第2話『新学期』
1つ学年を上に進めたとはいえ、変わらないものもある。
健輔と優香。
2人の日課たる合同の朝練はその1つだった。
昨年の7月ごろから続けられている日課。
既に2人にとっては呼吸に等しい日常の出来事である。
「うっし、今日も良い感じだな。……負け越しなのはあれだけどさ」
「健輔さんは他者と協力して真価を発揮される方ですから。私もエースの端くれとして御1人の状態に負ける訳にはいかないですよ」
優香は朗らかに微笑む。
健輔としても否定するところはないが、こうも眩しい笑顔を向けられると照れ臭くもなってしまう。
九条優香は名実共に最強クラスの魔導師へと進歩を遂げている。
彼女が固有能力を使いこなすほどに差は広がっていく一方だった。
「クソ、必ず1人でも倒してやるからな」
「ふふ、相変わらずですね。その負けず嫌いなところ。ええ、私もお待ちしております」
「っ……そ、そうか、ま、まあ、待ってくれよ。何、そんな待たせないさ」
「はい、信じています」
優香の笑顔にむずむずとした気持ちを抑えながら健輔はなんとか答えを返す。
直視出来ないのは眩しい笑顔のせいだろうか。
健輔は誤魔化すように強引に話題を変更する。
「そ、そう言えば美咲が言ってたが、大分クラスに馴染んだらしいじゃないか。良かったな。去年はまだ余所余所しい奴とかがいたんだろう?」
「はい。これまではいろいろとご迷惑をおかけしましたけど、なんとかやっていけそうです。……姉さんとも今は普通に話せるようになりました」
以前よりもずっと優香は柔らかくなった。
どこかに思い詰めたような硬さのあった彼女は今は自然体で笑うことが出来ている。
健輔にはあまり興味のないことだったが、人気なども姉に劣らぬ領域どころか超えそうだとのことだった。
事情通である大輔が言うのだから間違いないのだろうが、健輔にはあまり実感がない。
「……前からこうだったと思うんだけどな」
「健輔さん?」
「あっ、いや、なんでもない。よ、よかったな。桜香さんと普通に話せるようになったのは良いことだと思うぞ」
妙に上の空な感じの健輔に優香は首を傾げるが、深く突っ込んでくることはない。
この辺りの優香の謙虚さは健輔にはとてもありがたかった。
葵のようになんでも引っ掻き回すのは勘弁して欲しいと思っているのだ。
「はい。……今度は負けない、とそれだけ伝えました。姉さんも笑顔で受け取ってくれましたよ」
「そっか。まあ、あの人はそういう人だよな」
「いつまでも待っている、とのことですよ。やっと伝言出来ました」
「お、おう。……さ、避けてた訳じゃないからな」
優香は両手を合わせて喜びを表現する。
ニコニコした空気は健輔が自発的に桜香の話題を出すのが1ヶ月ぶりだからだろう。
敗戦後、健輔は微妙にその手の話題を避けていたのだ。
拭い難いタイミングでの敗北。
真由美に捧げることが出来なかった勝利を最も気に病んでいたのは他の誰でもない健輔だった。
エースとなることを誓った最初の試合で敗北してしまったことは、健輔にもそれなりのダメージはあったのだ。
「わかってます。健輔さんは待っていただけですよね。あの時のことを、きちんと飲み込めるようになるまで」
「ああ……。その、いろいろとバツが悪かったからさ。……ちょっと相手と向き合うのが足りないとは思ってたんだ。あのラストの攻防はその事を良く教えてくれたよ」
あの日から幾度も繰り返したシミュレーション。
健輔はあの時、桜香に勝つことが本当に出来なかったのか、悩みに悩んだ。
どうして負けてしまったのか。
勝利への道筋はなかったのか。
健輔も年相応の男子高校生だからこそ、もしもを考えてしまう心を止められなかった。
「ふふっ、新学期だからそろそろ、ということですか?」
「そういうことだよ。桜香さんには、まあ、落ち着いたら会いに行くさ」
「そうしてあげてください。少し寂しそうでしたから」
「……そっか。ま、そうもなるよな。アマテラスは結構大変だしな」
世界最強の魔導師たる桜香を抱えるチームは、世界戦の後にそれなりに揉めたようである。
チームを全て無視して1人で至った極点。
仲間たちも思うところがあったようである。
「今年はいろいろと変わってくるだろうさ」
「ええ、細かくは聞いていませんが、姉さんも今までとは違いますから」
1人であることを認め、同時に王者としての自覚を持った彼女は強い。
健輔の宿願となった世界第1位を目指す道の中で間違いなく最強の敵となるだろう。
無論、敵は彼女だけではない。
活発に動く『雷光』などを筆頭に油断ならない相手はまだまだ存在している。
「やれやれ、敵は多いな。もうちょっと、手心とかないのかよ」
「ですけど、遣り甲斐がある方がよいのでしょう? 顔にしっかりと書いてありますよ」
内心を完全に読み切る相棒に健輔は苦笑するしかない。
単体でも大分強くなったし、安定感も出てきたのだが未だに何故か勝てないのだ。
10回に1回くらいは勝利を拾っているが、それでは互角とは言えないだろう。
「道は遥か遠く。先はまだまだ長いな」
「人生とはそういうものかと。やれることがたくさんあるのは素敵だと思いますよ」
「それもそうか。さてと、そろそろ行くか」
「はい、ご一緒します」
2人は連れ立って歩き出す。
並び立つその姿は以前よりも少しだけ近くなっていた。
お互いに憧憬があった関係は既に終わりを迎え、共に立ち向かう関係へと変化したことの表れである。
敗北は忘れがたく、辛いもの、しかしそこには必ず意味はあるのだ。
そう言える日のために、2人は静かに日常を積み重ねるのだった。
「健輔、とりあえず1回殴らせてくれないか」
教室に辿り着き、諸々の準備を済ませた健輔に真剣な表情でアホな願いを放つ男子生徒。
彼の名は『清水大輔』。
健輔にとっては数少ないチーム外での友人である。
「真剣な表情で久しぶりにあった友人に言う言葉かよ。また発作か? 大輔」
「俺は学園男子の代弁をしているだけだよ。ふっ、お前にはわからないさ」
「……キャラ変わった?」
健輔は新学期早々にテンションの高い大輔を訝しがる。
健輔のそんな様子を見て、何故かドヤ顔を見せつけてくる友人を殴りたい衝動に耐えるためにも周囲を見渡してみた。
騒がしい教室の面々にあまり変化はなく、何処かで見たことがある顔が多い。
「半分くらいは同じか」
「ん? ああ、クラスのメンツか。ま、それは仕方ないさ。クラス替えって基本はないからな」
「そういやそうだったっけ? 興味ないから忘れてたわ」
「……お前、本当に戦闘以外はダメな奴だな」
「生暖かい目で見るなよ。いや、ちゃんと覚えてるんだしいいじゃん」
クラスのメンツに変化が少ないのはコースの選択など以外での人員の入れ替えが行われないためである。
1年生の段階では半分ほどの割合だったが、2年生からは選択授業が一気に増える。
その中で行事などで一体感を出すために、ある程度は固定にしたいという学園の思惑もあり、そのような形となっていた。
「それよりも大輔、ツクヨミに入ったんだろう? その心境の変化の方が俺は気になるけどね」
「ぐっ……いや、まあ……せっかくこの学校に入ったんだし、何もしないのはあれだろう? お前さんみたいにがっつりはちょっと無理だけどさ」
「俺のアドバイスが役に立ったならいいさ。あそこのチームはバランスがいいから、結構楽しめると思うよ」
「おう、居心地いいし、流石だよ。魔導競技に関しては、お前は凄い奴だって認めてるからな。後は女の地雷を踏み抜く能力もな」
妙なおまけを付け足す友人をとりあえず睨んでおく。
健輔も周りに女子が多いことは否定しないが、彼女たちは拳をぶつけ合う間柄なのだ。
大輔の言は邪推でしかない。
必要以上のやっかみなど練習の邪魔でしかなかった。
大輔はまだ冗談の領域だが、妙に突っかかってくる男や女が増えて面倒臭くはなっているのだ。
解決できるのなら解決したかった。
「おい、変なの足すなよ」
「お、聞こえてたのか。ま、冗談だよ冗談。……2割くらいは」
「ほとんど本気じゃないか。よし、チーム加入祝いで本気で相手をしてやろう。優香の力も込みだ」
「げえ!? それはやめようぜ! マジで死ぬ!」
「大袈裟だな。真由美さんや葵さん式で教育してやるだけだよ。強くなれるぞ」
ニヤニヤと笑いながら大輔に迫ってみる。
最近の話だが、葵などが自分をからかう時の気持ちはこんなものなのかと実感することが増えていた。
このノリのいい友人のアクションが面白く、つい脅してしまうのだ。
戦闘面ではとっくの昔に染められていたが、日常の方でも順調に先輩たちに染められている健輔だった。
口元を意図的に歪めながら、笑顔で凄むと大輔の表情が明らかに悪くなっていく。
「じょ、冗談だよな? し、信じているぞ、健輔」
「そんなに嫌がるなよ。友人が競技を始めるのだから、好意だぜ、好意。これでも世界トップクラスなんだ。遠慮せずに受け取ってくれよ」
「い、いやー、その……あれだよ、あれ! 俺にはまだ早いかなーなんて……」
出会い頭の大輔のように真剣な表情で見つめると、あからさまに大輔の視線が泳ぎ始める。
あまりにも百面相が面白いため、嗜虐心が強く刺激されるが追い詰め過ぎるのもマズイ。
そろそろ解放してやろうかと、健輔が口を開こうとした時、
「みなさ~ん、席に着いてくださいね~」
間延びした声によって、状況は仕切り直しとなるのだった。
「り、里奈ちゃん……。助かった……」
「ま、ここまでだな。俺をからかうならもう少し気合を入れろよ」
「ぐっ……今は負けを認めといてやろう」
小柄な身体に甘ったるい感じの声。
激しく自己主張する胸にある立派なものは1部の男子生徒には評判が良いらしい。
健輔たちの担任教師『大山里奈』は昨年度となんら変わりのない態度で教室に入ってくる。
「じゃ、健輔また後でな。練習の予定とか教えてくれよな」
「おう、後で。というか、先にそれを聞けよ」
「ははははっ! 忘れてた!」
やたらハイテンションな友人を見送り、健輔は大きく溜息を吐いた。
目新しい変化はない日常に少しの安心と不安を抱えたのは彼の心境の変化が原因だろう。
エースらしく、先輩らしく、諸々抱えた雑念が健輔の方に圧し掛かっているのだ。
必死に前だけを見て、魔導に全てを捧げた1年生。
その果てに敗れたことを健輔は忘れていない。
時間がなかった――それは確かにその通りだろう。
桜香との間に横たわる1年の差はどうしても両者の実力差として現れてしまう。
才能の差、それもその通りである。
佐藤健輔では、九条桜香の才能に絶対に勝利することはない。
不変の法則、それを壊すために全てを投入したのがあの時の健輔だった。
それでも敗れたのだ。
ならば、やり方を変えるしかない。
「今年は、こっちも頑張らないとな」
戦闘は当然、日常も満喫し、かつ夢も見つけてみせる。
かつて真由美が、そして葵が、いや多くの先輩たちが歩んだ道を健輔も歩み始めていた。
今年も全てを糧にするのは変わらない。
その中で余裕を忘れないようにしよう。
変わらない光景、変わらない日常の中で少しだけ健輔の心構えは変化を遂げている。
ニコニコした笑顔の里奈に何処か安心しながら、健輔は苦手な勉強に挑むのだった。
手元にある専門書の数々に視線を落として、彼女――丸山美咲は大きく溜息を吐いた。
去年から徐々に髪を伸ばして、少しだけ大人びて見えるようになった少女はこれから問題となるであろう諸事に憂鬱な表情を隠せない。
「ルール改訂でバックスも攻撃に参加可能、ね。言うのは簡単だけど、外から味方にダメージを与えないようにって結構大変よね。香奈さんはこういうの苦手だし、どうしようかな。こっちのチームはそんなの関係なしに突撃するだろうし……」
香奈が参謀としてチームの運営に比重を傾けている関係上、実務のメインは必然として美咲が取り仕切ることになる。
責任ある仕事を憂うようなことはなかったが、それでも未来を悲観的に捉えてしまうのは彼女の性質と言うべきものだった。
頭がいいからこそ、いろいろと考えてしまうのだ。
真由美が長ずれば、バックスの分野における桜香になると確信していた少女はそのポテンシャルを如何なく発揮していた。
健輔の術式、万能系の専用術式をほとんど先例もない状態で作り上げたのは他ならぬ美咲である。
頭が上がらない、と漏らしていたことに誇張は一切存在しない。
「うーん、やっぱり万能系は難しい……。複雑というか、抽象的というか。……どうやって式を組もうかな」
魔導において重要なものはいくつかあるが、操作の簡略化というもので1番大切なものはたった1つしかない。
それが『術式』と呼ばれるものである。
魔力系統――すなわち特定の性質を持った魔力を生み出す器官を持ち、それを行使するのが魔導師だが、複雑なことをしようとすると相応の手間が掛かってしまう。
それを簡略化するのが『術式』なのだ。
魔力はある一定の動きをさせることで、ある効果を発揮する。
わかりやすく表現すれば、魔力の動きは『文字』であり、術式は『作文』だった。
系統の違いはそのまま言語の違いに等しい。
その中で健輔が扱う万能系はいろいろと特殊な面が強かった。
全ての系統を扱える、という特性からわかるようにあらゆる言語に対応しておかねばならず、おまけとばかりに詳細不明の力まで存在しているのだ。
普通の魔導師ならば匙を投げていただろう。
「あー……これって、あれよねなんかすごく原初、って感じがする。桜香さんのはごった煮だけど……こっちは……うん」
未知の言語、より言うならば言葉の原型となったものを探すような作業をしつつ、健輔用に調整する。
おまけに優香などの術式も見ているのだ。
健輔が美咲に与えている仕事の量を考えれば、彼が美咲に頭が上がらないのも当然である。
「っと、これ以上は煮詰まっちゃうかな。気分転換、っていきたいけど」
資料から視線を動かし、別の資料を手に取る。
資料には写真が添付されており、そこにはショートカットの小柄な少女が勝気な瞳を覗かせていた。
「……こっちの方も問題よね。はぁぁ、信じてくれるのは嬉しいけど、丸投げはほどほどにして欲しいなぁー」
美咲の手元にあるのは、クォークオブフェイトに加入を希望する学生のリストである。
先ほど香奈から送られたデータは今後のチームの未来を占う大事なものだった。
そんな大事な資料を前にして、美咲は溜息を吐く理由は合格しそうな者の癖が強すぎるからだ。
「そりゃ、下調べはするよね。いくら戦闘で決めるって言っても」
希望者の中から有力な者をピックアップくらいはするのは当然だろう。
特に事前に名前や能力を知れる内部生や、先行組に関しては完璧に近いデータが用意されていた。
「1番大物はこの子かな。うん、真由美さんの代わりにはならないけど、ちょっとは補強出来そう」
気の強そうな瞳は負けん気を示しているだけでなく、自身の才覚を疑っていない者の特徴が見え隠れしている。
桐嶋朔夜。
新世代魔導技術適合者という文字が記載された少女を美咲は詰まらなさそうに見つめる。
遠距離・収束・遠距離の3系統――『トライアングル・サーキット』と呼ばれる強化魔力回路に対応した魔導師の1人であり、世界でも数十人程度しか存在しない新世代の魔導師だった。
「凄い子なんだけど、私の物差しはかなり壊れてるから、正確なところは読めないかな」
美咲の強さの基準は優香であり、健輔である。
彼女の友人たちが持つ輝きの眩しさに比べれば朔夜の輝きはまだまだ淡い。
とはいえ、現時点での彼女が応募者の中で飛び抜けていることは確かだった。
さらに言えば将来がどうなるのかなど、神ならぬ美咲では判別することが出来ない。
「新技術、新ルール、新しい尽くめ……。だから、実戦形式の練習が重要になる」
新しい環境に移行する中でかつての経験値に胡坐をかいていれば簡単に時代に取り残されてしまう。
それを避けるために実戦を繰り返すしかない。
今後の予定、新しいメンバーに対する葵からの愛の鞭は去年よりも激しいものとなるのは疑いようもなかった。
彼、あるいは彼女たちの練習計画を策定する1人として、美咲は断言することが出来る。
「はぁぁ……どうなっても、私の仕事は減らないかな。……健輔が自重してくれたらちょっとは安心できるけど」
無理だよね、という言葉を飲み込む。
我武者羅に頑張る友人の姿は尊敬しているし、嫌いではないのだ。
しかし、降りかかる無茶ぶりの数々は勘弁して欲しい、というのも美咲の偽りのない気持ちだった。
影に日向に少女は同級生たちを支える。
彼女という影がいるからこそ、健輔たちも全力以上の力が出せるのだ。
自分だけで上にいる気分の者はそこを理解していない。
どれほど才に優れていても、1人だけでは高がしれている。
そんな当たり前をとある少女が知るまで、それほど間が空くことはないのであった。