第21話『天敵』
彼女――クラウディア・ブルームにとって魔導における最初の転機は挫折である。
多くの才ある女性魔導師の例に漏れず、彼女も魔導を用いない場合でも極めて優秀な存在であった。
自負と自信を持ち、努力を怠らずに前を進む。
努力する天才という性質の悪い存在の1人だったのだが、彼女には朔夜のように現実を見なかった者たちとは異なる点が1つあった。
自己よりも上のものがいる、と静かに理解していたことである。
現実主義者、というと堅苦しいが彼女は合理的であり、生真面目な性であった。
やれることを丁寧にこなしていたら天才と呼ばれるようになったのであり、本人は自己評価がそこまで高くない。
そもそもとして、自己評価が高い人間は欧州に背を向けるようなことはなかっただろう。
道理として、彼女の選択は間違っていない。
今の自分では欧州で埋もれてしまう、だから新しい土地で今までと違うことを吸収しよう。
前向きであり、理に適っている。
――極めて正しいからこそ、違和感が出てくるのだ。
「自分を正しいと思うのならば、私はフィーネさんの下で戦えば良かった。だって、どこで鍛え上げても自己を信じるのが魔導の究極ならば差異はないでしょう?」
「うーん、そうかしら? 私は違うと思うけどなぁ」
「ふふっ、ええ、今の私もそう思います。でも、当時、此処にやって来た私は自分に自信がありませんでしたから。マイナス方向に考えちゃったんですよね」
天祥学園で香奈子と出会い、彼女の自分にはない執念とも言うべき思いを学ぶために『天空の焔』へと加入した。
今のクラウディアからすれば失笑するしかない思考である。
執念、という形のないものを学習すれば自分で使えると信じていたのだ。
想いさえあれば、私は女神にも勝てるのだと、夢想をいつも描いていた。
自己を信じる、というのと盲信は異なるものだ。
曖昧な境界ゆえに混乱するが、当時のクラウディアの思考は端的に言ってあまり良いものではなかった。
こうして振り返れば、自分が無駄にしたであろう時間が良く見えてくる。
結局、彼女も多くの天才が挫折したのと同じようなミスをしていたのだ。
現実は見ていたが、都合の良い解釈をしていては夢を見ているのと変わらない。
彼女の中では現実を直視した上での選択でも傍から見れば夢を見ている行動と大差がなかった。
現実を見ている、と言いつつ目を逸らしていたのだ。
結末は言うまでもないだろう。
誰よりも素直に現実と戦う男に負けることで、彼女が見ていた夢は覚めてしまった。
「健輔さんとの戦いは中々に衝撃でしたよ。だって、私が負ける要素なんて、私からは全く見えてませんでしたからね」
「確か、結局は粘り勝ちみたいなものだったかしら?」
「過程はそうですけど、この部分で大事なのは結果ですね。私は現実と言いながら、わかりやすい部分にしか目を向けてなかったですから」
佐藤健輔という男は一本気で信念を貫く愚直な男――ではない。
気質上では先の男子としての在り方が当て嵌まるかもしれないが、戦い方は完全に逆である。
彼の魔導機である『陽炎』という名を体現しているかのように、極めて実体を捉えるのが困難なのだ。
1%の勝率を掴むために現実を見据えた選択。
与えられた手札の中で最善を尽くそうとする在り方。
変幻自在、勝利を手にするために自己の性質すらも捻じ曲げる。
正面から敵と戦うのが好みでも、役目を果たすために好みを捨ててしまうのだ。
クラウディアの勘違いはそこであり、やり直せると――超えられるのだと思っていた場所で当たり前の現実に沈むことになる。
辛くても、やれる中で精いっぱいの努力をしていた者と、才能があろうと目を背けたものでは後者が勝てるはずがなかった。
過去を振り返り、クラウディアは自嘲する。
「まあ、いろいろとありますが、早い話、私は劣等感を消化することが出来なかったんですよ」
「劣等感って、クラウが?」
隣で不思議そうに首を傾げる友人。
心底不思議そうな顔に彼女の師匠を僅かに幻視した。
これを言えば怒るだろうな、と思いながらもメモすることは忘れない。
内心など一切感じさせない完璧な表情で雷光の乙女は簡潔に答えを述べた。
「挫折を知らない。これって、凄いことではありますけど、逆に言うと未熟者でもあるということですよね? そこに至るまで自分の能力が及ぶ範囲でしか戦っていないということですよ」
「あー、そっか。そういう風にも言えるんだね。納得出来たかも」
挫折を、苦労を知らない。
クラウディアが優秀なのは間違いなかったが、人知を超えるような存在ではなかった。
だからこそ、当たり前の現実と接触して、彼女は1度逃げたのだ。
自覚がなかったにしろ、今の彼女はそのように認識している。
「逃げて、そこでまた当たり前に挫折した。いろいろと言っていますが、私がここで感じたことなんてそれぐらいで説明が出来ます」
「物事は複雑に見えて単純、って奴だっけ?」
「健輔さんが好きな言葉ですね」
「おまけで、単純な奴の方が強いって言ってたけど、あなたもそう思うの?」
友人――滝川瑞穂の問いにクラウディアは僅かに考え込む。
クラウディアはどちらかと言うと物事を深く考え込んでしまうタイプのため、健輔の言には一理あるようにも感じていた。
同時に間違っている、と感じるのは彼女の矜持からだろうか。
「まあ、やたらゴテゴテした装飾あるのが強い訳ではないと思いますよ。私もそこは否定できませんね」
「なるほどね。一理ある、って感じなのね」
「ええ、私よりも強い人の言うことですし、間違っていると断じるのは無理ですね」
魔導において強さは1つの指標である。
単純でわかりやすい序列は複雑な世の中において、ある種の清々しさに溢れていた。
もしかしたら、クラウディアが魔導師を目指したのも案外この辺りが理由かもしれない。
自身がここにいる理由すらも特になかった、と彼女が気付いてしまったのも健輔との敗戦の後だった。
様々な気付きが今の彼女を形成していると考えれば、現在の価値観のほとんどに健輔の関与があることになる。
それも当然だろう。
クラウディアは意図的に、どこかの誰かに倣っているのだ。
「あっ、脱線したね。で、さっきまでのことを悟ったあなたはどうしたの?」
「そうですね。とりあえずは、ある男性に倣ってみようかと」
友人の問いかけにクラウディアは壮絶な笑みで応じる。
剥き出しの戦意は『雷光の戦乙女』に相応しいだろう。
昨年度は求道者のように、少々丁寧に戦い過ぎたのだ。
クラウディアは生真面目であり、実直である。
だからこそ、羽目を外すというのが難しく、理屈が先行してしまっていた。
自己を解放するなど、難しいと思えば難しい類のもので、簡単だと思えば簡単なものなのである。
「つまるところ、自分は特別だと思っていた小娘が現実を知って、逃げた先でも潰されただけの話。しかし、別に小娘が死んだわけではないですからね」
「再挑戦のチャンスは転がっている」
友人の言葉に満面の笑みで、クラウディアは同意を示した。
かつての自分が探していたものを、既に自分はおぼろげながらも掴んでいる。
後は形にするだけなのだ。
頭をからっぽにして、自分の中から答えを導き出す必要がある。
そのために、クラウディアは健輔に倣うと決めていた。
「あの人が、ただ只管に目の前の脅威を超えようとしたように、私もあの人を脅威として自分を超えてみせる」
健輔が数多の敵を壁として見て、超えようと奮起したようにクラウディアは健輔という壁を超えるために全霊を賭す。
たった1つを射抜くための稲妻。
奇しくも太陽と同じ結論に至った苛烈なる戦乙女。
世界大会の決勝戦と同じ構図が、新年度早々に描かれる。
健輔にとっての鬼門。
彼をどこまでも信じる乙女との激突はもはや避けられないのとなっていた。
魔導師の能力、というものを数値化するのは困難な要素である。
そもそもの問題として、どの部分を基準にするかで大きく評価が変わってしまうのだ。
健輔のように戦闘に特化してしまえば、それ以外では相応の評価になってしまうし、逆に学業に寄り過ぎても今度は戦闘が蔑ろにされてしまう。
そういった事態を避けるために学園では、いくつの特性を設定して、大まかな段階に分けることで対応してきた。
魔導競技の新ルールに合わせて、その辺りの能力評価の基準も実は刷新されている。
「で、そんな話を俺にしてどうするんだよ」
放課後、空き教室の一角で健輔に対して熱弁をふるう1人の男。
数多の男子の嫉妬を背負い、悲壮な覚悟で彼は修羅に立ち向かっていた。
彼の名前は清水大輔。
いろいろと空気を読まない健輔の数少ない友人の1人であった。
「いや、お前がどうして学園中の殺意を背負っているのに狙われないかを、わかりやすく解説してやろうと思ってな」
「……殺意? そんなに恨まれることしたっけ?」
「ああ、この間のお弁当事件と共に発覚した諸々の所業で、ただでさえランキングの上位だったお前は抹殺したいランキングの1位からついに殿堂入りになったぞ。おめでとう。2位とは3倍以上の得票差があった」
「お、おう、ありがとう」
「褒めてねえよッ!? なんなの、この反応!! ええい、これがモテる奴の余裕だと言うのかッ!」
物凄い気迫で何かと戦い始める友人に微妙に顔を引き攣らせる。
流石の健輔もこうなってしまった大輔には打つ手なしだった。
ある意味では桜香よりも厄介な存在なのだ。
いろいろと彼に情報を与えてくれる友人は偶にこんな感じで壊れる1発芸を持っていた。
こういう時の健輔の対処法がたった1つ。
流水のような心で穏やかに事態の推移を見守るだけである。
「うがああああああ、なんでこいつに生暖かい目で見られてるんだああああ! 俺が悪いの!? くそ、本当に現実はクソゲーだなっ!」
「……元気だな、うん。健康なのはいいことだと思うぞ」
「どうして感想がそうなる!? お前の小学生みたいな感性が、ここでは憎い、憎いぞ!」
やたらとノリが良い友人に苦笑を見せる。
健輔とて羨ましがられている理由はわかるのだ。
理解も納得もした上で、それよりも戦いたいと戦闘欲求が優っている。
彼に対して向けられる小学生、という評価は妥当なものであった。
つまるところ、色気より食い気という訳である。
「と、とにかく! お前が闇討ちされない理由だよ。ランカーであるお前さんは能力値が公開されている。ま、それが抑止になっている訳だな」
「ふむ。あんまり興味なかったけど、割と重要な感じなのか?」
「いや、お前たちみたいなランカーにはあんまり意味ないとは思うぜ。だって、大体がSとか、EX、つまりは評価出来ない、みたいな感じだしな」
基本的にはE~Aの5段階だが、特出すべき能力値を持つ者たちはS、評価不能はEXとして算定されているらしい。
評価不能は現状の魔導技術では、還元された利益を用いることが難しい能力などに当て嵌められる。
早い話、皇帝のように訳が分からん強さを持つ者に当て嵌められる称号だった。
「ふーん。で、俺の能力がそんな感じだから、怯えて何もしてこない、と。やる気がないというか、勇気がないというか」
「ぐぐ……ひ、否定できない。ま、まあ、それでもお前を殴りたいって奴はチーム入りして狙っているらしいから、割と真っ当に攻めてるんじゃないかな」
「だったら特に言うことはないな。俺としては強敵が増えるのは大歓迎だし」
「……ああ、うん、お前はそう言うって知ってた」
健輔は魔導競技が好きである。
全身全霊をかけているため、どんな理由で戦いを挑まれようと正面から応じるのだ。
エースとしての自覚を持ってからは、その部分はより顕著になっている。
元々の性質とようやく環境が噛み合い始めてきていた。
大輔も忘れそうになるが、健輔もまだ2年生なのだ。
どれほど強くなったと言っても、まだまだ余白が存在している。
安定度に欠ける力であった去年から、少しずつ自分というものを固めていた。
これまでの成果が健輔にもようやく出てこようとしている。
「俺もチームに入って、少しはお前の気持ちがわかったからなー。確かに、負けたくないって思うよ」
「おや、珍しいな。大輔から女の話題以外が出てくるとは思わなかった」
「……す、少しは自重するわ。うん」
「別に気にしてはないさ。それよりも、本当に珍しいな。ツクヨミは楽しいけど、戦闘は微妙って前に言ってたじゃないか」
魔導師だからと言って、全員が痛みを許容する訳ではないのは当たり前だろう。
戦闘行為を花形とした在り方を忌諱する者もそれなりには存在していた。
大輔も忌避、とまではいかなくても眉を顰めていた者たちの1人である。
そんな彼の口から、悔しいという言葉が飛び出すのは意外だったのだ。
遊んでいる訳ではないが、悔しさを感じるほどのめり込んでいるとは思えなかった。
「あー……、そのなんだ。……チームの女子に負けてさ。慰められたのが、ちょっと、な」
「ああ、なるほどね。それは確かに悔しいな」
学生がチーム入りしてから、戦闘に本腰を入れるのにはいくつかのパターンがある。
1つは、純粋に楽しさに気付くこと。
これに関しては既に健輔が体現しているため、何かを言うことはないだろう。
このパターンで嵌るとかなり強くなる代わりに普通の学生生活をポイ捨てすることになっていた。
ちなみに健輔を見ればわかるであろうが、いきなりこの境地に辿り着くのは当然ながら少数派となる。
最も多いパターン、それは今の大輔の言ったような動機であった。
悔しい、恥ずかしいという想いが男たちを奮起させるのである。
「今までは、そのあれだよ。男女による魔導の差とかは気にしたことなかったからさ。……女にボロ負けした時は、ちょっとショックだったよ」
「別に、性の差なんか気にしたことないのに、か」
「だな。自分は意外と古風だったんだな、ってちょっと新鮮な発見をしたさ」
別に性による差別をしたい訳ではないが、男の矜持というものは存在している。
言ってはあれだが、女に易々と負けてそのままを良しとするのは流石に意気地がないと言わざるを得ないだろう。
男にとって強さとは1つの称号でもある。
最強、という単語はわかりやすく彼らを惹きつけて、憧憬させる麻薬だった。
「……まあ、こうあれだよ。俺も一応、お前に言っておこうと思ってさ」
「宣戦布告か? ああ、お前との戦いは楽しそうだな。やっぱり、1回くらいはぶつかっておくべきだろう」
健輔らしい物言いに大輔は苦笑を浮かべるしかない。
怖い、という思いもあったが、やはり目標というのは必要であり、情けない自分を超えるためには健輔はよい刺激になる存在だった。
「ま、その試合であったらお手柔らかに」
「すまん、それは無理だわ」
「ですよねー。知ってた」
友人同士の気楽なやり取り。
いつかの激突を不安半分、期待半分で大輔は待つ。
少しは手心を期待しての諸々のやり取りだったのだが、修羅の前には意味はなくあっさりと死刑を宣告されて、肩を落とすことになる。
大局には関係のない、小さな約束。
ランカー同士の因縁と同じように、小さな縁は繋がっている。
今はまだ種を育てる季節であるが、満開の華を咲かせた時どうなるのか。
健輔にも予想は出来ない。
「ま、頑張って強くなれよ。お前ならやれるさ」
「おう、失望されてないように気合は入れておくさ」
また1人、新たなライバルがエントリーした。
力の大小関係なく、激しいものとなるであろう戦いを前にして、健輔は口角を大きく歪める。
見え隠れする激闘の予感。
高揚感を持て余したままで、彼は『黄昏の盟約』との激突を迎えるのだった。