第154話『明日への展望』
「くぅぅぅううう!」
押されて、押されて、押され続ける。
前に進むことは不可能で抵抗の余地が存在しない。
状況を言葉にすればそんな感じになるだろうか。
現役最強との戦い。
彼女も格で見れば負けていないはずなのだが、相手の圧倒的な強さの前ではその程度の事実は何の重みも存在していなかった。
似たような称号を持っていても、どうしようもない格差は存在するものである。
圧倒的に優勢な九条桜香。
最強の名に恥じぬ強さであるが、本人の顔色はあまり良くはなかった。
耐えられている、ということが既に彼女の想定を超えている。
「甘くみていた訳じゃありませんが……!」
「ふ、ふふふ、悪いわね。どっちかと言うと、現役の時は防御の方が上手かったのよ。2度目の対戦で簡単に落ちるほど私も弱くはないつもりよ」
「言うだけのことはありますね!」
黙れと言わんばかりの攻撃。
剛を極めて、柔をも備える。最強という言葉をこれほどまでに忠実に体現した者はそうはいないだろう。
アルメダが知っている限りでも単純な戦闘能力でこの敵を超える者はほとんどいない。
固有能力込みでようやく何人か思い当たるぐらいである。
単体の能力値においては間違いなく魔導の歴史でも最高の存在であろう。
『黄金』を纏った皇帝がギリギリ互角、となるかならないかのライン。
1度対戦した経験がなければ抑えるなどというが出来たかはアルメダ程の魔導師でも微妙だった。
「……攻撃自体は素直ね。これで搦め手まであったら本気で頭を抱えるところよ」
「私に、そういったモノは不要です!」
「なるほど、最強っていうのはそうじゃないといけないってことかしら!」
「愚問――!」
アルメダは桜香を押さえるという大役を忠実に実行していた。
彼女でなければ達成不可能な無理難題。
時間稼ぎを出来る『戦えるレベル』にいる魔導師ですらも桜香相手では本当に数えきれる程度しか存在していない。
それほどまでに極まった敵。
眼前の脅威としてもそうであるが、いつか来る本当の戦いを思っても気が遠くなるような相手だった。
1度は頂点に近い景色を見たアルメダでさえもそのように思うのだ。
現役の者たちが『最強』と讃えるのも無理はないだろう。
「ああ、もうっ……! 私も昔ほど元気じゃないんだけど!」
魔導の力があるとはいえ、青春真っ盛りの若人たちのテンションに30も見えてきている大人の女性が付いていくのは流石に無理がある。
自覚があるからこそ、苛立つのだが老けたとは思いたくない一心で食らいついていた。
現役に現役たる矜持があるように、アルメダにも大人としての意地がある。
見栄を捨てた我武者羅な戦闘。
技と経験を注ぎ込んだ渾身の時間稼ぎが其処にあった。
「時間稼ぎ、とわかっていても歯痒いですね……!」
果敢に攻め、打ち砕こうと前進する。
今までと同じやり方。
相手の実力もフィーネや真由美など、かつて粉砕してきた者たちと大きく違うということはない。
アレンという技巧型を一撃で粉砕したのが桜香なのだ。
多少の特性的な差異があろうが、本来ならば大した手間にはならない。
しかし、現実問題として足止めされている。
理由はいくつかあるが、大きなモノは2つであろう。
アルメダが桜香との戦いが初見ではない、ということと能力的な特性が足止めと合致しているということである。
「技巧派に時間を与えるとこうなる、ということですかっ! 兆候は去年からありましたが、ここまでとは……!」
桜香の脳裏に浮かぶのは昨年度の決戦における葵による足止めであった。
真由美や葵、どちらも実力で圧倒し最終的に倒したが健輔に繋がる布石を打たれた苦い記憶がある。
実力で優るのに瞬殺できなかったからこその出来事。
葵が桜香相手に耐えられたのは傾向を悟られていたからだった。
アルメダの能力が手札が豊富で足止めに徹した場合、堅牢な要塞になるというものあるが最大の理由はそちらであろう。
健輔のセンスにおいて1番恐ろしい部分は、テクニック型が持つ経験の脅威を初戦からしかも初見殺しを携えてやってくるところである。
逆を言えば、経験さえあれば健輔と似たようなことをやれる者たちがいるということであり、このアルメダはそういう意味で桜香の天敵に成り得る素質があった。
「葵との戦いで、気付いておくべきでした。我ながら察しの悪い……!」
あの時と状況的には同じであるが、中身はこちらの方が危ない。
健輔を倒すという強い目的意識があり、結末が見えないことを喜んでいた時と違って、いつ終わるのかわからないということが桜香の精神を削る。
粉砕できないほどに強くはなく、かと言って無視できるほど弱くはない。
絶妙な実力であるからこそ、桜香も攻めきれないのだ。
無理をすれば突破は可能、しかし、その後に隙を見せる相手がいけない。
今回はまだよい。倒れた後でも勝利を託せる相手がいるからだ。
問題は、本来の形で戦った時にある。
「今年の私は、この事を意識しないといけない……」
クォークオブフェイトと戦った時に桜香は必ずこの状況に陥る。
健輔かそれとも優香なのかはわからないが足止めに来る者がいるはずなのだ。
他のアマテラスを潰している間に桜香を縫いつける楔となる者。
桜香の持ち得る情報では誰になるのかはわからない。
昨年度、葵に止められたようにクォークオブフェイトには足止めだけならば成せるだけの人材が複数人存在している。
撃破も狙えるため、1番可能性が高いのは健輔であるが、誰が来ても相応の消耗は避けられないだろう。
仮に1番可能性の高い健輔の場合、『後』に関してはより厳しくなるのが目に見えている。
健輔を撃破した満身創痍の状態で優香とぶつかる可能性を考慮しないといけないのだ。
単純な計算として、不利になるの桜香であった。
「技というものは厄介だと知っていましたが、1度落とした相手にこうまで梃子摺るとは思いませんでしたよ!」
「あなたが圧倒的だったからよ。成長という大きな変化があれば経験に意味はないもの!」
「私が頂点に近くなったからこそ、ですか!」
「そういうことね。能力はまだまだ伸びるかもしれないけど、根本が変わらないのならやり方はいくらでもあるわ」
アルメダを相手にした今回もかなり消耗している。
間に紗希がいたとはいえ、ここから考えれば、健輔を相手にした際の消耗は考えたくなかった。
何よりも優香が足止め、健輔が本命という逆のパターンも念頭に置いておかねば、桜香と言えども敗北は必定となってしまうだろう。
全般的なレベルの向上が最強を孤高のままにさせない領域まで既にきている。
この戦いはそのことを如実に示していた。
健輔の差配とはいえ各戦線で妙な停滞が多い。
この事は各々が格上との戦い方というものを理解してきている証左なのだ。
現に眼前の女神の動きが徐々に大胆になってきている。
「私の強さに慣れてきた、ということですね!」
「はあああああああああッ!」
人は学習する生き物である。
昨年度は健輔のようなセンスと能力の持ち主でないと『戦う』ことも困難だったが皇帝の君臨から3年経っている。
スーパーエースとの戦い、というものに対して各々の成果が出てもおかしくはないだけの時間は過ぎようとしていた。
ましてや、個々に経験も積んでいる。
「女神の系譜は好みませんが……練習程度には役に立ちますか」
「言ってくれるわね……! 力だけの脳筋女っ、女は知性で勝負するものよ!」
「力に押し負ける程度の知性になど興味はないですよ!」
「ちょっ……、まだ上がるの!?」
何度目になるかもわからない光景。
桜香の攻撃を受け止めきれずにアルメダが弾き飛ばされる。
そのまま全力で追撃に入り、桜香は勝負を決めにいくのだが、
「ええいっ! 何度目ですか!!」
何もない空間から自動での迎撃が放たれる。
この場は紗希が築き上げたもの。
支配主の影響を完全に脱するには同じだけの空間の技が必要となっていた。
桜香は自己の密度を上げる戦闘特化型である。
やろうと思えば出来なくはないが、相手の土俵に昇って勝てると思うほど容易い相手ではないのだ。
結果、必殺の追撃は意味を失い、逆転の好機へと反転する。
追撃から体勢が崩れた桜香へアルメダの容赦のない攻撃が放たれた。
「今度は、こっちの番よッ!」
「貫通効果ありの砲撃! 器用なことですッ」
貫通効果があろうとも魔力をすり抜ける訳ではない。
正面からアルメダ以上の魔力を注ぎ込み斬撃を放つ。
呆気なく霧散するアルメダの一撃。
幾度も繰り返された攻防の景色はまた同じ結末へと辿り着いていた。
「……最終的には、勝てる。この結論は変わりません。――でも、後に続かない。この2人でこうなるのならばもはや必然ですか」
桜香の口から僅かに呻くような声が漏れた。
幾度も過る影。
アルメダを見ながら、彼女の視界には別の人物が映っていた。
同じことを健輔にやられれば、桜香は恐らく戦闘力を残せない。
結論は出ている。
勝てはするだろう。しかし、その勝利は試合を捨てることで得られる勝利に可能性がとても高かった。
体力的な消耗はなくとも精神的な消耗は桜香にもある。
絶対に負けてはいけない戦いを絶対に2戦することになる戦いで片方の消耗が大きいことはそのまま敗北へと繋がってしまうほどの消耗になるのが目に見えていた。
「やはり、あの子たちを育てる必要がある。……私に、その決意をさせるためですか。この組み合わせにしたのは」
浮かんだ苦笑に籠っていたのは感謝の念であろうか。
仲間を究極的には見切ってしまっている桜香に無言で突き付けられる事実。
放置すれば優勝を取るのは楽であるはずなのにわざわざ塩を贈るのはらしいとしか言い様がない。
「では、次は」
必要性は理解できた。ならば、次にくるのか簡単である。
『桜香さん、いきますよ』
「はい、健輔さん。指示をどうぞ。この身の全て、お貸しします」
実演からの体感である。
単体を極めた上、その先に必要なものを桜香なりに見極める必要があるのだ。
そのための教材として健輔以上など存在しない。
戦闘に似合わない安心したような微笑みを浮かべて、桜香はアルメダを見据える。
「あなたに敬意を。様々なことを学ばさせていただきました。この間の授業料としては十分です」
「自信家ね。ああ、もう……次のセリフはあれでしょ。勝利を確信した奴が言うやつよね」
「はい。――御覚悟を。健輔さんとの次にあるのかわからない最強のタッグ。是非、目に焼き付けていってください」
再び繋がる感覚を前にして、桜香の胸には妙な感慨が飛来していた。
健輔が用意したであろうチームとして戦うための術式。
深く考えずともわかる。
いつかは桜香を討つかもしれない力であった。
相手の切り札になるかもしれないモノを己の身で試す。
奇妙な縁で奇妙な関係。
あまりない関係の絆に少しだけ誇らしい想いと寂しさを抱く。
「……感傷ですかね。私も未練たらたらです」
一言だけ残して過った想いを捨て置く。
ここはまだ戦場なのだ。述懐するには早すぎる。
今はこの場で全力を尽くすだけだと改めて気を引き締め直して少女は空を舞う。
次の戦いへの展望を胸に秘めて、己の役割に徹する。
何処かの誰かとよく似た姿は常の彼女とは違う魅力を感じさせるのだった。
言葉は既に語り尽くしているため、健輔は何を言うこともなく紗希へと立ち向かう。
直ぐ傍まで桜香たちがやってきているのを認識しながらも、目に映るのは眼前の女性の勇姿だけ――健輔もマナーとして知っている。
こういう時に他所の女性について考えるのはおよろしくない事だと。
「名前はまだないんだが――」
思ったことを形にしただけゆえにまだ粗い。
しかし、可能性だけは感じたからこその最後の切り札となる。
やることは先ほどまでと何も変わらない。
リソースの集中からの得意な舞台への引き込み。
手堅く、その上でぶれない意思がある。
「何をするつもりですかっ! お姉ちゃん、嫌な予感がビンビンですよ!」
紗希は最大級の警戒と共に魔力の動きに注視する。
健輔がああいう楽しそうな目をする時は良からぬことを思いついた時だと経験から知っていた。
本人は魔導と出会う前はごく普通だった、などと言っているが周囲からすると別の意見がある。
確かに飛び抜けた才能などはなく、そういう意味では普通の男の子であったが頭の回転などは昔から優れていたのだ。
例えば、誰かを嵌める時などに強く発揮された才能の名を『悪戯』と言う。
健輔の主観としての記憶には残っていなくとも被害者にはバッチリと残っているのだ。
数少ない年上として色々とターゲットになったことを忘れてはいない。
感じる気配はあの頃と変わらずに、最高に嫌なものを漂わせていた。
「何をすると言われても困るな。勝ちにいく、かな?」
「疑問形で何を……えっ!?」
健輔が繰り出した拳を避ける。
動作としてはそれだけであるが、紗希の優秀な検知能力が確かな異常を察知した。
眼前にいるのは健輔で、直前の魔力反応も健輔のものであり、桜香が関与する部分は存在していない。
やろうとしているのはリソースの集中。
それだけのはずなのに、何故か意外なものが拳から放たれている。
「どうして……この術式と魔力は……!」
「まだ不完全だし、名前はないんですよ。まあ、暫定的に言うならば置換とかですかね? 個人的には無断拝借でもいいですけど」
「置換……まさか、いえ……それって……」
暫定名称からして嫌な予感を纏っている。
己の予想を否定して欲しいと思いつつも、次の言葉に顔を引き攣らせた。
「ええ、俺の魔力と繋がる誰かの魔力を入れ替える。もっと言うならば、向こうで発動させてこっちで出てくるって感じです」
「か、勝手に他人の魔力回路を拝借しているようなものじゃないですか!? そ、そんなところまでいっているの!!」
理屈は簡単で、複雑な事は何もない。
健輔が攻撃を繰り出すと同時に桜香の側から魔力を引っ張ってきただけである。
イメージ的には健輔の攻撃と同時に桜香の攻撃がワープしてきたと思っても何も問題はない。
問題はないが言われた方には溜まったものではないだろう。
相手が健輔なのにタイミングで稀に桜香が混ざるようなものである。
リソースの集中も早い話、魔力を簡単に借りられるように自分を空にしているのだ。
「いろいろと考えたんですけど、能力共有とかいらないかなって思いまして」
「い、いらないかなって……」
「や、だって考えてくださいよ。どうやっても本人が使った方が普通に考えて強いでしょう? わざわざ俺に合わせて変換する方が手間ですよ」
自分は自分の力に集中し、お互いに必要な時に能力を貸し出し合う。
健輔が考えた連携の形。
不得意を補った上で『普通』を大きくぶらさないように注意を払っている。
自分らしくなかったゆえに敗北した決勝戦を決して忘れてはいなかった。
力を借りるのも佐藤健輔らしさを追求しないといけない。
我武者羅で良かったのは去年まで、今年からは新しいやり方が必要になる。
同じことを同じまま続けるのは安心に囚われている証拠なのだ。
必要なのは、変える勇気。
「紗希さんも、そろそろ変わらないと――負けちゃいますよ?」
どれほど強くとも変化のない強さに価値はない。
健輔の能力はそういう形をしている。
最高峰の技巧であろうとも型が存在している以上、この男からは絶対に逃げられない。
変幻自在の万能系、そのもう1つ奥の可能性がかつての最強に牙を届かせる。
新しい系統の創造や万能であることなどこの男に付随する可能性の1つに過ぎない。
本当の恐ろしさ、というべきものを藤島紗希は確かに感じているのだった。




