第28話『各々の現実』
「な、何よ、これ……!」
感じたことのないレベルの倦怠感。
激しい異物感に頭が痛くなる。
後衛として、敵の砲台と撃ち合いをしていたところにいきなり起きた異常。
原因について考える暇などないはずなのに、考えてしまい止まってしまったのは、経験不足と言えばその通りではあった。
『足を止めたら、ダメだよん』
「えっ……か、香奈さん?」
突然の念話に疑問を覚えるも、答えは目前で示される。
敵側から飛来した砲撃が展開した覚えのない障壁で防がれたからだ。
誰が彼女を守ったかなど、状況を鑑みれば一目瞭然である。
「す、すいません!」
『いいよー。それよりも、あんまり余裕ないから必死に避けてね。私たちは範囲外だから、大丈夫なんだけど、そろそろ居場所がばれちゃうから』
元々朔夜の頭の巡りは悪くない。
必要な情報を与えられれば答えに辿り着くのは難しくなかった。
「そうか、この魔導陣の目的は!」
『こっちの妨害、あっちの強化、後はバックスの位置を特定。大体はこんなところだと思うよー。いやー、不敗の太陽も使い捨てかー。莉理子ちゃんは怖いねー』
コーチを普通に使って勝利へ活用するのは難しいように出来ている。
新しいルールを考えたものたちが、簡単に考え付く程度の策に対する落とし穴を仕掛けていないはずがない。
そして、しっかりとその事を踏まえているのならば普通に活用しなければよいだけだった。
「なんていう……、これが、先輩たち」
確かに理屈の上ではその通りだが、このような使い方は早々に出来ない。
莉理子の他者の魔力への干渉能力と、彼女の『魔導連携』があってこその大がかりなトラップだった。
自分すらも縛る枷に朔夜は瞑目するしかない。
戦場の遥か先から感じられる信じられない密度の力のことも含めて、彼女の全霊など文字通りの意味でゴミでしかなかった。
「これが、世界レベルですか? これが、ここから先にある世界……」
『うーん、そうとも言うかも。ぶっちゃけ、今年のレベルは今一読めないからね。葵もその辺りは困ってると思うよ。皆、どれだけ強くなるのか全然わからないしね』
「……これを、戦えないと最低レベルにも達していない」
『まあ、その通りだと思うよん』
紗希とフィーネ・優香の戦いも、今も戦っているだろう健輔とクラウディアの戦いも最早レベルを推し量ることさえ難しい領域の代物だった。
葵の戦いも下手に足を踏み入れればすぐに撃墜されてしまうのは言うまでもない。
朔夜の全霊など焼け石に水では済まないレベルの差がある。
上には上がいる、という当たり前を確かに認識してはいたが、これは完全に予想外であった。
歓迎会は本当に歓迎会でしかなかったのである。
「先輩たちは、私たちには手を抜いていたんですかっ」
認めてもらった。
戦えた――これが思い上がりだったということに朔夜は声を荒げる。
疑問としては正しく間違ってはいない言葉に、香奈は苦笑しつつ彼女なりの誠意を籠めて肯定した。
『ある意味では、だね。こっちが本気になるには相手にも相応のレベルがいるからね。朔夜ちゃんたちは、弱くはないけど強くもないって領域だよ』
「自分で自分を殴りたくなったのは初めてです。見えているところだけしか、見てなかったんですね……」
掌に視線を落として見識の狭さ、というものを改めて痛感していた。
知識で知っている気になっても正確なところのレベルを把握していないのだ。
この分では、理解していたつもりになっていた桜香の強さなど、本当のところは何も理解出来ていない可能性が高い。
聞いた話によれば、クラウディアを軽く蹴散らすような怪物なのである。
レベルなど考えたくもないほどの差があるのは間違いなかった。
『ま、そんなに気にしなくていいと思うよー。黒歴史は誰にでもあるしね。私も絶賛、黒歴史中だし。いやー、この失敗は良いお勉強になったよ』
口調はいつもと同じだが、籠められた感情に色がない。
香奈が怒っている。
朔夜は付き合いが短い相手だが、なんとなく勘で正解を引き当てた。
「あ、あの……」
『あ、ごめんごめん。とりあえず、しばらくは不便な感じになるし、こっちが劣勢になると思うけどそんなに気にしなくていいよー。朔夜ちゃんは、朔夜ちゃんらしく戦えばいいと思うかな』
「は、はい! 任せてください!」
『うん、良い返事です。じゃあ、頑張ってね』
先輩に認められて朔夜は思った以上に喜んでいる自分に気が付いた。
踏み台だの、アマテラスに挑む前の予行練習などとかつては世間知らずなことばかり言っていたが、今の自分はこのチームが結構好きになっているようである。
「次は、佐藤先輩にも……!」
必ず自分を認めさせてみせる。
決意を胸に重たい身体を必死に動かして敵に食らいつく。
実力はともかくとして、メンタルで最も有望な1年生は気合で肉体を凌駕する。
万全なはずの敵の後衛と不利になった状況で互角以上に渡り合い、桐嶋朔夜という新しい砲台の名を確かに示すのだった。
完全にクォークオブフェイトを嵌めた黄昏の盟約だったが、全てが思惑通りかと言えばそんなことはなかった。
忘れてはいけない。
確かに紗希とフィーネは戦場から退場したが、彼女は変わらずに残っているのだ。
「はは、これはマズイね」
旧暗黒の盟約のメンバーにして、健輔との戦闘経験もある御室幸太郎はあまりにも差がある実力に笑うしかなかった。
莉理子の渾身の策、クォークオブフェイトのメンバーのほとんどを封じた魔導陣の中で、彼女だけが大した影響を受けていない。
虹色の魔力――紗希と同格故に、紗希の遺産だけでは絶対に止められないのだ。
誰かが身を張って、気合で止める必要がある。
「申し訳ありませんが、無理矢理にでも通させていただきます!」
優香の余裕のない表情は戦況を把握しているからだろう。
クラウディアと健輔の魔力の余波でそちらがどのような戦況かは容易く悟れる。
故に彼女の突撃に遊びは存在しなかった。
よって対峙する敵にとってはこの試合最大の絶望となる。
彼女は多少の慎重さを投げ捨てて、只管に撃破を目指す。
完全なる力押し、こうなってしまえば駆け引きで相手を縛る小手先の技は無力だった。
幸太郎では完全なるミスマッチ。
逆転の余地はない戦い、それでも前に出たのは意地からである。
幸太郎は幸太郎のプライドがあり、彼はここで逃げ出すことを是とする男ではなかった。
「悪いが、こちらにも意地があるのでね!」
「援護します!」
「悪いね、瑞穂くん!」
2対1、おまけに優香も魔力の生成に制限が掛かっている状態、有利なのは当然ながら黄昏の盟約なのだが、その程度のアドバンテージなど力技で踏み潰すからこその世界ランク第2位である。
昨年度は桜香が務め、今年は優香が収める立場が弱いはずがない。
固有能力と番外能力を駆使するだけで、常時全開域にまで無理矢理力を持ってきていた。
やっていることは単純だ。
魔力が生みにくいのならば、暴走するほどに注ぎ込めばよい。
上限値が大幅に上がっているからこそ、結果的に下げられた分と釣り合うという究極の力押しでデメリットの無効化に成功していた。
結論から言えば、いつもより荒々しいだけで力の減少は優香には皆無である。
幸太郎の決死など誤差にすらならない。
「温い!」
後先を考えない全力突撃。
彼の技などそもそも歯牙に掛けてすらいない。
「クソッ!」
「御室先輩ッ!」
幸太郎の防御、昨年度は健輔も手玉に取ったはずの技が意味を成さない。
追い詰められたことで調子が上がり始めた優香の前に、多少の小細工など意味を成さなかった。
双剣の軌跡が体勢の崩れた幸太郎に向かって容赦なく放たれる。
「1つ!」
右の剣が1斬で、幸太郎の障壁を全て粉砕し、
「2つ!」
左の剣が魔導機を弾き飛ばして、無防備な姿を曝け出させる。
「終わりですッ!」
引き戻されてクロスする双剣が膨大な魔力と共に幸太郎へ無慈悲に刃を叩き付けて、彼のライフを一瞬で0にしてしまう。
交戦から僅か2分。
電光石火の早業であった。
「そんな、先輩っ!」
初の実戦において、目の前で先輩が瞬殺される。
この状況で平静さを保てるのは、戦闘に極めて高い適性を持つ者だけだろう。
瑞穂は空には高い適性があるが『戦闘』にはまだ不慣れである。
顔見知り、優香は友達とまでもはいかずとも知り合いではあるのだ。
もう1人の師匠と言ってよい存在が、この時の彼女には全くの別人に見えた。
魔力を滾らせて空を支配する存在に反骨心が燃え上がる。
「瑞穂、すいませんが眠っていただきます」
「そんな簡単に!」
栞里との戦いのように空気を集めて壁とするが、瑞穂は残酷な現実を知ることになった。
「え――」
優香が接近するだけで、魔力の余波で著しく制御が乱れる。
瑞穂が集めた空気の防壁は壁とは呼べない領域まで勝手に密度を下げていた。
「嘘でしょう!?」
悲鳴を上げるが現実には何も変化がない。
これこそが高位ランクの理不尽とでも言うべきだろうか。
戦場に立たねば理解できない現実の1つである。
桜香、フィーネ、クリストファー。
彼ら旧3強は言わずもがな、真由美やハンナと言ったかつてのランカーたちも含めて高位の魔導師は魔力の質が下位を圧倒している。
普通の戦闘魔導師、身体系などを基礎とした白兵タイプにはあまり関係ないが、瑞穂のような魔導師らしい魔導師には鬼門となる存在たちだった。
常態で発する魔力の影響で、こちらの魔力が影響を受けるのだ。
浸透系などに至っては言うまでもないだろう。
相手に干渉出来る、ということは向こう側からも覗ける、ということだった。
中途半端な覚悟で格上に触れると火傷ではすまない。
「これじゃあ、戦う事も出来ない……!?」
「その通りです。申し訳ないですが、あなたは私と戦えるレベルにはいません」
「あっ――」
後の結末は先ほどと同じ光景。
焼き直したかのように、寸分違わずに同じ手順で瑞穂が消える。
優香の瞳には何も浮かんでいなかった。
達成感も罪悪感もない。
何故ならばこれは戦闘で、瑞穂は敵なのだから。
倒すことに理由はいらないのである。
「このまま、莉理子さんの下へ!」
周囲への援護よりも事態の打開を狙って優香は1人で敵陣への進攻を開始する。
黄昏の盟約に彼女を止める方法は存在しないのだった。
「最高の状況を作り出して、おまけに戦力を集中させてもこの程度ですか。優香ちゃんでこれでは、桜香さんには通用しないですね。わかっていましたが、中々に厳しいものです」
戦場にいるとは思えないほど静かな一角で三条莉理子は溜息を吐いて、自チームの劣勢を嘆いた。
この戦況に至るまでの部分に不足は存在しない。
フィーネは優秀な魔導師だが、紗希も負けてはいないのだ。
得手不得手はあれど、紗希の能力は極めて高い。
彼女の奮闘とその後に残してくれたものを想えば優香を撃墜出来なかったことなど些細なことである。
この劣勢の最大の原因、それは言うまでもないだろう。
「まだチームの戦力が微妙、ですか。私の影響なのかバックスが多いのも問題ですね。壁となる前衛が少ないというか、梢さんくらいしかいません」
今回黄昏の盟約が投入したメンバーの主力は旧暗黒の盟約が主体となっているが、正直なところ安定性は微妙だった。
優香に一蹴された幸太郎はまだマシ、現在優香を食い止めている瑠々歌も弱くないはないが、戦場で居場所のない収束系オンリーの三上憲剛は正直なところ使い道がない。
怜に関しては葵と拮抗しているが、逆に彼女はそこから動かせなくなっている。
クラウディアに関しては予定通りであるが、結果としては怜と同様に戦力としてはなんとも微妙なことになっていた。
「新人のレベルアップ、は早急に必要ですね。今回投入した人たちも問題点は多いですけど……。はぁ、ベテランの有り難さがよくわかります」
明星のかけらから引っ張ってきたのが何人かいるが、彼らを試合に投入するのは避けるつもりだった。
一時的な安定の代わりに、新人たちの戦いの場が失われてしまう。
いろいろと問題が多いのは事実だが、新入生は決して弱くはない。
長ずれば世界でも戦える器は何人もいた。
「まあ、今日はまだ合宿初日。挨拶代わりですしね」
今日は別に負けてもよいのだ。
負けるつもりで戦う気などさらさらないが、絶対に勝たないといけない場面でもなかった。
多少自惚れが生まれてきていた状況を考えれば、この敗北は結果として悪くないだろう。
自分で慢心を諌められるような者ならばともかく大半はそうではない。
今回も調子に乗ってしまいスペックでは優っていたのに、馬場晴喜が剛志に粉砕されてしまっていた。
新人の自惚れなど、世界大会までには粉微塵にしておく必要がある。
「下手に紗希さんが上手いのも問題ですか。葵の練習方法には問題が多いと思っていましたが、自分が同じ立場になると彼女の方法に理解を示せてしまう」
紗希の指導は丁寧であり、かつ長所を引き出す感じのものとなっていた。
コーチとしては実に正統派であり、間違いなく優秀だったのだろう。
しかし、問題点がない訳ではない。
晴喜がまさにそうだったのだが、ちょうどよい難易度を超えたことによる慢心が生まれるのだ。
葵のように慢心する余裕もなくなるまでボコボコにされたり、健輔のようにそもそも何もさせずにボコボコにするのも問題はあるが、紗希のやり方も問題と言えば問題だろう。
健輔たちは新入生の心が折れる、という問題点があるのだが、今のところは上手く回っていた。
朔夜は負けず嫌いだし、栞里はああ見えて敗北には強い、嘉人も案外不屈の精神を持っている。
海斗も先輩からの薫陶を嫌がる立場ではなかった。
ササラについてはそもそも慢心を砕かれた後のため心配する必要がない。
対する黄昏の盟約は問題が発生しまくりだった。
「白兵能力には長けているが空中機動が下手くそな女侍。幼馴染と一緒じゃないと戦えないコンビバックス。好奇心はあるけど、警戒心のない弟子。後はハンナさんを目指しているのに普通の男子、と」
晴喜や瑞穂を抜いても問題児は多い。
残念なことに彼らが主力、と定められた以上はなんとか使いこなすのが参謀の仕事なのだが、流石の莉理子の頭を抱えるしかない。
侍は和哉と真希によって封殺。
コンビバックスは香奈と海斗に何もさせてもらえず、莉理子の弟子は美咲に手も足も出ない。
普通の砲台は朔夜と互角。
既に落ちた瑞穂と晴喜を除いて、彼らも個々で死地にいた。
「まだ切り札はありますが……」
今回は使うことはないだろう。
クラウディアはここからある程度戦局を動かす力はあるのだが、健輔がそれを許さないだろう。
優香がほぼ無傷であることを考えれば、順当な模擬戦としてはこの辺りが妥当ではあった。
冷静に莉理子は今後の展開を計算を行う。
既に必定となった敗北をどうにかする術は彼女の中には存在しない。
封縛陣も発動したはよいが、課題がまだまだ見えていた。
出来得る限りの準備は進めても、莉理子にもまだまだ改善すべき部分がある。
「負けるのは嫌ですが……。はぁ、この感覚に慣れてしまうと嫌ですね。近しいからこそ、迫るとよくわかってしまう」
まだ可能性は0ではない。
クラウディアに練習中の『あれ』を使い、ここから健輔を倒して返す刃で優香を討つというのもあり得なくはない。
しかし、クラウディアへの負担と今後を考えれば正真正銘の自爆に近い技では意味がないだろう。
己の内にない力、限界を超えるのと可能性すらも存在しない場所に手を伸ばすのは違うことである。
彼女は冷静にそのことを見極めていた。
「さて、後輩の力を信じたいところですが、高望みでしょうね。どれほど祈ろうと、理不尽なのも現実です」
幸太郎を瞬殺し、瑞穂を撃墜して、瑠々歌も今落ちようとしている。
壁となる魔導師がいない状態で接触してしまえば、『今』の莉理子ではどうにも出来ない。
「壁は険しい、ですね。やはり閉じているとわからないことも多いですか」
クラウディアが出来ない冷徹な判断は自分がやらないといけない。
ラストの1年を雷光に賭けた身として、それぐらいは必要なことだと理解していた。
「決死の抵抗空しく、最後の壁は粉砕ですかね」
莉理子が観測している中、瑠々歌が優香に撃墜される。
バックスに向けて穴が空いてしまった状態、当然ながら良い状況のはずもなくここから黄昏の盟約は蹂躙されるのだ。
もはや夢幻を止める手立ては存在しない。
「試合時間は45分ほど、ですか。流石の攻撃力ですね。ここは、素直に祝福すべきでしょう」
世界第2位のチーム、その圧力を直に感じてメンバーがどのように成長するのか。
そこに期待しながら、莉理子は優香と言う名の死神を待つ。
彼女にとっては因縁深い、九条という名前に少しだけ複雑な表情を浮かべながら無駄なこととわかっていても抵抗は続けるのだった。