第30話『高みを目指して』
快晴の空の下、魔導師たちは練習に勤しむ。
全力疾走も良いところだった初日に対して、2日目からはごく普通の練習風景が広がっていた。
穏やかではないが、昨日のような戦意に溢れた光景ではない。
昨日とは全く異なるこの光景、あまりにも早い切り替わりを見て、嘉人は大きく溜息を吐いた。
別に黄昏の盟約と揉めたい訳ではないが、あれほどの戦いを繰り広げた相手に対してあっさりと矛を降ろす気分がよくわからないのだ。
チームに入って1ヶ月ほどだが、この切り替わりの早さと旺盛すぎる戦意にはまだ慣れていない。
「急に素面になるっていうか。先輩たちはわからないなぁ……」
「えーと、嘉人くん、だっけ? そんな遠い目してどうしたの?」
「あ、いや、そのすんません。ちょっと、自分のところの先輩たちについて悩みがありまして」
「は、はぁ、そうなんだ。ま、まあ、その先輩方は規格外だからね。気持ちは僕もわかるよ。ああまで戦えるのは凄いことだしね」
まさに優男といった感じの眼鏡をかけた男性が嘉人に話しかける。
黄昏の盟約『篠宮敦』。
昨日の試合では嘉人と対峙していた2人のバックスの片割れである。
嘉人は戦闘魔導師だがバックス的な側面を持っており、言うなれば霧島武雄が所属した『賢者連合』に近い属性を持つ。
対する敦は戦闘魔導師的な側面を持つバックスと言えばよいだろうか。
新ルール下だからこそ真価を発揮する新しいタイプの魔導師である。
違いはそこまでなく、どちらに主眼を置いているのかというだけなのだが、こういった些細な違いが意味を持つのはこれからであろう。
新ルール下での戦いはまだ何処のチームも模索している状態なのだ。
何が最善となるかは試してみないとわからない。
また、敦には他の魔導師とは違う部分まだ存在していた。
今は別メニューを受けているため、この場にはいないのだがある魔導師と力を合わせることで力を発揮する魔導師なのである。
昨年度に登場した魔導師で最も近い存在はアメリカのラッセル姉妹だろうか。
彼女たちのようにお互いが組むことを前提としたバトルスタイルを持っているのだ。
「いや、すいません。何か気を使わせたみたいで」
「気にしないで、君と僕の練習だからね。どちらかがしくじったら最初からやり直しな訳だし。ようは自分のためだよ」
おどけたように言う相手に嘉人も肩を竦めて答えた。
「こんなに難しいお手玉、初めてですけどね」
「ははっ、紗希さんは結構厳しいからね。でも、この練習は魔力制御にはとても良いんだよ? 効果は僕たちよりもクラウディアさんが示しているかな」
お手玉、と嘉人が表現したが、見た目はまさにそんな感じである。
2人がやっているのは単純に魔力で球体を形成して、両者の間を行き来させているだけであり見た目は非常に地味な上に単純だった。
しかし、不敗の太陽がわざわざ指定した練習がそれだけで終わる訳もない。
この練習、やっていること自体は単純なのだが、2人で協力して、となると途端に難易度が上昇するのである。
敦の系統は遠距離・固定系。
魔力を球形に維持するのは容易いが、球形で生み出すのと移動させるのが困難な組み合わせだった。
対して嘉人は浸透・遠距離系。
必然として、移動及び球体の創造は彼が担当することになる。
他者が生み出した魔力を『固定』するのが、敦の役割であり、固定された球形を移動させるのと創造するのが嘉人の役割だった。
「これ、結構しんどいですよね」
「そうだね。固定系は強くしすぎると不動になっちゃうし、君の魔力を崩す恐れがある。なんとも厄介なものだよ」
球形に固定した上で、浸透系で動かす。
簡単なのだが、他人の魔力というファクターが間に挟まることで一気に難易度が上がる。
基本的に魔導は自分に掛ける分には難易度はそこまで高くないのだ。
しかし、利益を皆で受けようとしたり、他者の魔導に干渉したりすると比較にならないほど難易度が上がる。
この地味な練習も見た目の楽さからはわからないほど繊細さと根気が必要とされるものだった。
「あー、高校生にもなって何やってんだか」
「同感だけど、真剣にやろう。昨日みたいに何も出来ないまま終わるのは、結構辛いよ?」
「そ、そうっすね。すいません、やる気削ぐようなことを言って」
「いや、気にしないで勝者に畏まられると敗者としては困るよ」
笑顔だけど妙に毒がある。
やり辛さを肌で感じるが、ここで引いては男が廃ってしまう。
表情は笑顔で、苦しさなど欠片も見せずににこやかに談笑してみせる。
嘉人の中で沸々と闘志がわき上がっていた。
この涼しい顔の男に失敗をさせたい。
そのためには、もっと果敢に攻めるべきだろう。
「少し、速度上げますね」
「ああ、望むところだよ」
両者共に笑顔なのに妙に寒々しい空気の中、2人の間を高速で球が行き交うことになる。
後衛タイプの魔導師だろうが、男の意地というものがあるのだ。
不毛な争いだが、当人たちは至極真面目にお手玉を続けるのだった。
「はあああああッ!」
鋭い斬撃が葵の頬を掠める。
お互いに白兵縛りにした戦い、3年生と1年生が正面からぶつかり合う。
普通に考えれば後者が前者に蹂躙される戦い。
ましてや葵の実力から考えれば未来がどのようになるかは簡単に想像できる。
しかし、戦闘を開始して既に15分ほど経っているが、状況は膠着していた。
いや、むしろ1年生が果敢に攻めていると言ってよいだろう。
刀型の魔導機が宙を斬る度に葵の口角が楽しそうに吊り上がる。
「なるほどね。地面だったら強いってそういうことなのか」
「隙ありッ!」
本当に僅かな間隙を、縫うように斬撃を放つ。
魔力が良く身体に馴染んでおり、全体的な制御も悪くはない。
魔導機も可変型でなく武装型をあえて選んでいるのだろう。
愛用の武器、というイメージは決して損にはならない。
また系統の選択も悪くなかった。
「これを障壁で受けようとすると――」
「断ち切るッ!」
葵が障壁を生み出すのに合わせて、敵は魔力を大きく噴出させる。
1つ目の系統は収束系。
力技をするのにこの系統以上のものは存在していない。
葵も愛用している系統なのだ。
怖さというものは熟知している。
「そして、接触すると」
「貰いましたっ!」
噴き上がった魔力が刀身へと一気に駆け上がるのが見える。
要領的には桜香や優香が使う魔導斬撃と似ているが、やろうとしていることが違う。
振り下ろす速度に合わせて、もう1つの系統が姿を見せた。
葵の障壁に接触、こちらに流れ込んでこようとする魔力。
言うまでもない2つ目の系統は浸透系、敵の魔力に干渉する系統である。
「後は私ごと切り裂く、よね?」
「その通りですッ!」
藤田葵は強い。
収束・身体系の格闘戦のスペシャリストは同じ土台ならば不滅の太陽にも劣らない。
世界ランク第5位は伊達でもなんでもないのだ。
当然ながら障壁も相応の硬さであり、いくら浸透系といえども簡単には干渉することは出来ない。
新入生程度の錬度ではそれこそ手も足も出ないのが正しい結末となる。
ましてや、浸透系は収束系との相性があまりよくない。
膨大な魔力を扱う収束系と精緻な制御が必要な浸透系はやろうとしていることが相反しているため、この2つを組み合わせるには相応の実力が必要だった。
では、この敵は弱いのか。
答えは葵の態度が物語っている。
「なるほど、なるほどね!」
実に楽しそうな葵の笑み、真っ二つになった自分の障壁を他人事の用に見詰めている。
惨状といってよいだろう。
展開した防壁が成す術もなく一太刀で断たれたのだ。
焦って然るべき場面のはずだが、葵の表情は平静そのものだった。
確かに驚いたが、敵は渾身の一撃を放った余波で動けずにいる。
早い話、隙だらけなのだ。
「ま、いい線はいってたわよ。稀にいるのよね、あなたみたいな一芸特化」
「へ――? ゴハァ!?」
流れるように懐に入り、鳩尾に渾身の拳をプレゼントする。
健輔にとっては日常のコンボだが、敵――黄昏の盟約の1年生にとっては初めての衝撃だった。
そのまま見事に意識を刈り取られて、大地へと沈むことになる。
他チームの新入生だろうが、この女は手を抜かない。
いつでも全力全開が藤田葵のモットーなのだ。
「長谷川友香ね。中々良い子じゃないの」
『ええ、戦闘能力ではクラウに次ぐ位の子なんですけどね。怜も下手すると首を取られかねない。それぐらいの逸材ではあるんですが……』
「地面に足を付けていれば、でしょう? 割と致命傷よね。前衛は空戦が必須だし、そもそも飛べない魔導師なんてほとんどいないものね」
長谷川友香。
1年生であり、黄昏の盟約が欲する条件を全て満たした前衛である。
普段の戦闘スタイルは一撃必殺。
刀身に全てを籠めた抜刀が敵を斬り裂く、のだが致命的な素質が存在した。
彼女は空が飛べないのである。
勘で障壁の魔力結合を切り裂く白兵の天才は、空戦の適性が欠片も存在していなかった。
そうなると機動力が重要な魔導戦闘においては存在感が著しく低下してしまう。
「早急に対策が必要ね」
『割とこれは本気でお願いしています。紗希さんでもどうにもならなかった以上、葵の矯正しか道はないです。他の格闘メンバーは後回しでも構いません』
「ええ、問題ないわ。ただ最終日は私の要望を優先して貰うわよ。それまでにある程度は使い物にしておくわ」
『了解です。やはりあなたに頼んで正解でした。遠慮なくぶちのめしてあげてください。嫌と言ってもボコボコにして構わないです』
莉理子からの念話が切れる。
葵は未だに意識を失ったままの友香を見つめて嗜虐的な笑みを浮かべた。
極上の素材が意味のわからないところで躓いている。
大方、上手く飛べない理由には察しがついていた。
早い話、無意識下であろうが何であろうが怖がっているのだ。
それでは飛べないのは当たり前だろう。
「フフフ、怖がっている余裕なんてなくなる、もとい失くしてしまえばいいじゃない」
記憶が飛ぶほどにボコボコにすればきっと飛べるだろう。
葵的には正しい教育方法が脳内で展開されていく。
哀れなる次の獲物は意識を失っているにも関わらず身体を震わせていた。
本能が頭上で計画される地獄巡りツアーに恐怖しているのだ。
「まずは軽くいきましょうか。私と組手……とりあえずは嫌になるまでかな。じゃあ、とりあえず起こしますか」
何がとりあえずなのかはわからないが1人の少女が旅立つことが決まった。
彼女が目を覚ました時、どのような表情をするのか。
柔らかく微笑む葵だけが結末を知っているのだった。
葵が絶好調の時、彼女の直系もまた絶好調だった。
やっていることがまるで鏡合せかのように一致している両者。
藤田葵の1番弟子、佐藤健輔は良い感じの笑顔で瑞穂に襲い掛かっていた。
「タイム! だから、ちょっと待ってって言ってるでしょう!?」
「戦場にはそんなものないぞー。というか、始めって言ったじゃん」
「こんなの聞いてないわよ!?」
鏡合せなのはやろうとしていることにまで及んでいた。
友香が空に至るためならば、こちらは空に頼らないための練習。
地面を舞台とした戦いは瑞穂の得意技が大半封じられる文字通りの意味での死地だった。
己の体捌きだけで迫るアホを止めないといけない。
この事実を認識した時点で、瑞穂の顔から血の気が引いた。
「ほれほれ、もう終わりか? まだ1分経ってないぞ。まあ、終わっても無限に続く訳だけど」
「あ、あんたは本当に……!!」
顔を怒りで歪める瑞穂に健輔は壮絶な笑みを向ける。
この状況で怒る、ということを出来る者はあまりいないのだ。
魔導師に向いているとは思っていたが、まさか本当にチームに入ってしまい、敵対することになるとは思わなかった。
師弟対決。
本格的に師事した訳ではないが、なんとも言えない縁に笑いを抑えられない。
「お前、格闘能力を鍛えないといけないんだろう? ハッキリと言うが別に空手とかを習っても魔導では強くなれんぞ」
「そ、それと、これの何処に関係があるのよ!」
「大有りだ。型、っていうのか? そういった練習の方法が確立されていない。空の飛び方含めて、自分のバトルスタイルには自分にあった白兵戦のやり方なりを組み込むんだよ。お前、そこが致命的に下手くそだからな。基本は共通している部分も多し、無理矢理にもで身体で覚えたらいいだろう」
大本となる基本部分はそれなりに洗練されているのが魔導であるが、個別のバトルスタイルに合わせたものは個々の努力で補う形となっていた。
瑞穂の想定するような穏当な練習がない訳ではないが、健輔の性分ではないし、何よりも数日しかない合宿で芽が出るようなものではない。
せっかく教えるのだから身になる方がよいだろう。
100%の善意で相手に死刑を宣告する。
葵と健輔に共通する性質の悪い部分が全力で瑞穂を追い詰めていた。
もはや受けるという選択肢以外が残っていない。
「まずは回避から。そこから反撃は自分で考えろ。身体がいい感じに動くようになるさ」
「それは、あんただけよッ――!?」
抗議の声を完全に無視して、双剣を振るう。
瑞穂は魔力で攻撃と防御を行うタイプである。
攻防、移動など全て行動に魔力が絡むため、全体の動作の切り替えなどどうしても経験則で理解しないといけないところが多い。
健輔としてはそういった理屈の部分を説明してもよいのだが、ぶっちゃけると最終的にやることは変わらないので面倒臭かった。
理屈を知っても、最後は同じ結論なのだ。
少しでも時間という資源は有効活用すべきだろう。
「ほれ、脇が甘い」
「っ、このッ!」
栞里に対して猛威を振るった音の結界。
人が不快になる音などを直接叩き付ける戦法はそれなりに面白い。
しかし、忘れてはならない。
この男は、佐藤健輔なのである。
世界最強の万能系の使い手に特徴のある攻撃などを仕掛けるとどうなるのか。
少し考えればわかることだった。
「はいはい、わかったわかった。じゃ、1発目な」
「う、嘘!? 音は出てるのに!」
「アホ、来るとわかってるなら、ピンポイントで音を遮断すればいいだろうが。俺の系統を忘れたのか? 制御に関しても割と自信があるぞ」
瑞穂の攻撃は音を操るのではなく、生み出すというレベルに過ぎない。
生み出して、個別に操作するまでいかなければ対抗する方法は簡単だった。
瑞穂は魔力で不快に思う音を生み出して、後はごく普通に相手の耳に届けているだけなのだ。
浸透系で特定の音以外を遮断するなり、破壊系で音の発生自体を阻止してしまえば聞こえなくなるのは道理だろう。
「後は空気を集めた音速弾か? これも発想はいいけど――」
瑞穂が迎撃で放つ音速弾を何事もなかったかのように拳で叩き落す。
「ちょ、ちょっと!? お、音速なのよ!」
「アホ、発動の兆候がわかりやすいんだよ。クラウくらいになってから言え」
隠蔽精度がまったく足りていないため、空気を集めている場所が丸わかりになっている。
どこからくるのかが全て見えてしまえば対処は簡単だった。
クラウディアの雷光でさえ同じ原理で対応できるのだ。
目に見ないのが脅威なのに、自分でマーキングしている場所を宣言していては意味がない。
「他にもまだまだあるからなー。全部潰しておこうか」
「お、鬼ー! 悪魔ー!」
「はいはい、わかったから早く構えろよー。腹に1発叩き込まれたくないなら本気でやれ」
涙目になる美少女を笑顔で追いかける鬼畜の姿を見て、黄昏の盟約のメンバーは戦慄する。
自分たちの合宿相手がいろいろととんでもない存在なのだと、向こう側の新人たちも薄々理解し始めるのだった。