第35話『譲れないからこそぶつけ合う』
新人主体。
言われた時に一瞬でも惚けてしまったのは、ありえるはずがないと脳内から選択肢を排除していたからだろうか。
桐嶋朔夜は己の未熟さに苛立ちを覚える。
追い付こう、追い越そうと努力をしているのに、前進したと思う度に感じるのは拭い難い彼我の差ばかりで距離が詰まることはない。
今までにない経験のためか、そんなことを思ってしまう程度には悲観的に状況を感じていた。
どうしようもないほどに、この魔導の世界は奥が深く、朔夜では踏破しきれそうにないのだ。
「……なんて、私らしくないよね。真っ直ぐに、正しく前を見ないと」
頼れる先輩たちがカバーに入ってくれることは少ないだろう。
健輔はクラウディア、優香は怜や瑠々歌、美咲と香奈は莉理子と戦わなければならない。
黄昏の新人たち、彼らの相手をするのは同じ新人である朔夜たちしかいない。
少し安心してしまった自分を自覚して、朔夜は超えるべき壁の高さを知った。
もし、敵にベテランがいたら勝てるのだろうか。
ここに来たばかりの頃は微塵も抱かなかった不安を彼女は強く感じている。
「ふふっ、弱くなったのかな、それとも――」
『両チーム、配置についてください』
思考を断ち切る実況の声で朔夜の意識はクリアになっていく。
直前までの悩みもそこにはなく、あるのは上限なしの闘志のみ。
余分なものを削ぎ落とせる適性は彼女が間違いなく戦闘魔導師に向いているということの証だった。
早すぎる切り替え。
健輔の薫陶、その種は確かに撒かれていた。
「――強く、なれたのかな」
彼女の中でも答えはでない。
それでも現実は進み続ける。
だったら、信じて前に進むしかないだろう。
覚悟は胸に、夢は頭上に。
追いかけるだけの理由はしっかりと存在しているのだ。
『試合開始!』
合図と共に朔夜は空を舞う。
砲台の砲台たる役割、チームために献身することの意味をまだ輪郭程度だが掴もうとしていた。
1人で全てを蹂躙するような怪物に、朔夜はなれない。
当たり前の事実を受け止めて、やらないといけないことは1つだけしかないだろう。
果たすべきこと、成すべきことをしっかりとやり通すだけである。
「制圧射撃、移ります!」
『了解。援護するわ』
「お願いします。多分、漏れがあるので!」
未熟を認めるようで嫌だったはずの言葉が素直に吐き出せた。
戦場を――実際の戦いを肌で感じたことで朔夜の中から余分な成分が抜けたのだ。
自信も自負も持つことに罪はないだろう。
しかし、過ぎれば何事も毒へと早変わりである。
過剰に摂取し過ぎた誇りが結果として彼女の枷となっていた。
彼女の持ち味は真っ直ぐで、寄り道の知らない情熱である。
熱を変な方向に向けていた熱狂が冷めて冷静になれば、この場にいる後衛魔導師に彼女が劣ることなどない。
素質で言えば最上位の砲台たちにも届く可能性は十分あるのだ。
地に足を付けて、そこから飛翔すれば朔夜の輝きは満天下へと示される。
「いけ、私の星たち!」
展開される砲塔に魔力を注ぎ込む。
真由美と比べれば拙く、無駄が多い。
威力も天と地ほどの差があるだろう。
規格外の相手以外には文字通りで必殺に近かった『終わりなき凶星』と比べれば彼女の自負も花火のようなものだ。
輝く恒星にはとてもではないが歯が立たない。
小さな輝き――だが、とても強い輝きがそこにはある。
再出発。
歩き出した新しい星は自分だけの輝きを宿していた。
「負けられないから、言い訳をしたくないから、私は全力で立ち向かう!」
朔夜の砲撃群を出迎えるのは莉理子によるカウンターではなく、同じように拙いが気迫の籠った攻撃だった。
誰が撃ってきているのか、考えるまでもない。
合宿の期間中に唯一触れ合った砲台としての敵魔導師。
別のチームにいる同年代の相手を忘れるはずがなかった。
系統、才能で言えば彼女に劣るはずなのに互角の戦いになったのをしっかりと記憶している。
「いいわ、まずはあなたから超えて上げる!」
加減なしの現時点での持てる全てを注ぎ込む。
制御しきれない強大な力。
才能に相応しいだけの技量を彼女はまだ身に付けていない。
そこから生まれるロスは小さくなかった。
戦いは膠着する。
身の丈にあった力だからこそ、相手は制御しやすいという利点があった。
朔夜が300%の力を誇っていても出力できるのが80程度しかない以上、大部分の力は使われることなく彼女の中に溜まっていく。
過剰な魔力は結果として彼女の負荷となっていたのだ。
「まだ! もっと、もっと――もっとッ!」
火照る身体のままに気合で朔夜は前進を続ける。
止まることも、方向転換も彼女は自分ですることが出来ない。
誰がか彼女を導いてくれるまで、少女は愚直に進むしかないのだ。
見識の狭さは年相応の学生であり、袋小路に気付けない。
強大な意思の力があるからこそ、問題は致命的になるまで表面化することがなかった。
初日の焼き直しのように後衛の戦いは戦局を動かせない。
よって、前衛同士の対決は不可避となる。
雷光と境界、旧暗黒の盟約のエースと夢幻の戦いは不可避の現実として、確かに降臨しようとしているのだった。
鞭はしなり、空を切り裂く。
双鞭という扱いづらいだろう武器を手足のように操って水守怜は戦いに挑む。
この戦いこそが正念場。
かつて超えてきた戦場の中でも最高峰であり、新人同士の激突を生み出す上で決して避けられない決戦。
自分が成すべきことの重みを彼女は知っている。
「瑠々歌、動きなさい! 止まると死ぬわよ」
「は、はいぃ!?」
後輩への警告と共に鞭が何もないように見える空間を叩く。
接触から数分、ハッキリ言えば戦況は劣勢である。
怜と瑠々歌のコンビが黄昏が出せる手の中では最高レベルであり、これ以上はクラウディアと莉理子を出すしかない。
中核2名ならば優香を食い止めることも可能であるが、それはある危険性を無視した行為である。
健輔という脅威、実際の試合では葵なども加わる猛攻を怜たちだけで防ぐのは現実的ではないだろう。
拭い難い戦力差、だからこそせめてこの拮抗状態では優香を止める必要がある。
虹の軌跡を追うことなく勘だけで撃ち落とすのは歴戦の証。
能力で圧倒され、足手纏いを抱えながらも水守怜は優雅に戦場に佇む。
己の使命を理解したエースの1人として、試合にも劣らぬ気迫で彼女はこの戦いに挑んでいる。
「とはいえ、このままじゃあ、ジリ貧よね。なんとも楽しい戦いだわ」
張り付けた余裕は実情から鑑みればハリボテに等しい。
頭の中では今後の展開が次々と思い浮かび、悲観的な未来を見せ付けていた。
スペックだけの話をすれば、目の前の相手に勝つのは事実上不可能なのだ。
謙虚さを備えた国内大会の桜香とも言える状態が今の九条優香の強さだった。
この時点であらゆる魔導師に死刑宣告が行われている。
上に立つものに慢心がなく勤勉さしか存在しないのなら、下にいるものにはどうしようもないだろう。
格上殺しは条件が成立して初めて成せる類の奇跡。
必須の条件であろう『驕り』が消えているなど冗談ではない。
ましてや、昨年度はその桜香に粉砕されているのが怜なのである。
単純な強さの関係で、どこから見ても希望を抱ける理由はなかった。
「努力する天才よりも性質が悪いわ。流石、姉妹揃って、怪物であることに差はないのね」
何かに語りかけるように、いや、実際に語りかける形で怜は鞭を振るう。
データには表示されない強さ。
戦場を渡り歩いたものだけが持つ古参の強みが、才能という輝きに立ち向かう。
振るわれた鞭を切り払い、虹を纏う乙女が怜の前に姿を現した。
「姉よりは大人しいと自負していますよ。それに――」
双剣を構えて、冷たく見据える瞳に感情は窺えない。
背筋が冷たくなるのを怜はハッキリと自覚した。
似ていないと思ったが、彼女の勘も当てにならないものである。
実に良く似ている。
1度、入り込んだら決して手を抜かないところなど本当にそっくりだった。
「――姉よりは、まだ弱いです」
「違いないわ。今はまだ、私が戦えるものね」
笑みは絶やさず、自分らしさも崩さずに怜は観察を続ける。
必要なのは現実的な情報。
既に戦法などは知っているが今の九条優香に当て嵌まるかは甚だ疑問だった。
初日の模擬戦からそうだったが、どうにもこの敵はムラが多いのだ。
安定している様に見えて揺れ動いている。
しかし、芯がぶれているのか、というとそれも違う。
「夢幻とはよく言ったものね」
実に的確に表現している。
戦いの最中に感心してしまうくらいには九条優香を表現した言葉だろう。
まさに夢、幻の如く変化して実体を捉えさせない。
昨年度、健輔だけが芯に触れることが出来た九条優香の隠れた特性だった。
「見事な錬度! 梢さんもそうでしたが、素晴らしい技量です」
「お褒めに預かり恐悦だけど――」
余裕を見せられて怜の中でボルテージが上がる。
自分をそこまで容易く見られるのは彼女のプライドが許さない。
強さは認めているし、恐怖も感じている。
1対1なら100回戦っても優香の勝利だろう。
個人の優劣だけを競うのならば、怜に勝利の芽はない。
「――この程度で、満足して貰ったら困るわ!」
『最低限ですが、支援です。怜、頑張ってください』
「ええ、任せなさい。参謀は吉報を待っていればいいわ!」
ないのならばあらゆるものを使って、機を生み出すのがエースという存在である。
莉理子が戦場に力を割いていても、支援の1つや2つくらいは引き出せるのだ。
何もないよりは見せ札でもあればよい。
そこから勝利に繋げるのが怜の役目なのだ。
「莉理子さんっ、なるほど1人ではない、ということですか!」
「――さあ、あなたの好きに捉えなさいな!」
優香の言葉に快活に笑い返す。
易々と答えをくれてやるつもりなどない。
数秒などと贅沢を言うつもりはない。
刹那、それこそ瞬きくらいの時間でも生み出せれば、取りえる選択肢もあるはずなのだ。
芽吹くかわからない種を撒き散らしながら、ドンドンとボルテージを上げていく。
現状の頂点の一角。
世界に向けての難易度はこれくらいがちょうど良かった。
「瑠々歌、気合を入れなさいよ! 相手は世界第2位、予行演習のつもりで当たって砕きなさい!」
「うぅ、無茶ぶりですよ~」
「無茶でも、なんでもやるの! 今年こそ、私たちが世界を取るのよ!」
叱咤激励を受けて、瑠々歌も覚悟を決めたのか拳を握りしめる。
初日とは違うのだ。
2度も連続で負けるのは彼女にとっても受け入れられない。
特に初日は文字通り一蹴されてしまった。
このままで終わるなど認められるはずがない。
「わ、わかりました! 私だって、やれます!」
彼女も1年間を戦い抜いた魔導師である。
誇りも、信念も持っていた。
「いいわ。だったら、連携なんて考えないで、個別に全霊を尽くすわよ」
「ふえ? 怜さんが私の援護じゃないんですか!」
力の弱い者が生きるには連携するしかない。
怜も認めた行動を今度は何故か放棄しようとしている。
瑠々歌が驚くのも無理はないだろう。
彼女がまだ撃墜されていないのは怜が決死の防空圏を維持しているからである。
鞭の結界が綻べば『夢幻の蒼』は容易くフィールドを断ち切ってしまう。
ゆえに、順当な手順は瑠々歌の言うことが正しい。
しかし、怜の意見は違う。
世界最強の魔導師の一角。
かつての3強に迫ろうとしている優香に常識で対応したら瞬殺されるのが関の山だと考えたのだ。
「ああいう怪物に勝てるのは同じ領域の怪物か、常識の斜め上をいくバカだけよ。前者が無理ならせめて後者みたいにならないとね」
「あ……わ、わかりました! 頭をからっぽにするのは得意です」
満面の笑みで私はバカですと宣言する後輩に怜は笑みを零した。
「流石、私の後輩はそうじゃないと。見せてやりましょうか。バカは別に佐藤健輔だけの特権じゃないわ!」
鞭を双剣に固め直して、怜は優香に白兵戦を挑む。
正気とは思えない所業に一瞬だけ優香の速度が緩むが、
「――そう来ましたか!」
受けて立つと言わんばかりに速度を大幅に上昇させる。
同じバトルスタイル、そして能力は優香の方が上。
誰がどう見ても怜の自殺行為だったが、優香の表情は先ほどまでよりも鋭くなっていた。
眼前の相手を明確な脅威と見做している。
訳の分からない行動だが、そこに優香の読み取れない機微がある可能性を知っている以上、手を抜く選択肢は浮かぶこともない。
何をしようが意味を失くすように、叩き潰してしまえばよい。
「はあああああッ!」
「せりゃああああッ!」
重なる軌跡、ぶつかり合あった剣と剣。
優香のパワーに抗することが出来ずに、砕け散った怜の剣。
あっさりと訪れた順当な結末。
双方が続きを期待して、視線を交わした。
――この程度ですか、と問いかける優香の視線に怜は不敵に笑い返す。
「さて、ご照覧あれ!! お気に召すかは、わからないですが!」
飛び散った剣の残骸が光で結ばれる。
極限まで細めた鞭の結界。
「――この程度でッ!」
剣戟を交わすことなく、怜の剣が容易く断ち切られる。
これで安心するような優香ではない。
「小細工で、私を取れると思わないでください!」
周囲を囲む結界を魔力の放出だけで破壊する。
基盤とする実力の差が大きすぎて、通常ならば必殺の攻撃が意味をなさない。
瑠々歌の番外能力もそもそもが術式を必要としないほどに差が開いている。
これでは強力な番外能力もただの飾りに過ぎない。
白兵能力では圧倒的も生温いレベルの差があり、実質的に優香が2人を詰みまで運んだ状況だった。
「お見事でした。これで、終わりにします」
新人主体ゆえに一か所の崩れがそのまま致命傷になる。
怜に迫る優香を見て瑠々歌が悲鳴を上げた。
九条優香は止まらないし、止められない。
必然の結果が示されようとした時、
「ねえ、あなたは目が良い方かしら?」
――何故かこの時驚くほどに澄んだ声で怜の言葉が優香の耳に届いた。
激しい戦闘最中、届いた言葉はどこか面白がっているような響きが含まれている。
直感が放つ警告。
咄嗟に身体を捻るが、過ぎ去った衝撃に優香は吹き飛ばされるのだった。
「がっ! これは――」
「余所見をしない」
窘めるような物言いに、何かを言い返そうとするが続く衝撃が再び言葉を奪う。
2度も続けば相手のやっていることも予想が出来る。
「見えない、武器!」
「言ったでしょう? ご照覧、あれってね」
魔力の検知を最大にするが、ぶつかる瞬間にしか魔力を感じられない。
優香ほどの魔導師が一切の予兆を掴めないのは異常だろう。
凡百ならいざ知らず世界で2番目の魔導師がシンプルな攻撃に成す術がなかった。
「そんな、あり得ない……!」
原理としてはいくつか想像することは出来る。
無色の鞭を生み出すのは容易であり、この部分は別に問題ではない。
問題は魔力を探せる状態でもどこから来るのかが一切把握出来ないことにあった。
可能性としてあり得るのは本当に細く繋いだ鞭を媒介にして、攻撃のタイミングだけ密度を一気に上昇させていることぐらいだろうか。
やっていることは単純だが、恐ろしいレベルの系統錬度が必要だった。
リミットスキルを発現していても何もおかしくはない。
「その顔、考えていることを当てて上げましょうか? どうして、リミットスキルを使わないのか、でしょう?」
「くっ!」
障壁に頼り切ると瑠々歌に無効化されてしまう。
優香は必死に見えない攻撃を捌く。
聞いているのかもわからない状態の優香に怜は楽しそうに語りかける。
彼女が目指したバトルスタイル。
その1つの到達点がかつての太陽に届いていることを確認出来たことの意味は大きい。
しかし、まだ勝利には至らない。
9割は向こうになった勝率をようやく3割はこっちが掴んだ程度である。
あらゆる技を尽くして勝利を引き寄せる必要があった。
話術もまた、1つの手段である。
多少の集中でも奪えたら御の字であろう。
「答えは簡単。リミットスキルに頼ると、弱くなるからよ。私の魔導はこの系統で完結している。いらない訳じゃないけど、必要以上に頼るつもりもないわ。切り札よりも、積み重ねこそを私は信じている」
安易なパワーアップなどよりも苦しくて、辛くて折れそうになった日々こそがが信じられる。
誰よりも自分を、そして仲間たちのやり方を誇るがゆえに怜は切り札を持たない。
いつだって、最高の状態なのが自分だと信じていたし、そんな自分で立ち向かうからこそ意味があると思っている。
「小手先と、笑うかしら?」
「……あなたは」
微笑を張り付けて、怜は優雅に腕を振り下ろす。
やせ我慢をして優雅に戦うのは、それが最高だと信じているから。
暗黒の盟約の最後のエースは現実主義者で、だからこそ誰よりも夢を見ていた。
水守怜は暗黒の盟約を勝利のために捨てたのではない。
より高い場所に、彼らのやり方を連れていくために形に拘らなかっただけだ。
本当に大切なものはいつだって心にあると信じていた。
「あなたの力は強いわ。今だって、冷静になれば私に勝つのは難しくない」
戦場に高らかに、不思議なほどに響く声に優香は耳を奪われる。
表に出してしまえば隙になるかもしれない迂闊さだったが、不思議と聞いてしまうのだ。
しかし、それも必然かもしれなかった。
何故ならば、怜の在り方は優香とは真逆である。
誰よりも自分を信じる者と、自分の強さを本当の意味で信じられない者。
健輔に誇れる自分でありたいと願う優香にとって、眩しすぎる在り方が其処にあった。
「でも、ダメよ。自分よりも、誰かが強いなんて思っている人に負けては上げられないわ。だって――」
この戦闘でもそうだが、人間は視覚からの情報を頼りにしやすい。
何も戦闘に限った話ではないだろう。
目にも見えず、形もわからないものよりも明確にあるものを重視するのは常識だった。
「――そんな相手に負けてしまうほど、私たちの日々が詰まらなかったなんて思われるのも嫌だもの」
怜は負けていることを肯定するようなその思想が死ぬほど嫌いなのだ。
相手は遥かに自分よりも強いかもしれない。
才能で届かないのは認められる。
負けることもあるだろう。
それでも、最後には必ず届くのだと彼女は絶対に諦めない。
宗則が、先輩たちが築き上げた強さ。
他のチームから見たら夢見がちに見えても、怜が憧れた強さが其処にあるのだ。
周りから弱いと思われるなど冗談ではない。
「夢だの、目標だのは向こうが私たちを裏切るんじゃないわ。私たちがいつも、勝手に辞めるのよ、あれこれと理由を付けてね。そんな、負け犬になるのは、私はごめんよ!! あの人たちの日々が、無駄だったなんて神様にも言わせない!」
「ッ……!」
叱咤するように怜が叫ぶ。
いつまで、そこで安住しているのだと。
挑む気概もあり、羽ばたく準備もしているのにどうして大地に伏しているのかがわからない。
疑問を叩き付けるのは、優香のためであり、自分のためであった。
最高の相手とは、同じように揺るがない芯を持つ相手である。
お互いに譲れないものをぶつけ合うからこそ、魔導競技が素晴らしいものだと怜は信じていた。
ぶつかることでしか理解出来ないことも、きっと世の中には存在している。
よって、加減などしないことが礼儀だと心得ていた。
「瑠々歌!」
「い、行きますッ! 御覚悟!!」
見えない鞭に、瑠々歌の決死が加わり天秤がついに傾く。
勢いで圧されている。
全力で、優香という相手に勝利するために全てを賭けている敵。
重なる2人の声に、優香は――
「情けないっ……!」
――彼女たちに応えられぬ自分に怒りを抱いた。
理屈、状況全てがどうでもよくなるほどに自分が腹立たしい。
優香は昨年度もそうだが、大凡怒りという感情を抱いたことがなかった。
あるのは卑屈さと言ってもよい劣等感とどこにもいけないという閉塞感である。
それを健輔が何事もないように飛び越えるのを見て、前を向いたのだ。
しかし、それだけではまだ足りなかった。
我武者羅に、本気でやるのならば熱い感情が必要だろう。
中でも、怒りというのは中々に重要なものだった。
今に対する猛烈なまでの反発――瞬間的な燃料としては恋すらも超える人類共通のエネルギーである。
「――勝ちたい」
葵だけが気付いていたこの組み合わせ。
因縁、という意味ではそれなりに付き合いがあるが、運命というほどではない。
何も知らない者から見ればこの場面で優香が勝利を強く願うようには思えないかもしれない。
なるほど、優香が目覚めるタイミングとしては予想外かもしれないだろう。
しかし、だからこその九条優香なのだ。
常日頃、日常から彼女はずっと超えたいと思っていた。
姉ではなく、自分が健輔の超えるべき壁でありたいと願う少女の祈りは、場所を選ばない。
よって、ここでの覚醒は優香にとっては必然である。
この場に至るために必要な努力も、意思も彼女にはあった。
残るはタイミングだけであり、溜めに溜めた全てがついに爆発する機会を得たのだ。
強く自分を信じて、ぶつかってこいと主張する相手に全力を見せないなど彼女の羞恥心が許さない。
九条桜香ではなく、九条優香の最強を見せ付ける必要がある。
「あら」
怜は爽やかに笑った。
一気に勝率が下がっても、彼女は気にしない。
自分の強さを信じている。
そして、相手も応えてくれると信じていた。
結果は正しくここに表れており、後は激突が答えを教えてくれるだろう。
「――素敵じゃない。それが、あなたらしさなのね」
優香が魔力風を発した。
それだけで優香を囲んでいた魔力が全て消失する。
好機がピンチへと早変わりしていく。
魔力を破壊されるのでも、干渉されるのでもない一瞬にして消えるという怪現象。
勿論、異常は怜だけに留まらない。
「嘘ぉ!?」
瑠々歌の魔力も同じように、より巨大な何かに吹き飛ばされた。
つまりはこの時、瑠々歌も無防備となっている。
「瑠々歌!」
間に合わないとわかっていても警告を発する。
太陽と接した時に優るとも劣らない背筋の震えは彼女の経験の中でも最高のレベルを示していた。
「うえぇ!?」
「申し訳ありませんが、怜さんと1対1でやらせて欲しいんです。――ごめんなさい」
オーラのような白い輝きを身に纏い、蒼と銀が混じった髪を持つ。
瞳の色は見る角度によって多彩な変化を齎す。
美しく、恐ろしい。
かつて桜香と対峙したものたちが抱いたものと同じ感想を瑠々歌も抱いた。
大幅に変わった雰囲気。
優香がイメージした理想の優香。
太陽と異なり、他者の輝きに呼応して乙女が月の女神となって相手を穿つ。
――九条優香、覚醒。
この日、新たなる最強が世界に産声を上げた。
彼女の目覚めは、試合の流れどころか試合の意味すらも変える激流となる。
新人戦はいきなり新たなる最強のデビュー戦へと生まれ変わったのだった――。