第39話『最高の敵』
健輔とクラウディアの戦いが次の局面へと移ろうとしている時、クォークオブフェイトの最後方で美咲があることを感じていた。
「この感じ、莉理子さんじゃないわね」
「美咲さん……?」
急速に接近してくる魔力を感じて美咲は唇を噛み締める。
敵の位置は大方把握出来ていた。
残りの相手で居場所がわかっていないのは1人だけしかいない。
山田朱音――莉理子の弟子として紹介された敵のバックスである。
乱戦の隙を縫って、警戒網を超えてしまったのだろう。
あまりよろしい展開とは言えなかった。
「ちィ、健輔の方も大詰めみたいなのに……」
己の失態に舌打ちをするが、実際美咲がやっていることは多岐に渡っている。
魔導陣を維持しつつ、味方の支援を行い、自分の居場所を隠す。
おまけとばかりに敵の索敵なども行っているのだ。
優先度が低い事柄への精度はどうしても落ちてしまう。
相手の情報が大事なのは理解しているが、どうしても見落としが出てしまうのは避けられない。
また抜けてきた相手が厭らしかった。
「……莉理子さんは、バックスのルール改変を見越して戦闘技術の習得を進めている可能性がある。となると、私がやるしかないか」
海斗は戦闘をするにはまだ早い。
敵がやってきそうなこと、こちらがやって欲しくないことを列挙していき必要な情報を割り出す。
この状況で最も最適な行動は何なのか。
美咲は優秀なバックスであるが、戦闘能力は高いとは言えない。
才能はともかくとして努力と経験で莉理子に優る部分もないだろう。
その相手が万難を排して送り込んできた刺客。
簡単にいくとは思えない。
相手は新世代の魔導師、莉理子が無策で送り込んでくるはずがないのだ。
バックスの戦闘能力不足、この辺りの問題に対処していると思って戦うべきだろう。
「これは、私も正念場かな」
「あれは……み、美咲さん!」
真っ直ぐに向かってくる朱音の姿に美咲は笑う。
ここから先を戦い抜くためにこの試合は良い試金石になる。
アマテラス、ヴァルキュリア、まだ見ぬ強敵たち。
美咲たちを狙い撃ちにするようなチームもどこかにあるだろう。
凶悪な彼らに負けることのないように自分の戦闘能力は知っておきたかった。
本職の戦闘魔導師ならばともかく、格下のバックスに負ける訳にはいかない。
香奈が全体の統括を行い、美咲が現場を支える。
この2本の柱を折る訳にはいかなかった。
「海斗くん、あなたは戦場から離脱。香奈さんと合流。全精力を掛けて、魔導陣を維持しなさい。他の部分に関しては切り捨ててもいいです」
「りょ、了解です!! ご武運を!」
直ぐに行動に移した海斗に内心で苦笑する。
今まで怒鳴りつけることが多かったためかどうやら上下関係を刷り込んでしまったようなのだ。
美咲としては異性とはいえ、せっかくの後輩である。
もう少し優しくするつもりだったのだが、彼女もある人物の影響からは逃れられないということだろう。
「まったく、あいつには困ったものだわ」
「何が困ったんですか! 私が此処に居ることですか?」
「いいえ、ちょっと同級生に思うところがあっただけよ。山田――朱音さん」
地上に降りている美咲の上空に楽しげな雰囲気と共に舞っている女性がいた。
山田朱音。
名前とは異なる青系統の魔力を光を纏い、少女は自信のある笑みを浮かべていた。
初日の模擬戦でほとんど活躍していないのだから、もう少し落ち込む様子を見せてもよいだろうにごく自然体で彼女は佇んでいる。
美咲の直感が面倒臭いタイプの人間だと見抜く。
この辺りの鑑定眼は大分自信があった。
健輔という面倒臭い奴の筆頭が傍にいるためなのか、原因はわからないが同類を見抜けるようになったのである。
「3系統、あなたもですね」
「見ただけで見抜くなんてすごいですね。莉理子さんが警戒するのもわかります!」
「あの人のことです。厄介だから、念入りに潰せとでも言っていたんでしょう?」
「おお、本当に凄いです!」
朱音は楽しそうに微笑む。
表面上は談笑しているのに美咲と朱音の間に漂う空気がドンドンと張りつめていく。
美咲からはすると、眼前の敵はなんとも不愉快な視線を向けているのだ。
子どもが昆虫を掴み、足を引き千切るのを楽しむかのような残酷な好奇心。
こうすれば、どうなるのだろうか。
疑問を調べ尽くさずにいられない性質が瞳から感じられる。
つまるところ、この女は丸山美咲を舐めていた。
「――――潰す」
「あはっ、凄い凄い! 莉理子さんと同じで、私のこと見抜いちゃったんですね! 楽しめそうです!!」
天才の中でも一際性質のが悪いタイプの魔導師。
普通のならばササラのように挫折から学習もするのだろうが、この子どものような精神性の前には自発的な改善はあり得ないだろう。
莉理子はおそらくわかって放置しているのだろうが、美咲にはこの手の輩が許せない。
真面目にやっている者を才能、などというもので一蹴することが許されていいはずがないだろう。
「現実だの何だのと言うならば、天才には更に苛烈な挫折が必要よね。いいわ、私がここであなたを圧し折ってあげる。乗せられたみたいで癪だけど、今回ばかりはあの人が正しいもの」
「ふふんだ! やれるもの、どうぞー。私、なんといっても、天才ですから!」
無邪気な子ども。
まさにその言葉が当て嵌まる存在に美咲は健輔に非常によく似た笑みを浮かべた。
クォークオブフェイト、最後の良心が枷たる役目を放棄して同輩と同じように教育指導へと移る。
合宿でやり残した最後の仕上げには中々に悪くない展開だろう。
「そう、だったらこっちも安心してやれるわ。本家に負けないだけのものを叩き込んであげる。泣いて謝っても、許さないわよッ!」
「へへーん、吠えたって怖くないよーだ!」
健輔がこの怒声を聞けば青ざめるほどに機嫌が悪い美咲に朱音は軽い調子で言い返す。
無知とは時に幸せである。
知っていると立ち向かえない現実、というものも確かにこの世には存在するのだから。
莉理子をして侮ってはいけない、と言う女性の強さを朱音は考えてみるべきだった。
未来の彼女はこの時の己に悶絶することになる。
黒歴史とは、振り返れば意外と些細なところに転がっているのだった。
健輔対クラウディア。
この戦場での頂点が周囲の乱戦すらも霞ませる勢いで激しい戦闘を開始する。
周囲の狂騒もこの2人のぶつかり合いには遠く及ばない。
これこそが世界レベルの決戦、完全にお互いの力を制御下に置いたエース同士の対決だった。
「――エミュレート!」
「見せてみろ、クラウッ!」
瞳で不敵に見返してくる。
さあ、驚いてください。
幻聴かもしれないが、健輔は確かにクラウディアのその声を聴いた。
外見から違いは一切感じられない。
滾る魔力、迸る雷光、『雷光の戦乙女』に大きな変化は見受けられないが一体何をしてくると言うのか。
健輔も予想出来ない。
「駆けよ、雷光!」
先ほどまでと同じ攻撃方法。
クラウディアが虚言を弄するような小物ではないと確信しているために、逆に何をしようとしているのか理解出来ずに、とりあえず回避しようとした瞬間、
「――ハッ! そうきたか!!」
健輔は彼にしかわからない独特の感覚に笑みを浮かべた。
魔力の切り替わる瞬間、スイッチが入れ替わるように目の前の人物の中身が確かに変わった。
他の誰にもわからずとも、健輔にはわかる。
正解です、とでも言いたいのだろうか、爽やかに微笑むクラウディアに健輔は感嘆の言葉を送った。
「この雷撃、曲がるな!」
「ふふっ――!」
鮮烈な笑みは肯定の意を示して、現実へと反映される。
先ほどまでの代わり映えのしない光景。
健輔にとっては既に見慣れたもののため回避どころか迎撃も難しくはない。
しかし、彼はあえて大袈裟に回避した。
その後に隙を晒そうとも、確実に回避することを選んだ。
「追いなさい!」
直後、今までならばあり得ない光景が起きる。
雷光が意思を持つかのように曲がったのだ。
さながら誘導砲撃のような自然には起こりえない角度の追撃に健輔は深い笑みを浮かべる。
傍目にはいつも通りだが、内心で健輔はこれ以上ないほどに歓喜していた。
まさか、あり得ない。
彼をしてそう思うほどにクラウディアが成し遂げた技は今までの常識を超えている。
いや、魔導の常識を塗り替えるというのが正しいだろう。
「いいねぇ、ここまで近づくか、雷光ッ!」
『魔力波形、浸透系に酷似……! マスター、これはもしかして』
「あなたがやっていたことですよ! それほど驚くようなものでもないでしょうに!」
凝縮された雷が予兆なしに放たれる。
感知出来ないのは先ほどまでと同じだったが、破壊系の拳で迎撃した時、違和感がハッキリと浮かび上がった。
完全に無効化することが出来ない。
「密度が、上がっている。なるほど、そういう絡繰りか!」
『次は、身体系のパターン。クラウディア、もしかしてあなたは……』
「ふふっ、言ったはずですよ。私は、あなたを目標に、あなたを超えると。オリジナルに敬意を払った上で、私なりにアレンジさせていただきました!」
クラウディアのバトルスタイルに大きな変化はない。
魔力量、という意味での脅威度ならば健輔から決戦術式の効果をコピーした方が遥かに上だろう。
単純な力、という意味では疑いようもなくそれが正しい。
問題は、今のクラウディアがやっていることだった。
「変換系……! なるほどな。確かにこういう使い方も出来なくないな!」
クラウディアが何を参考にしたのかは直ぐにわかった。
シャドーモード、自分の魔力を他者と性質を合わせるために用いた健輔の術式。
本体、つまりは供給源からの魔力を学習、パターンを似せて変換することで健輔は真由美の力などを疑似的に再現していた。
系統の再現は行っていなかったが、それは健輔が万能系だからである。
力量を引き上げる、ということが主眼の術式だったため、問題はなかったのだがクラウディアは別の部分に目を付けたのだ。
他者の魔力に変換、つまりは属性という概念に超えて魔力という単位で何かに『変えられる』部分に着目したのだった。
クラウディアがやっていることは本家本元の健輔よりもより広範囲の応用であり遥かにレベルが高い。
あのシャドーモードからこのような術式を生み出すものがいるとは想像もしていなかった。
「自分の系統を、別の系統に変える……、中々に無茶をするなッ! 凄いよ、素直にその言葉しか出てこん! おまけに、創造系で雷を操るか!」
「私の師匠は何人かいまして、宮島宗則を忘れないでいただきたいですね。あの人もまた、素晴らしい魔導師でした!」
創造系と収束系の組み合わせがあれば、クラウディアは変換系がなくとも『雷』を扱えバトルスタイルの変化を齎すことはない。
元々の変換系は『雷』だけでなく扱いが難しい自然現象を操るために創造系から特化して分派した系統だった。
創造系で自然現象を創造するのは難易度が高く、国内では暗黒の盟約のリーダーだった宮島宗則が扱えたぐらいの超絶技巧である。
リミットスキルとして認定されてないほどにレベルが高かったからこそ、わざわざ専用の系統が生まれたのだ。
今、クラウディアは自分の保持している系統の生まれを超えようとしていた。
変換系の生みの親――フィーネすらも至っていない領域へと手を伸ばしている。
宗則の想像力、莉理子の術式、そして武雄が授けた戦術。
健輔が数多の敵と味方に支えられて此処に至ったようにクラウディアも、かつての絆を紡いてここに最高の姿を見せていた。
「あなたに勝つためならば、私は常識も超えてみせる! 万能系だけが、可能性の系統ではないです!」
「――いいね、最高だ」
見事な覚悟と素晴らしい錬度である。
健輔の中には賞賛の言葉しかなかった。
自分の領分に侵入されることに対する危機感など微塵も存在しない。
いつだって彼が思い描くのは、最高の敵との最高のバトルだった。
ここに全力で健輔を凌駕すると吠える敵がいる、ならばやることは1つしか存在しない。
「お前を失望させないために、俺も見せてやるよ」
変換系を他の系統に切り替えながらの戦闘は負担が大きいのだろう。
今までと違う魔力が発せられる度にクラウディアの顔が大きく歪む。
万能系と違い、系統を入れ替えるに等しい変換系による他系統の使用は身体への負荷が大きいのだろう。
厳密に言えば異なる部分もあるが、神経を別のモノに切り替えるような所業にほぼ等しいのだ。
美しい顔は苦痛で歪み、額や首筋には汗が浮かんでいた。
それでも瞳は真っ直ぐに健輔を見据えている。
彼女が未完成の技を出してでも立ち向かっているのは、優香や健輔への対抗心からだろう。
友人として負けられない。
対等だと示すために彼女は必死に努力を重ねてきたのだ。
味方になれるチャンスはあった。
それでも、彼女は敵として立ち向かう事を選んだ。
この気高き戦乙女に、健輔は答える義務がある。
「陽炎」
『了解です――。御覚悟を、マスター』
「望むところだ。女が覚悟を決めているのに、男が受け止めてやらないでどうするよ。ましてや、相手は俺をご所望だ」
男や女など関係なく楽しめる魔導は素晴らしい。
双方に必要なのは心のぶつかり合いだけだとこの男は無邪気に信じていた。
彼の心情から言って、この場面で出し惜しむなどあり得ない。
模擬戦の前提が全て吹き飛び、ここで死力を尽くすために封印を解く。
もはや未完成であることなど気にはしない。
「術式展開――『回帰・万華鏡』!」
桜香がかつて発現し、優香が象った虹色。
あらゆる可能性を内包した色のそれに対して健輔の纏う新たな魔力光はなんとも奇妙なものだった。
一瞬たりとも色が安定しない。
波形すらも乱れており、今の健輔が何の魔力を使えるのか外からは判別出来なくなっていた。
真紅にも、蒼にも、それこそ白にも黒にも見えて、同時にそれらが調和しているようにも感じられる。
万華鏡、一瞬たりとも同じ姿を見せない。
これこそが健輔が目指す2年目の究極。
「……ふ、ふふ、やはりあなたは……!」
クラウディアの胸を満たすのは感動だった。
彩る可能性は、桜香すらも凌駕するかもしれない。
術式ではなく、系統の中に眠れる力を健輔は引き出そうとしていた。
まだまだ未完成な上に安定感など皆無だが、お互いに博打をするならば悪い状況ではないだろう。
健輔とクラウディアはタイプがよく似ている。
土壇場で覚醒、力を発揮するのは魔導師には少なくないことだが、健輔やクラウディアのような人間には下積みが必要だった。
優香のように本当に切っ掛けだけで目覚めるのとは違うのだ。
必死に、考えて、その上で心を研ぎ澄ませて初めて2人は頂点に近づくことが出来る。
「いくぞ、クラウ!」
「存分に、健輔さん! 私が全て、凌駕してみせますッ!」
お互いに魔導機を構えて、一直線に駆ける。
ぶつかり合う祈りに差異はない。
大きな責任が掛かった訳ではない試合で、全開を超えて心の赴くままに2人は戦うのだった。