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第17話『女神日和』

 魔導の研究室と一言で言っても多様な種類が存在している。

 術式の研究をするならばメインとなるのは、自分の技能や知り合いの力となるため、雑多な機器はそれほど多くない。

 研究内容が魔導機などの機械系によるならば、個人単位での研究室よりも大規模なグループに所属した方がよい、などといろいろな差異は存在していた。

 フィーネの研究室はそういった分類で言うのならば中途半端と言うべきであろう。

 機器の類も多いが棚に並べられた本から察するに術式の研究もしている。

 おまけに本人の経緯から考えれば系統の研究をしている可能性もあった。

 良く言えば幅広い研究分野だが、悪く言えば雑多と言うべきだろう。

 現代の科学というものは無駄に博識であればよいというものではない。

 ある程度の専門化は必須であり、フィーネの在り様はそういった常識からは外れたものだった。


「……なんというか、この人らしいな」


 健輔としては細かい事情などは心底どうでもよかった。

 成功や失敗などは実行するものが気にすることであり、周りには何も影響ないのである。

 好きにすればいい、というのが彼のスタンスなのだ。

 挑戦する権利は誰にでもあり、それは誰かに阻害されるべきではないと思っている。

 

「どうしたんですか? そんなところに立ってないで座ってください」

「えーと、はい。ありがとうございます」

「いいえ、ゆっくりとお話したかったので今回のことは渡りに船でしたよ」


 大きなデスクの前には応接用のもと思われるソファーとテーブルがある。

 片側に腰掛けた健輔は再度周囲を見渡してみた。

 積まれた段ボールなどを見るにまだ引っ越しが終わっていないように見える。


「この荷物って、向こうのものですか?」

「そうですね。私の経緯はご存じですよね? 変換系の関連で早期からこういうものと触れ合う機会はあったので、向こうにも研究室があったんです」

「そこをわざわざ潰してまで、こっちに?」


 唐突なデートは健輔にとっても些か不本意ではあったが、フィーネと2人で話せるというのは悪くはなかった。

 いくつか存在した疑問を直接ぶつけることが出来るからだ。

 空気を読む、などというスキルは備えていない健輔は普通は聞きにくそうなことでも平気で踏み越えていく。

 これを無謀と呼ぶのか、度胸があると言うのかは人それぞれであろう。

 

「どうして日本に来たのか。そういう顔をしていますね」

「むっ、出てましたか?」

「はい、バッチリと。まあ、疑問に思うのは当然だと思いますよ。仮に逆の立場なら、私も同じことを思いますから」


 クォークオブフェイトは健輔にとっては素晴らしいチームであり不満点など何もない。

 しかし、それは万人に共通することではないだろう。

 フィーネ・アルムスターは輝ける欧州の星である。

 わざわざ極東までやって来ずとも、いくらでも彼女を欲するチームはあるはずだった。


「端的に答えると欧州のチームでは私の希望を叶えられないのが最大の理由となります」

「希望、ですか?」

「ええ、夢でもいいですよ。と言ってもそれほど御大層なものでもないです。少し見たいものがありまして。チームを育てるのも少しは関係していますけどね」

「育てる、ですか。でも、それって……」


 健輔が言わんとするところをフィーネは察したように微笑んだ。

 フィーネが育てた。

 この単語に真っ先に引っ掛かるのは欧州のあのチームのことだろう。

 クォークオブフェイトではないことは確定的である。


「ヴァルキュリアに関しては、もう私がやることが残っていません。正確に言えば今言った望みも少々ぼかしていますしね」

「答えは自分で考えろ、ってことですか?」

「女心と秋の空、というのでしょう? ましてや、乙女の口を割ろうなんて紳士とは思えませんよ」


 柔らかく微笑んでいるが、フィーネの瞳はあまり笑っていない。

 ここまで開示してくれたのも健輔しかこの場にいないからだろう。

 迂闊なことを言えば、今までと態度は変わらずに静かに評価を下げるのがこの女性である。

 桜香はわかりやすく他者を区別するが、フィーネはわかりにくいのだ。

 好意を持たれていてもそれに確信を持てる男性はいないだろう。

 彼女は天邪鬼、心を奪われてしまい執心するほどに、彼女の心は離れていくのだ。

 残酷とも言える女神の在り方。

 多少は恐怖を覚える者もいるだろう。

 イリーネなどは女神に尊敬よりも恐怖を覚えた性質であったし、それはある種の防衛本能としては間違っていない。

 元来、神というものは極大の寵愛で結果的に相手を壊してしまうものでもある。

 その名を冠した女性も栄光と破滅、2つの属性を備えていた。

 普通の男、いや、人間ならば踏み越えるどころか戸惑い、逆に失望されることも恐れて身動きが取れなくなるだろう。

 冷たい瞳は強く答えを求めている。

 一瞬だが、静かに空間に軋む。

 特大の地雷が埋まっていることが唐突に明かされた2人きりの部屋。

 男を惑わす女神の挑発を、前にして健輔はなんでもないかのように言い放った。


「そうですか。じゃあ、別にいいですよ」


 無理に聞き出したいほど、お前になんて興味はない。

 誰もが心を奪われてしまう女神の魅力もこいつには通じないのだ。

 此処に居る男は少々、普通からは外れていた。

 魔導に関係ないからとあっさりと切り替えてしまう。

 驚異的なまでの決断の早さは傍から見れば変心したようにも見えるだろう。

 あっさりとした割り切りと、同時にどこまでも追い詰める執念深さが変な形で組み合わさっている。


「あら、振られてしまいましたね」


 言葉とは裏腹にフィーネの態度は軽い。

 フィーネが1番評価している健輔の良い部分はそこであるため、大して気になっていないのだ。

 何より、先の話題など本当に会話の切っ掛けに過ぎない。

 デートと考えていたからこそ健輔も対応に困ったのだ。

 これを戦闘の読み合いと思えば冷静に対処できる。

 心の中で真剣にそう思っている健輔のダメ男レベルは、この1年で大きく上昇していた。

 内心でドヤ顔を決めていた健輔だが、流石に女神は甘くない。

 次の言葉はそのことを健輔に思い出させてくれた。


「後、健輔さん」

「何、ですか?」

「戦闘だから、大丈夫というのは流石に傷つくから態度に出さないでください」

「……はい。すいません」


 今までにないほど感情を感じさせない恐ろしい笑顔。

 目の前で微笑む女神に健輔は思った。

 この人、怖いと。

 女性の対応の仕方に釘を刺された男は、これからどうしようかと途方に暮れるのだった。






 フィーネに研究テーマ、というものは実は特に存在していない。

 頭脳面でも優秀な彼女は天才という名に相応しく片手間で本業のバックスを凌駕するだけの成果を出していた。

 変換系の誕生経緯もそうだが、彼女の生み出した術式『ヴァルハラ』は中々に特異なものだった。

 基本に空間展開を組み込み、浸透系の組み合わせで地の利を生み出すことに絶大な効果を発揮する。

 数多ある術式の中でも最上位のものだろう。

 

「なるほど、理屈はわかりました。……それでその話をした理由は何ですか?」

「要約すれば、研究者としての私の目的は基本的に試合に反映するものがメインとなっていた、ということです」

「はぁ……」


 長々と語られたフィーネのプロフィールに気の抜けた返事する。

 聞いていないという訳ではなく、既に知っていることばかりを並べられたからだった。

 フィーネ・アルムスターは3強の中で最も多才な人物である。

 秘めたる可能性を含めて、1番予想し辛いのは彼女であろう。

 桜香の底知れなさとはまた異なる異質な存在感。

 それが3強と言われればそれまでだが、健輔は最も評価した魔導師であることは事実である。


「ふふっ、男性の悪いところですよ。デートのおしゃべりなんですから、特に目的はないんです。もっと気軽に話を聞いて下さい」

「りょ、了解です。わからないとか、そういう訳じゃないですよ。うーん、なんというか」

「ほら、答えを急がないでください。せっかく2人で話すんですから、もう少しお付き合いください」


 フィーネが淹れてくれたコーヒーを飲みながら、健輔は思考を纏める。

 彼女の言う通り、本当に話す内容に大した意味はないのだろう。

 研究室に連れてきたのは健輔が話しやすい空気にするためであり、それ以上のものではない。

 確かに街中などでは緊張してしまい何も話せなかった可能性はある。


「そんな困ったような顔をしないでください。女の子には気になる人とただ話したい時があるんですよ」

「こ、光栄ですけど……」

「では、まだお付き合いください。とはいっても、こちらの身の上話だけでは楽しくないですよね。じゃあ、魔導機の話はどうでしょうか」

「魔導機、ですか。それなら、まぁ……」

「お気に召してくれたようでよかったです。そうですね。健輔さんは魔導機の世代、というのものをご存じですか?」


 フィーネの問いに健輔は美咲から聞いたことを思い出す。

 魔導機の発展段階は大きく分けて、5段階あるとのことだった。

 第1段階は黎明期。

 魔導機というジャンルが確立した時の話である。

 まだ魔導師の補助という役割を確立出来ておらず、魔力を機械的に受け止めるのが役割だった時代の産物だった。


「第1世代は魔導がようやく技術として動き出した時、21世紀の初頭くらいものですね。魔導機の雛型であり、それ以上のものではないです」

「確か、他の機械関係への技術に派生するんですよね」

「魔力エンジンとかにですね。当時はエコとかが流行っていたので、一切の汚染が存在しない魔力は夢のエネルギーでしたからね」


 魔素さえあれば何でもできる、というのは過言だが既存のエネルギーの代替くらいにはなる代物が魔導であった。

 カウンター技術の豊富さに対して、研究予算が多く割かれているのも日常分野でのカバー範囲が極めて大きいからである。


「魔導機の発展は魔導の発展とも連動しているので、歴史的に見ても面白いですよ。そういう意味では、今も転換点にありますからね」

「転換点、ですか? それって、陽炎とかのことですよね」

「ええ、第6世代。人格搭載型の補助魔導機。健輔さんが大暴れしたのも、普及の理由たる一端ではあると思いますよ」


 陽炎などの試作型だった魔導機を正式に採用した世代が第6世代となる。

 これに合わせて新ルールの公布と共に専用機などのレギュレーションが変化。

 おまけに武装として使用する魔導機は全機が可変型で統一されるなど、既に可変型だった健輔に関係ないが大きな変化が起こっていた。


「より個性を発揮できる環境作り。今年のスローガンですね。健輔さんは知らないでしょうけど」


 クスクスと笑うフィーネに否定の言葉を返せない。

 聞き覚えはあるのだが、詳しく聞かれると答えられないのは明白だった。

 バツの悪そうな健輔の顔にフィーネは品の良い笑い声を部屋に響かせる。


「術式の勉強もいいですけど、こういった歴史も良いものですよ。あくまでも学生。本分は戦いではないですから、もっと穏やかにいきましょうよ」


 ぐうの音も出ない完璧な正論だった。

 去年の秋頃に持っていたこれでいいのか、という疑問が心の内に湧き出してくる。

 世界大会が楽しすぎて忘却していた課題が再び頭を突き出していた。


「うぐ……い、いや、やる気はあるんですけど」

「楽しい方に流れてしまう、でしょう? 楽しいことを全力でやるのもいいですけど、苦しいことを乗り越えるのも楽しいですよ。それに、どんなこともやっていて無駄になることはありません」

「わ、わかっては、その……います」

「はいはい、信じてますよ。ちなみに私、テストで赤点とかは許さないのでその辺りは承知願いますよ」


 フィーネの無慈悲な通告に健輔の表情から色が抜けていく。

 勉強が出来ない訳ではないのだが、高度化していく内容に微妙に付いていけなくなっている面はあるのだ。

 春は大丈夫でも秋や冬になればどうなるのかは予想も出来ていない。


「……ぜ、善処します」

「政治家みたいに誤魔化してもダメです。ここに案内したのは、勉強会の通告のためのでもあるんですからね」

「よ、予想外だった……。もうちょっと、その手心とかは?」

「しません。私に勝った人が赤点で試合に出れない、とかになったら本気で怒りますよ。学園側も健輔さんみたいな戦闘オンリーの生徒には警戒してるんですから。きちんと勉強をしてください」


 悪いことではないのだが、ここは軍学校などではないのだ。

 戦いに明け暮れるのが健全とは言えないだろう。

 スポーツ的な側面もあるのも事実はいえ、一歩間違えば死にかねないのも事実である。

 体裁として悪いのは間違いない。

 あまりにも戦闘に偏った生徒への対策も今年から強化されるのが決定していた。

 健輔は間違いなくこの分野に引っ掛かってしまう。

 フィーネは葵からその辺りの管理もお願いされていた。

 彼女も健輔をそんなアホな結末に至らせるつもりはない。

 つまるところ、健輔に退路など存在しないのだ。

 如何に困難な道であろうとも只管に前に進むしかない。


「大丈夫ですよ。健輔さんはやれば、出来る人ですから」


 全幅の信頼を籠めた笑顔は健輔の相棒たる少女と何処か雰囲気が似ていた。

 こんな笑顔で断言されてしまっては、健輔のなけなしのプライドが弱音を吐くことを許さない。

 これが悪意ならば健輔は抗うのが得意なので、何も問題はないのだ。

 勝つまで攻め続ければ、いつかは必ず勝てる。

 問題はこれが善意だということだった。

 健輔を想い、健輔のために言っているため、後ろ向きな理由以外で断る方法がない。


「ゆ、優香もこんな感じで退路を断ってきたよな。とほほ……最強クラスっていうのは、皆こんな感じなのかね……」

「健輔さん?」

「ああ、もうッ! やります、やりますよ! ただし、練習でも強くしてもらいますからね! 約束ですよ」

「ええ、約束です。私の全てを叩き込んで差し上げます」


 交わされる宣誓。

 戦闘だけでなく、勉学の師としてもフィーネは彼を押し上げる。

 デートという名の監獄へ上手く健輔を誘い込んだ女神は、柔らかい微笑みで少年の門出を祝う。

 この時、健輔は気付いていなかった。

 勉強会の場所を此処と指定されて、おまけに余人を介さない状況が作り上げられている。

 2人きりの密室で、長い時間、しかも放課後だから夜までいることもあるだろう。

 そんなヤバイ状況になるとは露とも知らず、来る勉強の嵐だけを警戒していた。

 女神の深謀遠慮を彼が悟るのは、巣に絡め取られたとわかるその瞬間であることを、まだ誰も気付いていないである。

 女神の罠は今日も絶好調なのであった。

 時々曇ることもあるが、女神が歩く道は再び光で満ちている。

 これからも続いていく女神日和。

 健輔とフィーネの物語は、ゆっくりと動き出したばかりだった。


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