第138話『相性』
空気を何かが切り裂く。
繰り出される糸の斬撃は最後に戦った時よりもずっと鋭い。
接敵と同時に展開された空間展開に遊びはなく、紗希の本気が窺えた。
空間と一体化し、視認困難な不可視の糸。絶対の切断力を誇る武器に桜香が防御に回る。
「私らしくない戦い方……相も変わらず、厭らしい能力ですね」
本質的にはテクニカル型に分類される桜香だが、パワー型としての側面もきっちりと持っている。
彼女は正確に言えば万能なのだ。健輔のように手段が豊富な万能ではなく、性能において他者を凌駕する万能。
派手な特殊能力など桜香を飾る華に過ぎず、全てを凌駕するスペックだけで頂点を取れる。――だからこそ、紗希の相手はやり辛いのだ。
藤島紗希――『不敗の太陽』。
彼女の本質は『敵』のスペックそのものに干渉するところにある。
「くぅ!?」
最強の魔導師、九条桜香。
もはや詳細を語る必要のない歴代の『太陽』の中で頂点の域にいる規格外の怪物。
彼女に優る才能どころか対等に戦える者すらも皆無の存在。
多くの者が知る彼女は経歴こそがそれであり、事実として全て正しかった。
この事実を覆すのが紗希の切り札の1つである。
1対1ならば誰にも負けないとまで称された存在。
忌々しそうに周囲を睨みつける桜香の視線にも常の迫力はない。
「非常に癪な光景な上に、やり辛い……!!」
桜香は魔力の防御を展開するが、不思議といつもの勢いがなかった。
魔力の生成が上手くいかないというよりも非常に効率が悪くなっている。
感じられる圧力はよくて真由美レベルまで落ち込んでいた。
落ち込んでも上位ランカークラスの能力は残っているのが恐ろしいが本来の桜香であれば軽く捻れる程度まで落ちていると考えれば異常事態なのは明白である。
桜香としても不本意であるが、これが全力なのだから仕方なかった。
正真正銘、桜香は力を出し切っている。
統一系まで展開した最高の状態で敵に押されているのだ。
「――はっ!」
「ッ! この、程度でえええええ!!!」
不可視の糸を勘のみで避ける。
黄昏の盟約との戦いで見せたものとは次元が違う。
錆は落とした、という言葉の通りにかつての全盛期を凌駕する技の煌めき。
誰よりも戦った経験があるからこそ、桜香にはよくわかる。
1対1でこれほど面倒臭い相手はいない。
糸そのものの攻撃力の上昇、技を繰り出す速度。全てが現役の時代に戻れば間違いなく3強に比する最強クラスの魔導師が藤島紗希である。
後輩として桜香はそのことをよく理解していた。同時に、紗希がそれだけであるのならば今の桜香ならば容易く勝てる。
「重い……! 今の私でも、影響は受けますか」
桜香は比類なきレベルで強くなった。
疑いようのないことだが、クリストファーや健輔といった存在がいるように最強ではあっても無敵ではない。
眼前の相手は桜香に限らず、1対1という条件下ならば優位に立つ正真の怪物だった。
「……正式に敵にして、ようやく理解できますね。この能力の面倒臭さを」
視線の先には雪のような白い光。
淡く輝き、周囲を覆う光は神秘的で美しい。こんな状況でなければ桜香もじっくりと見てみたいがこれが力が出せない理由となるとそうも言っていられなかった。
「私の足止めは予想していました。あなたと私は中々に悪くない相性ですからね」
「その通りです。ええ、敵で止めるべきは相手はあなたを含めて、最低でも4人。本当はあの子も入れるべきなんだろうけど……」
紗希は言った人数には桜香も覚えがある。
かつての3強に恐らくだが、優香なのだろう。健輔や真由美が外れているのは、彼らは頑張れば倒せる相手だからである。
条件を整えれば健輔は下位ランカーでも十分に相手が出来る存在だった。
底力は間違いなく3強クラスだがまだ安定して力を発揮はできない。
桜香は健輔を過大に評価しているが、その辺りだけはきっちりと精査していた。
恋に目が眩んで弱くなったとは言われたくない。
「あの子は計算に入れると大変そうだから敢えて抜いてみたわ。誰かが流れで相手をする方が正解だと思うの」
「賢明です。流石は紗希さんです」
「ふふっ、でしょう?」
一見普通の会話であるが、何処かに寒さがある。
特に桜香の視線が大変なことになっていた。勝手に自らの想い人を評価されたことに怒っている。
怒りを押さえているのは、こんなことで怒っていては絶対に勝てない相手だからであった。トリッキーなスタイルで3強クラスにいた存在。
この事実を桜香は全く甘く見ていない。
相手の力の詳細を知る身として、そのようなことは絶対に出来なかった。
「この聖素……。最近ですけど、どんな能力の発展系かわかってきましたよ」
「あら……私の切り札なのに困ったわね。どうしましょうか」
「よく言いますよ。バレても普通は対処できないじゃないですか。多分、この能力をなんとか出来るのは……」
脳内で1人の男性を思い描いて、桜香は剣を構え直す。
白の『聖素』に覆われた戦場で太陽は睨み合う。
普段は溢れんばかりの力で滾っている桜香が普通のランカーレベルまでパワーダウンしている。穏やかな会話に騙されてはいけない。
この状況でも2人は戦っているのだ。桜香はこの戦場の中で1対1でどうすればいいのかを考え、紗希はどうやって仕留めるのかを考えている。
もっとも桜香のやることは簡単だった。
『聖素形成』――桜香が現在進行形で影響を受けているこの能力をどうにかして、もう1つの能力を突破しないといけない。
「……私じゃなくて、健輔さんの方がよかったかもしれないですね」
「あなたがそうまで言うということは、やっぱり化けたのね。……アレン君でなんとかなるかしら?」
「正解だと思いますよ。健輔さんの奥の手ならば、この聖素にも対抗は十分に可能でしょう。なにせ、この力は優香の魔素固有化の更に先にいるものでしょうから」
桜香の自信ありげな声に紗希は苦笑する。
胸を張って健輔の事を誇る後輩の姿は戦闘中に不謹慎だとは思ったが中々に可愛い。
「あなたが自分ではなく誰かを信じる、か。いい経験を積んでるわね」
優位ではあるが、気は抜かない。
『聖素形成』は戦場を支配する力ではあるが、人数が増えてくると効果が薄れてしまう上に紗希の火力不足は何も変わってはいないのだ。
大きく能力を低下させたが、それでも桜香は所々で紗希の支配から脱してしまう。
複雑に揺れ動く天秤はまだ止まる様子を見せないのだった。
紗希によって先頭にいた桜香は止められたが、後続はまだまだ存在している。
乱戦に持ち込むために飛び出した勇者たち。当然、その中にはこの男がいる。
「陽炎、美咲!」
『術式展開』
『原初でいくわよ。あっちはまだ早いわ』
「おう! 任せた!」
『原初・万華鏡』を発動させて、健輔は高速形態で戦場を駆ける。
空を舞う姿は桜香に続く位置にいた。
能力的には順当であろう。更に遅れてイリーネたちが向かっているが、健輔との速度差は明らかである。
優香が本陣の周りに付いている以上は彼こそがナンバー2の打撃力となるのは不思議ではない。『天昇・万華鏡』でなくても健輔は厄介な魔導師なのだ。
そして、相手もその事を理解していた。
「――行かせないよ!」
「っ!! お前はっ」
まさに騎士と言うべき装い。
魔力で鎧を形成した姿から一瞬で相手を特定した。爽やかなイケメン、という外見に合致するのはこのお祭りの参加者でも限られており、中でも『騎士』と呼べる相手は1人だけである。
強敵の登場に笑みを浮かべて、健輔はいつものように形態を切り替えようと内部の魔力を活性化させようとした。
呼吸のように行う染み付いた習性。この時、この相手以外には問題のないごく普通の行動だったが、
「やらせない!」
「はあ!?」
まるで健輔の呼吸を読んでいたかのように完璧なタイミングで妨害が入る。
系統の切り替えは出来たがこれでは意味がない。
健輔のバトルスタイルに置いて重要なことは系統を切り替えれることではない。
常に主導権を握っていることなのだ。
彼が攻めに傾倒したテクニック型なのもその辺りが理由である。
安定性に欠ける。つまりは、力を発揮するのに双方の条件がいるのだ。
万能ではあるが、それだけでしかない『原初』までの健輔はこの命題から逃れられない。
「葵さんと同じようなことを……!」
葵以外で近接戦において押される。
力ではなく、技量でというのは健輔も初めての経験であった。
今までなんだかんだで攻めてばかりで守りが経験があまりない。
健輔は駆け引きを仕掛ける側であり、仕掛けられる側ではなかった。
逆転する立場に戸惑うしかないのは仕方がないことであろう。
「おいおい、まさか……」
「そのまさかだよ。君のことは、良く知っている。少なくとも、その戦い方はね!」
「がっ!?」
健輔の太刀筋を完璧に見切る。
我流でここまでやってきた健輔には明確な型はない。
ある程度の技は葵から授けられているが大半が変則的な動きを前提とした戦闘方法である。これは健輔が悪い訳ではない。
当たり前であるがいくら健輔が1日の全てを魔導に捧げていても時間的限界はある。
系統の習熟、バトルスタイルの練磨、そして魔導全般の知識の理解。
ここに細かな武術的な要素まで付け加えるのは流石に無理がある。
同じ技巧派で、相手は正統派の最高峰。
我流の我流たる部分、系統の切り替えを見切られてしまうと苦しいものがあるのは当然のことだった。
「予想はしていたが、ここまでのものか!」
『魔力の揺らぎを感じてるんでしょうね。葵さんが経験則でやっていることを理論として再現してるの。抜群のセンスだわ』
健輔のセンスがバトル全般に及ぶ汎用的なものならばアレンのものはより狭いジャンルのものとなる。
すなわち、近接格闘戦におけるセンス。
世界大会では桜香に不覚を取ってしまったが、彼女だからこそ鎧袖一触に出来たのだ。
如何に健輔が優れていても同じタイプには手間取る。
「わかっていたが!」
『あなたの強みが潰されている……』
『マスター、相手は堅実に来ています。焦らずに!』
「言われずとも!」
アレンの攻撃を防ぎ、健輔はタイミングを計って再び系統を切り替えようと試みる。
相手の意表を突き、主導権を奪う。
攻められている空気はあまりよくない。
「させん!!」
「クソッたれ!」
身体の内部での微細な魔力を動きを直感で感じ取る。
健輔にもない類の嗅覚。
負けの経験と努力とセンスが融合した間違いなく世界最高峰の近接魔導師である。
桜香や優香でさえも苦戦を免れない健輔のバトルスタイルを技だけで制していた。
優勢に立つ『騎士』。
世界ランク第4位は伊達ではない。特出すべきものはないが、ないからこそ彼は強かった。全てが順当にレベルアップしたがゆえに健輔が得意な弱みを突く、ということが出来ない。
健輔は僅かでも弱点が存在するのならばそれを拡大させることが出来る。
彼が勝利してきた最大の理由がそれであり、完璧な存在がいない以上、このバトルスタイルを完全に封じこめるのは難しい。
「マズイな……」
自らの優勢を理解し、その上でアレンは呻いた。
変幻自在のバトルスタイル。好きにやらせると不味いからこそ、アレンは呼吸を読むことで系統変化による攻めをある程度は制御することに成功していた。
健輔の攻めの起点を押さえることで流れを乱す。
同じテクニカル型であり、健輔の研究をしっかりと行っていたからこその成果である。
クラウディアという健輔を良く知る相手がいたのも大きかった。
万全の準備は十分な効果を発揮しており、なんとか足止めに成功している。
「薄氷だね……。想定よりも随分上だ。なるほど、これは恐ろしい魔導師だよ。クラウディア君の言うこともわかる!」
「クラウ? そうか、そういうことか!」
「君ほどの魔導師を研究しないはずもないだろう! さあ、まだまだ付き合ってもらうぞ」
そう、なんとか成功しているだけなのだ。
アレンに脳裏に過っているのは、敗北の2文字である。
仮にこのまま戦えば試合終了まで粘ることは可能であろう。
同時に粘るのが限界だとも悟っていた。
後1手、何か健輔が持っていたらアレンは勝てなくなる。
「君は何かを持っている。切り札、というべきものをね。悪いが、使わせるつもりはない!」
「ふん、流石は『騎士』。俺の課題解決にはちょうどいいレベルの敵だよ!」
純粋な剣技と戦技がぶつかり合う。
お互いに狙っているのは相手の首。勝利を得るために死力を尽くすのは敵に対しる礼儀であった。
切り札を出すタイミングを計る健輔と、させないように立ち回るアレン。
激しい空中戦の中で両名は機を生み出すべく苛烈に前へと歩みを進めるのだった。




