しっかりと自己のものにしていること、である。
最初の段階でランキングだけを見れば世界に1人になる難易度は高すぎると言わざるを得ないだろう。
しかし、優香にはこの全てを満たす人物に心当たりがあった。
問題はその人物と優香に深い因縁があることである。
『マスター、アマテラスに行きましょう』
「……うん、やっぱりそうなるよね」
雪風の提案に優香は神妙な表情で頷いた。
彼女も理解していたのだ。
フィーネでもこの問題の解決は不可能である。
魔導という枠を超えそうな才能、どこまでも昇り続ける力。
身の丈を超えて制御すらも難しい力。
これらを何とかできるのは、この地上でただ1人。
九条桜香、その人しか存在していない。
健輔に頼る、と言う選択肢が消滅している以上はこれよりも優れた選択肢はなかった。
「後少しだけ、考えさせて。それに、無策で行ってもダメだと思うの。答えが手に入るまでは、このまま続けるよ」
『わかりました。マスター、心のままに』
「うん。ありがとう――」
若きエースは悩む。
初めての壁に大きく躓き、先行きは見えない。
重苦しい空気に押しつぶされそうになりながらも、答えを求めて優香は必死に探し続ける。
無意味になるかもしれないと知っていても、今はまだ我武者羅な努力を続けるのだった。