第156話『犠牲者たち』
強さとは何なのか。
戦闘中とは思えない哲学的な問いにアレクシスの思考は沈む。
皇帝という覇者との抗戦。
武雄という曲者の援護を受けての攻防は一進一退であった。
苦しく辛い戦いだったが、同時に充足した時間でもあった素晴らしき戦。
学べたことはいくらでもある。
アレクシスという武器を武雄が上手く活かす構図は悪い形ではなく、事実として真面目に戦っていた皇帝を押し留めることに成功していた。
己以上に己を知っている存在――知力の強さというのを体感したのは初めての出来事で、貴重な体感だと言えるだろう。
やり方次第では通用する。
この確信は昨年度から飢えていた彼にとって確かな癒しであった。
仮に負けても真っ当な成長の糧となる――はずだったのだ。
ある種の天運、もしくは凶運と言うべき、ここぞという場面での引きの強さ。
もはや貰い事故に等しい。いや、天災と称するべきであろうか。
解放された怒れる太陽。
過去に例のないほどの怒りを宿した最強が何故だが知らないがこの戦いに介入しなければ彼は知らずに済んだのである。
「く、クソォ!! いきなり、何なんだッ!」
「あなたに用などありません。本命はそちらの方です」
皇帝と交戦している最中に魔力を纏いながら突っ込んできた。
桜香がやったことはそれだけである。
割り込まれたことに腹立たしい想いはあった。
しかし、それ以上に悔しいことは――眼前の力に怒りしか抱けないことである。
怒りはあっても行動に移せない屈辱。
どのような場面をイメージしても1撃で蹴散らされる自分が見える。
「ッ……!! 下がるッ!!」
抱いた確信など幻だと言わんばかりの暴力。
皇帝もこれと本来ならば同じもしくは凌駕している存在である。
先の戦いでの彼など欠片も本気を出していない。
真面目であっても全霊ではない――この差はあまりにも大きかった。
呑気に通用する、と喜んでいた自分に腹が立つ。
怒りで震える背中。
敵を前にしてあまりにも無防備な姿であったが、屈辱に折れないだけアレクシスは有望であろう。
戦う前に折れる者もいる力を無視できるほどの自己嫌悪。
こういった部分は健輔と似ている部分でもあった。
「戦場で反省か。お前はあの究極バカに少し似てるのう。まあ、あいつみたいに1秒後には振り切るタイプじゃないみたいだが」
響く声はこの場におけるキーパーソンにして、桜香のターゲット。
既に終わりに向かう戦場において、数少ない利益となる存在だった。
「キリシマ……」
「先輩、を付けろや。まあ、今はいいか。しっかりしろや、今から数分で学ぶだけ学ぶといい」
「学ぶ……?」
妙なニュアンスの言葉に疑問を呈するも武雄は答えないままに桜香へと不敵に笑いかけていた。
「何じゃ、わざわざ此処に来なくとも試合は終るであろうに。不敗と女神が落ちれば戦力はガタ落ち。元々、コーチ勢が支えていた戦場よ。素早く終わりに向かう」
「そうでしょうね。あなた方の目的は本当の上位の強さを体感させること。夏に大分強くなったが、勘違いするな、ということでしょう?」
「ほう。お前さんもそういうのを気にする程度には成長したか。あのバカは本当にいらない気遣いばかりする」
言葉は荒いが含まれているのは面白そうな響きだった。
個人プレイ上等の桜香が周囲を気にしている。
この情報の価値に気付かないほど武雄は腑抜けていない。
「私にとっては必要なものです。そこまで察するのであれば、目的も理解は出来ますね?」
「非常に面倒だがのう。構わんよ。付き合おうとしようか」
「キリシマ!!」
「おう、いつまで惚けとる。やるぞ、戦闘態勢を取れや。お前にとっても結構貴重な機会になるんじゃから、しっかりとしろ」
視線は桜香に向けたまま、武雄はアレクシスに告げる。
言葉は簡潔で意味は理解できない。
それでも、
「わかった。……やれるだけ、やってみよう」
「はん、それでいい。折れようが、曲がろうが、分解されようが最後に立てば勝つ。儂が軽く手解きしたバカが体現する在り方よ。お前はも1回折れてから立ち上がってみろ」
武雄なりの強さの証。
ついつい、面白そうな男は突いてしまう癖に自分で自分を哂いたくなる。
これでは真由美のことを揶揄は出来ない。
彼女と同じぐらい、霧島武雄は他者の成長を楽しんでいる。
この運の悪さでは天下一の男も中々に面白い在り方をしていた。
「強さ、なんぞ各々で形が違う。実感だの、証だの、何かに頼るな。勝ちたい理由ぐらい、自分で持っておけ」
隣の芝生は何時だって青いものである。
気にしたところで意味はないのだ。
やるべきことを粛々とこなす。相手が誰であろうともやることなど変わらない。
相手が強いから、諦める程度の奴ならば魔導など辞めてしまえばいい。
「理由……。」
「あの女の強さ、非常によく出来ている。誰が見ても強い、ということを体現する一角よ。昔は能力だけだったが、今は心も厄介だしの。良い教材になる。数秒でも必ず意味を持つ」
タガの外れたパワーは本当の意味で規格外。
感情で爆発することはあるが、爆発した状態で維持するなど皇帝にも不可能な所業である。
才能の怪物。
魔導という分野で桜香を超える者を探す方が難しい。
「ふん、とはいえ本当にアホ臭くなるほどの強さよ。技を完全に無意味にしよる。1番あれなのは、あのパワーのくせして、総合型というインチキさだけどのう」
武雄をして愚痴の1つや2つは出てくる。
現役の頃から比べて更に強くなっているのが見て取れるのも要因の1つだった。
強敵は望むところであるが、最低限の準備は欲しい。
野生のラスボスと嬉しそうに戦って勝利できるのは桜香の飼い主だけである。
「このじゃじゃ馬、乗りこなすのは大変よ。やる気はあるか、皇太子」
「……愚問。何れは超える壁だ。相手が如何ほどでも、俺のやることは同じだ」
わざわざ強調して2つ名を呼ぶ。
露骨な挑発だが、アレクシスは正面から乗った。
舐められて終わるつもりはない。
敗れるにしても、何か掴むのだ。
この戦いに敗れて失うものなどないのだ。ここで前進しないで、何処で前進するのか。
若く荒い部分もあるが、確かな矜持を覗かせて、小さな覇者は産声を上げる。
「上等よ。あれを目にして戦う意思があるのならば、お主も一廉だ。いくぞ、戦いにはしてやる」
「上手く使い潰せ。届くのならば、なんでも構わない」
解き放たれた太陽に2人の挑戦者が現れる。
万能無き戦場で、足りぬものを知恵と勇気で補い魔導師たちは決死の覚悟を纏う。
残った敵の中でも最高峰。
素晴らしき闘志を受けて、怒れる太陽は口元を大きく歪める。
「ええ、ええ、それでいいです。――これぐらいじゃないと、イライラが収まらない」
誰にも届かない死刑宣告。
暗き闘志はある意味では昨年度の決勝戦すらも超えた意気込みとなる。
己と想い人。
双方へ激しい怒りを燃やして、太陽は盛大な八つ当たりを敢行するのだった。
どれほど強さに差があろうとも無敵はない。
最強はいても倒せない存在など少なくとも魔導競技には絶対にいないのだ。
技を競い合う。
相手の命を奪い、可能性を断つ戦場とは異なる厳しさがこの会場にはある。
能力は分析されて、対応されていく。
変わらぬ者に生きる場所なし。適者生存は如何なる強者にも訪れる摂理である。
――ただし、例外はどこにもいるものだった。
「全方位に隙なし、ただパワーには優れる。ああ、本当に厄介な娘よな。普通はもう少し大人しくなるものというのに」
本当の意味で万能ならば手段の多さは武器であると同時に弱さともなる。
選択肢の多さは人を悩ませ、悩みは敗北へと繋がる入口でもあった。
戦闘という状況が目まぐるしく変わる競技であるからこそ取捨選択は大切なのだ。にも関わらず、この怪物はそういった当たり前の原則から外れている。
普通に全部強いから、相手を殴るだけで戦いが終わってしまう。
小細工の余地すらもない強さでは知恵の意味もない。
昨年度も結局のところ、圧倒的な強さに成す術なく押し潰されたのが敗北の理由である。
天秤を動かそうにも天秤ごと破壊する相手では遣り様がない。
智を武器にする者にとって最悪の存在が此処にいた。
「まずは小手調べです」
軽く振るわれた剣から魔力が形をなして襲い掛かる。
休みなく振るわれる斬撃の嵐。
対して力も籠めていないのに軽く武雄の全力を超えた魔導斬撃が生み出されていた。
武雄でなければ絶望したくなる光景である。
「おうおう、怖い怖い」
目前に迫った魔力に嘯きながら、武雄は桜香と同じように軽く右腕を振るう。
ハエを払うような仕草。
背後で圧倒的な暴力を前にして顔を歪めていたアレクシスは驚くしかない。
「キリシマッ!?」
「騒ぐな。こんなものはどうとでもなる」
武雄の宣言通りに景色は変わっていく。
桜香が放ついくつもの魔導斬撃。
直撃すれば武雄が蒸発する代物であるが、
「強敵には強敵をぶつける。まあ、軌道操作までは出来んだろう?」
「なるほど、勉強になります」
桜香の斬撃の1つが唐突に方向を変えて、隣の斬撃にぶつかる。
武雄が振るった腕と同じ方向。
相手の魔力の行先を誘導し、誘爆させたのだ。
「バカな……あれ程の魔力に干渉など」
出来るはずがない。
出てきそうになる言葉を飲み込み、アレクシスは必至に頭を使う。
武雄の系統は流動、創造系。
決して戦闘に秀でた能力ではない。変わりにあるのは、高い汎用性。
「使い方、次第……」
「まあ、手品よな。向こうも種がわかれば対処してくるだろうよ」
ジョシュアが優香に対してやったように、魔力を別方向に誘導するのはそこまで難しくない。
相手の魔力自体への干渉は難しいが逆に周辺の干渉は空間展開以外ではやり易いからだ。
今回も創造系で少しだけ空間の場所を入れ替えただけに過ぎない。
「おしゃべりは終わりでいいですか?」
「なっ!?」
武雄との会話中も警戒はしていた。
しかし、アレクシスの知覚をあっさりと超えてきたのだ。
突然出現した強大な力に頭が真っ白になる。
それでも身体は動いた
「くぅ!! 能力、展開ッ!」
魔力が最高潮の状態で固定されている。
怒りゆえの変化なのか。
アレクシスに細かいことはわからない。
わからないが、1つだけ確かなことはあった。
ランクは2つの差であるが、明らかに性能の格が違う。
実績がないのに高いランクを与えられた。
虚構に等しい勇名。自らの実力が低いものではないからこそ余計に苦しんできた。
評価を覆すために足掻いた半年。
無駄な時間ではなかったと自負しているが、それでもこれには届かない。
対面しただけでわかる事実にもはや笑えてくる。
「一撃だけでも!!」
意識を全て桜香に集中させていく。
アレクシスは固有能力の1つで基礎能力を大きく向上させることが出来る。
彼の空間展開内にいる味方の力を集めて、全員をその領域まで引き上げる有用な固有能力。
チーム単位で見た場合、かつての魔導戦隊リーダー星野勝の能力すらも凌駕する便利な力であった。
おまけに今回の試合は人が多い。
効果は最大級、かつてないほどに力が高まる。
渾身のストレートが桜香の魔力に叩き付けられて――
「攻撃ですか? それ」
「っッ!!」
――あっさりと弾かれる。
外に放出している魔力の膜すらも突破できない。
雑魚を束ねても雑魚だ。
視線で語る桜香の意思に強い反発を感じるが、感情を殺して2撃目へと移る。
攻めないと負けるのはアレクシスである。
桜香の攻撃を防げると思うほど、バカではないのだ
勝率に大きな変化はなくとも、攻めるしか出来ることはない。
覚悟は十分、選択も正しかった。
惜しむべきは、1つだけであろう。
「では、こちらからいきますよ」
静かな宣言。
意識を集中させて攻撃の軌道を読もうと努力する。
基礎的な能力では桜香に次ぐ現役ランカー。
安定感においては優香や健輔とは比較にならないが、それ故に限界もわかりやすかった。
あまりにも常識的な対応――最強に対するのにごく普通に対峙してしまう。
この事自体が既に誤りなのだと、気付けなかったことが敗因となる。
「――ぐぁ!?」
「機嫌が悪いので、素早く終わらせますよ」
魔力の移動を感知した時には終わっていた。
己の不甲斐なさ、やるべきことを果たせなかったことに悔しさで表情は歪む。
時間稼ぎもまともに出来ないほどの差に確かに何が折れる音が聞こえた。
「ち、ちくしょう……!」
「は、そこでまだ悔しい、と思うならお前は見込みがあるの。よくやった。戦えたなら上出来よ。後は見とけや。それに、おかげで俺は時間が稼げたしの」
フィールドから排除される寸前に聞こえた声にアレクシスは目を見開く。
桜香に集中していたつもりだったが、武雄からの会話で意識を逸らされた。
つまりはそういうことなのであろう。
「この、性悪め」
「はん、よく言われる。褒め言葉じゃのう」
「あっさり負けたら、笑ってやるからな……」
この試合における優劣は明確に定まり、皇太子は再び屈辱の中へと沈む。
視界の中に映る背中を必死に見つめながら、若き魔導師の挑戦は終わりを迎えるだった。
また1人退場し、場には2人の魔導師が残る。
幾分発散したのか、少しだけ落ち着いた桜香は武雄を半眼で見つめた。
「気遣っているのか、いないのか。相変わらずわかりにくい方ですね。時間稼ぎに囮にした、というの事実でしょうが、きちんとした敗北を経験させるのも目的ですか?」
「――さぁ? 儂には何のことだがさっぱりわからんのう」
あっさりとした惚け方に溜息を吐く。
戦場での健輔もそうだが、本当にやりにくい人たちである。
「お優しいことですね」
「付き合う分、お前さんも多少は有情であろうよ。怒りは自分と、後はあのデリカシー0か? まあ、わかりやすい男で聡いやつだが、致命的にアホでもあるからのう」
最強を前にしても武雄は自然体である。
桜香がこの戦場の中で真っ先に来た理由の1つ。
皇帝に念話で介入不要としてまで、この対峙を桜香は必要としていた。
健輔は自らが最大限経験を得られるように試合を差配し、実際に上手くやったと言ってよいだろう。
負けるつもりはなかったが、練習試合での敗北は糧となる。
機会を余すことなく活用したと言っても過言ではない。
対する桜香は、いつも通りにやり過ぎた。
間違ってはいないが、これでは『次』が危うい。アルメダに見事嵌められたしまったことも含めて引き締めが必要だと思ったからこそ武雄を選んだのだ。
「そうですね。流石はもう1人の師匠。よくご存じです」
「あん? 師匠というほどにあれとは関わったとらんと思うがのう」
「いいえ、在り方に影響を与えたというのならば、あなたは藤田葵と並んでいる。私から見ても、あなたは異質だ」
健輔のように能力的な特質性はない。
代わりにあるのは人間的な特質さ、と言うべきであろうか。
何かをしてくれるのではないか、という期待感。
健輔も持っているある種の空気をこの男も持っている。
「確かめさせていただきます。健輔さんのやり方は独特であまり参考になりませんからね。他の方がどうするのか。見せてください」
「過剰な期待は疲れるのう。重い女は嫌われるぞ」
からかいを含んだ声に答えずに桜香が空を駆ける。
皇帝が解き放たれたことで他の地域でも戦いは一気に終わりへと向かっていく。
残りの僅かな時間。
何かを掴むためだけに、九条桜香は霧島武雄へ挑むのであった。




