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幕間『彼女の戦い』

 春の風が吹く、穏やかな日々。

 新入生の歓迎などで激しい戦いなどがある直ぐ傍で日常は紡がれる。

 フィーネの襲来、新入生との戦い。

 さらには健輔の胃を直撃する女神の猛攻。

 休まる時がないように見えても、穏やかな一時というのは確かにあった。

 隣で静かに佇む相棒と目的もなく空を見上げる。

 このような時間が健輔は嫌いではなかった。


「あー、いい天気だな」

「そうですね。ある程度は気候操作の賜物ですけど、やはり青空はいいものです」


 時刻は早朝。

 毎朝の日課たる朝の戦いは既に終わり、2人は授業までの軽い息抜きに浸る。

 最近はフィーネも混じる時が増えているが、今日は不在であった。

 欧州から来たばかりのフィーネにはやることがそれなりにあるのだ。

 むしろ、それを放って健輔に構ってばかりなのが逆にあり得ないのである、


「あー……平和、だな」


 これ以上ないほどに緩んだ表情で言葉を漏らす。

 傍で聞いていた優香の顔が少しだけ崩れた。

 仕方がない、と年下のやんちゃを暖かく見守るお姉さんのように暖かい視線で健輔を見つめている。

 穏やかに過ぎる空気。

 2人の間に満ちた優しい雰囲気は早朝の空気と相まって、清浄なものを感じさせた。


「え、えーと……健輔さん、少しよろしいですか?」

「あん? 別にいいけど、何かあるのか? 時間はまだまだあるけどさ」


 時刻はまだ7時に至っていない。

 いつもならまだ練習している余裕があるのだが、連日の胃へのダメージで少々の休息を必要とした健輔の要望で早めの切り上げとなっていた。

 直ぐ傍に美女を侍らせておきながら、空の方がよいという態度を見せるダメ男の鏡は良妻の手本のような少女に怪訝な瞳を向ける。

 優香は自己主張が少ない。

 正確には主張を溜め込むことが多いのだ。

 爆発した時の危険度はその分、他者の比ではないのだが、そんなことを知っているのは桜香と健輔ぐらいであろう。

 九条優香という少女へのイメージは基本的に理想の大和撫子であり、事実としてそれを体現している存在だった。


「その……、朝食はもうお済ませになってますか? 普段は、パンでも買っているみたいですから」

「ん? まあ、そうだな。今日の分も買ってはあるけど、食べてはないぞ。それがどうかしたのか?」


 意を決したように、優香は抱えていた鞄から1つの包みを取り出した。

 優香には似合わない、というとあれだが男性向けのように見える布に包まれた品。

 ダメ男選手権があれば優勝を狙える健輔でもこの物体が何なのかは直感出来た。


「べ、弁当……」

「は、はい。そ、その……自分の分だけでは寂しいと思いまして、誰かの分も、つ、ついでですから」


 優香らしくない早口と微妙に小声での言い訳。

 穏やかな朝に投げ込まれた爆弾に、健輔の胃が静かの軋んだ。

 鋼の意思で表には出さずに健輔は優香の好意を受け取る。

 一難去って、また一難。

 優香は基本的に胃に優しいのだが、稀に核地雷となることがあるのが恐ろしいのだ。

 久しく感じていなかった緊張感が心に灯る。


「はい、健輔さん、どうぞ」

「お、おう。ありがとさん」


 早朝に学園でも有数の美人から手作り弁当を受け取る。

 現在、男子の有志の手によって集計された『殺したいけど殺せないランキング』の堂々第1位を持つクォークオブフェイトが誇る最強のジョーカー。

 『境界の白』佐藤健輔。

 数多の男が望む最上級の報酬を、内心で罰ゲームのように受け取る大物の背中がそこにはあった。


「わ、悪いな。その、自分の分もあるだろうに」

「いいえ、こちらが勝手にやってきたことですし。そ、それよりも、そのどうですか?」

「あ、ああ。い、いただきます」


 優香にしては珍しい前のめりの姿勢。

 近すぎる距離に再び健輔の胃が軋む。

 昨日、フィーネによって味わった地獄が形を変えてここに顕現する。

 女性と接する時の妙にざわめく心の感覚が健輔には慣れないのだ。


「お、上手い。料理も出来るとか、凄いな」

「よ、よかったです。そ……その、お嫌じゃなかったら、朝はこれから私が作りましょうか?」

「へ? ま、まあ、嫌じゃないけど」

「では……!」


 おいしい料理を口に運んでいるのに、真由美の料理と言う名の物体を食べた時のように胃が痛み出す。

 輝く笑顔の優香にやっぱりなし、などと言う事が言えるはずもなく


「お、お願い……します。悪いな」

「はいっ! これから、毎日楽しみにしてくださいね!」

「ああ、うん……」


 微笑にテンションを下げるも気を取り直して、健輔は料理を次々と口に運ぶ。

 オーソドックスに纏まっている弁当は色合いにも気を使っているのがわかる。

 それと同時にアレルギーなどを心配したのか、卵などが使われている形跡はない。

 食べている男に気遣いを察するような機微がないことを除けば、実に素晴らしい手料理だと言えるだろう。


「健輔さん、もしかして何か嫌いなものでも入ってますか?」

「え、いや……トマトの食感が微妙に好きじゃないだけだよ。食べられるけど、あんまり好みじゃない、って優香はない?」

「食については特にありませんね。でも、そうなんだ」

「あ、いや、気にするなよ。食べられないものとか、アレルギーとかはないからな」

「そうなんですか! 良かったです。じゃあ、明日はもっと頑張りますね」

「お、おう……。お手柔らかに、頼むわ」


 優香は観察眼をフル稼働して健輔の様子をしっかりと確認していた。

 僅かに眉が寄れば、それはあまり好みではない。

 最初の箸で付けるのは早めに処理したいものではないか、などと健輔の食べ方が微妙に暴かれているだが、食べている本人はまったく気付いていなかった。

 徐々に健輔の好みにフィットした弁当になっていくのだが、それはまだ先の話である。

 今はまだ健輔に向かってニコニコと微笑んでいるだけであり、それ以上は何も実害は存在していない。


「今日のハンバーグは自信作です。小さいですけど、味わってくださいね」

「え、これって手作り? すごいな」


 健輔の胃を激しく痛めつけた出来事。

 優香の善意の裏にある想いを健輔は知らない。

 昨日、大学である人物とデートしていたことが、優香へとある人物経由で伝わり、他にも別の人物に流れて連鎖爆発を引き起こそうとは神ならぬ健輔にはどうしようもないことだった。

 新しい世代での、別の戦いも激しさを増していく。

 肝心要の賞品だけが微妙に蚊帳の外なのが、珍妙な図式となっているが、彼のことなど鑑みずにバトルは加熱する。


『……良かったですね。マスター』


 楽しそうな主の様子に、雪風は弁当を作っていた時のことを思い出す。

 今の優香、変わってからの優香しか知らない雪風が知らなかったこと、綺麗でかっこいい優しい主の小さな小さな負い目を彼女は当人から聞いていた。

 相手が野生の戦士なのは少しだけ彼女の美観に沿わないが、敬愛する姉も含めて評価は高いのだから納得はしている。


『マスターを泣かせないでくださいよ。……その時は、痛い目に遭って貰いましょう』


 物騒なことを思いながら、優香の妹のような魔導機は静かに2人を見守るのだった。






 初めて会った日のことは、実は優香の中にはあまり記憶としては残っていなかった。

 身も蓋もない言い方をすれば当時の優香は必死であり、目的以外のことに気を回すような余裕はなかったのだ。

 だからこそ、人の名前というものも記号としての意味以上ではなかった。

 彼女の中で大部分を占めていたのは、いつも姉である九条桜香だけであり、それ以外はおまけにすらなっていなかった。

 意識、無意識関係なく、姉によって思考を占有されていたのだ。

 囚われていた、と表現することに異論があるものはいないだろう。

 優香にも輝く才能があり、姉に明確に劣っていると突きつけられた訳でもないのに、優香は勝手にドツボに嵌っていく。

 悪循環、自分で自分を追い詰める。

 しかし、そんな日々はある突然に終わりを告げた。

 破滅のサイクルへと進もうとしていた彼女を変える切っ掛けとなった些細な出来事。

 原因、と呼んでよいのかはわからないが、言うまでもなくある男が関わっていた。


『それがマスターの思い出、ですか?』

「そうかな。多分、健輔さんにはいつものことだったと思うんだけど、私にとってはとても大事なことだったよ」


 健輔に手渡す弁当を丁寧に作り上げながら、雪風の疑問に答える。

 本当に思い返せば大した理由でもないのに、優香は勝手に追い詰められていたのだ。

 だからこそ、解消される切っ掛けもまた、普通の出来事でしかなかった。

 今年がそうであるように、昨年度も新入生は積極的に戦わされたし、敗北を教えるために徹底的にボコボコにされた。

 優香は最初から完成度が高かったため別メニューだったのだが、今思えばあれは最初から真由美の思惑通りだったのだろう。

 無難なメニューをこなして2ヶ月が過ぎようとしていた時、優香は彼女が健輔を意識する切っ掛けとなる戦いと出会った。


「……そう、あの日、あの時、あの瞳から――私は目を離せなかった」


 結果だけ見れば健輔の惨敗の始まり。

 今へと続く敗北の歴史の始まりだったが、中身には大きな意味があった。

 優香が何をしようと健輔の瞳に折れる、という選択肢は最後まで浮かばなかったのだ。

 才能の差は痛感していただろう。

 努力の無力さは知ったはずだろう。

 努力する天才には誰も勝つことが出来ない。

 優香が悟っていた世の真理を前にして、佐藤健輔は何も変わらなかった。

 

「2ヶ月経って、健輔さんにも自負はあったと思います。それを、同じ年の、しかも女に軽く捻られたことは衝撃だったと思いますよ」

『プライド……』

「実際、退学なされる方や、折れてしまう方もいるようです。今はそれほどでもないですが、魔導は何故か女性の方が適合率が良いですからね」


 男にとって強さとは1つの誇りだろう。

 強さの定義は数あれど、明確な暴力はわかりやすいものであるのは間違いなかった。

 それを容易く圧し折られてしまえば、努力しようなどという気持ちは無くなってしまう。


「見慣れた光景。それが嫌だったから、真由美さんにやめさせてほしいとお願いしたんですけど、結果は覆らず、私は健輔さんを叩き潰しました。真由美さんのオーダーで、やることなすことを否定するように戦ったので、それは消沈すると思ってました」

『思ってました? では……』

「悔しい、と言って直ぐにもう1度と強請られましたよ。うん、やっぱり変な人です」

 

 どれほど才能に優れていようとも九条優香は敗残者である。

 いつか勝ちたい、そう言って自分を納得させることで安定を保っていた小心者が正体だったのだ。

 そんな彼女にとって、本物の諦めない人間は目に毒だった。


「才能はない。センスはあっても、決して姉さんに届くはずがない。1番が最初から埋まっているのに、努力する意味なんてない」


 否定から入るのが諦めたものの特徴である。

 優香もご多分に漏れず、健輔の行動を無駄だと否定した。

 言葉にはしなくとも、きっと彼女の瞳はそれを彼に伝えていたはずである。

 そんな瞳を受けて、健輔が力強く笑い返したのを彼女は生涯忘れない。


「見てろよ、きっとそんなところですよね」


 クスクスと思い返しては笑みが浮かんでしまう。

 まるで子どものように、健輔は純粋に相手を見返すことしか考えていなかった。

 自分に出来るのか、出来ないのか、などというのは最初からインプットされていないのだ。

 続く言葉もまた衝撃だった。

 あまりにも真っ直ぐに見つめてくるから少しだけ意地悪をしたくなったのだ。

 優香の心に沈殿していた気持ちを表だって吐き出したのはあれが初めてだろう。


「この学園には、私の姉という頂点がいるから、努力は無駄ですよ。そんなニュアンスのことを言ってしまいまして」

『マスターが、そんなことを』

「不覚です。……ふふっ、でも、健輔さんは覚えてないんだろうなぁ」


 お前がどれだけ努力しても、最後には姉が立ち塞がる。

 一体何を言いたかったのか今の優香でもよくわかってはいない。

 劣等感と他にも様々なものが入り混じったドロドロとした気持ちだったのは間違いなかった。

 言った後に後悔したのも彼女の聡明は頭脳は覚えていたが、健輔の返答は彼女の思いよらぬ角度のものだったのだ。

 罪悪感も吹き飛ぶような、別の視点からの言葉。

 彼女にとって、啓示に等しい言葉だった。


「お前が凄いのと、その姉は何か関係あるのか。簡単に言ってくれますよね?」

『……でも、それは』

「ええ、正しいことだと思いますよ。才能、努力、ようは言葉遊びですからね」


 健輔は最初から、この学園に入った時から根本の部分がぶれていないのだ。

 浮かれることはあっても、最後に立ち戻るのは自分をどこまでも高みに至らせることだった。

 

「自分との戦いから言い訳して逃げていた。姉が天才なんだ、努力もしているんだと言えば納得は簡単ですからね」


 桜香が優香よりも強い事は努力を止める理由にはならない。

 桜香が優香よりも強い事は――優香が桜香に劣ることへの理由にはならないのだ。

 結果としての優劣はあれど、それは固定されたものではない。

 変化は絶えずに起こっている。

 誰かが最強になるのだから、誰だってチャンスはあるのだ。

 挑まなければ挑戦権すらも失ってしまう。


「楽な方に逃げていた、ということです。姉さんに勝つのは並大抵の努力では済まないですし、同時にどうやったら勝ちになるのか、と言う問題もありました」

『哲学的ですね。しかし、マスターの中で納得は出来たのですか?』

「ふふっ、今はまだ内緒ですよ。ですが、整理は出来ています」


 既に目的は変化している。

 優香はある人物に最高の自分を見て欲しくて駆け抜けているのだ。

 それをきっと、姉も望んでいると確信していた。


「姉さんが好きで……でも、どこか怖かった。この心はきっと嘘じゃない。そして、こんな汚い自分が嫌だった」


 人間は綺麗な部分だけでは出来ていない。

 桜香という化け物を前に優香は嫉妬したし、同時に恐怖したのだ。

 肉親を怖いと思う。

 おまけに嫉妬はするという言い訳の余地のないダメ人間。

 自己に対する評価が折れてしまったのは、きっとその心に蓋をした時であろう。

 姉に挑むのだと、言い聞かせている間は仮初でも敗者ではなかった。

 そんな精神状態でも真由美や葵の練習に耐えられたのだから、九条優香という才能はやはり飛び抜けてはいたのだ。

 彼女が、誰よりもそれを信じることが出来なかっただけである。


「でも、別によかったんです。傷をつけるのを怖がっていた潔癖症。何度転んでも前に進めばいいと、実例で示してもらいましたからね」

『……やっぱり、あの蛮族はマスターに変な影響を与えてます。ただの根性論じゃないですか』

「雪風はまだ子どもですね。まあ、その内わかるようになりますよ」

『むぅ……』


 1年間の戦いで優香の中の諸々に決着はついた。

 姉はやはり怖く、輝いていて、眩しかったが結局は姉だったのだ。

 一朝一夕で長年の想いは変わらないが納得は出来た。

 新しい道はもう始まっている。

 彼女の前に道を示してくれた優しく強い人に彼女は彼女の想いを返すべき義務があった。

 姉との決着でも、才能という壁でもない。

 九条優香がやりたいと想った熱い祈りを根底として、彼女を突き動かす熱となっている。


「私の固有能力には、まだまだ上がある。いつまでも、姉さんの幻影を追うつもりはない。私の未来は、私が描くしかない」

『それが、マスターの報い方ですか?』

「ふふ、さて……どうでしょうか? 私もまだ答えはあってないようなものですから」


 最高クラスの創造系――その頂点の能力を持つからこそ、彼女の戦いは常に自己との闘争となるのだ。

 絶対に負けてはならないのは、自分ただ1人。

 限界を超えるのだ。

 直ぐに諦めようとする自分に勝たなくてはならない。


「――言葉よりも、行動で示したいと思いますよ。私は言い訳が多い。これを治さないと」


 姉の威光は光輝き、大地を照らす。

 太陽に負けない空があるのだと、他ならぬ彼女が信じることが出来ていない。

 だから、今はただ行動を繰り返すのだ。

 彼女が信じた男がそうしているように、九条優香も駆け抜ける。

 いつか、自分で自分を許すことが出来る日まで――。


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